7 開戦
【前回までのあらすじ】敵対するヒデトの出方も気になる中で、ついに青葉の国の王を決める戦い――継承戦が始まる。
「じゃあ、行ってくる」
きゅ、とブーツの紐を縛りなおしたサクヤがオレの方を振り向いた。
オレの顔がどんな風に見えたのか知らないけど、目が合った瞬間にちょっと辛そうに微笑まれる。
「……そんな顔するなよ。俺は死なない。知ってるだろ?」
ああ、もう。
格好良い台詞だけど、オレ、あんたの生死の心配してるワケじゃないんだよ。
それに……それ、どう考えてもヒーローの台詞だろ。あんたが言うもんじゃない。
継承戦の森の入り口前、両陣営はそれぞれに集まってる。お互いのチームに決して視線を向けないようにそれぞれ軽いストレッチなんかしながら。
エイジの側は、師匠にサラに、アサギにサクヤ。
シノの側はどうやらシノ本人は出ないらしい。
まあ、普通に考えたらそれが懸命だと思う。
こないだ壇上で見たツノの親衛隊長お姉さんを筆頭にして5人。白い神官服のローブの娘、黒い魔法使い風のワンピースの娘、この2人は人間だ。そしてよく似た虎っぽい獣人――ウァーフェア族の娘が2人いて、この娘達は双子か姉妹かもしれない。
事前にこっそりと、脳内にヒデトの痕跡がないか検索させて貰ったけど、この場の人は誰も引っかからなかった。
今日に合わせて襲ってくるんじゃないか、って心配は無駄に終わったらしい。
襲われたいワケじゃないから、良かったって言えば……良かったのかな?
今気付いたけど、何かシノの陣営って女ばっか。
何だか華やかで羨ましい……ちくしょう。
当のシノ王子はお姉さん達に向かって、うるるんとした空色の瞳で必死に何かを語りかけてる。
多分、あれだ。頑張って、とか僕の為にありがとう、とかそういうことを言ってるっぽい。
まあ、そんなこと言いながら仲間を戦いに送り出すワケで、どうもシノも見た目通りのか弱い美少年、とは一味違うらしい。さすがリョウ王の血筋、てとこか。
シノがお姉さん達に代わるがわる抱擁を受けているところをそこはかとなく羨ましい思いで見ていると、一度踵を返してオレに近寄ってきたサクヤが、ぐい、とオレの顔を無理やり自分の方に向けた。
「痛てて……な、何だよ?」
距離を詰めてオレの耳元に寄せられた唇が、ほとんど音を出さないまま息だけで囁く。
「良いか? 昨日言った通り……お前は森の出口で待て。もしも何か怪しいことがあったらすぐに知らせろ」
「ヒデトのことだな、分かってるよ。それより本当に危ないのはあんたらだろ。頼むから、無事で……」
最後まで言わない内に、一度離れた唇が、オレの唇に押し付けられて言葉を塞がれた。
温かい感触で息が止まる。
何すんだやばいだろ、あんた男の姿で――なんて混乱とともに振り払おうとした瞬間、バチバチと鳴り始めた火花でサクヤの髪が銀に光る。
「――んぅ!?」
「……っぷは。――良し、行ってくる」
光を纏ったまま離れた唇から漏れる甘い声。
その甘さにくらくらきてる間に、紅の瞳が名残惜しげにオレから視線を外して、火花を飛ばしながらエイジ達の方に向かって行った。
どうやらいつでも魔法を発動させられるモードのままで、森へ突っ込む気のようだ。
姫巫女モードに入ってくれたおかげで男とちゅーしたという不名誉な称号はぎりぎり回避――ん? ……いや、もう良いや。
思い出してみると、前にも空気に乗せられて勢いでキスしてた。今更だった……。
サクヤがエイジの傍に寄ったことで、これで両陣営ともに準備が整ったらしい。
見届け人として来ている人達の内の1人が、両者の様子を見ながら声を上げた。
「それでは、よろしいでしょうか?」
「はいよん」
「はい、大丈夫です」
エイジとシノがお互い離れた場所からそれぞれに返事する。
その返事を受けて、見届け人が片手を上げる。
その手が、振り下ろされると同時に――
「――では、はじめ!」
サクヤがアサギの手を引いて、真っ先に森に駆け込んだ。
援護するように師匠がその後を追い、最後にサラがシノの陣営とエイジの間に自分の身体を挟むようにしながら、3人の後から森に入った。
シノの陣営もフォーメーションを崩さぬように森に踏み入っていく。
「――月焔龍咆哮!」
木々の向こうからサクヤの声が響いて、森の中をキラキラ光る白い塊が通り抜けて行った。
悲鳴の上がらないところを見ると、シノ側は全員うまく避けたらしい。
時折剣戟の音や呪文の声がこちらまで届くけれど、その音が少しずつ離れていく。
ここにいても仕方ないとは思いながらも、見えもしない森の奥をじっと見つめてしまう。
エイジの、皆の夢と期待がかかったこの戦いを。
一緒には戦えなくても、せめて。なんて。
そんなことを考えてぼんやりと森を見ていると、ぽん、と後ろから肩を叩かれた。
「……さあ、僕達は出口の方に回りましょうか」
振り向けば、天使のような美少年――第四王子、シノ。
なんで王子サマがオレなんかに声をかけてくるのか……そこはかとなく嫌な予感を覚えたりもするけれど。
現実的にはここにいてもどうしようもない。
素直にその小さな背中を追って森の入り口を離れた。
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「ま、そもそも僕が勝てる訳がないですよね」
無邪気な声でそんなこと言われても、何とも返事がしづらい。だって今、あんたはその勝てるワケがない戦いに、大事な部下を放り込んだところなんだろ。
時折、森の端に立っている見届け人とすれ違いながら、オレ達は森の外を回って出口側へと向かってる。
昨日のリハーサルの感じだと中はかなり広い。もう戦いの物音もこちらまでは聞こえてこない。
「だいたい僕がお兄ちゃんに勝ってるところなんて、1つもないんですよ」
あはっ、と笑う声だけが、オレの前を歩くシノの背中越しに聞こえた。
声が明るすぎて、どんな表情をしてるのかは想像もつかない。
「まず先に生まれたってだけで向こうの方が有利だし。弓の腕とかちょっとワケ分かんないくらい才能あるし。集めてきたメンバだって凄すぎだし、ちょっとでかけてると思ってたら獣人さん達の移住なんて誘致してきたりさ」
全くだ。同意する。
だけど、オレにそれを言ってどうするつもりだ。
「それに、僕とミズキのお母さんは、お兄ちゃんとカズキさんのお母さんとは違うんです。妾ってやつ。そりゃあ正妻さんの息子には負けるよね」
正妃と側女? って言うのか? 知らないけど。
でもさ、そういう区別をしないために、きっと継承戦があるんだろ? それがこの国のやり方なんだろ?
もしかするとリョウ王が自分の代でも継承戦を止めようとしなかったのは、その為なのかな。4人の息子に平等にチャンスを与えるため――いや、単にお祭り騒ぎが好きだっただけかもしんないけどさ。
延々と続く愚痴にうんざりしていると、ふとシノがくるりとこちらを振り向いて、くすくす笑った。笑ってるのに、まるで表情を浮かべてないみたいに見えるその顔。
「ねえ、賭けませんか? お兄ちゃんが何時間で出てくるか。もしも僕が負けたら、今森に入ってる彼女たちの内――生き残ってる娘を今夜あなたの元に侍らせてあげても良いですよ?」
エイジ曰く、市井の人々の中では今回の継承戦で誰が勝つかという賭けが、今ちょうど大盛り上がりらしい。
こっそり王宮からも予算計上して賭けを盛り上げられるようにしてたりするので、非公式ながらも半公式。何か経済活動の循環がなんちゃらとか師匠が言ってたような気がする。
だけど、シノの言ってるのはそういうことじゃない。
酷い言い方にイライラした。自分のチームの勝ちに賭けもせず、今まさに自分の為に戦っている者達を手酷く遇して商品にする。こんなむちゃくちゃ言うヤツが、エイジの弟だなんて――あ! まさか!?
「あんた、まさかヒデトに乗っ取られてないだろうな!?」
オレはポケットに手を突っ込んで、例の宝玉を握り込んだ。
拳をポケットから出さないまま、改めてシノの頭の中を改めて検索する。
ぎゅるるる……と始まった検索の違和感で、シノが顔をしかめた。
「……あの、ヒデトって何ですか?」
その不思議そうな表情も。
検索の結果も――シノは白。
ヒデトじゃない……。
ほっと息を吐いて、宝玉から手を離した。
ってことは、この人、そもそもこんな性悪ってことだ。
天使みたいな顔して、性格は極悪。
あぁ……まあ、エイジもカズキも真っ直ぐな性格のタイプとは言えないし、やっぱこれが血筋なのかな。
安心したところで、今まで言わずにタメてきたアレコレを全部まとめて言い返すことにした。
「あのさ、オレ、生まれも育ちもド平民なの。だから畏まったりするの苦手なんでこのまま喋るけど良い?」
「別に良いですけど……質問には答えてくださいね。ヒデトって誰ですか?」
「え? 何かその……大魔王みたいなもん」
大雑把に説明すると、シノが不愉快そうに顔をしかめる。
「僕が大魔王みたいって言いたいの? そんな大げさな。僕はちょっと素直じゃないただの子どもだよ」
「全然そうは見えねーけど」
「あなたに対してはちょっと意地悪したくなっただけ。だってあなた、目立つから」
目立つ? 何のことだ。
今度はオレが眉をひそめる番だった。
不思議そうなオレの顔を見て、シノはくすくす笑う。
「目立つに決まってるじゃないですか。小国とは言え青葉の国の王宮に、今ご自分で言った『ド平民』が混じってうろうろしていれば、そりゃ誰でも覚えますよ」
「あー、なるほどね」
そういう目立つ、ね。ソレなら分かる。
唇を尖らせたシノは、オレから視線を逸らしてぼやいた。
「お兄ちゃんは何かと注目されてるんです。順番では第二王子だけど、第一王子のカズキさんを押さえて次の王になるのはお兄ちゃんだって、皆が思ってる。今日のために揃えてきた駒だって、この国最高位の大神官に、普段から誰もその居場所を掴めない暗殺者、毎年王宮の剣術試合で優勝してる最強の剣士。……ノゾミさんが死んだ時はさすがにどうするのかと思ったけど、代わりに連れてきたのは前王に仕えていた隠し玉の魔法使いだなんて、もう誰に勝ち目があるんだか、って感じだもん」
こうして聞くと、エイジは随分人に恵まれてる。
だけどエイジだって、ただ王子サマの椅子にどかんと座ってふんぞり返ってたワケじゃない。
今だって一番危ないところに突っ込んでってて、そういうとこを買ってるから、皆力を貸すんだ。
だから、それをあんたがどうこう言うのは――
「――そんな睨まないでください。僕はそれが羨ましいとか言いたい訳じゃないんです。僕が言いたいのは、そんな凄いメンバーの中になんであなたみたいな普通の人がいるのかってことで」
「……悪かったな」
さすがに笑えない。
渋面で返事をすれば、シノはオレとは逆にものすごく楽しそうに笑った。
「それ! それですよ。こういうことを言って、そういう顔を誰かにして欲しかったんです。何か、あなたになら言える気がして……。皆に可愛がられる末っ子の王子様なんて、ずっと続けるのもう面倒くさいよ」
どうやら、ド平民だしこの国の国民でもないし、特段才能もコネもないオレに対してなら、素を見せても良いと思ったみたい。
オレは溜息をついてから、肩の力を抜いた。こんなキャンキャン吠える子犬みたいなの、ムカつくと言うより、何か哀れになってくる。
王子として生まれて気を遣い続けてきた人だから、苦労は確か色々あるのかもしれないけどさ。
「あのさ、もっとあんた自由に振る舞えば良いじゃん。完全な他人に対してはムリでも、あんたのチームの人達とか、それこそお兄ちゃんとかさ、多分許してくれるよ」
だってその苦労は、あんただけが背負ってるんじゃない。
あんたがさっきから何だかんだ言って褒めそやしてるエイジだって、チャラチャラしてるように見えてそれだけじゃない。言うべきこと、言うべきでないことを考えた上でいつも発言してる。
だからきっと、同じ苦労をエイジは分かってくれるはずだ。
それに……あんた、エイジのことだけ「お兄ちゃん」って呼んでる。そこにそこはかとない愛情みたいなものを感じるのはオレだけか?
そんな思いを込めたオレの言葉は、悔しそうな声で切り捨てられた。
「バカみたい。お兄ちゃんにそんなところ見せられる訳ないじゃないですか。手駒達だって、僕のそんな情けないとこ見たら愛想尽かしちゃうかもしれないし……」
「あんたの問題は結局それだよ。人のこと言ってても仕方ないぜ」
心を開けないのは誰でもない、自分の問題だ。
立場や生まれでその難易度は違うかもしれないけど。
「ま、オレはボロクソ言われるのは慣れてるし、それであんたの気が済むなら付き合ってやるけど、もうちょい周りも信じてみたら? オレにはあんたの周りの人、あんたが思ってるよりあんたのこと大事にしてる人がいるように見えたよ。例えばあの――名前知らないけど、ツノの親衛隊長のお姉さんとかさ」
「ああ、レイですか」
名前を呟いた途端に、シノの表情がわずかに緩んだ。
柔らかい空気で、オレも少しだけ安心する。
……何だ、いるんじゃん。思い出しただけでそういう顔が出来るような人が。
ようやく森の出口に着いたところで、オレ達は足を止めた。
当たり前だけど、中でドンパチやってるはずの面々はまだ誰も出てきてない。
「レイさんって言うの、あの人? こないだからオレ達を睨みつけて視線びっしばし飛ばしてきてたよ。あんたは負けるって思ってるのかもしれないけど無事くらい祈ってやれば?」
「お兄ちゃんとこのナギさんには敵わないですから、祈ってても負けるでしょうけどね……」
シノは少しだけ笑うと、オレの視線をたどって森の方へ目を向けた。
口には出さなくてもその顔だけでちょっと雰囲気変わったのが分かったから、オレはもうそれ以上は言わなかった。
良く知ってるからこそ甘えられて、甘えられる相手だからこそ酷くも言えるって、きっとあるから。
2人で黙って見守っていると、森の奥の方で火柱が立つ。
どちらの陣営のモノかは分からないが、魔法使いが魔法を放ったらしい。
アレを見るに、こちらに出てくるまでにはまだ少し距離がありそうだ。
そんなことを考えた直後。
がさり、という音とともに森の出口に佇む人影を見付けた。
「……あれ? レイだ……」
シノが意外そうな声を上げる。
シノの言う通り、特徴的なツノのシルエットですぐに分かった。
オレもちょっと予想外。誰が勝つとか以前に、あの火柱辺りでまだ皆戦ってるんだろうと考えた直後で……まさか、この責任感強そうな顔した人が、真っ先に戦場を離脱してくるとは思ってなかった。
「レイ! どうしてあなたが先に……」
その影に駆け寄ろうとしたシノの声に重なって。
「久しぶりじゃねぇか、少年――」
レイの口から漏れた荒れた声が重なった。
即座にシノの身体を後ろに引いて、オレは剣を抜く。
油断なく構えるオレの緊迫感を感じ取って、シノはおろおろとオレのシャツの背中を掴んだ。
「ね、どういうことですか!? あれは――レイは……」
「言っただろ。あれが大魔王だ――」
オレの言葉を聞いて、レイの身体を支配したヒデトが黙って唇を歪めた――
2016/05/17 初回投稿