17 正面からはまともに見れない
【前回までのあらすじ】サクヤと告白し合った直後に変なペーパーバードで誤解を受けたっぽい。はは、これって本当にジェラシーなのかな。オレなんかのことで、本当に? ナチル曰く「さっさと謝れ」なんだけど――謝るべき相手とうまくタイミング合わせられない場合はどうしたら……?
サクヤさんとまともな会話できない状況、本日で一週間目です。
こうも続けば、幾ら楽観的なオレにだって現状がおかしいことくらいは分かる。
前回デイファイの集落に来た時に借りたのと同じ空き家を、オレとサクヤで一緒に使わせてもらってるんだけど。
同じ建物で寝起きしてるのに、ここ数日おはようくらいしか言ってないんだぜ。
どう考えてもおかしい。
朝、目を覚ましたオレが話をしようと近寄るとすぐに「ちょっと出てくる」なんて言ってどっか行ってしまう。
昼に集落の中で行きあっても「じゃ」って一言も交わさない内にすれ違って去って行く。
さらに、夜はオレが寝付いたのを確認してから帰ってきてる。何で確認してるって分かるかというと、寝ずに待ってた夜オレが耐えきれずに寝落ちするまで姿を見せなかったからだ。
絶対おかしい。
そもそも会話ができてないから、オレをスルーするときにサクヤがどんな表情をしてるのかすら良く分からない。
だから、何でそんなことされてんのかも分かんない。
照れてんのか、怒ってんのか。それとも他の理由があるのか。
ナチルが言うように……し、嫉妬してる……のか?
あの人がそんなん全く想像がつかないけど……もしそうなら。もし本当にオレをそういう対象としてみてるなら。
……ちょっとだけ嬉しかったりして。
それでまあ、そんな気持ちもあって、今まで本格的に問題解決には乗り出さなかったんだけど……話も出来ない時間が延びるにつれて寂し……いや、いやいや違う! その……つまり、あの……何か腹が立ってきたってことだよ、多分。
確かに忙しいのは事実だ。
この一週間、黒猫や白狼とともにエイジを囲んで、転移の場所やタイミングなんて細かい話を突き詰めていれば、それなりの問題も色々と出てくることも分かってる。
だけどここまで一緒にいる時間がないのは、やっぱり避けられてるとしか思えない。
何でだよ。
あんたはオレが好きで。
オレはあんたが好きなんだから、晴れて両思いってことじゃないのか。
一生一緒にいるって誓った相手としては、ナチルの言ったように何か怒ってるんだとしたら、きっちり言って欲しいもんだけど……。
悩んでるオレの背後から、慌てた足音が聞こえてきた。
「――あ、いた! カイ、ちょっと」
同胞達の前では決してあらわさない取り乱した声は、黒猫の長老トラだった。
振り向くと白いローブの裾を纏わりつかせながら、走りにくそうに近付いてきてるちょっとばかり頼りない黒猫の姿が見える。
何とも言えない混乱した表情で、オレに向かって掴みかかるように叫んでる。
「ねぇ、何か人間が来てるんだけど」
「人間? また攻めて来たのか?」
無意識に腰の剣を握りしめながら答えると、トラは大きく頭を左右に振った。
「違うよ! 武装もしてないしたった2人で集落の入り口まで来て――何か、王子と公爵令嬢だって名乗ってるの! しかもカイの友達と恋人だって……!」
どうやら最後の言葉が気になって、黒猫達も無闇に襲いかかったり出来ず、どう処理すべきか判断に迷ったらしい。
王子と公爵令嬢の知り合いなんて、オレには――いなくはないから、困る。
だけどそれはあくまで知り合い、顔見知り。敵陣にまで分け入って、わざわざ尋ねてくるような『友達』や『恋人』なんて相手じゃないんだけど……。
思い当たりはある、ってことにオレの表情で気付いたらしい。
トラははたはたと両手を振って、混乱を全面に出しながら――その裏でどっか楽しそうにしてるのが透けて見えるような顔で――オレに判断を仰いだ。
「ど、どうするの!? どっち! どっちを選ぶの!? 何これ、すごい熱い対決カードだよ!」
何と何が熱いのか、聞く気にはなれない。トラの慌てた様子には野次馬根性、なんてものが多分に混じってることにようやく気付いた。
キラキラした瞳が何かを期待してオレを見てるけど……絶対答えてなんかやるもんか!
うんざりした気分で無言を貫いたまま、トラを置いて集落の入り口に向かった。
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結構な人だかりなので、遠くから見ても良く分かった。
集落の入り口に、黒猫達に囲まれた2人のニンゲン――スバル王子とエリカ嬢が立っている。
ついでに、それに対峙するように彼らの進行方向を塞いで腕を組んで立ってるのが白狼の女王。その向こうに、いつものマントも着てない簡素な姿でサクヤが木に背をもたせかけている。
スバルとエリカは供も連れてないけど、上流階級らしい見事な旅装を整えている。あっさりした衣服の女王やサクヤは、近くにいればみすぼらしく見えてもおかしくないのに……全然そんな風には見えなかった。守り手たちの堂々たる風情は、これっぽっちもニンゲン達に負けてない。
まあ、サクヤに関しては……そこに身内びいきがあったかも知れない、と可能性だけは肯定しておこうと思う。
輪の中の誰よりもその姿がくっきりと光って見えただなんて、恥ずかしくて言いたくない。
「――カイ様!」
「――カイさん!」
だけどオレの姿を見て、瞳を輝かせながら名前を呼んでくれたのは、ニンゲン達の方だった。
女王はにやにやと笑うだけ、サクヤに至ってはチラリとこちらを見て、オレが近寄って来てることだけ確認するとすぐに前方に視線を戻してしまった。
「カイ様、お会いしたかった……」
消え入るような語尾に含まれてる背筋が寒くなる風情は――何なのこれ。何であんな別れ方したオレがこんな風に言われなきゃいけないの? オレ、本当にこの人苦手だわ。
「あーあ、あなたもレディ・アリアもヒドいですよ。エリカさまったらあなたにご執心なんですから……絶対にライバルにはならない、なんて言ってたのに」
王子らしくない甘えた感じで口を尖らせるスバルに、オレはぎこちなく微笑み返してみせた。
今でもライバルのつもりなんかない。出来たらさっさと連れて帰って欲しい。
そんなオレ達の様子を見て、サクヤは眉を寄せている。
女王が面白そうに笑ってオレの肩を突いた。
「へえ、随分と仲良しじゃないか。本当に親友と恋人ってことなのかな?」
「おい、止めろ」
「どうした、何を慌てているのだ?」
「あんた分かってて言ってるだろ」
突っ込んだオレにケラケラ笑ってから、サクヤに向かってウインクを投げる。
「ほらな、私が言った通りだろう。カイに後ろ暗いところはない」
「……別に疑ってた訳じゃない」
そのやり取りからすると、オレが到着するまで女王はオレをフォローしてくれていたらしい。
まあ、いつもの彼女の様子からすると、フォローというよりサクヤをからかって遊んでたってとこだろう。オレが来たから標的がオレに移っただけ。お礼を言うとこでもなさそうなので、オレは黙って聞き流した。
答えるサクヤの言葉は強がりのようにも聞こえたけど……サクヤがそう言うなら、それが事実に違いない。
あいつが嘘をつくことはないはずだ。
オレを疑ってたワケじゃない。じゃあ――
「――じゃあ、あんた何で怒ってんの?」
いてもたってもいられなくなって問いかけると、サクヤはこちらを見ないまま吐き捨てるように囁いた。
「別に怒ってない」
「何でオレを避ける?」
「言う必要ない」
「ちょっとこっち見てみろよ!」
近寄って腕を引くと、一瞬だけ揺れた瞳がオレを見た。
その意味を考えている間に、エリカがオレの後ろから声をかけてくる。
「カイ様、聞いて下さい。私、心を入れ替えたのですよ……」
その哀れっぽい声に気を取られて、何と応えようか悩みつつ振り返った。
や、どっちかと言うと苦手なタイプではあるけど、やっぱ可哀想だなぁ、とは思うワケだよ。
その隙を突いて、サクヤはオレの手を振り払う。
「お前との話は今は良い。それより、早くそっちを片付けろ」
青い瞳がちらりと向けた視線を、受けたエリカは敏感に反応した。
きっと目尻を釣り上げてオレを見る。
「カイ様。そちらの方はどなたですか?」
「えっと……オレの旅のツレで……」
「人生の伴侶だろ」
さらっとサクヤが言った言葉に、周囲の黒猫達がざわめき口笛を鳴らした。
ぶふっ、なんて可愛くない音をたてて息を漏らしたのは、白狼の女王。
オレだって何か顔が赤くなるって言うのに。
サクヤときたらまるっきり真面目な表情を崩さない。
――つまり、言葉の深い意味を全く考えてないんだろう。旅だけじゃない、人生の伴侶だろ、って思ったことを言っただけ。
伴侶って言うと、普通は配偶者とかそういう方が先に出てくるんだけどなぁ。
ヒートアップする周囲とサクヤを睨み付けて、エリカがわなわなと手を震わせる。
「――カイ様!」
そんな浮気男を見るような目で見られても困るって。
オレはあんたのこと一度たりとも好きだなんて思ったことないんだから。
だけど、それを言えばこの空気はますます過熱しそうだ。
今でさえ獣人達はやばい位盛り上がってる。
今にも結婚の祭りが始まりそうな周囲の空気をどうしようかと悩みながら見ていたら、予想外の方向からフォローが入ってきた。
「サクヤさん、あまりエリカ様を挑発しないでくださいよ。本当に人が悪いんだから……」
苦笑しながらサクヤを窘めたのはスバルだった。
サクヤはそれを聞いてもさしたる反応もない。
ただ黙ってスバルを見返す。
その真顔っぷりったら。
やっぱりさっきの言葉は挑発とか冗談とかじゃなくて本気だったみたい。
それを喜ぶべきか、呆れるべきかはよく分からないけど。
大体、『人生の伴侶』なんてすらっと言えるのに、この一週間、何でオレを避けてるんだよ……?
スバルは穏やかな微笑みを崩さないまま、エリカに向けて微笑んで見せる。
「大丈夫ですよ、エリカ様。この方、こう見えても男性ですから」
「だ、男性……?」
「ええ。先日の夜会にいらしてた時は、スーツをお召になってました。本業は奴隷商人なのだとか」
「奴隷商人……? そう言えば、カイ様と初めてお会いした夜、こちらの方もいらしたかしら……」
エリカの表情が和らいで、おずおずと視線がサクヤに向けられた。
少し上目遣いに窺う視線に、サクヤは一瞬あからさまに面倒そうな表情を浮かべた。
だけどそんなのはたった一瞬。
直後に全くの無表情に戻って、もたれていた木から離れると、そのままうっすらと微笑みを浮かべながらエリカに歩み寄った。
いや、ぱっと見は微笑んでいるように見えるかもしれない。
でも、この人の表情の変化を良く理解してるオレからすれば――これは、一般的には冷笑と言われる類の感情だ。
エリカの正面まで足を運ぶと、軽くお辞儀をする。
「麻里公爵家のご令嬢ですね。あなたのお目にかかったのは初めてですが……父上とは何度か取引をさせて頂いたことがありますよ。麗しいお嬢様がいらっしゃるとは以前よりお聞きしていました。初めまして、神無器 朔夜です」
挨拶の言葉に対して、エリカはそっと指先を差し出した。
ゆるゆると視線を上げながら小さく笑ったサクヤは、その手を支えてもう一度頭を下げ、指先に口元を近付けてキスのまねごとをして見せる。
エリカはそんなサクヤの首筋を見下ろしながら……少しばかり頬を染めた。
ああ、なるほど。
ナチルが言ってたのはこういうことか。
つまりエリカは……ちょっと冒険がしてみたいだけなんだろう。
自分の周囲にいないタイプと、物語の中のような恋愛ごっこを。
相手が誰でも構わないけどオレと一緒にいた時が一番刺激的だったから、妄想が進んだってだけか。
「サクヤ様……ですね。覚えましたわ」
「恐れ入ります。エリカ嬢、お聞きしていた通りの美しさでした。さて、スバル王子。お召しの通りカイも来ましたので、俺はこれで」
「ええ、出来れば早く美しいエリカ様の手を離して、距離を置いて頂きたいものです」
あくまで冗談めかして言うその言葉に、ちらりと本気を覗かせるところがスバルらしいやり口だ。
エリカがスバルの方を軽く睨み付けたが、スバルは視線を逸らして、これまた王子サマには似つかわしくない雑な感じで口笛を吹く真似をした。
そのままエリカの手を離して踵を返そうとするサクヤを、オレは慌てて手を引いて止める。
「――サクヤ!」
「邪魔だ」
怒りと言うよりこの場を逃せばもう会えないなんて焦りで、ぱしんと弾かれた手を、もう一度取り直して引いた。
「何なんだよ、あんた! こないだからずっとオレを避けて――オレにラブレターが来るのがそんなに嫌なのか? 大丈夫だよ、オレはあんたと一緒にいるって言ってるだろ。信じれないなら何回だって言ってやるし、あんたの為ならラブレターだってその場で破り捨てても構わないんだから……」
何かほら、嬉しいような恥ずかしいような感じで、オレの声は無意識の内に上擦った。
エリカには聞こえないように、出来るだけ声を抑えながら。
声とは逆に、握りしめた手にはちょっと力が入り過ぎてしまったかもしれないけど、構うもんか。
やきもちやくなら、どうせなら、この場で。
皆の前でやいてみせろよ。
そんな――何て言うか、ちょっと誇らしいくらいの気持ちで言ってみたんだけど。
返ってきたのは拍子抜けするような声だった。
「……ラブレター? ああ、こないだのアレか……」
あくまでオレの方を見ないまま、サクヤはため息をつく。
「あんなものはどうでも良い。気分が良いとは言わないが……俺はお前のことを信じると言った。お前が女に手を出すなんて有り得ないから、どうせまた変な手に引っかかってるだけだろ。恋文を貰うなんてお前にとっては良い思い出だろうから取っておいても良いが、下手を打つなよ」
それは、何だかとっても呆れたような声だった。
予想では勢いでキャンキャン言い返してくるか、オレの素敵な誓いにうっとりしてくるかと思ってたので……何かオレも拍子抜けした。
あれ? アキラさん、ナチルさん。
これ、全然ジェラシーじゃないと思いますよ?
こんな普通に言い返されると……今頃サクヤは何考えてるのか、なんてちょっと浮かれてた自分がアホみたいじゃないか。
「……えぇ!? じゃ、じゃあ何なんだよ! あんた何でオレを避けてんの!?」
恥ずかし紛れで少しばかり乱暴に、顔を伏せたままのサクヤの顎を取って無理やり上げさせる。
眼が合った瞬間――今にも泣き出しそうな潤んだ眼をしていたので、ものすごくびっくりした。
「――な、何で泣いてんの!?」
「……泣いてない……」
力なく呟く間にも、見る間に首筋から頬にかけて朱が走って――最終的に真っ赤になる。
「んな――ちょっと!?」
狼狽した隙に、手を振り払われて。
今度こそ踵を返したサクヤが、ぼそりと呟いた。
「……お前の顔見ると、したくなって、今は正面からまともに見れないから……しばらく放っておいて……」
え、何言ってんだ、あんた――なんて問いかける前に、駆け出したサクヤの背中は木々の向こうに紛れていった。
「したくなる」って何だよ? 何をしたいって言うんだ。
今の表情。あんなの見たら、むしろ。
オレの方が――
「――あの、カイ様。今サクヤさんと何を言い合っていらっしゃったの? お声が小さくて良く聞こえなくて……」
オレの背後から、本気で分かってない様子のエリカが声をかけてきた。
その声ではっと気付いて、今の剥き出し過ぎるやり取りの恥ずかしさに思い当たる。
だけど、どうやら小声だった為に、周辺のニンゲンには聞こえてなかったらしい――?
改めて周囲を見回せば、エリカとスバル以外の黒猫達は皆にやにやしていた。
オレと眼が合う度にちらちらわざとらしく逸らされる。
――はい、そうでした。
獣人は視覚も聴覚も人間より優れているんでした。
ぶはぁっ、と豪快に吹き出した女王の笑い声につられるように、あちこちから失笑が漏れる。
「あはは、す、すまんな、カイ。多分、巫女どののアレは私のせい――ぶふぅっ」
女王が何か言おうとしては失敗して、その度に盛大に吹いている。
もう、誰のせいでも良いけど……あんた、笑いすぎて鼻水垂れてる。
幾らなんでもそんなに笑わなくても良いだろうがっ!
あちこちから聞こえてくる笑い声に囲まれて、絶望的な思いでオレは頭を抱えた。
もう……正面からまともに顔を上げる気力は、ない。
2016/04/15 初回投稿