5 魔法戦
美しい種族だと、レディ・アリアは言っていた。
どれだけ眺めても、見飽きないと。
それはまるで、眼の前のこの奴隷商人のことじゃないか。
特徴の一つである、頭上の長い耳はないが、髪と眼の色なんか、どうやってでも変えられる。
実際、魔法を使っていたときの、サクヤの姿はどうだ。それこそ、月光のような白銀の髪と、宝石のように紅い瞳をしているように見えたのだ。
サクヤは、問いには答えなかった。
ただ、静かに視線をこちらに向けた。
その表情は、オレの予想に反して、拒絶を示してはいなかった。
どちらかと言うと、迷っている。「答えたくない」ではなく、「答えられない」――。
迷いながら、言葉を紡ぐ。
「リドルは長命だ。不老不死は言い過ぎだが、人間よりも成長が遅く、成人すれば老いず長く生きる。新しい子が産まれたとして、成人するまでに100年はかかる。70の生存者の内、俺の知らない間に交配がなされたとしても、その子の親の名は、確実に俺の知識の中にある。だから、俺が偽物を掴むことはない」
一息に喋ると、壁から離れ、こちらに一歩詰め寄った。
紺碧の瞳は、オレを見つめている。喋っている間、不安そうに揺れていた瞳が、今は、まっすぐにオレを見据えていた。
「俺には、一族の血は流れていない。だが、この身体は、リドル族に捧げられたものだ。野蛮な人間どもに汚させる訳にはいかない」
バチッ、と、サクヤの頬の辺りで、火花が散った。
それを切っ掛けに、バチバチとあちこちで光が舞い始める。
サクヤの髪が、その光を受けて、ゆっくりと銀に染まっていく。そして、こちらを見詰める瞳は、ルビーのような見事な紅――。
――同じ光景を、以前にも見たことを思い出した。
あの、転移魔法の発現の時。
そして――そして?
他にも見たような気がするんだが……思い出せない。
空気が濃密になったような感覚。
弾ける火花の中で、何かがうねるような。
その独特の空気に気を取られて、気付くのが遅れた。
路地裏の奥から、嫌な気配がこちらに向けられている。
ここからは、レンガ壁で塞がれて見えないが、誰かがこの奥にいるようだ。
教えてやろうと、サクヤに視線を向けた。
一瞬こちらを見た視線は、オレより先に気付いていたらしく、軽く頷き返してきた。
周辺のバチバチ音が、だんだん激しくなる。
この魔力は、壁の向こうに向かっているのだと、理解した瞬間――。
「――お前のことだ、そこの執事! 爆散陣!」
サクヤが指差した、路地裏の先の壁に、光の筋が紋様のように走り、一瞬にして爆散した。
派手な音と光の瞬間、崩壊する壁の向こうに、あの豪奢な廊下の奥にいた、レディ・アリアの執事の姿があった。
執事はこちらに右手を向けて、驚きの表情を浮かべている。
しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、中断した呪文を再び唱え始めた。その手のひらには、小さな火球が輝いている。
レンガの壁が消えた今、執事の呪文は、風にのって、こちらまで届く。
「……火蜥蜴よ、炎の獣よ。我が名のもとに天空に踊れ……」
聞こえた呪文を受けて、サクヤは、執事に向けて飛び掛かるのを止めた。無言で、左の手のひらを突き出す。呪文も唱えないままだが、先程と同じように、魔力を集中させている。
数秒で、その手のひらを中心とした広範囲に、空気の歪みのようなものが出来た。立て続けの魔力行使なのに、辛そうな様子も見えない。
呪文の詠唱もなしで、あっと言う間に魔力を集めたことが、執事の違和感を誘ったらしい。訝しげな顔をしたが、それでも執事は呪文を唱え続ける。
呪文に合わせて、その右手の火球は、徐々に大きさを増す。そして、最後の言葉とともに、火球はオレとサクヤに向かって、飛んできた。
「火焔珠!」
サクヤの周辺で、火花が、ひときわ激しく鳴った。
自らの生み出す稲妻のような輝きに、細かく切り裂かれながら、サクヤは小さく呟く。
「聖防御障壁」
次の瞬間に、火球がサクヤの左手から広がる、透明の壁にぶつかった。壁は、一瞬、火球のオレンジ色を吸って輝く。サクヤの紅い瞳が、その輝きを受けて、濡れたように光った。
衝突したことで、魔力が相殺されたらしい。火球と壁の、両方がかき消えた。
サクヤが、深く息を吐きながら、静かに腕を下ろす。
執事は、驚いたように両眼を見開いた。
「……ノゾミの力じゃないよな。まさか、あんたにそんな力があるなんて、初めて知った」
執事の驚きは、サクヤの無詠唱の魔法壁で、自分の魔法が打ち消されたことに対してだけではないらしい。
サクヤの髪と瞳の色が、徐々に普段通りに戻ると、周辺に散っていた火花も落ち着いた。ただし、その火花で傷ついたサクヤの肌には、小さな切り傷があちこちできている。
「魔法が使えるなら、教えてくれればいいのに。そいつのことも騙されてたし、やはり信用されてなかったのか」
呟いた執事が、踵を返して駆け出した。
オレは、執事のワケの分からない言葉に、瞬間、迷う。
そいつって誰だ? オレか? 何か騙したっけ?
街中のあちこちから、状況を確認する声が聞こえてきた。夜半の街に、爆音が轟いたせいで、人を起こしてしまったらしい。
「――追うぞ」
サクヤはフードを被りながら、執事の後を追って走り出した。
ふと、その声が、普段より高い音域に変わっているのに気付く。魔法を使ったせいで、また性別が変わったのだろう。
駆け出したサクヤの後を追いかける。
執事は、人の少ないところを選んで走っているようだ。誰にも会わずに、街の外壁まで到着した。
大きな街だけあって、立派な外壁だ。オレの身長の2倍はあるだろう。
追い詰めたか、と思ったが。
執事は意外なほどの身のこなしで、壁に足をかける。走ってきたスピードを利用して、かけた足を蹴り上げると、壁を飛び越えていった。
これは、オレにはちょっとできそうにない。門まで回り道するか、さっきの魔法で壁に穴を空けてもらうか……。
悩みながらも走っていると、先に壁の前までたどり着いたサクヤが、立ち止まり、こちらに左手を差し出してきた。無意識にその手を握る。細く白い指が、オレの手に絡んだ所で、手を繋いでいることに、改めて気付いた。
驚いて、サクヤの方を、もう一度見る。
フードの下の表情を伺い知れないまま、周囲を、火花が弾け飛ぶのを見た。さらにそれを包むように、先程と似た透明の壁が、オレ達を囲い込む。
「浮遊壁」
足下の揺れるような気持ちの悪さを感じて下を見ると、地面があっと言う間に遠ざかっていく。
よく見れば、動いているのは地面ではなく、オレ達だ。魔法の壁ごと、オレ達は宙に浮かんでいた。
ちょうど、壁を越えようとしたところで、ふと、壁の向こうを見下ろした。
壁の真下から、こちらを見上げている執事と、ばったり眼が合う。その手には、先程と同じ、火球が用意されているのが見えた。
執事は、浮かぶオレ達を見て、驚いた顔をしている。
自分と同じように、壁を乗り越えると予測していたのだろう。不意打ちを狙っていたようだったが、そのまま、手元の火球を投げつけてきた。
「――おい!」
「この程度なら、問題ない」
小さく答えるサクヤが、何をするまでもなく。周囲に張られた見えない壁が、魔法を遮断してしまった。……浮くわ、防御できるわ、便利だな、この魔法。
オレ達が、街の外の地面へ降り立ったときには、執事は再び逃走を始めていた。
追い掛けなければいけないのだが、繋いだ手を離すのが、少し惜しいような気がする。
ただし、その躊躇は、サクヤには全く伝わらなかったらしい。名残惜しげに繋いだままのオレの手を、振り回して解くと、執事の追跡を再開した。森の中に入っていく執事の後を追う。
オレを計算に入れなければ、執事とサクヤでは、明らかにサクヤの方が早い。みるみるうちに、執事との距離を詰めていく。
最初に会った時の追いかけっこでは、ここまでは早くなかったと思うのだが。サクヤは、短距離で片を付けようとしているらしい。
オレはといえば、何とか、2人を見失わないでいられる、というレベル。
走りながら、サクヤが魔法を放つ。
「氷結槍!」
サクヤの頭上に、輝く氷の槍が、5本並んだ。
その左手の指す先に向かって、飛来する。
執事は体勢を乱しながらも、全てを避け切った。
それでも、そこで走る勢いが殺され、サクヤとの距離はますます縮まる。
ナイフを抜いたサクヤが、執事の背後に追いすがった。
そのナイフの一閃を見る直前に、オレは。
――何か、非常に。
――嫌な、予感がして。
後ろを振り向いた。
そこに、剣を振りかぶった男がいた。
慌てて、身体を捻って、男の剣先をかわす。
驚きと焦燥の内に身を捩った為に、無理な姿勢になったことを自覚した。
剣を持った男は、サクヤの横にいる執事と、ほとんど同じ顔をし、同じような服を着ていた。
違いと言えば、その手に握った剣の有無だけだろうか。
剣の執事は、二撃目で剣をオレの右から、横一線に薙いできた。剣先がオレに近付く瞬間が、スローモーションで見える。
――避けられない。
剣の刃が、迫ってくる。
その剣が触れる直前に、黒い影が、オレと剣の間に割り込んだ。
「――っ!」
「――サクヤ!?」
サクヤが、右腕で、剣を受け止めていた。
良く見ると、腕そのもので受けたのではなく、右腕に沿わせるように、ナイフを構えている。
本来は、そのナイフで剣を受け流したかったのだろう。無理に割って入った為に、流せなかった。ナイフごと剣に押され、サクヤの右腕はその半分、骨の辺りまで抉られていた。
筋力と、武器と、勢いの差で、腕に食い込んだ剣を、それでも、それ以上は押し切ることが、出来なかったらしい。
勢いの止まった剣を、執事が引いた。
サクヤは、剣が抜ける時の痛みを予想していたのか、声は上げなかったが、代わりに小さく息を吐いた。
止めるもののなくなった血液が、腕から溢れ出す。
血の噴き出す腕を下ろしもせず。次の攻撃に備えて、オレを背中に庇いながら、呼吸を整える。
――オレはと言えば。
本当は、この間に。
サクヤなんか置いて。
逃げるべきなのに。
目の前の真っ赤な右腕から、視線を離せない。
踵を返すことも、剣を抜くことも出来ず。
ただ、立ちすくんでいた――。
2015/06/11 初回投稿
2015/06/12 サブタイトル作成
2015/06/20 段落修正
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更