18 逃げ出す自由
【前回までのあらすじ】ひたすらサクヤに避けられまくってる理由は、何か……オレの顔を見たらシタクナルから何だってさ!? どういうことだよ、もう! そんな微妙なオレ達の状況とは無関係に、蔵の国の王子スバルと公爵令嬢エリカがやってきた。
キリがお茶を運んできてくれた。
女王がにっこりと笑って礼を言うと、机替わりの切り株の上に人数分のカップを置いたキリは、静かに頭を下げてから立ち去る。
黒猫の住む森の一角、巨大な木の切り株の周囲にオレ達は黙って座っている。
天気は上々、木漏れ日は暖かくて気持ち良い。
だけどこんな荒れた露天に座るなんて初めての経験なんだろう。ドレスの尻の汚れを気にするエリカ嬢に、自分のハンカチを石の上に敷いたスバル王子がどうぞ、と促した。
エリカは片眉を上げてスバルを睨んでから……結局言われた通りにそこに腰を下ろす。
それを見届けてから、エリカの隣に適当な岩を見付けてスバルも腰掛けた。
切り株を挟んで反対側に座ってるオレと女王は、そんなやり取りを見ながらお茶を飲んで2人が落ち着くのを待っている。
エリカとスバルが自分の椅子に満足したところで、オレは口を開く。
「……で。あんたら、何しに来たの? 良く2人きりでこんなとこまで来れたね」
皮肉混じりに尋ねると、スバルが楽しそうに答えた。
「まさか2人きりで来た訳じゃありませんよ。幾ら幼なじみでも年頃の男女が2人きりの旅なんて許されない」
「森の入り口までは供も来ております」
ツン、と顎を上げたエリカはつまらなそうに補足する。
「本当はスバル様とご一緒するつもりはなかったのです。私がカイ様をお訪ねしたかっただけで……でもスバル様が、自分はカイ様の居場所を知っている、と仰るものですから」
知ってるのは、そりゃアレだよ。
ペーパーバードのやり取りしたからだ。
集落の細かい位置までは教えてないが、蔵の国の軍が攻めて来れたんだから、王子なら情報を知ることは可能だろう。
だから、他にも色々とツッコミどころがあったとしても。
今のあんたらのお話の、一番のポイントは。
「……あんたら、幼なじみなんだ?」
「はい、そりゃあもう。幼い頃から仲良きことこの上なく」
「止めてください、スバル様。あなたがそういう調子だから、周囲は勝手に私のことを『王妃候補』なんて呼ぶのです!」
声を荒げたエリカに対して、スバルはしれっとした表情で笑いかける。
「真実ですから」
「違います!」
切り株越しに身を乗り出したエリカが、オレに向かって噛みつくように叫ぶ。
「違いますからね、カイ様!」
「どっちでも良いよ……オレには関係ない」
「あーもう! 違うったら違うのです! 全然全く完全に違うのです! どうしてどなたも信じてくれないの! スバル様のせいで幼い頃から周辺の男性には相手にされないし……お友達にも『あなたは将来が安泰だから良いわね』なんて言われて……もう、私……」
本気で怒ってる様子を見るに、どうやら幼なじみのスバル王子は、オレにしてたみたいに周辺の男ども全員に牽制を仕掛け続けてきたらしい。
なるほどね。そのせいで全く恋愛免疫出来ないままここまで来たエリカ嬢としては、妄想チックに恋愛を楽しむしかなかったワケだ。ようやくこの人の置かれてるヘンな状況が分かった。
分かったは分かったけど……だからと言って、オレに何が出来るってこともない。
「あのさ、まあスバル王子の搦手のやり口考えると、あんたに同情する気持ちがなくはないんだけど――」
「カイ様! 良かった、カイ様だけは信じてくださると……分かってくださると思ってました!」
「――なくはないんだけど! あんた、何しに来たんだよ。オレはあんたを騙してたし、あんたの母親の敵のディファイ族の友人だし、あんたを人質にとって逃げ出すような男だぞ? 今はディファイとニンゲンは戦争中で、ニンゲン側の軍の先鋒を務めてたのはあんたの父親だ。それを何故こんなとこまでのこのこと……」
言い募る毎に瞳がキラキラしていく。
何ソレ、何でそんな顔すんの?
「……カイ様、私のことをそんなに考えて下さるなんて……」
違うっ!
そういうことじゃない、あんたに気遣ってるんじゃなくて、本気でワケが分からないって言いたいんだよ!
止めろ、そういう眼で見るのは!
審判役としてこの場にいる女王が、またもや派手に吹き出した。
……あんた本当に笑い上戸だな、おい。
「これが恋する乙女と言うやつだぞ、少年よ。はっきり言ってやれ、君には決まった人がいるのだと」
笑いながらオレをけしかける女王の前で、公爵令嬢は優雅に扇を広げる。
「……お言葉ですが。私、それはもう嘘だと存じておりますの。あの黒猫の少女、婚約者などとは嘘だともうバレてしまいましたわ。それよりもこの話に関係のないあなた、どこの何者で、何故ここにいらっしゃるの?」
「おや、では私は席を外した方が良いかね――」
「――待て、やめてくれよ! オレがいてくれって言うんだから、いてくれ」
「……だ、そうだよ、ご令嬢」
くつくつと喉で笑う女王の姿をエリカは腹立たしそうに睨みつけ、それでもオレの言を聞き入れてひとまずは黙った。
「とにかく。確かにあんたの言う通り、サラは婚約者じゃない。だけどオレはそもそも氷の島の王子でもないぜ。オレがあんたにあげられるモノなんか何もない。それが分かってるのにあんたは何でオレに会いに来たの?」
扇の向こう、頬を染めたエリカがそっと答える。
「カイ様が何者でも構わないのです……私、あなたと一緒にどこまでも行きたいわ。あの日、私を抱いて下さったように、どこまでも拐って行って下さらない?」
「――はぁ!?」
オレのすっとんきょうな声に女王の派手な笑い声が混じった。
引き止めたは良いものの、この人、笑ってるか話を混ぜっ返してるかしかしてない。役に立たねぇ。
エリカの爆弾発言に対して、さすがに顔をしかめたスバルが首を振る。
「そんな……エリカ様、あの日僕と誓った将来はどうなるのですか?」
「そのような幼い頃のことは……」
「幼くても誓いは誓い、約束は守ってくださらないと」
「そんなこと仰って、あなたはたくさんの淑女の皆様と浮名を流して」
「だからそれは誤解ですってば。向こうが勝手に言っているだけのこと。それこそ僕のことを信じてくださいよ。僕はずっとあなただけを……」
こちらを放って置いて延々言い合う2人を見ていて、オレは心を決めた。
可哀想だとか気持ちは分かるとか思ってたけど、そういうの、多分何の解決にもならないんだ。
だってオレ、今、このやり取り何もかも面倒臭いとしか思えない。
早くこっち終わらせて、サクヤのとこ行きたい……。
「私のことだけなんて言いながら、どれだけ噂が立ってると」
「噂なんて嘘ばかりですよ。根も葉もない」
「火のないところに煙は立たないとも申しますから」
「――はい、ストップ」
割って入ったオレに、2人の視線が向いた。
「良いか、あんたらがこの先どうするかはあんたらで勝手に決めてくれ。オレが言いたいのは――オレはエリカ嬢に何の興味もないし、連れて逃げる気も一切ないってこと。痴話喧嘩にオレを巻き込むの止めてくれ」
「――痴話喧嘩なんて――」
「痴話喧嘩じゃなくても、あんたらの問題だ。オレを巻き込むなよ」
2人に向けて言い切ってから、オレはちょっとばかり申し訳ない気持ちで……でも、もう優しくも言えなくて。
エリカに向かって声をかけた。
「あのさ、あんた……敵対してる獣人の集落までオレを追い掛けてこれるくらいなんだから、よっぼど行動力あるよ。拐ってってくれる王子様を待つ位なら、嫌なことからは自分で逃げたほうが良い。人をアテにするよりその方が確実だぜ」
「……カイ様……」
オレを見上げるエリカの表情が――瞬間、ノゾミが見せた夢の中の幼いエリカに重なった。
ヒデトに操られたエリカの母親が見たはずの、麻里公爵と折り重なるエリカの姿に。
そのことを聞こうかどうしようか迷って。
先に、エリカが口を開いた。
「……あの……私、カイ様に謝りたいと思ってここまで来たのです。確かに私の母はディファイ族に殺されたとは聞きましたが……実際に誰が殺したとも真実は知れないのです。それに逆だって……私、考えても見ませんでした。今回の戦争だって、私の父がその手で殺した獣人達も大勢いるはずなのです……」
うなだれた風情はやはり美しい公爵令嬢だった。
もらったペーパーバード、そう言えば最後まで読んでなかったけど。
「あんた、じゃあ、わざわざそれを謝りに来てくれたの?」
「はい。実際にお会いしてみたら、やっぱりカイ様は素敵で……胸が昂ぶってしまって余計なことを申し上げてしまいましたわ……」
「……ああ、そう……ふーん……」
素敵、とか言われても。
正直この人、何か妄想の歪みが強すぎて、あんまり信じられない。オレのことなんか本当は全然見てないんだと思う。
まあ、女にそんなこと言われたことなかったから、嬉しくないとは言わないけど。
サクヤさんはこういうことはっきり言ってくれないタイプだしなぁ。誓約的にも性格的にも、素直にことばに出すのが難しいヒトだ。
エリカの素直過ぎる位素直なとこは、まあ。個人的には嫌いじゃない。
だけど父親の罪も分かっていてわざわざここまで来るのだから、やっぱ迂闊過ぎると思う。オレの名前を出さなければ、集落の入り口で2人は殺されててもおかしくなかったのだから。
そんなエリカに対して、隣でこっそりと肩を竦めたスバル王子の様子からして……彼には危険も分かってたのだろう。
エリカにはマイナス方面に伝わってるようだけど、状況を理解してエリカをフォローする為にここまでついてきたんだから……己の危険を顧みないこのスバルの姿勢は十分愛情に値するんじゃないだろうか。
オレと目が合ったスバルは、ちょっとだけいたずらっぽく笑った。
その様子はいかにも「ずっとこれを繰り返してるんですよ」と言いたげで。
だから、オレはエリカには言わないことにした。
母親が何を考えていたのか、なんて。
ちょっと上っ面を見過ぎるとこはあっても、この猪突猛進系のご令嬢にやましいことがあったなんて、オレは考えたくない。
操られてた母親にヒデトが見せた幻だったのだと、信じることにした。
あの時ヒデトは「不貞があった」と直接的は言わなかったし。言を弄してその不安を煽り続けていただけだ。
オレの中でそんなこんなに片が付いたので、決定的な事実を告げることにした。
「なあ、あんたの父親もそろそろ街へ戻ってるだろ? 本人に聞けば分かるだろうけど、ここであんたの父親を大負けさせる切っ掛けを作ったのはオレなんだ。だから……もうオレ達、会わない方が良い。あんたの謝罪は良く分かったよ」
オレの言葉に一瞬詰まって、エリカは瞳を大きく見開いた。
「そうだったのですか……知りませんでした。あなたはきっとディファイの側に付いているだろうとは思っていましたが……」
「え? 知らない? 何で。麻里公爵は敗走の理由を何て言ってるんだ?」
「お父様は、お戻りになっていません」
驚いて思わず立ち上がったオレのシャツを、隣で女王が引いた。
女王に促されて再び座ったオレに向けて、真っ直ぐにエリカが告げる。
「王都へ戻る途中で兵士達と別れたそうです。『このまま戻ってもこの負けの責任とることになるだけだから自分は戻らない』と仰っていた、と。兵士達にその話を聞き出してから、王都ではこの件の責任を誰がどう取るのか問題になっております。そんな無責任な方ではなかったはずなのに……」
「そうですね。麻里公爵はその高い地位に見合う責任感をお持ちの方でした。良い方に考えれば、そんなどたばたの中だから、僕達は混乱に乗じて王都を抜け出せた、とも言えますけどね……」
どうやらヒデトは麻里公爵の身体ごとどこかに姿を消したらしい。
仙桃の国のカナイの時だってそうだった。これがヴァリィの魔術師のやり口ということか。今頃はどこかでまた他のニンゲンに乗り移ってるんだろうか……。
「カイ様を捕えたあの日から、お父様は様子がおかしかったわ。もしかしたら私の知っていたお父様なんて、もうどこにもいないのかも知れませんね……」
呟くエリカの肩を、隣のスバルがそっと抱き寄せる。
「……止めて、ください……」
「止めません」
エリカは少しだけスバルの身体を押したけれど、そんなことでは離れないスバルの腕に、諦めてそっと眼を閉じ身体を預けた。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
来た時よりもどこかすっきりとした表情で、切り株越しに立ち上がったエリカが頭を下げる。
「カイ様、お邪魔しました。こうして直接お会いして謝罪することが出来て良かった。あの黒猫の娘も近くにいますか? 彼女にも謝っておきたいのです」
世間ズレしてなくて、知識も考えも足りないけど、素直だし突っ走る力のあるヒトだ。
出会いが最悪だったせいでうまくいかないけど、もっと違う会い方をしてたら、もしかしたら友達になれたかもしれないな。
連れ去って逃げる、なんてことはありえないにしても。
麻里公爵がいない今、後ろ盾のない彼女はこれからきっと苦労する。
そんな王都に彼女を戻すのは忍びないけど、エリカの横でスバルが人の悪い笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。あなたがいなくてもエリカ様は僕が守りますから」
「そりゃ心強いな」
「ええ、何せ僕は間もなく王冠を頭上に戴く者ですよ。だって、麻里公爵がいない今、敗戦の責任を問われるべき存在は――1人しかいませんよね?」
それは多分、スバルの父親。
現国王の責任になるだろう、今度こそ。
「今度こそ、僕が国王になります。このくだらない政策ももう終わりだ。折角来たんだから、ついでにディファイ族の長老とやらと話をしてから帰りましょうか。敗戦処理をうまくまとめて……そして、王都に戻って王妃を娶ります」
「あなたに守ってもらうかどうかは、私が決めることですわ。あなたが何をしようが、私がどうするかは私の自由です。カイ様の仰った通り……逃げ出しても良いのよね、私は」
朗らかに笑ったエリカの表情は、すっきりしていた。
追い詰められると無理やり選ばされた気になるけど、選択肢の中から自分が選んだって思えば、色々と納得も出来る。
王妃になるのか、それともどこかへ逃げ出すか。
もしかしたら誰も思いつかないような第三の道を選ぶかもしれない。
より良い選択肢を選べるかは別にして、選ぶこと自体はいつだって彼女に与えられている。
笑う2人に向けて、オレも立ち上がり手を振った。
平民らしいその挨拶にスバルもエリカも乗っかってくれて、軽く手を振ると踵を返した。宣言通りトラやサラのところに行くんだろう。
トラとサラもスバルとエリカもお互いの身内に直接被害が出ていることを考えると、和解できるかは難しいと思う。
思うところはあるだろう。遺恨が残るだろう。
だけど、それをどう片付けるかは彼らの問題だ。
どちらにせよ、どちら側も「親族の死をもって償え」とは求めないヒト達だとオレは知ってる。
だからオレはエリカ達については行かないことにした。
だってそれより、オレが気になるのは。
気にしなきゃいけないのは。
「さて、女王。サクヤがあんな様子なのはあんたのせいって……どういうことだよ?」
今まで黙ってオレ達の話を(笑いながら)聞いていた女王が、ぺろ、と舌を出す。
「説明をしてやっても良いが……巫女どのがいないところで話しても、混乱が増すだけだよ――なぁ、巫女どの?」
背後に向かって声をかけると、がさりと木の枝が揺れてサクヤが顔を覗かせた。
まさかいるとは思わなかったけど、女王のことばですぐに姿を現したことからすると、もしかしてずっと隠れて聞いてたのだろうか。
「サクヤ!」
「待て、こっちに来るな」
駆け寄ろうとしたところを犬を追うように制止されて、イラッとしたけどオレは黙って足を止める。
まだちょっと赤い顔を見ると、「シタクナル」ってやっぱり……あの、その……そういうことを、その……。
予想のつかない状況に、オレの頭の中がぐるぐるする。
にやにや笑ってオレ達を見ていた女王が、ようやくその問題について説明すべくそっと口を開いた――
2016/04/19 初回投稿