3 君の戦場
扉の中は、まるでパーティ会場の様だった。
正装した男女。豪華な食事の盛られたテーブル。その間を、素早く、しかし優雅に動く給仕達。
追い付いたオレに、サクヤは小さく「俺から離れるな」と呟いた。
オレは何となく気圧されて、無言で頷く。
部屋に入った瞬間から、室内の視線が、一斉にサクヤに向かったのを感じた。皆、視線を巧妙に隠し、お互いに談笑を続けている。間合いを測る剣士のような鋭さで、牽制をしあっているようだ。
人々の中から、漆黒のドレスに身を包んだ、一際華やかな女がこちらに近付いてくる。彼女に対して、全員がさりげなく道を譲っている。満場一致で、サクヤの出迎えは彼女と認められたということだろう。
「ああ、サクヤ。来てくださって嬉しいわ。あなたのお顔を見るのが楽しみで、今夜もこの催しを開いたのよ」
「レディ・アリア。相変わらずですね」
「まあ、あなたもよ。いつまで経っても、本当にお若くて羨ましいわ」
にこやかに微笑み合う2人。
表情だけは親しげに見えるが、サクヤの脇に控えたオレは、その空気の冷ややかさに、怖気をふるっていた。
レディ・アリア。
この女が、今夜のオークションの主催者らしい。
グラマーで美しい女であることは事実だった。艶やかな赤い唇は、形が良く、楽しそうに笑っている。胸元の大きく開いた黒いドレスは、まとめた髪とデザインを合わせ、あちこちに真珠が散りばめられている。デザイナーの腕の良さもさることながら、その真珠だけの価値を考えても、非常に高価な代物であることは疑い無い。
美しい。
――しかし、怖い。
師匠と同じだ。笑ってはいるが、笑いながら何をするか分からない、そんな怖さだ。
「今夜は、楽しんでいらしてね。あら、そうそう。ご紹介させていただくわ。ツカサ様。こちらが、かの有名な美貌の商人、サクヤよ」
レディ・アリアが、ふと、近くにいた壮年の男に声をかけた。
髪は豊かで、顔の皺も少ないが、男の眼は老成した様子がある。見た目よりも、年は上のはずだ。衣服の布地も上質で、かなり金を持っている人間であることは疑い無い。
サクヤは、男の方を見て、軽く礼をする。
「サクヤ、こちらは、あの偉大な西方の国、砂の国の大臣たるツカサ様よ。今夜のイベントの目玉を持ち寄ってくださったのが、こちらの方なの」
「――神無器 朔夜です。お目にかかれて嬉しい」
「砂の国の東龍洞 司だ。レディ・アリアの話では、君の商品もさることながら、君自身も大変魅力的だと言うことだったが。噂通りだな」
「恐れ入ります」
ツカサと呼ばれた男は、不躾な視線をサクヤの身体に当てた。サクヤを静かに眺めながら、その実、その身体の値打ちを量っている。
ツカサだけではない。会場のあちこちから、途切れなく当てられる目を、全くものともせずに、サクヤはうっすらと微笑んでいた。
――この場所こそが、高級奴隷商人たる、彼の戦場なのだろう。
「まあ、魅力的はそうかもしれないですけれど。私を前にして、そちらばかり誉められると妬けてしまいますわ。本当のところ、どちらがよろしくて?」
「いや、悩ましいね。この室内の2つの華に、選択を迫られるとは、私も果報者だ」
「まさか、そんなご冗談を。真の華たる女性の麗しさに、私など比べようもありません」
上っ面ばかりの言葉しかないのだが、周りが3人の会話に、何気なく聞き耳をたてているのは見て取れた。
つまりこの夜会形式のオークションは、社交場であり、顧客開拓の場なのだ。商人達は同業者として、ライバルでもあるが、時には商品を都合する協力者でもある。この場で、次に顔を繋げ、太いパイプを作り、恩を売ることが、彼らの目的だ。
客の方は、そう、他では売っていない、ちょっと面白い玩具を手に入れることができる。運が良ければ、他国の重鎮とも顔見知りになれる。実際、どうも商品にはあまり興味なく、仕事目的で来ているようなヤツもいて、先程から精力的に周囲との会話に勤しんでいる。
自分の参加している場の状況を把握する頃には、サクヤの話し相手も、くるくると目まぐるしく替わっていた。砂の国の大臣ツカサから、紹介を受けた他国の重臣、その知り合い、その知り合いの知り合い……と、延々と続いている。
目的は、どうも、皆それぞれのようだ。
サクヤに興味がある者、その商品について問う者、その資産を目当てに商売を持ちかけようとする者、政敵の弱味を探る者……。
なるほど、奴隷商人は、こういう世界を生きるものらしい。
サクヤは、どれの相手も、適度にこなしていた。
普段のような仏頂面では乗り切れないので、時々、お世辞程度に口の端を上げて見せる。それだけで、周囲の空気が格段に温まる。商売モードに入ったサクヤは、普段と比べれば、愛想があるらしい。
そんな様子をオレは、一歩下がって観察する。離れるなと言われたので、折角の会場の豪華な食べ物も取りに行けない。
することもなく、サクヤの様子を見ている内に、ふと気付いた。
どうもあいつは、最初に話をした砂の国の大臣――ツカサと、もう一度話をしたいらしい。目でその姿を追う回数が、他の人間に対してと違うので、一度気付けばあからさまに分かった。ただ、自分も向こうも人に囲まれているので、簡単には抜け出せないようだった。
実は、オレの位置からは、ツカサの姿も良く見える。そちらを見れば、ツカサの方も、こちらを気にしているのが分かる。彼の視線は、サクヤとは少し違う、何となく粘った感じだが、まあ、2人とも当面の目的は一致している。
――2人で話す時間が欲しい、と。
つまり、お互いに抜け出すきっかけがあればいいワケだ。
サクヤが何を企んでいるのかは分からないが、まあ、ちょっとくらいは手伝ってやってもいいだろう。さっき怒らせた罪滅ぼしになるかもしれない。
オレは、さりげなく、ツカサの進行方向に近寄った。
そして、オレの横を通り過ぎようとするツカサに、タイミングを合わせて、軽く肩を当てた。
勢いは十分に殺したので、向こうにとっては、何かが触ったくらいに感じただけだろう。それでも、触れた力に気付いて、ツカサが動きを止めた瞬間に、オレはできるだけ大きな声を出してやる。
「――すみません!」
びっくりした顔を作って、深々と謝ると、声が周囲に響いて、一瞬沈黙が広がった。
オレの声を聞きつけたサクヤが、向こうの人垣を抜けて飛んでくる。
「どうした、カイ? 申し訳ありません、ツカサ様。私の連れが何か不手際を……」
慌てた様子のサクヤを見て、ツカサは薄く笑みを浮かべた。
騒ぎを聞きつけたレディ・アリアも、優雅に素早く、近寄ってくる。
「ああ、君のところのかね。いや、大したことはないのだ。少し肩が触れたくらいだよ」
「それは、大変失礼致しました。お洋服に何か汚れがあってはいけません。レディ・アリア、控え室は……」
「あら、大変。あちらの奥のお部屋をお使いになってね」
「ツカサ様、どうかご一緒に」
サクヤが、レディ・アリアに示された通り、ツカサを部屋の奥にある控え室へと促す。
ツカサは、丁寧なサクヤの様子に、機嫌良く頷くと、その導くままに歩いていった。
そのまま進もうとしたサクヤが、ふと思い付いたように、一瞬こちらを振り返る。右手にまとめて持っていた、料理とグラスをオレに渡してくる。
「カイ、お前は皆様の邪魔にならないように、部屋の隅に行っていなさい」
その口調は、精一杯叱っている様子を模していた。
しかし、ツカサの方を振り向く寸前に、ふと唇の端が上がっていた。
全くもって、こちらもご満悦のようだ。どうやら、この料理は、うまくやったオレへの褒美らしい。
オレは、顔つきだけは神妙に、皿を受け取った。
離れていく2人を見送ってしまうと、ざわついていた会場も、段々と落ち着いていった。
その間をうまく読み、レディ・アリアが良く通る声で、会場の注目を集める。
「皆様、そろそろ今夜のメインのお時間ですわ。本日はお集まりくださり、誠にありがとうございます。今夜の商品はどれも、おいそれと市場には上らないものばかりでしてよ」
朗々と口上を述べると、一瞬、部屋のライトが消えた。
あれ、と思う間もなく、広間の一角に照明が当たる。
ライトに照らされているのは、赤いカーテンのような布の幕だ。その金縁のついた赤い布が、するすると左右に開くと、その奥から、広い舞台が現れた。
舞台の上には、司会役の男が1人。
「さあ、皆様! 今夜のショーの始まりです。どれも劣らず珍しい品々。まずは、類い稀なる美声の歌姫の歌をお聞きいただき、開幕のご挨拶の代わりと致しましょう」
男の示す舞台の袖から、赤いドレスの女が1人、しずしずと中央に歩み出てきた。
彼女が歌姫ということなのだろう。女は見事に着飾っているが、その両手両足と首には、金色の鎖が巻き付いている。鎖には美しい細工が施されているが、枷に間違いない。
女は、悲痛な顔つきで、舞台の中央に立っていたが、やがて、静かに歌い始めた。
オレは、サクヤから渡された飯を、こっそりと壁際で食いながら、その様子を遠巻きに見ていた。
さすがに旨いなあ、これ。各地の富豪や権力者達の、舌を満足させるだけはある。
会場の中央では、さやさやと雑談を交わしながら、舞台の女の値をつけあっている。
どうやらオークションは入札のように、密やかに行われるらしい。周囲を静かに歩く給仕達は、グラスを勧めて回ると同時に、オークションの値札を集める役もしている。
周囲の空気は、まだ初商品、様子見段階とは言え、既に熱している様子だった。
投票札の動き方からすると、非常に活発な値付けが、行われているように感じる。壇上の女の歌には、それなりに価値があるようだ。残念ながら、歌や音楽などの芸術に興味のないオレには、その価値を正しく量ることはできないが。
まあ、あれだ。
オレは従者で、オークションを見に来たワケではなく、サクヤの護衛みたいなものなのだから、別にいいのだ。興味なくても。
そう言えば、サクヤはなかなか戻って来ないな。
何か危険なことがないか、そろそろ見に行った方が良いだろうか。
いや、皿の上の物を食べきってしまって、暇だから、とかそういうことではないんだけど。
いつの間にか歌が終わっていると思ったら、歌姫は舞台から既に下ろされ、落札者の手に渡っていた。
次の商品は、亡国の姫君だそうだ。先頃、隣国に攻め滅ぼされたその小国の名は、確かにオレも知っていた。
舞台の上の異国風の衣装の女は、姫と言われて頷けるだけの気品を持っている。しかし、その打ちひしがれた姿。それに加えて、司会の男の語る、憐憫の情を感じさせる、姫のこれまでの生い立ち。
広間のあちこちで、女性客が姫に同情して、そっと涙を拭っている。
今度は、こういう趣向らしい。
このような出し物が、手を変え品を変え続く、そういうイベントなのか。奴隷を買うときに、その物語も買うということのようだ。
大体、思い出してみると、最初からこの場のヤツらは、誰1人として、『奴隷』という言葉を口にしていない。
それが、このお上品な集まりのルールらしいが、オレから見ると、ただ上っ面を綺麗に塗りたくっただけの、ゲロみたいな集まりだ。
いっそ、欲望のままに、女を買っていると言えばいい。
さっきの歌姫の主人も、今舞台を降りていく姫を、騎士のように待つ男もだ。
そっと涙を拭う女達も、『私じゃなくて良かった』と言えばいい。
ああ、バカバカしい。
「ずいぶんと、冷ややかに見るのね」
横から話し掛けられて、オレは慌てて声の方に向き直った。
誰も見ていないと思っていたが、いつの間にか、誰かが隣に来ていたようだ。注視していないつもりだったが、やはり舞台に気を取られていた自分を叱る。
視線を向けると、それこそ、腕が触れるほど近くに。
レディ・アリアと呼ばれる、黒いドレスの女が立っていた。
2015/06/07 初回投稿
2015/06/12 サブタイトル作成
2015/06/20 段落修正