1 国よりも世界よりも
【前回までのあらすじ】継承戦にケリがついた……と、安堵したところへ現れたヒデトに、連れ去られたサクヤとナチル。そんなこと許せるワケない! 例え追うなと言われようが、今すぐにサクヤを追いたい――!
「……少年。君、まだ動ける?」
振り返れば、ふらつきながらもエイジが立ち上がってる。
「――エイジ!」
思わず駆け寄った。
エイジの手を取って身体を起こしたアサギも、周囲を見渡して呆然とする。
暴風で吹き散らされた月焔龍咆哮は、個々の威力こそ小さくなったものの、広範囲で人々に影響を与えていた。
肩から血を流し倒れ伏しているキリ。
比較的ユズリハの近くにいた、カエデや師匠の身体はここから見るだけでも傷だらけだと分かる。
何とか立っているエイジだって、カズキにやられた傷が治りきってるワケじゃない。足元がおぼつかない。
見届け人の人達も、皆、地面に倒れたまま呻いていた。
「少年が動けるならさ、神殿に行って、今来れるだけの治癒術士を呼んできて。アサギ、神殿の人達が大人しく従ってくれそうな証を」
「では、私のこれをお持ちください」
ポケットから出したのは、例の即時通信の許可証のコインだ。
オレが少しだけ躊躇っている内に、エイジは「頼んだよ」と言い残すと背後から呼ばれた声に応えて、さっさと行ってしまった。
エイジが背を向けたのを確認してから、アサギがオレの手にそっとコインを乗せた。誰にともなく、下を向いたまま小さな声で呟く。
「……それがあれば、神官に転移魔法を使わせることも出来ます」
考えていたことを悟られたようで、びっくりした。
さっきエイジに即答を躊躇ったのはそれが理由で、つまり神殿に行くなんて時間が勿体なくて、今すぐアサギに転移魔法で獣人達の集落へ送って貰えないだろうか、なんて思ってたからだ。
きっと、エイジにはサクヤを助けに行くなんて決断は出来ない。
さっきヒデトが言ってた――黙って見過ごせば、すぐにこの国を出ていく、ということを聞いてしまったら。
エイジは良くも悪くも現実的だ。
言い方は悪いけど、無理だと思ったらサラのことでも見捨てられる。
こないだの時もそうだったし。
今回だって、ヒデト達が獣人の集落へ向かったなら、もしかしたら向こうにいるサラだって巻き込まれてるかも知れない。エイジが、心配してないワケはない。
それでも。
一番大切なヒトでも。
たくさんの国民と比べれば、見捨てる。見捨てられる。
いや、見捨てなきゃいけないと自分に言い聞かせてるんだ、きっとずっと。
それによって傷付いて苦しむのも孤独に悩むのも自分で、罪を負うのも自分だからって。
傲慢な考え方だとは思うけど、そうじゃないと王サマなんて出来ないのかも知れない。
冷血感で結構だ、と言い切った父親のように。
オレには、そんな考え方は出来ない。
キャパの狭い男なんだ。ワガママだって言われるかも知れないけど。
オレの守れる範囲なんてたかが知れてる。
ただ、自分の一番大切なモノを守るだけだ……
「あなたの能力は貴重です。無理だと思ったら一度引いて、戻ってきてください。一緒に作戦を練りましょう、そうすればきっと何か方法も……」
相変わらずオレの方を見ないアサギには、多分、分かってると思う。
きっと、この機を逃せばサクヤを取り戻すチャンスは、二度とない。
ヒデトはこの国をすぐに出ると言っていた。今追いかけなければ、見失う。
色々考えて。
ゆっくり策を練る時間は、ない。
今も。この先も。
だからオレは、アサギに向けて微笑んで返した。
もしかしたら、もう二度と会えないかも知れないから。
「ありがと、アサギ。ありがたく使わせてもらう」
オレの声を聞いて、弾かれたようにアサギが顔を上げる。
その時にはオレはアサギの手からコインを取って、神殿に向かって駆け出そうとしていた。
「……カイさんっ!」
何かを呼びかけようとしてくれた声だけは聞こえたけれど。
オレは、振り返りはしなかった。
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「――転移魔法!」
いつかのように、神殿の床に描かれた青い魔法陣から、溢れるような光が漏れる。
眩しくて眼を閉じたオレの身体が、揺れるような不思議な違和感――。
神殿で最初に会った神官に、コインを見せながら王家の森へ人を送ってくれるように伝えた。ついでにオレを獣人の集落にある神殿へ送ってくれ、と頼んだら、あっさりとOKされて、5分やそこらで転移させてくれた。
いつだったか、神殿の屋根の上でツバサと戦った後、壊しちゃった屋根の件で揉めに揉めたことがあった。あの時の対応に比べたら、天国と地獄だ。エイジが言ってた正当な権力を振るうのは楽って、こういうことだろうか。
頼んだオレ自身が躊躇するくらい、簡単に。
オレは1人、獣人達の集落へ到着していた。
ヒデトがああ言う以上、もう青葉の国のヒトは誰も巻き込めない。
師匠もアサギも、エイジも。
あのヒト達は国の為に動くヒトだ。
より良い世界をみんなにもたらそうとするヒト。
オレが求めてるのは、国でも世界でもなくて。
誰かの為になるのかさえ、分かんない。
だから。
これ以上は、甘えられない――。
青い光が消えて眼を開ければ、そこは木製の小屋の中、床だけが魔法陣の光で輝いている。
もしかすると移動先の神殿が破壊されてるかも知れない、と思っていたが、どうやらそんなこともなかったみたい。
触手で気配を探りながらこっそり表に出る。外から見ても、建物自体があんまり神殿らしくない。
アサギがここに神殿を建てたのは、布教のためでも何でもなく、通信網の便宜化の為だそうだから、余計な反発や面倒な干渉を防ぐために、獣人達の集落から浮かないような外観にしたのだろう。
周囲にも人の気配は全くない。見張りも置いてないってことだと、ヒデトはまだここに神殿があることを知らないのかも知れない。
今の内に……!
こっそりと扉から出て、青兎の集落へと踏み入った。
静かに触手を伸ばしてみたが、ヒトの気配が全くしない。
歩きながら、その不自然さに改めて気付いた。
オレもサクヤに連れられて、ここに移ってからの青兎の集落には何度か来たことがある。つい最近建設されたばかりの神殿の位置を知りはしなかったけど、周辺を探れば見覚えのある建物もあって、今どこを歩いてるのかは大体分かった。
オレの記憶によれば、ここは姫巫女の館(実際にサクヤが逗留してることはあんまりないけど、名目上そうなってる)がある集落の中心から、少しだけ歩いたあたり。
近くには集落共同の織場があって、普段だったらこの周辺にはたいてい誰かがいる。
元々が少数の青兎族だが、南国にあった島は自然の恵みにあふれていて、多少植物の手入れをするくらいでも、食うに困ることはなかったらしい。それがここに転移して初めて『仕事をする』ことになった。
みんなで相談して、例のサクヤが着てたひらっひらの衣装のもとになる布を織るのを主産業にしたらしい。だから、たいてい織場には交替で誰かがいて、お仕事に精を出してるのだった。
サクヤさんと言う有能(かどうかは別にしても、顔だけは広い)バイヤーが付いているのと、今まで人間の間では見ない珍しいシロモノだったのが幸いして、貴族のミナサマの夜着用やドレスの装飾として結構な値が付いてる。
そんなこんなで悲壮感もなく、半分趣味みたいなのんきな様子で、青兎達は楽しそうに初めての『お仕事』をこなしていたのだが……。
それが、こんな昼間から誰もいないなんて。
やはり、姫巫女がみんなを連れてどこかに行っちゃったんだろうか。
さっきのユズリハへの誓言で、サクヤはちゃっかりと「同胞に危害が及ばぬ限り」なんて条件を付け加えてた。
だから、殺されたとかってことはないはずだ。姫巫女の指示で全員が集落を後にしたとか、そんな理由でなければこの気配のなさは納得できない。
じゃあ、サクヤはどこへ行ったんだろう。
一族と行動を共にしてる?
――いや、ユズリハが、ヒデトが姫巫女を手放すワケない。あいつらは、守り手と神の欠片を集めてるって言ってた。
ならきっと今どこにいるとしても、いずれ必ず青兎の泉に姿を現すに違いない――。
「サクヤ……」
そっと名前を呼ぶと、不安で仕方ない心が少しだけ温まるような気がした。
オレのことは一族の次だったとしても。
確かに愛されてる、オレは認められてる。
そのこともまた、嘘じゃないから。
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そこは青兎達の聖地。
姫巫女以外は立ち入れない――誰も立ち入らない清らかなる場所。
洞窟の奥、清らかな光が満ちているその場所を。
いつかサクヤと共有した意識の中で、オレは知っていた。
洞窟の前で一瞬だけ立ち止まって悩んだ。
悩むのは、ここから先には一族すら踏み込まないことを知ってるからだけど。
それでも、迷いは一瞬だった。
静かに足音を忍ばせて踏み入る。
国よりも世界よりも、大切なモノがそこにあるから。
洞窟の中は、むしろ外よりも明るかった。
泉の水自体がきらきらと光っている。
その光の眩さに、眼を眇める。
ふと。
(――早かったな……)
伸ばされた触手が、オレに触れた。
諦めたような掠れた笑い声は、ヒデトのもの。
「ヒデト――」
見付かったなら、もう息を潜める理由もない。
ヒデトがここにいるなら、きっとサクヤだって――!
声を追うように洞窟を駆け抜けて、泉の正面に出た。
岩の上に腰掛けたヒデトの横、ぼんやりと佇んでいるサクヤの姿を見付けた。
「サクヤ!」
サクヤの隣に立っているのはナチル。
その後ろで、2人を見張るように腕を組むユズリハと、赤鳥の騎士――だけじゃ、なかった。
「トラも女王も――サラも!」
ヒデトは既に獣人の長達を捕えていた。
だけで、誰もオレの声にも応えない。
立ちすくむトラや女王の傍に、そっとサラが控えているのも見えた。
もう1人、白狼の女性が女王の前に跪いていた。
直接会った記憶はないけど、いつかサクヤの記憶で見た、女王に仕えるサクラ、という――あの頃は少女だった白狼だと思い出した。
お互いに眼が合ったというのに、騒いでいるのはオレだけで、皆、大人しく黙りこくってる。
その虚ろな視線に、強い違和感。
「ヒデト、あんた、守り手達に何を――」
「言っただろうが、守り手と神の欠片が必要だって。ほら、そっちに生えてるのが白狼の大樹で、今俺が持ってるコレが……黒猫の剣だ」
洞窟の中、窮屈そうに枝を伸ばしている巨大な木と、ヒデトの手の中の不可視の剣。
そして、もう片手には、オレから奪った黄金竜の宝玉――
「ようやく……ようやくこれで、願いが叶う」
恍惚としたヒデトの表情で、ようやく気付いた。
オレの中の黄金竜が警告音を鳴らす。宝玉が発する力が、この泉の洞窟の中に恐ろしいほど充満している。
ぞくり、と背筋を震わせたオレの無言の恐怖さえ、今のヒデトには伝わってしまっている。
「……お前には分かるか。神の欠片はな、それぞれ相性があって、力を強め合う組み合わせがあるんだ。本当は赤鳥の炎は黄金竜の宝玉を強めてくれる――両方揃った今、そんなことも忘れちまってる守り手達を操るのは簡単だった……俺もよくぞここまで使いこなすようになったもんだぜ。必要最小限以外は手を出さないと誓ったからな、残りの獣人達は、剣を失った黒猫の集落にいる」
くくっ、と笑ったヒデトの声で、理解した。
みんな、操られてる――ヒデトの、黄金竜の魔術師の力で。
だけど――力を強め合う組み合わせがある? 何でヒデトはよりによって、そんなこと知ってるんだ。
疑問を持った瞬間に、鋭い触手がオレの中に突きこまれた。
オレの持つ黄金竜の力で対抗しようとしたけど、正当な持ち主の手に戻った宝玉の力は絶大で、オレのか弱い抵抗なんかものともせずにぶっ刺さってきた。
「――!」
キツい異物感で、身体が傾ぐ。
ごりごりと肺を抉るような痛みで、オレの中をかき回す触手。
直結した触手から、流される命令。
(――Freeze――)
(――Freeze――)
(――Freeze――)
……
繰り返される命令で、頭がおかしくなりそうだった。
このまま意識を失いたいと思ったけど――直前で、足を踏み締めた。
顔を上げたオレの視線を受けて、ヒデトが驚いたように眼を見開く。
「一介の黄金竜如きが」
(――Freeze――)
「なかなか頑張るじゃねぇか」
(――Freeze――)
「だけどな、無駄だ」
(――Freeze――)
「魔術師の操作を甘く見るな――!」
(――Freeze――!)
その暗い暗い淵のような瞳に射抜かれて、オレの身体は勝手に動きを止めた。
何とか近づこうと焦ってみても、指先1つ動かせやしない。
面白そうに首を傾げて、ヒデトは息を吐いた。
「追ってくるとしたらお前だとは思ったよ……言っただろう。俺の目的はこれだけだ。お前らの一族も国もどうでも良い。邪魔さえしなけりゃこっちもこれ以上は関わらねぇって言ってんのによぉ……恋人を助けに来たか? 何の力も持たない癖に」
何の力もない。
助ける方法もない。
ただのオレの自己満足なのかも知れないけど。
だけど。
動かなかった身体が、唇が。
少しだけ動いた。
「……ダメなんだ」
「ん?」
口から、滑るように声が漏れる。
「サクヤがいないと、ダメなんだ。その人がいないと、オレ生きてる感じが全然しない。だから……」
だから、無駄でも。
たとえ1%以下の確率だって、とにかくもう一度会いたかった。
だって、オレはその人とずっと一緒にいるって誓ったんだから――
2016/07/01 初回投稿




