10 降り注ぐ紅の
【前回までのあらすじ】継承戦の途中で襲ってきたヒデト。多くの人間を操るその力に、オレ達はどうやって対抗すりゃ良いんだ!?
「ごっめーん、遅くなった」
「遅いですよ、エイジ!」
師匠が叫んだ途端に、その頭の横をしゅぱん、と矢が通り抜ける。
エイジの放った矢は、師匠の赤い髪を数本巻き込みつつ背後で振り上げられていた剣を見事に弾き飛ばした。
空中をひらひらと舞う自分の髪を引き攣った顔で見つめて、師匠は押し黙る。
その様子には言及せず、エイジが静かに弓を下ろした。
「ちょっとやばいねぇ……。こんな調子でやってたら、ただでさえ少ない青葉の国の国民がいなくなっちゃうんだけど」
いつもより少しだけ真面目な顔をしてぼやいてる。
確かに、生命を止めるか手足を落とすしか止める方法がないのは辛い。
特に自国の国民を傷付けるしかないエイジにとっては心苦しいだろう――と思ってたら、さすがエイジは弓の的を武器のみに絞って放ちだした。
遠距離から剣を弾かれた見届け人達は、動きを止めないまでも落とされた剣を拾ってこちらに向かうまでに時間がかかるので、ちょっとした時間稼ぎが出来てる。
なるほど、良い手だ。
「あーあ、だから継承戦なんて馬鹿馬鹿しいって前から言ってるのにねぇ」
「いや、しかしまさか、ここまで巻き込んで大々的にやられるなんて、誰も思ってないでしょう」
「――とか言ってるナギくんが真っ先に乗っ取られ……あ、ごめん。泣かないで、ね?」
サクヤの酷い言い草を思い出したんだろう。ちょっと涙目になってる師匠を、矢で周囲を威嚇しながらこちらに近寄ってくるエイジが慰めた。
「別に泣いてませんもん……」
「はいはい、俺が悪かったって。それより、これ何とかすること考えましょ? さっきまであなたの中にいたんでしょ、例のヒデトさん」
「ええ。捕まえたつもりでしたが、するっと逃げられました。並の人間の精神じゃ太刀打ちできないようですね。さすがは黄金竜族、と言うべきか」
本気で心の中でとっ捕まえるつもりだったらしい。
さすが師匠、考えてることが良く分からん。
何とか一箇所に集まったオレ達は、それぞれに眼前の敵を倒しながら今後の作戦を練る。
「少年、これどうにか出来る? 少年の力でさ」
「出来ると思うけど、1個ずつ潰す感じになるから時間かかるぞ、多分……」
ヒデトのように同時に何人もの支配権をとることは出来ない。
片っ端から1人ずつ虱潰しに当たれば、逆に分散してるヒデトの方が不利だろうとは思うけど――
「いや、時間かかっても良いからやってください。でないと、本当にうちの国民いなくなっちゃいますから」
「そうそう。俺達だって時間稼ぎくらいするからね。ほら、レイちゃんもいるし」
離れたところに、シノを背後に庇って剣を振るうレイの姿がある。
そんな2人を微笑ましく見守るエイジと、忌々しそうに舌打ちする師匠で態度が分かれてるのは……うん、やっぱ師匠って駄目な男だ。
しゅぱっ、と弦を離したエイジがさり気なくオレを背後に庇った。
そのエイジの前に一歩出た師匠が、愛刀暁を構えなおす。
「さー、行きますよ、エイジ」
「はいよ、ナギたん」
「キっモぃ呼び方しないでくださいよ、あんた……!」
アホな会話を交わしつつ、完璧な連携で攻撃を叩き落とす2人を横目に、オレは触手の操作に注意を移した。
向かってくる人々の心臓に突き刺さってるヒデトの支配権の触手を、自分の伸ばした触手の先でまさぐって引き抜く。
ちょっと乱暴だけど、『操作』されてるだけならこれで十分。
引き抜いた後は、簡単にまた奪われないように触手の端で塞ぎながら。
支配権から解放された端から、操られていた人々はくたりと意識を失って地に倒れた。
「あー、ねえ少年。そもそもその操ってる本人がどこにいるかって、探れないもんかね?」
「それが……探してるんだけど、触手の反対側がどこに繋がってるか、良くわからないんだ」
支配権を取り戻す作業と並行して、触手を辿ってるけど、長すぎていつまで経っても反対側に届かない。
この向こうに操ってるヒデトがいるはずなんだけど。
「じゃあ、あなたはそれ続けててください。ちょっとでも可能性があるなら何とかしたいんで」
「お、おう……」
一生懸命に支配権を切り替えつつ、触手を引っ張り続けていると、何故か少し違和感があった。
「……あれ?」
「どした、少年?」
「何か触手が緩んでるような……」
手繰ってるのに緩むということは、つまり。
「――あ、サクヤさん!」
師匠が刀を振り切ったところで、森の出口に立つサクヤを見付けてその名を呼んだ。
見れば、しっかりとアサギの手を握ってこちらへ走ってくる。
その後ろを追ってくるのが、サラと2人の虎族だ。
サクヤとアサギ、サラが虎族の娘達より先に森から出た瞬間に、エイジの勝ちは決まった――ん、だけど。
「見届け人、まともな意識保ってるヤツいるかな……?」
「いなくても、僕が見てるからもう良いです」
思わず呟いたオレの言葉に、レイの後ろに庇われていたシノが答えた。
「どうせ勝てるとは思ってなかったし、僕もお兄ちゃんが王様に相応しいと思う……」
「ありがとね、シノちゃん。それは良いけど……あの虎族の子達も操られてるのかなぁ?」
「――雷撃槍!」
森から出たサクヤが、アサギを後ろに庇いながら魔法を放つ。
放った先にいるのは、ぐるぐると唸る2人の虎族。翻弄するような軽いステップで魔法を避けた。
その様子を見たサクヤは、即座に別の魔法を組み立て始める。
アサギやサクヤに近付こうとする2人の連携のとれた攻撃をいなしながら、殿を務めているのはサラだ。
森から明るい日の下に出て、初めて。
サラの黒い服がびっしょりと血を吸って身体に張り付いているのが見えた。
その量は返り血じゃない。サラの脇腹から溢れる――
「――サラ!」
叫んだエイジが、サラの向こうの虎族に向けて援護の為の矢を放った。
放った瞬間にその動きを読まれているように、虎族は真横へ身体を滑らせて避ける。
今の動きと触手の位置で、オレも確信した。
「なあ! その2人のどちらかに――ヒデトが『憑依』してる!」
「――氷結槍!」
オレの言葉に即座に応えて、サクヤが魔法を放つ。
その瞬間に。
「『炎よ』!」
上から聞こえた幼い声が、輝く透明な槍を燃やし尽くした。
「――赤鳥の騎士か!」
「あはははは! 相変わらず良い燃料じゃん!」
人々の頭上で、赤い羽根を散らしながら舞うのは、最後の赤鳥――ツバサ。
がくり、と膝を突いたサラに駆け寄ろうとしたエイジを、師匠が止める。
力の抜けたサラの身体を、上空から飛来したツバサの腕が掴んだ。
「あはっ、掴まえたー」
「――っふうぅ!」
身を矯めたサラは、ツバサに向けてナイフを振り切る。
まさかそんな力が残っているとも思わなかったらしい。さしたる抵抗もなしに腕を切り落とされて、ツバサは乱暴にサラの身体を突き放した。
「痛いっ! あぁぁ、もう! 痛いじゃんか!」
ぶん、と血まみれの腕を一振りするだけで、切り落とされた腕から肉が盛り上がって新しい腕が生まれていく。
空中でツバサに手を離されたままバランスを崩して落ちたサラは、地面で待っていた2人の虎族の鋭い爪を避け切れず、身体に受けた。
「サラ!」
呼びはしたが、オレは触手の操作から手が離せず動けない。
師匠の刃は周囲で操られている人たちを払いのけるので精いっぱい。
サクヤはアサギを守りながらも、何とかこちらへ合流しようとしている。
「こんの――」
エイジが弓を連射してサラを援護しているが、さすがに獣人は速い。避けてはサラに迫るその動きを、なかなか捉えられない。
オレは虎族達に向けて触手を伸ばすけど、ぴったりと息が合ったそっくりな2人は、どちらにヒデトが『憑依』してるのか判然としない。
入れ替わる2人に合わせて支配権から伸びた触手が絡んでしまう。
「カイ――」
絞り出すような声で、エイジがオレを呼ぶ。
呼びながら自分はじりじりと前に出た。
少年、ではなくて、名前で呼ばれるのは珍しい。
それだけ焦ってるんだ。
分かってる。早くしないと、サラが――
「エイジ、ナギ。アサギを頼む!」
ようやく駆け寄ってきたサクヤが、引っ張ってきたアサギの身体を、途中までそちらに向かっているエイジに押し付けた。
はぁはぁと荒い息をつくアサギは、どこも怪我はなさそうだ。
ただ全力で走り続けるのはキツかったのだろう。苦しそうに胸を押さえてる。
「アサギ、まだイケるか?」
その顔を覗き込むエイジの真剣さに、アサギは途切れ途切れの息の下から、何とか答えた。
「……い……いけ、ます……!」
「よし、じゃあサラのところへ――」
既にサクヤは踵を返し、サラの元へと走っている。
その姿を見て、2人の虎族の片方がにやりと笑った――
「サクヤ、ダメだ! あんたは出るな!」
オレは剣を握ってサクヤの後を追う。
ヒデトの目的はサクヤの身柄――触手の狙いを定めて、唇を歪めている虎族へと突きこんだ。
「サラ!」
サラを呼ぶデカイ声が隣から聞こえたので、ふと見ると、オレの横をアサギを抱えたエイジが走ってた。
オレ達の後ろでは、襲ってくる見届け人達を師匠がほとんど1人で相手してる。
「ごめん、師匠、後頼む!」
「あんたら、後で覚えててくださいよ、もう!」
「ナギ、悪い」
エイジが片腕でアサギを抱えながらケンケンして、もう片腕と足先を使って器用に弓を放った。
傷だらけのサラの傍から虎族やツバサを追い払いながらも、少しずつ近付いて行く。
前方で一旦立ち止まったサクヤが、ナイフを引き抜いて跳びかかろうとした瞬間に。
触手を経由して、聞こえてきたのは――
(さてさて、真打登場だぜ――)
これから何が起こるのか、ヒデトの考えが伝わってきた。
オレはじりじり近寄るエイジを置いて、全速力で目の前の姿に手を伸ばす。
「――サクヤ!」
狙われているのはサクヤ。
狙っているのは、操られた人間達――
「――銃だ!」
届いた指先で、サクヤの身体を引き寄せた。
こいつが撃たれれば、終わりだ。
この少数の戦いにおいて、サクヤの魔法は大事な戦力。
この人を守れなければ、オレ達の勝ちはない。
それに何より、目の前で傷付くこの人を、もう見たくないんだ――!
抱き込むようにしてサクヤを自分の腕の中に入れた瞬間に。
オレの横を黒い影が通り過ぎた――
――サラ!
最後の力を振り絞るような切実さで。
一陣の風のように走り抜け。
あっという間にエイジの前まで辿り着いて。
響く銃声の嵐の中、両手を広げたサラの胸元から、弾けるように血が噴き出した。
その直後に、オレの背中を熱い塊が貫く。
「――っがはっ……」
衝撃のあまり、息が詰まった。
とても立っていられなくて、腕の中の身体を押し倒すように地面に転がった。
「カイ……っ!?」
オレの身体の下敷きになったサクヤが慌ててオレの下から這い出して来る。
その肩越しに、アサギを下したエイジが銃声の先に弓を向け、次々に矢を放っているのが見えた。
「カイ、お前――血が……」
オレの背中に触れたサクヤの両手が、真っ赤に染まっている。
ふるふるとその手が震え始めて、両手でオレの顔を挟んだ。
「カ、イ……!」
「えっ!? 巫女じゃなくて、そっちのザコガキに当たっちゃったの!?」
揶揄うようなツバサの声が宙を舞う。
翼がはためくたびに、赤い羽根がオレ達の上にはらはらと降りてくる。
「だっせぇ。ザコガキにそこの黒猫に――どっちもボロ雑巾みたいだ!」
はしゃぐ声に向けて、エイジが再び弓を飛ばした。
弓を避けてさらに上空へと飛び上がったツバサを見て、ようやくエイジは地に伏せるサラを両手で抱き上げる。
「サラ――おい、サラ!」
焦るエイジの声が、何度もサラの名前を呼ぶ。
その横でまだ息の荒いアサギが、必死に呪文を唱えようとしていた。
「……母のっ……子らよ……っ 広きうみの……ああっ! いやよ、サラっ!」
見ればアサギは顔を涙でぐしゃぐしゃにしてる。
呼吸が落ち着いてない上に、泣きじゃくってるから呪文がまともに唱えられてない。
サラの様子が余程まずい状態なんだろう。
これはやばいな、と思った途端に胃の奥から熱い塊が込み上げてきた。
「……ごふっ」
唇から流れるそれは、熱い鉄の味がする。
あ、ヤバイ。
サクヤの魔法を失うのもヤバかったけど、オレがいなくなったら……ヒデトを誰が抑えるんだ。うっかりしてた。
「――ああ、もうカイ! お前、何してるんだ、ばか! この――ばか、ばかばかばか!」
血を吐いてるオレに対して、何てひでぇ言い草。
オレの血にまみれた手が、頬をひっきりなしに叩いてる。
痛いから止めて欲しい。
「サ、ク……うぐ……っ」
喋ろうとすると腹から何か込み上げてきて、うまく喋れない。
背中の撃たれた跡だけが熱くて、手足がすごく冷たい気がする。
「や、やだ……カイぃ! 何やってんだよ、お前! ばか! いやだ、いやだいやだ!」
がくがくと揺すぶられて、そのたびに背中が疼く。
これも痛いから止めて欲しいんだけど、それを口に出すことも出来ない。
それに、何より――
「いやだ……頼むから……!」
その、涙を止めてやりたいのに。
言葉が出ない。
段々と暗くなる視界の中、目の前の紅の瞳だけが最後まで潤んで輝いてる。
ぽたぽたと落ちてくる雫が、オレの額を伝って流れた。
ああ、やだな。このまま死ぬのは。
まだ何も出来てない。
せっかくヒデトに対抗できるはずの黄金竜の力なのに、全然使いこなせてなくて。
このままじゃ、ヒデトを追い返すことも出来ない。
「頼むから、俺を置いて行くな――!」
それに、何より。
ただ。
この人をこんな状態で、1人にしたくない――
2016/05/27 初回投稿
2016/05/28 誤字修正