4 その種族の名は
「あの……まさか、オレに話しかけてるワケじゃないですよね?」
「あなたに話してるのでなければ、私はずいぶん大きな声で、独り言を言う女ということになるのだけれど」
くつくつと、喉で笑っている。
唇を釣り上げていても、眼は笑っていないように見えて、オレは最初に感じた怖さを、再び感じた。
美しい女であることは確かなのだが、何もかもが装われていて、非常に怖い。同じタイプならいっそ、師匠みたいに、刃物をちらつかせてくれた方がマシだ。
「オレなんかに、何の用ですか?」
「本当、まさか、あなたなんかにね。よりによって、してやられるとは。サクヤのヤツ、小汚いガキを連れてると思ったら、こういうことなの。ツカサを余り近づけたくなかったのに。うまく引き離したと思ったら、あんたのせいで、今頃バレてるわね」
「…………」
立て板に水で、まくし立てられる。
直前からの豹変具合に、オレは絶句した。
――幾ら、オレが客ではないと言っても、この対応は極端過ぎるんじゃないだろうか。さっきまで、貴婦人然としていたのが、途端に場末の娼婦のようだ。
何と言うか、オレももう少し、夢を見たいのだが、何故オレの周囲の美人は、皆、口が汚いのだろうか。
「サクヤったら、直前まで街に来ないから、珍しく今回はこのままスルーかと思ったけど、やっぱり来やがったわ。会場まで来られたら、入れないワケにはいかないし。あいつが来れば箔もつくから、そこは一長一短ってとこだけど。あまり近づければバレちゃうから、これでも苦労したのに。あんたのせいよ」
「……箔がつく?」
「あら、リドルの取引と言えば、あいつが必ず噛んでくるのは有名な話よ。今夜も、あいつが買ってくれるなら、諸手を上げて入れてあげたんだけど。リドルは実入りが大きいからねぇ。あんた、何も知らない癖に、付いてきたの?」
何も知らないにも程があるのだが、そんなことをこの女に教えても良いことはない。黙っておくことにしよう。
それよりも、気になることがある。
オレが身体を動かして距離を空けると、その分、さりげなく詰めてくるのだ。さっきから不自然でない程度に、お互い移動しているのだが、間合いが全く変わらない。
何なんだ、この人。
「ねぇ、あんた、サクヤが、買い漁ったリドルをどうしてるか知ってる?」
黙っているオレを見て、レディ・アリアが、にたり、とねばつくような笑みを浮かべた。その笑いの下品さに、少し及び腰になりながらも、何とか答える。
「……奴隷商人なら、転売して利益を出すんだろ」
オレの答えは、全く予想の範囲内だったらしい。してやったりという空気が伝わってくる。
レディ・アリアは、一定の距離を破って、空間を一気に詰めてきた。吐息さえ当たりそうな距離から、囁く。
「あいつにリドルを売ったって人は、時々いるんだけど、あいつから買ったって人は見たことないのよね。ねぇ、リドルって、何で伝説の種族なんて言われるか知ってる?」
「……数が少ないんじゃないか?」
「それもあるけど、――その体液が、不老不死の薬になるんだって」
意外な言葉で、オレの動きが一瞬止まった隙に、強引に身体を押し付けられた。
思わず押し退けそうになるが、掴んだ腕が、細い女の腕だったので、すんでのところで力を止める。
熱い胸の膨らみが、オレの腕に当たっていた。
今まで、こんなにも突然に、無理矢理に、女に迫られたことがないので。自覚できるレベルで、オレは混乱していると思う。
え、ちょっと、どうすりゃいいの、これ。
どうも、レディ・アリアは、オレの情けない顔を見て、溜飲を下げたらしい。
楽しそうに笑って、静かに身を引いた。退くのが余りに早いので、からかっていただけだと、ようやく気付いた。
「リドルが高価なのは、美しいからよ。月の光を集めたような髪、ルビーのような瞳。頭の上の長い耳はどんなティアラよりも美しく輝く、長命な種族よ。その美しさはどれだけ眺めても見飽きない。残念よ。あなたにも見せて差し上げたかったわ」
白銀の髪。
紅の瞳。
白く伸びた長い耳。
その種族、現物では、見たことがないはずのに。
――何故か、知っている気がした。
身体が離れると同時に、レディ・アリアに丁寧な言葉遣いが戻ってきた。
何故?――と、問う前に、オレの背後から、冷ややかな低い声が響く。
「――レディ・アリア。俺の連れが何か?」
振り返らずとも分かる。
聞き慣れた、サクヤの声だった。
例によって不機嫌そうなのに、その声を聞くと、何故かオレの気持ちは落ち着いた。
「あら、早かったわね、サクヤ。ツカサ様はいかがでした?」
「ああ。お召し物にもご本人も大事ないそうだ。ありがたいことに、失礼をした俺を叱りもせず、今度国へ来たときには、顔を見せるようにと言ってくださった」
「まあ、それは良かった。今夜の催しが、こうして出会いの場になるのは嬉しいわ」
微笑み合っているが、恐ろしいほどに空気は冷たい。
本人達も嫌そうだが、挟まれたオレはもっと嫌だ。これが俗に言う、前門の虎、後門の狼というヤツなのか。
オレの緊張を感じて、さりげなく、サクヤがオレの横に移動した。
宥めるように、一瞬だけ、こちらに視線を向ける。その視線は、この会場で時折見せる、作り笑いとは違って、いたずらっ子のような楽しそうな眼をしていた。
よくやった、と褒める瞳から推測するに、ツカサとの話は、うまく目的を達したらしい。
「帰るぞ」
「……? ああ、はい」
舞台の上では、出し物がまだ続いている。
先程、レディ・アリアが言っていた、リドル族もまだ出てきていない。
何せ、伝説と言われる程のシロモノだ。最も効果的に、雰囲気を盛り上げ尽くしてから、お目見えするのだろう。
サクヤはそれを目当てに来ていたのだが、もういいのか。
「あら、もうお帰りになってしまうの。今宵のメインディッシュもまだですのに」
「何故なのかは、あなたが一番お分かりでしょう。今夜のショーのすべてをご用意されたのは、レディ・アリア、あなたなのですから」
サクヤの声は、ひたすらに冷たかった。2人の間に火花が散るかと思うほど、厳しい視線が一瞬絡み、すぐにほどける。
レディ・アリアから視線を外し、正面に向き直ったサクヤが、静かに歩き出した。
すれ違う時、視線を合わせぬままに、囁き合う。
「……では、また」
「ええ、また。いつか、どこかで」
答えるレディ・アリアの視線は、サクヤではなく、後ろを歩くオレを楽しそうに見ていた。
何だろう、さっきから。
オレ、何かしたの。
広間の中の客が、舞台の上に注目している隙に、オレ達は静かに扉をくぐる。
部屋を出るときに丁度、今日のメインイベントがいよいよ始まった。舞台の上に進み出た、薄絹の少女は、確かに銀髪と白い耳を持っている。
そこまで見た瞬間に、扉の横に控えていた執事が、そっと扉を閉じた。
「本日はご来訪ありがとうございました。またの時まで」
「ああ」
短く挨拶を交わして、サクヤは足早に廊下を進む。
その姿が見えなくなるまで、執事はじっと、こちらを見守っていた。行きには露わにはしなかったが、帰途につく今、それはほとんど、狂おしい程の熱さに見える。
オレは、執事の姿が見えなくなったことを確認してから、小さくサクヤに尋ねた。
「なあ、いいのか。あれ、放っておいて」
オレが聞きたいのは、様子のおかしい執事のことだったのだが。
サクヤは別の意味に取ったらしい。
「ああ、さっき出品者に確認した。特にこちらで手を出す必要もない。今夜のあれは――」
「ああ、リドル族は偽物なんだろ?」
かぶせて尋ねると、サクヤの歩みが一瞬止まった。
訝しげにこちらを見てくる。
いや、そんな驚かれても。あんたら、それらしいこと、ばんばん言ってたじゃないか。
オレは、考えた結果、別の質問をすることにした。
「偽物だって、他のヤツに教えてやらなくていいのか? あんたがオークションに参加したら、それだけで箔がつくって、さっきレディ・アリアが言ってたぞ」
「……そんな話してたのか。ずいぶん気に入られたんだな」
サクヤはそのまま黙り込んでしまった。
先程の答えも返ってこないので、その横顔を見ながら、考えてみる。
リドルが偽物だと分かって、サクヤはどう思っているのだろう。
残念なのか、ざまあ見ろなのか。
首尾良く偽物であることを聞き出した時には、嬉しそうにしていたが、落ち着いた今は、何となく沈んでいるように見えた。
気にはなるが、廊下の先の方で、タイミング良く、例の門番が扉を開けて待っているのを確認したので、ここでは尋ねられない。
ひたすら無言で歩くことにした。
サクヤの考えている通り、この廊下には監視があるのだろう。そうでなければ、こんなに丁度良く扉を開け閉め出来ない。
門番の開けた扉をくぐったところで、サクヤがいつものマントを着直し、フードを被る。
オレも、預けておいた剣を返して貰い、腰に提げなおした。
最後の扉から、完全に建物の外に出ると、ようやく息をついた。
「あー、かたっ苦しい。金持ちの考えることは分かんないな」
サクヤはやはり無言で歩いているが、言外に同意している風で、こちらに視線を向ける。
どうやら、誂えたようにあの場に馴染んでいた、この美人も、ああいうやり取りは苦手らしい。
まあ、こいつの場合は、場の雰囲気とか何かより、ただ単に、笑ったりしゃべったりするのが苦手なのかもしれない。
「で、何で他のヤツに教えてやらなかったんだよ? あんたの名前を広告代わりに、偽物が売れちゃうかもだぞ」
「良く見てる奴は、俺が抜け出したことなんてとっくに気付いてるよ。気付かなかったヤツは仕方ない、幾らでも値を付けるがいいさ。まあ、その辺りがレディ・アリアと手打ちにできるぎりぎりのラインだな」
片や、偽物で釣ったレディ・アリア。
片や、途中で席を立ったサクヤ。
お互いの無礼を秤にかけて、双方が納得できるのが、この対応ということか。
サクヤの様子からすると、ツカサとの会話が真偽の決定打になったようだが。
うまく聞き出せなければ、騙されたかもしれないというならば、それなりに精巧な偽物だったのだろう。
サクヤの不在に気付かない参加者は、今頃、伝説にふさわしい値を付けているに違いない。
「それにしても、出品者って、あのツカサっておっさんだろ? 良く偽物だなんて教えてくれたな」
「……ああ」
どうも、さっきから、サクヤの口が重い。
あまり聞かれたくないのかも知れないが。
オレとしては、確認しておきたい点がある。
主に、サクヤがツカサから秘密を聞き出した、その手段だ。
まさかと思うが、色仕掛けのような――。
「お前……何か変なこと考えてるだろ」
サクヤが、非常に嫌そうな声で、オレの思考にストップをかけた。
その声を聞く限りでは、オレの心配は杞憂らしい。しかし、具体的な内容を言う様子もない。
次の言葉を待って、じっと見つめていると、ふい、と視線を逸らされた。
「……何で俺の商売の裏技を、お前に教えなきゃいけないんだ」
「教えなくてもいいよ。身体を売って、とかじゃないことだけ、はっきりさせてくれれば」
「か、身体……って、そんなことするか!」
「ならいいよ」
オレがあっさり答えたので、サクヤは逆に拍子抜けしたようだ。
妙に真面目な声で、再び説明してくる。
「俺とツカサが抜け出していた時間なんか、そんなに長くないだろうが」
「分かってるよ。信じてるって」
「大体お前、男の身体を、どうやって交渉のカードにするんだ」
「いや、あのツカサの様子なら、あんたが男だろうが、十分以上に交渉のカードになると思うけど……」
「――だから、俺は!」
「――分かったって。客観的な状況を言っただけだろ、怒るなよ」
「俺は、――リドル族の名前は、全て覚えてるんだ!」
「そもそも、あんた――……何? 今、何て言った?」
サクヤの表情は、フードの陰で読めない。
いつもは、何となく伝わってくる感情の色のようなものがあるのだが。
先程から、本人も考えが纏まっていないせいか、読み取りづらい。ダイレクトに感じられない。
様子を見たくて、オレはその手を引いた。
「……ちょっと、こっち!」
腕を引いて、路地裏に入り込む。
周囲に人が全くいないことを確かめてから、そのフードに手をかけて、外した。
――一瞬、泣いているのかと思った。
すぐに、それは見間違いで、頬が光っているのは、ただの光の反射だと気付いたが。
泣いているワケではない。ただ、ひたすら、困惑している様子だ。本人もどういう顔をすればいいのか良く分からないようだった。
何と声をかければいいか迷って、とりあえず、無難な言葉をかけておいた。
「……大丈夫か?」
「――特に、大丈夫でないということもない」
二重否定で、分かりづらい答えが返ってきた。
結論としては、「問題ない」なので、向こうも無難に答えたらしい。
そのままサクヤは、路地裏の壁に身体を持たせかけた。口元を右手で覆って、オレの方を見ないまま、小さく呟く。
「現在生きている可能性のあるリドルは、70人。全ての顔と名前を覚えている」
視線が合わない。
瞼を伏せている。
オレに聞かせると言うよりは、独白のようだった。
さもなくば、祈りか、――懺悔か。
リドルは伝説級の獣人のはずだ。世界中の貴族や富豪の元で、奴隷として囚われている。いくら商売と言え、一介の商人が、その全ての顔と名前を漏れなく知ることなど、不可能だ。
そもそも、そんな伝説のシロモノは、表に出さず秘密裏に所持している場合も多い。
リドル族は全て狩り尽くされたと、以前、サクヤは言っていた。それは、もともと他の獣人と同じように、どこかで集落を作って生きていたリドル達の全てが、人間に捕獲されたことを示している。
それならば、その捕獲された時に居合わせれば、全ての顔と名前を覚えられるかも知れない。
あるいは、捕獲されるより前に――。
先程のオークション会場で見た、偽物のリドル族。
レディ・アリアの語る、リドル族の姿。
そして、一度だけ見た、転移魔法を使っているときのサクヤの髪と眼の色。
リドル族という言葉に反応する、サクヤの様子。
70人のリドルの、顔と名前をすべて覚えていると言った、今の、表情。
――その全てを考え合わせて、オレは、1つの推測を立てざるを得ない。
「……サクヤ、あんたもリドルなのか?」
――リドル族を、同胞と呼ぶサクヤの声を、いつか、どこかで、聞いた気がした。
2015/06/09 初回投稿
2015/06/12 サブタイトル作成
2015/06/20 段落修正
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更