2 鐘楼
【前回までのあらすじ】継承戦を1週間後に控えて、亡くなったリョウ王の葬儀が先行する。
夕方から降り出した雨はまるで、国民が偉大な王の死を悼む心を表してるようだった。
ここしばらく息子達に権限と責務の全てを譲渡していたとは言え、この国を著しく発展させた彼のことを、人々は忘れてはいなかったらしい。
昼下がり国内に報せが出た直後から、リョウ王の遺体が安置されている神殿に向かう弔問の列は後を絶たない。
そこにはニンゲンも獣人も関係なく、ただ彼を王として敬愛していたモノが集っているというだけだ。
あれからエイジや師匠、アサギは忙しそうに動いてて、オレ達は会話なんて全然出来ない。ソレが分かってたから、午前中にああして少し時間を取ってくれたんだろうと思う。
ただし同じエイジの『五方の守護』であるサクヤは公的な職務はないに等しくて、王宮内の自室の窓からぼんやりと外を眺めているだけだ。
あれからずっとオレの手を握ったまま。
オレも無理に振りほどいたりはしないで、手を繋いで王宮の一室から一緒に外を見てる。
雨の中で集まってくる人々と、重苦しい空を。
段々と空が暮れ始めた頃、部屋の外で軽くノックの音が響いた。叩く位置が随分低いなと思ってたら、扉越しに聞こえた声も幼かった。
「ねぇサクヤ。もうちょっとしたら何ちゃらの儀式が始まるから神殿に来いってエイジが言ってるわよ。その前に衣装の準備したの、あたしの部屋に来て。着替えなくちゃダメなんだから」
ああ、ナチルか。
返事どころかサクヤは全く反応を見せないので、代わりにオレが扉に向けて声を上げる。
「分かった。すぐ行かせる」
「はぁ!? ……ちっ、変態が」
オレの声を聞いた瞬間に、だすーん、と扉が鳴って吐き捨てるようなナチルの声が聞こえた。
床の代わりに扉を蹴ったらしい。
足音荒くナチルが遠ざかって行ったあとで、改めてサクヤの手を引いて声をかけた。
「サクヤ。そろそろ着替えろって」
「……分かってる」
さすがに窓から視線を外してオレの方を向いたサクヤは、ずっと繋がれたままの手を見て、瞳を見開いた。何故かえらくびっくりした表情で振りほどかれる。
「――な、何だ、これ?」
「何だ、って……あんたが繋いできたんだよ」
どうやら自分ではオレと手を繋いでることさえ認識してなかったみたい。少しだけ狼狽えていたけれど、しばらくするとまた元のように表情が消えた。
きっと今この人の頭は死んだリョウ王のことで占められていて、他に何を考える余地もないのだろう。
感情の消えた瞳のまま、離したばかりの手でぺし、とオレの胸を叩いて吐き捨てる。
「今度ばかりは逃げられないようだ……」
その凍った無表情を見下ろしながら、ふと気付いた。
そう言えばオレ、この人が泣いているところを見たことがない。
今までに何度も身近な人を見送っている癖に。
義姉の時も、ノゾミの時も。
多分、どれもこれも直面する前に逃げ出して、良く噛み砕かないままで生きてきたに違いない。
ノゾミの葬式には出なかったと聞いてるし、義姉が死んだと分かった時はナチルのことばかり考えていた。
この人がそうしていつも視線を逸らして受け止めずにきた喪失を、今度こそ正面から見据えることになるんだろうか――
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いくらオレが王子サマやその親衛隊長に幾ら目をかけて貰ってるとは言っても、所詮は一介の平民。
大神官アサギサマが取り仕切る何ちゃらの儀式に参加はさせて貰えたものの、壇上のエイジ達王族や獣人の長達からはかなり距離がある。
それでも神殿の中に入れるだけありがたいことだろう。
集ってきた国民達の多くは雨の中濡れながら、外で儀式の進行を待っているのだから。
壇上の人々は正装している。
朝見た通りのエイジや師匠、アサギは当然としても。
サラですら黒いパンツスーツでエイジの後ろに控えてる。
サラの前方にいる師匠が変わらず佩刀を許されているのは、親衛隊長だからだろう。ってことは、同じように佩刀してる人はみんな、他の王子の親衛隊長なのかな。
以前何度か会った第一王子のカズキの姿が、エイジの手前に見えた。
不機嫌そうに腕を組んで正面を見据えている。
丁度エイジにとってのサラの位置にいるのが、街でサクヤとやりあったことのあるナユタだ。こちらも剣を携えているから、じゃあカズキの親衛隊長はナユタなのか。暗い無表情は以前と変わってない。どこを見るでもなくぼんやりとしているが、それこそが彼の警戒なんだろう。
2人に対応するように壇の反対側にいるのが、じゃあ第三・第四王子、だな。
歳からして、手前側にいるのが第三王子のミズキ、奥が第四王子のシノ、で合ってると思う。
半年近くこの国で過ごしたとは言っても、実質的には半分以上サクヤに連れられて他国をウロウロしていたオレは、まだミズキともシノとも会ったことがなかった。
でもこうして並べて見れば、まさにエイジと兄弟だな、と思えるようなどこか似た部分があるから納得できる。
ミズキはエイジより5歳程若いだろうか。オレとも歳が近いと思う。
金髪は兄達に良く似てるけど、長めに伸ばして束ねてある。瞳の色は兄ちゃんズよりも深いオリーブのような緑。
どこかまだ少年らしい様子を残しているけど、温和な瞳はあんま荒事には向かないんじゃないか、と思えてしまうのは、オレがエイジに肩入れしてるからだろうか。
さらにそれより若い――と言うか幼い第四王子シノは確実にオレより年下だ。
金色の巻毛、空のような晴れやかなブルーの瞳。まさに『天使のような』なんて形容が良く似合う美少年。
そう言えば、サクヤの記憶で見た幼い頃のエイジに顔立ちが良く似てる。今は美少年だけど大きくなると、アレになっちまう……のかな。
ちょっと切ないものを感じたけど、それでも今は愛らしいバラ色の頬をした美少年なので、そんなシノが悲嘆に満ちた表情を浮かべている様子は如何にも大人達の哀れを誘う。
シノの肩を支えるようにして立っているのが、彼の親衛隊長だろう。軍服を着た若い獣人の女は、隙無く鋭い視線を周囲に投げ続けている。立派な尖った角と茶色っぽくて広がった耳が頭上にあるけど、ちょっと見たことない種族だ。
王子たちの向こう、獣人の長達はそれぞれの種族の正装を纏って、壇の奥、棺の脇に立っていた。立ってる位置がややエイジ寄りなのは経緯からして当然だと思う。
女王はいつもと同じ白い分厚い布の服だが、両手足に付けた飾りの数はいつもの倍以上ある。
トラもいつもの白いローブの他に、見たことない形の白い帽子や黒い宝石で出来たベルトを身に着けてる。
そして、サクヤは。
いつだったか仙桃の国で買った青いピアスを嵌めて、白い、透けるような薄布を重ねた衣装を身に着けていた。
膨らみの少ない胸でも、こうして薄い布で包めば身体の線が女性であることを如実に語ってる。代々女性が継ぐ座だから、サクヤもピアスを付けてまであれを纏ったのだろう。リドルの姫巫女としての正装で王を送るために。
キラキラ光る金の組紐で要所を留めてはあるが……この晩秋の雨の中では、室内とは言っても肌寒いんじゃないかと思う。
この衣装と立ち位置によってカズキに対しては諸々疑惑を認めた形になるが、まあ……厳密にはそれが事実なワケでもないし良いんだろう。
更に言えば、女王やトラのフォローを期待出来る今なら正面から戦えるという意思表示でもある。
元々は南国の島に住んでたワケだから、伝統的な衣装がうっすうすなのは仕方のないことかも知れない。
だけどさすがに、この国の気候には辛い。
青褪めた顔色は悲しみだけじゃなくて、確実に寒さのせいが混じってると思う。意味の分からない頑張り方してるな、あいつ。
王子たちを代表したカズキが、集った面々に話し始めたのをキッカケに、オレはその場を辞した。
何のためって?
分かるだろ。毛布とコーヒーを取りに行くんだ。
だってリョウ王が生きていたなら、絶対にそうしろって笑いながら言うはずだから。
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神殿の奥の廊下で持ってきた毛布を提げて待機する。
鐘の音が響くと同時にざわめきが聞こえ始めて、儀式が終わったと分かった。
丁度この廊下は壇の裏手側にあたってて、ここから続く渡り廊下を通れば外に出ずに王宮に戻れるから、皆ここを通るだろうと思うんだ。
壇から降りて最初に廊下を通ったのは第四王子のシノとその守護者達。
毛布抱えてるオレをさっきの角のある獣人の女がじろりと見たけど、特に文句は言われなかった。そのスルー感から、もしかすると向こうはオレのことを知ってるのかもしれない。
涙に濡れたシノの瞳がオレを見たから、一応頭を下げておいた。
その後を第三王子のミズキが続く。
そして、第一王子のカズキと……最後にエイジ。
向かってくる面々をぼんやりと見ていたら、オレを見付けたエイジが笑いながら手を振って近付いてきた。
「お、準備良いじゃん。さすがサクヤちゃんのお目付け役」
「そんなヘンな役職についた覚えはないぞ。あいつどこにいる?」
「え? まだ来てない? 俺より先に降りたはずだけど……」
エイジと2人で顔を見合わせていたら、守るべき王子サマの後ろにぴったりとついている師匠が目元を擦りながら答えた。
「あの人、降りたんじゃなくて上がったんですよ」
「……この上には鐘楼しかないよ」
「だから。上がったんです」
「えぇ? あの薄着で? 雨の中?」
師匠の瞳が赤いのはいつものことだけど、白眼まで赤くなってるのは……昨晩から多忙で睡眠が足りない……だけじゃないよな。朝会った時にはもう少しびしっとしてたけど。
やっぱり、師匠にとっても大切なヒトだったんだ、リョウ王は。
そんなことを改めて実感する。
当然だけど、平気そうな顔をしてるエイジだって、本当に平気なワケはない。
「何であんなとこに上がるのよ? あそこには鐘しかないのに。しかも屋根はあるけど壁はないから、雨が吹き込んできたら濡れちゃうよ?」
「知りませんよ。『ちょっと上に行ってくる』って言われただけですから」
そりゃ師匠としてもそんな曖昧なこと言われても困るよな。儀式の連続で忙しい時にどうにもしようがない。
全くあの人、すぐそうやって詳しいこと言わずにうろちょろするんだから。
しかも、あの寒そうな格好のままで。
「オレ、ちょっと様子見に行ってくる」
エイジと師匠は鐘楼への昇り方を教えてくれたので、素直にお礼を言って廊下の奥にある階段へと向かった。
途中で行きあったアサギとサラに手を振ってから、言われた通り鐘楼へと近づきながら考える。
あれ、そう言えば、まだトラも女王も降りて来ない。
獣人の長達は皆で何をしてるんだろう。
階段を途中まで昇ったところで、その答えらしきものに気付いた。
雨音よりも大きく響く、上で駆け回っているような足音。
それに、何か大きな鳥が羽ばたいているようなふぁさり、という音が――
音に気付いた瞬間から、オレは階段を2つ飛ばしで駆け上った。
あの不吉な音――以前黄金竜の力でサクヤと『精神共有』してた時にも聞いたことがある。
嫌な記憶に急かされて、必死に足を動かす。
鐘楼の上に辿り着いた瞬間、目に入ったのは鮮やかな紅の羽だった。
それは焔を纏う赤鳥の騎士――オレは思わずその名前を叫ぶ。
「――ツバサ!」
「はぁ? 何だよ、人間じゃないか。弱っちぃ人間の分際が、ボクの名前を呼ぶなんてどうかしてるんじゃないの?」
忌々しく吐き捨てる声とともに、振った腕にまとわりついていた焔が放たれ、まっすぐにオレの目前に迫ってくる。
ヤバイ! ――と思った途端、横から何かに押し倒された。何とかうまく避けた形になって、頭上を焔が掠めていく。
押し倒して来たのは、当然ながら――
「――わざわざ巻き込まないように気を使ってやったのに、何で来るんだ! このバカは!」
転がったオレの上から身体を起こしながら喚いてるのは、例の薄布をひらひらさせてるサクヤさんだった。
吹き込む雨に当たってしっとりと濡れ始めてるうっすい布は間近で見ると思ってたよりも更に薄くて、こうして密着してるとほとんど直で体温が伝わってくる。
「――邪魔だ!」
こんな時だと言うのにドキドキして固まってしまったオレの頭の横を、一声上げて女王が踏み越えた。
固い石の床が揺れる程強く踏み込み、ツバサに向かって跳びかかっていく。
その強烈過ぎる蹴りを紙一重で避けたツバサは、背後に向かって合図を送った。
ツバサの背中、鐘楼を覗き込める位置にある木の上からこちらに向けて撃ち込まれてくる銃弾は複数。
攻撃の直後の隙を狙われた女王は、それでもさすがと言うべきか、笑いながら余裕で幾つもの銃弾を避けている。女王の動体視力なら、銃弾の動きも全て見えているのかも知れない。
「此度の赤鳥の騎士は随分と矛盾したことを言う。人間如き、と言いながら、その人間の力を借りて私を倒そうとするのか?」
くくっ、と笑う声に、不満げなツバサの声が重なった。
「ボクじゃない、ヒデトがやれって言ったんだ。じゃなきゃ誰が穢らわしい人間の手など借りるものか」
ぶん、と振った腕に纏う炎が、こっそりとツバサの背後から近づこうとしていたトラに向かって放たれる。
「……うわっ!? バレちゃった」
「見えてんだよ、このクソ猫が!」
炎を跳びのけて避けたトラの着地点に、再び銃弾が撃ち込まれた。
トラの身体を抱え込むようにして、女王がもろともに弾から身をかわす。
その姿を見ながら、ツバサが鐘楼の屋根を抜けて雨空の中へと飛び上がった。
雨音よりもはっきりと、頭上から哄笑だけが落ちてくる。
「あははは! 人間なんかと手を組みやがって、原初の五種が聞いて呆れる! 結局、本当の意味で純粋な獣人族なんて、もうこの世にボクしか残ってないんだ!」
その両手に絡む焔が、雨の中でも勢いを殺さぬまま、ちろちろと揺らめきながらオレ達を見下ろしていた――
2016/04/29 初回投稿
2016/10/10 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更