13 いつだって勢いだけが本当のことを言う
【前回までのあらすじ】選択を迫られたサクヤは、正しく身体の持ち主についてのみ言及した。だけどそれに納得出来ないノゾミが、引っ掻き回したサクヤの心の中で見付けたのは――
ノゾミの声が聞こえてきたのは多分この部屋だと思う。
扉にはプレートがかかっているけど、そこに文字は書かれていなかった。きっとサクヤはその関係をどうとも名付けてないんだろう。
だけど中に入って、そこに並んでる情報を見回せば何となく分かる。
義姉や同胞。
エイジのこと、師匠のこと、アサギのこと。
多分、オレの感覚による分類だと『家族』に近い。そんな人達のことをしまってある部屋なんだ。
そして、ノゾミとのことも。
そういう人たちと一緒に、そこに置いてあった。
【嘘だ、違う、違う! こんなの!】
【こんなとこに置いてあるなんておかしい!】
家族という名のそれだって特別な絆。
だけどノゾミにとっては求めていたものじゃなかったらしい。
自分への思いに触れられないまま、ただ叫び続けている。
【だってカイは、1人だけ特別だったじゃないか――】
そんなノゾミの声に合わせるように、別の触手が他所から暴き出してきたモノを引きずって入ってきた。
ずいぶん柔らかそうできらきら透ける雲のようなソレは。
触れてみて分かった。
それは、紺碧の細い糸で編まれたレェス。
繊細に煌めく、オレ、への気持ちだった。
ノゾミがそれをどこから持ち出してきたのかなんて、現場を見てないオレにだって、その特別な輝きだけで分かってしまう。
ちょっと笑ってオレのことを見る時の持ち主の瞳みたいな色をした柔らかいレェス。
触れればそれは、憧れに近い優しい感情を伝えてくる。
オレがサクヤに対して顔をしかめて窘める時の記憶や、庇うように前に立ち言を短く言い切る時の背中……そんなオレに対する視線。
多分このレェスに編み込まれてる幾たびもの瞬間、この人はこんな眼でオレを見てたんだ――。
【――何でだよ、サクヤ!?】
【オレとこいつと――何が違うっていうの!?】
【オレの方が全然あんたに優しかっただろう!?】
叫びながら破かれてレェスが破片になっていく。
ノゾミの狂乱する姿は痛々しい。その気持ちだって分かり過ぎる。
逆の立場だったら、と思うと。
だけど、だからと言って――いや、だからこそ。
気持ちが分かるからこそ。
許せない。
(止めろ! あんた本当にサクヤのこと好きなのか!?)
(勝手に決めつけて、勝手に暴いて)
(あいつの尊厳ってものは認めないのか!)
止めるオレを振り払って、ノゾミの触手がレェスを剥がしていく。
輝かしいソレの中に詰まってたのは、同じようなレェスの塊なんかじゃなくて。
綺麗なもの。汚いもの。一言で言い表せない色んな。
愛情や嫉妬や恐怖や執着。
焦り、憧れ、敬い、怯え。
何もかもがごったになって、それでもその先を求める――土くれから育つ花のような存在。
多分、オレが一生懸命水を遣り続けた、その美しい――
【――ふざけんなぁ!】
苛立つ声とともに、ノゾミの触手が白く輝く花弁に伸びた。
【違う! 違う、こんなの!】
【オレが好きなサクヤはこんなもの持ってない――】
触手の先が、その花を掠めようとした瞬間に――
――それに触れることは、許さない。
聞き慣れた甘い声が冷たく響いて。
オレとノゾミは一緒くたに建物から弾き出された――
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弾き出された途端に、眼を見開いた。
「え!? な、ちょ――サクヤ!?」
オレの上に馬乗りになってはぁはぁと荒い息を吐いてるサクヤのシャツは幾つもボタンが外れていて、胸の谷間がしっかり見えている。いや、谷間どころか……
「カイ……お前、俺の中に入ったな……」
オレの胸元をなぞりながら、はあ、と息を吐く姿も普段の数倍艶めかしい。
慌ててその手を払いのけようとして、自分の片手がサクヤのシャツの中に入り込んでることに気付いた。
手のひらに当たる何かめちゃくちゃ柔らかい感触にびっくりして、咄嗟に力が入った手のひらでソレを握りつぶしそうになる。
「――っん――」
その声に、ぞくり、とした。
痛そうに眉を顰めた表情が、とてつもなく――
【――ヤ、メ、ロ】
脳内に響いたノゾミの声ではっと我に返る。
ヘンなこと考えてそうになったけど、それどころじゃない。
一緒に弾き出されたノゾミを探さなくては。
自分の頭の中を端から端まで探索して――ようやくノゾミの成れの果てを見付けた。
さっきまで堂々とオレの中央を占めていたのに、既に抵抗する力もない。親とはぐれた迷子のように小さくなって泣いているようなノゾミに、少しだけ憐れみを感じた。
【何で……? オレを選ぶはずなんだ……】
【あんたなんかより、ずっと長いこと見てたのに】
本当に、何でだろう。
時間でも、会った回数でもなくて。
その疑問に答えられるのは、多分たった一人だけ。
そして、その人に問う機会はあんたにはもうない。
恨みはないが――譲れないものは譲れない。
あいつがどう思ってようと、あんたのやり方は間違ってる。
だから、ここでお別れだ。
選ばれなかったもう1人のオレを力尽くでぐるぐるに縛って、頭の中の倉庫に放り込んだ。倉庫にしっかりと鍵をかけた瞬間に――長く尾を引くようなノゾミの甲高い悲鳴とともに――突然、全てを理解した。
ノゾミの、今までの人生。
抱えてた気持ち。憧れ。賛美。
焦がれてたまらないその人の訪れを、ひたすらに待つ長い時間。
身体全身で寄りかかり、受け止められた記憶。
その全ての情報を、手に入れた。
まるで一冊の本を読むように。
探せばどんな情報でも。
きっと、もしまだ本当の意味でノゾミちゃんが生きてたなら、この本には愛情というタイトルを付けることも出来ただろう。
やり方はオレと違うし全然認められないけど、自分の身体も思いも時間も全部かけてサクヤに捧げる。それは愛の一種ではある。
だけどこれを読み返すに、それが本格的にズレ始めたのは黄金竜の力を手に入れてからのようだった。
もっと言えば、その力を使って初めてヒトの身体を乗っ取った後から。
元々サクヤにしか執着ないヤツだったようだけど、その後のノゾミちゃんの行動はあまりにも躊躇がなさすぎる。
他人の人格を全く考慮せず、ただ自分の道具としてのみ認識する。
ノゾミにとって他人は、自分が永遠に生きるための器でしかない。
それに……大事だったはずのサクヤですら、意に添わねば酷く中身を掻き乱すことも出来てしまう。
――もしもそれが、その力によってもたらされた変化なのだとしたら。
黄金竜の力。
人間が持つには過ぎた力なのだろうか。
ノゾミからその力を引き継いだオレは、そもそもこれを使って永遠に生きようとは思わない。
たとえ、この後サクヤを一人にすることが分かってて。
それがどんなに可哀そうに思えても。
オレにとって『永遠』はオレが与えられた時間じゃないんだ。
とにかくノゾミを抑え込んだところで、ひとまず安堵した。
ふぅ、と息を吐いて戻ってきた現実のオレの胸の上に、馬乗りになっていたサクヤの上半身が倒れ込んでくる。
慌てて支えようと力を入れた手は相変わらずシャツの中なので、それ以上力を込めて押せなくなってしまった。
自分の胸とサクヤのソレに挟まれたオレの右手に、柔らかい圧力がかかってる。
「サ……!? や……あの……!」
今まで一度も直接触ったことのない感触に何を言えばいいか分からなくて、そもそも自分の手を1ミリでも動かして良いものかも分からなくて、口ごもったオレを無視して。
胸元のサクヤが。
「……俺の中の、全部見たなら分かってるんだろ」
と、囁いた。
サクヤの心の中にしまってあったオレへの気持ちを思い出して。
それを今、ここで言う意味を考えて。
多分、その言葉で。
理性の糸が切れた音を聞いた気がする。
もう無理。
これ、もう限界だろ。
だってこれ、「いいよ」ってことだよな!?
一気に身体を入れ替えて、横たえたサクヤの上に自分が覆いかぶさる。
うっとりと見上げてくる視線を受けて、止まらなくなった。
ずっとシャツの中に突っ込んだままの手に力を入れて揉みしだこうと――した瞬間に、手の中の柔らかいものが突如なくなった。
すかっ、と指先がさっきまで掴んでたものを見失って空を切る。
慌ててサクヤのシャツの中をごそごそ探ったけど、残ってるのはすべすべしててもさっきとは違う平らで硬い触感だけ。
「……あぁ、傷が治ったな」
低く落ち着いた声が喉元で響く。
しばし見つめ合って沈黙した。
ぴよぴよと、どこかの木の上で鳥が鳴いている。
「……え? 何で今……?」
呆然としてしまってそれ以上の言葉が出てこない。
諦めきれなくて、いつまでもぺたぺたとシャツの中でぺったんこの胸板を触っていたら、真下から真剣な表情をした青い眼が見上げてきた。
「とりあえず、キスだけでもするか?」
「――しねぇよ!」
叫びながらシャツから手を抜いて身体を起こしたけど……何かもう……何かもう色々言いたいことがあり過ぎて、泣きたくなってきた。
岩の上に座り込んで肩を落としてるオレの背中に、サクヤの声がかかる。
「……落ち込むのは勝手だが、状況を説明してほしい。俺はお前と違ってお前の考えてること全部分かる訳じゃないんだ。――ノゾミはどうなった?」
あんたね、こっちはそんな簡単に切り替えれないんだよ! ――とこの無念さを叫び返したかったけど。
サクヤの声にはどうしようもない心配が滲んでいた。
それでようやく、今のは自分の一人相撲だってことに思い当たった。
そりゃそうだな。愛する家族の無事を気にしながら、まさかそんな気にはならないよ。いや、そもそもこの人第二誓約あるんだって……都合よく忘れたくなるけどさ。
ゆっくりと息を吐いて、肺の中の空気とともに色々な思いを外へ吐き出した。
振り返り、サクヤの眼を見ながら答える。
「ノゾミは……ごめん。オレの中にいるのはいるけど……もう、あんたと話すことは出来ない。この身体をノゾミに使わせることもない」
もっと正確に言うなら、こうなる前にノゾミちゃんが言ってたヤツ。
何も考えなくて良い、苦しみのない世界って。
あれは本当だったみたいだ。
きっと今ノゾミちゃんは何も見ずに眠っているのだろう。
多分それはすごく『死』というものに近いはずだ。
でも、ノゾミちゃんのことを心配するサクヤにそこまで言うことは出来なくて、さらっと綺麗な上っ面だけを答えた。
それでも幾ばくかの不穏さは伝わったらしい。
無言のまま俯いて顔を上げない。
「……サクヤ」
名前を呼ぶと、サクヤはちらりとオレを見た。
「今、俺の考えてること、読めるか?」
オレ、この力あんま好きじゃない。
余程のことがないと使いたくない。
余程っていうのは、相手がヒデトみたいに同じ手段で来る場合ってことで、だってそうじゃなければ……頭の中って本当は誰にも見せる予定がないはずの場所だ。何て言うか、無理やり下着を剥ぎ取るような。こっそりと着替えを覗き見るような、嫌な気持ち。
だからあんまり人の中に入ったりしたくないんだけど、問われたので一応確認する。
ノゾミのしていたようにサクヤの中に入り込もうとして――その手前でガラスみたいな無味無臭無色透明な何かに弾かれた。
「……あんたプロテクトかけただろ。全然読めない」
オレの言葉にほっとしたように頷くと、サクヤは再び顔を伏せてしまった。
こちらを見ないまま、絞り出すように囁く。
「でも、さっき俺の中を見た時――分かっただろ?」
何を、と言わなくても、それがあの美しい花のような『想い』を指しているんだって知っていた。あれがサクヤの中ですごく特別なモノだって、見ただけで分かった。
ついでに、これを口にすれば、蹴りを食らわされるだろうってことも。
「なあ、あれってさ。あんた、オレを選んでくれたのは――」
――同情でも、正義感でもなくて。
あの真っすぐ過ぎる断罪は、もしかして多分。
この身体がどっちのものかなんて、分かってて――?
言いかけたところで、オレの脛に向かって重たいブーツの底が向かってきた。
事前に予測してたオレはうまいタイミングで足を上げて避けた。今までこんだけ同じ攻撃食らってれば、さすがにこれくらい出来るようになる。
きっと……5回に1回位は。
足がスカったことで、サクヤが青い眼を見開いてびくりとオレを見上げてきた。完全に予想外って、ものすごくびっくりした顔をしてるのが可愛くて。
あんまりそれが可愛かったので、オレ、うっかり言ってしまったんだ。
「そんな気にすんなよ。どうせオレも、あんたのことすごく好きだから」
なんて、誰にもどうしようもないことを。
2016/04/01 初回投稿
2016/04/04 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更




