5 心のアルバム(表)
【前回までのあらすじ】リョウ王の葬儀が終わり獣人の長達も集落に戻ったところで、引き続きエイジの執務室で葬儀の振り返りです。
スーツをコーヒーと鼻血に塗れさせたオレに哀願されてようやく、サクヤさんは着替えてくれた。今はいつものシャツとスラックス姿で、再びソファにふんぞり返ってコーヒーを飲んでる。
オレ自身が汚れたスーツ脱いで着替えて戻ってきた時には既にいたから、この人着替えすごい早い。こういう場合、普通は女の方が時間かかるんじゃないだろうか、とか思ってたけど、よくよく思い出したらサクヤさん、ベースは男でした。
「あのさ、サクヤ。頼むからあの衣装、次回着る時までにもうちょっと青葉の国でも浮かない感じにアレンジしてもらえない? 具体的には下に何か着るとかで」
オレの割と切実なお願いを聞いても、本人無自覚なので小首を傾げているだけだ。
「あれは姫巫女が儀式に臨む時の衣装なんだ。伝統的なリドル族の女性の衣装に少し装飾がついたものだけど……。まさか自分があれを着るとは思わなかったが、他の同胞達に相談したら、やっぱり正式な場ではこれが良いと勧められて。特にナチルから『これ着たところを見せてくれたら、おとなしく帰る』って提案があったから、それなら着ても良いかと思って」
声が低かったのでよくよく見たら、嵌めていたピアスを既に外していた。
どうやらあのひらっひらの衣装を脱いだ時についでに男に戻ったらしい。
そっちはそのままでも良かったんだけど……そんなことを言うのも恥ずかしいので、黙っておくことにする。
それにしても、あのうっすうすの衣装を強くプッシュしたのはナチルだったのか。あのミーハーめ。よりによってサクヤにあんな服着せたがるって、何目的だよ? あいつ本当は男なんじゃないか? 変態っ! したーん!
サクヤの方も、ドレス着る時はあんなに嫌がったのに、ナチルに言われたからって素直に着るとはどういうことだ。どんだけナチルに甘いんだ、この人。
オレ達の会話を正面で聞いていたアサギがおずおずと口を開く。
「あの、今は秋ですからあれでも何とかなりましたけど、真冬は本当に危ないですよ? この国、雪も積りますし……。他の一族の方もあれに似たものをお召しになるのなら、伝統衣装の着こなしをまとめて検討された方が……」
不用意なセクハラ発言でさっき散々にサラの攻撃を受けた師匠とエイジは、衣装の話題には沈黙を守った。時々ちらちらサラを盗み見てたりするので、オレが着替えてる間にもよほど痛めつけられたらしい。
こういう場合にセクハラにならないアサギさんだけが、素直な感想を述べてオレを援護してくれる。
さすがに今回の経験とアサギのコメントを受けて、サクヤも少しは考える素振りを見せた。
「アサギがそう言うなら、次回あれを着なきゃいけない何かが起こる前に、機会があれば同胞達にもう少し別の着方を提案してみることにする……」
「それが良いと思います」
「是非そうしてくれ」
アサギとオレの口々の同意を受けたサクヤは、やっぱり良く分かってない顔のまま、ただ頷き返した。
うん、これでオレも今後は、風が吹く度にいらん心配しなくて良いはず。そっと胸をなでおろした。
途端にオレの安堵の意味を一番正しく理解してるサラが、「ふひっ」と奇声をあげる。
おい、笑ってる場合か。あんただって無自覚の色仕掛けでエイジ取られたら困るだろ――なんてことは言えなかったので、無理に話を変えることにする。
「それにしても葬式ってこういうものなんだ。オレ、こういうの初めてだ」
うん、この話題ならセクハラじゃない。大丈夫。
そんなオレのさり気ない気遣いを受けて、サラの視線を警戒しながらも、師匠が口を開く。
「そうですね。まあ、神殿式にのっとれば大体こんな感じです。規模の違いはあっても、罪を浄化して、生前の功績を讃えて、最後はお見送り……」
「見送り……?」
「神殿の教えでは、人は死ぬとまた人として生まれ変わるんですよ。だからこれは再生の為の儀式、次の人生への門出なんです」
さすが専門のアサギさんが、不思議そうに声を上げるサクヤに応えてにっこりと笑った。
「世界は全て女神より産まれた光の子、子はいずれ母の腹に戻り次の生を待つ――神殿のシンボルになっている女性の横顔、あれは我らが女神を象ったものなのです」
「へぇ、生まれ変わるんだ」
「――と、神殿では教えますね。あいにく私は生まれ変わった方にお会いしたことはありませんが」
珍しく皮肉った言い方に、びっくりしてアサギの顔を二度見した。
いたずらっぽく笑っている様子からすると、アサギは教義を盲信しているワケではないらしい。むしろアサギの立場から言えば、ほとんど信じてないのかも。継承戦を視野に入れて、ただエイジの後押しをする為に神官になっただけで。
そんなアサギは教義の面を中心に教えてくれたので、続く師匠が世俗への影響について説明してくれた。
「神殿はどんな国にも必ずある宗教施設兼教育機関ですからね。その他にも即時通信で通信や物流の一部を担っていますし、人間の中では――特に政治・経済に関与する人間にとっては普遍的なものになっていると思って頂いて良いですよ。完全に信じてはいなくても、表面上は信仰していることになってます」
その言葉で、アサギに借りた即時通信の申請用コインのことを思い出した。
青葉の国に戻ってきたときにアサギに返したんだけど、今までオレああいうの他で見たことなかったから、やっぱり神殿はすごいテクノロジと独自のネットワークを持ってるってことなんだろう。
大神官であるアサギが全面的にエイジに協力してる青葉の国では、宗教と政治の権力争いなんて図式はない。だけど国によっては、神殿と対立なんてし出したら、王様はものすごいエネルギ削られるんじゃないだろうか。
サクヤがつまらなそうに口を挟む。
「そんなネットワークがあることで、か弱い人間にも手を取り合って獣人を追いやることが出来る、ということだ」
蹂躙された獣人の一族の長は、人間達の『協力』という力を良くは思えないんだろう。
そんな言葉に含まれる棘をエイジがさりげなくフォローする。
「だからそんなネットワーク、この国では獣人の皆も含めて作りたいね。種族毎に独立すれば話は楽だけど、そうしていくと結局は俺達その中でもまた小さく分かれたりしてさ……小さな組織になってくだけだ。それに、似た物同士だけで作ったグループって最終的には良い方向に向かわない……ってこれは親父の言だけど」
「リョウ様は『似たもの同士でくっつくな』ってよくおっしゃってましたね」
アサギがそっと呟いてから、ますます微笑みを強くした。
「そうですね、ええ、私も同意見です。多少ぶつかっても色んな意見がある方が良い結果になります。お互いに色々あったとしても。そういうことを学び合う場所、早く作りたいですね、エイジ様」
「げ。今から早速次の仕事の話? はいはい、継承戦が終わったら、そっちにも再び手をつけましょうね。例の高等教育機関の話。そのついでに観光を見込んでイベント的なものも幾つか増やしたいってのもあるけど、とりあえずは目の前のことをさぁ……」
エイジとアサギはここ半年、高等教育機関の立ち上げについてずっと相談してたらしいんだけど。どうもそれ以外にも色々考えているみたいだ。
そんな2人の話を聞いていたサラが、ふと思い出したように呟いた。
「……いべんと、秋のこうれい……」
サラのその短い単語で、オレは即座に理解した。
オレ達の連想ゲームはいつだってうまく続く。
「ああ、秋の恒例大運動会な。そういや今年はどうするんだろう、白狼と黒猫。兄貴が活躍するんだからあんただって観戦したいよな」
補足したオレの方をちらりと見たのは、肯定の証だろう。
移転でばたばたしてたから、今年はやらないのかもしれないけど、今度会ったら聞いてみようかな。
「え、なになに大運動会? 何それ? おもしろそー」
サラとオレの話に、お祭り騒ぎが大好きなノリの軽いエイジが早速乗ってきた。
「狼さんと黒猫さんでやってるの? 毎年?」
「らしいよ」
「良いじゃん、それ。ちょうど何かイベントないかなー、と思ってたんだよね。王宮も協賛してさ、大々的にやってもらおうぜ、ナギ」
「え!? ちょ、この期に及んでまだ俺の仕事増やす気ですか、あなたは!」
仕事を振られそうになった師匠が渋面で答える。まあ、この人すげぇ忙しいから負担増えるの嫌うのは良く分かる。
いつもそんな師匠を適当に仕事に向かわせるはずのエイジは、何故かちょっとだけ瞳に寂しそうな色を添えて、それでも笑いながら答えた。
「いや、だってさぁ……親父が生きてたら絶対乗り出してきたよ。あの人こういうの大好きだから」
「あー。あの方、好きでしたよねぇ。変な球技のチーム戦とか、長距離マラソン大会とか勝手に企画しては俺達に振るんだから……」
答える師匠の声も愚痴っぽいのにどこか嬉しそうで。
アサギがくすくす笑いながら付け加える。
「それで、サクヤさんがいると必ず参加しろって言ってくるんですよね」
「『見た目派手だし全然勝てそうにないのに勝つから、お前が入ると賭けの良い大穴になるんだよ』ってさぁ。サクヤちゃんが良いとこまで勝ち抜くことなんて、皆もう分かってるっつの。で、自分はどんな組み合わせでも絶対サクヤちゃんに賭けるから、ただでさえ少ない小遣いしょっちゅうスってたよ。我が親ながらどんだけ好きなのって思ってた」
「あいつ、本気で俺に賭けてたのか……。分が悪い時は事前に教えてやってたのに」
エイジが内情を暴露したことで、サクヤは初めてそのことを知ったらしい。
呆れた表情でそっぽを向いた。
「……バカだ、あいつ」
「そうだよー。うちの親父、もうサクヤちゃんにぞっこんだったの。大バカだよ、本当にさ。初恋だったんだって」
「そんなの初めて聞いた」
胡散臭そうな表情でエイジを見た途端に、サクヤは黙り込んだ。
エイジが予想以上に真剣な眼をしてたからだろう。
嘘だ、なんて絶対に言えない眼を。
「俺とカズキのお袋さん――親父の正妻さんね。プロポーズの時に親父に言われたんだってさ。『おれは初恋をずっと引きずってる男だし、来る者拒まずだからお前だけだなんて絶対に言えないし、こんな小国だから裕福ってもたかが知れてるけど、おれはお前が好きだからそれで良ければ結婚してくれ』ってさ。初恋って誰のことかと思ったけど本人に会ったらすぐ分かったわ、ってお袋笑ってた」
「……リョウ王のそういうところ、不実です」
ぷう、と膨れたアサギがぼやく。
恋に恋するアサギには、「ただ一人を愛する」じゃない愛のカタチは認められないらしい。
でもきっとリョウ王には愛する人がたくさんいたんだよ、本当に。
正直に言うところがあの人の計算で、でも憎めないとこなんだよ、なんて思うのは、オレも男だからだろうか。
「ま、言われたそれを承知してお袋は結婚したんだから、本人達の中では良かったんじゃない」
「初恋かぁ……。良く言ってましたもんね、『あいつはいつまでもあの頃のまんまで、おればっかり汚くなってくような気がする』って」
「……そんなの初めて聞いた」
さっきと同じ言葉だけど、今度は、サクヤは顔を上げなかった。
ソファの上、完全にあさっての方向の床を見たまま、声を絞り出すようにして囁いてる。
「そんなの、今まであいつは言わなかった……」
「ま、そういう全部がアレに含まれてたんじゃないの、例の決め台詞」
「『おれの寵姫になれ』ですよね、何回おんなじやり取りするんだか……」
「もうお2人のやり取りは皆さん覚えてしまってますから、サクヤさんが『俺は男だ』って返したところで、一区切り……って、さっさと元の話に戻してしまうんですよね」
「そうそう。あんまりおんなじことばっか言い続けるからさぁ。何でもそうだけどさ、基本的に親父って絶対諦めない人だったんだよ」
「あの方と勝負すると大変ですよ、マジで。自分が勝つまで絶対止めないんだから目を付けられた方は最悪です」
「いつの間にか練習して実際に勝ってきますしね。私、あの方にチェスの腕で追い抜かれた時のこと、まだ覚えてますもの」
笑い合う3人の瞳は、ぼんやり潤んでる。
まるで心のアルバムを開くように、色んな場面を思い出しながら。
そちらを見もしないで、途中から黙り込んでしまったサクヤはごしごしと自分の瞳を拭う。
……あれ? 今、この人もしかして――
エイジがぐぃと背伸びをしながら大きく息を吐いた。
「あーもう。形式張ったことばっか続いてくさくさするし、これが終わったら親父の死んだ記念に獣人達の大運動会にがつーんと大きく協賛してみようぜ」
「死んだ記念ってどういう言葉の選択ですか、エイジ。王子なんだから、もうちょいまともな表現のチョイスをしてください。本当にあの親にしてこの子あり、なんだから」
「ナギ様、人の振り見て我が振り直しましょうね? リョウ様の教えを受けると皆さんこうなるのかしら……」
口々に言い合う3人を、サクヤはもう見ていない。
ただぼそりと呟いた声を、隣にいるオレの耳だけが聞き取った。
「……こういうのが葬儀というものなら、ノゾミの時も参加しておけば良かったのかもしれないな」
泣くこともなく、微妙に視線を逸して。
いつだって悲しみを正面から受け止めずに、やり過ごしてきた。
でも、ついさっき頬を伝ってた雫は、それ、もしかして――
オレは尋ねなかったけど、勝手にそう思った。
きっと今日この人は一歩踏み出したんだ。
誰かと分かち合うことでようやく喪失は正面から受け止められると知る。
そんな、本当は世の中のどこにでもある小さな一歩を――
2016/05/10 初回投稿
次回が最後の準備回。次々回から継承戦本戦です。