12 しまってあるもの
【前回までのあらすじ】オレかノゾミか。ついにオレは、サクヤに選択を迫った。サクヤの心に伸ばしたノゾミの触手が、その正方形の遺跡のような心の壁を撫で回しているのを感じながら――
混乱するサクヤを落ち着かせるように、ノゾミの触手がサクヤの心――大理石で出来た建物の表面を撫で続けている。
硬質で冷たい感触をオレまでが実物のように感じることが出来るのが、ノゾミの――黄金竜の力なんだろう。
現実の身体の方もさすがに黄金竜の力は凄まじい。必死で抗っているのに、オレは支配権を完全には取り返せないでいる。
まだオレ自身の意識が残っていても、両手が勝手に動いてサクヤの柔らかい髪に指先を絡ませてしまう。
「どっちかを選ぶってどういうことだ? お前はカイ、だよな?」
どう説明しようかと迷っているうちに、その場所を踏み締めたノゾミが先に答えた。
「そう、さっきまではカイ。だけど今話してるのはオレ――ノゾミだよ。女王の説明、聞いてただろ? オレはヴァリィの力を持ってるんだ」
「ノゾミ……ヴァリィ族だったのか? そんなこと全然気付かなかった」
「まあ、細かい説明省くけど、ヒデトと一緒なんだ。ヴァリィに乗っ取られそうになって逆侵食したの。だからヴァリィの力を今はオレ自身が使えてる」
サクヤの心の壁が、まだ青い果物のような酸味で覆われていき、ノゾミの触手を縮こまらせる。
ちりりと唾液を刺激するのは、警戒と疑問。
硬質な拒絶。
中に詰まった甘みを味わいたい触手は、恐る恐る壁を叩いては酸味に閉口してびくりとした。
現実の腕の中のサクヤの髪を梳きながら、ノゾミがそっと囁く。
「ねぇサクヤ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。オレはヴァリィの力を完全に支配した。これがあれば、この後のヒデトとの戦いでもオレきっと役に立てる。それにさ……オレ、あんたに会うためにこうして生きてきたんだ。ずっとあんたのこと見てた。でもあんたはオレに気付かないから、今まで何も言えなくて寂しかったよ……」
「ノゾミ……」
心の壁が徐々に警戒をひっこめていく。
かわりに満ちてきた同情の重ったるい雫は濃くて苦甘い。まるでミルクとはちみつ入れすぎたコーヒーみたい。なのにそんなものがノゾミの触手にとってはすっごく美味しいらしい。
同情なんて、と蔑む端で、そんなのでも良いからオレのことも見てくれと、オレの心の奥の奥で求めてる。
【あんたもマネするつもりかよ?】
【「同情されて恥ずかしくないのか」って】
【そっくりそのまま返してやろうか?】
ノゾミがそんなオレに気付いて牽制の声を上げるけど……言われなくてもノゾミちゃんのようには、オレには出来ない。
だからこそ。
物欲しげにサクヤの心を押すそのやり方が、腹立たしくて仕方ない。
サクヤの心の味に熱中してるノゾミの隙を突いてその場所を奪い取ったオレは、自分の言おうとしてることの残酷さで、サクヤの顔を見ることも出来ないまま呟いた。
「ヴァリィの力を持つノゾミと、オレに共存の道はない。どちらかが生き残り、どちらかが消えるしかない。あんたには嫌なことを押し付けるけど……頼む、選んでくれ。多分、他の誰より」
「カイ……」
「誰より、あんたの選択がオレ達にとっては大事なんだ……」
きっと。
エイジや師匠がどちらを選ぼうと。
サラやアサギが何を言うとしても。
あんたの言葉が全てに優先する。
ヴァリイの力は、想いの力だから。
困惑の苦味と同情の重さが混ざり合う中で、サクヤの心が一際強く。
「どちらかが消える」。
「俺が選ぶ」と。
自分に言い聞かせるようにそのフレーズを繰り返してる。
凍り付いたように冷えきった心の外壁を温めようと、ノゾミの触手がすり寄った。
選択を迫れば傷付けることになると分かってて、それを突き付けてしまった自分を嫌悪する。
そして、嫌悪した途端にうかうかとその場所を掬い取られる。
「……ねえ、どんな結果を出してもあんたのこと愛してるよ。オレ、覚悟してる。どうなったとしても最後にあんたに一目会えて嬉しかった。あんたがこうしてオレの名前を呼んでくれて」
優しい優しい声で囁きながら、ノゾミの心がこっそりとオレだけに嘲笑を覗かせた。
選択を迫るのがオレ、選べなくて落ち込むサクヤを慰めるのがノゾミ。そういう役割分担なのだと、その嫌な笑いが何より雄弁に語っている。
否が応でもやらざるを得ないこと、楽しくなくても生き抜くためには知らねばならないこと。
いつだってそういうことを回避して、サクヤを甘やかしたくってたのと同じ理由で。
同情を煽るような、自分の傷をちらつかせるような。
オレには絶対に出来ないやり方で、ノゾミは自分を選べとサクヤを唆す。
サクヤは一度眼を伏せてから、黙ったままオレの身体に手を回した。
柔らかい胸を押し付けながらしがみついてくる。
「サクヤ……」
腕の中の体温を感じて、溜息をつくようにその名前を呼んだのはオレかノゾミか。
もう、オレ達自身にも分からなかった。
だけど、さっきからオレ達の声を完璧に聞き分けてるサクヤには分かったらしい。
ぴくりと肩が動いて、オレの喉元に押し付けるように顔を埋めた。
そのままほとんど息だけで、掠れた声で問うてきた。
「……教えてくれ。この身体は、誰のだ?」
質問に組み込まれた嫌な予感で、ぴしり、とノゾミの思考が固まりその場所から注意が外れる。その隙に奪い取ったオレが小声で答えた。
「……ごめん。オレのだ」
答えを聞いたサクヤの身体が小さく跳ねる。
オレの首元で浅い呼吸を繰り返してるその表情は見えないけど。
今までゆるゆると開かれていたサクヤの心が、一気に弾くようにノゾミの触手をシャットアウトしたのを感じた。
壁から跳ね飛ばされたノゾミが大量の疑問符を抱えて、おろおろと建物の周辺を覗き回ってる。
一生懸命に次に来るはずの言葉を否定しようとして。
でも、サクヤが何を尋ねたのか、もうオレにだって分かってるから。
ノゾミはただ認めたくないだけだ。
ノゾミが何かを問うより先に、はっきりとした言葉でサクヤの答えが返ってくる。
「――それがカイの身体なら、カイが。その生を全うすべきだ」
感情を乗せない冷たい声で。
言い切られた途端にノゾミの力が抜けたのが分かった。
その場所がオレの手に渡る。
混乱したノゾミの感情が暴風のように吹き荒れてオレを翻弄するけど、名前を呼ばれたオレにはもうそんなものは何でもない。
ようやく自分の身体が自分だけのものだった感覚が戻ってきた。オレの動くことに抗わないオレの身体。
自由になった両手でオレはサクヤの肩を掴んだ。
選ばれた感激なんかじゃない――困惑と怒りで。
身体を引き剥がして顔を覗き込もうとしたけど、逆に腕に力を込めて抱き締められた。
「止めて。頼むから……見るな」
擦り付けるように鼻先を鎖骨に当てられて、余計に腹が立った。
何故――!
あんたが選ぶのは、本当にオレで良いのか!?
そんな理性と正義感で選んだような答えで満足なのか!?
何の同情でオレを――
オレの声に上乗せするように、頭の中でノゾミも叫ぶ。
【――何の同情でカイを選んだ!?】
【あんたが選ぶのは、オレだろ――!】
伸ばした触手がサクヤの心の建物を何重にも巻き上げながら絡め取る。
選ばれなかったことで力が弱まってるはずなのに、後のことを考慮しないノゾミの最後の抵抗は、精神操作の不慣れなオレの力も、その表面に触れることすら拒否してるサクヤの拒絶をも、一時的に上回った。
オレの必死の妨害をすり抜けて、ぞわりと蠢いたそれ、が。
先端を尖らせて、四方からサクヤの心の扉を突き抜ける。
「――っあ!?」
鍵をかけたまま誰が入ることも想定していなかった、その心の。
中央を刺し貫かれた痛みに、オレにしがみついていた身体が仰け反った。
「サクヤ――」
覗き込んだ瞳は衝撃で見開かれ、オレを見ていない。
意識が飛びそうになってる。慌てて揺さぶった。
【オレを――カイじゃない、オレを!】
【オレを選んでくれよ、サクヤ――!】
「バカ! ノゾミ、止めろ!」
【知るか! サクヤだって本当は――本当はオレのことを――】
【探してやる! あんなの表向きの言葉だ!】
【絶対どっかでオレの方を愛してるはずだ!】
ぐちゅぐちゅと建物の中に直接入り込んだそれが、自分を選ぶ気持ちを探してサクヤを掻き回し続ける。
「……っ、あっ!?」
現実のサクヤの身体が、乱暴な動きで心を傷付けられて跳ねた。
オレはそれを抱きながら、頭の中でノゾミの触手を追い掛ける。
先行するノゾミが手当り次第に散らかしながら進んでる建物の中は覗き込んだだけでも外側以上に熱くて、サクヤの中身がいっぱい置かれていた。
ノゾミによって無残に抉り開かれた隙間から中に踏み込めば、出入り口の近くには直近の出来事や気持ちが無造作に置かれている。フォルダに分類出来ないまだ記憶に新しいものや、誰に見られても恥ずかしくないような警戒のないものが全て。
床に置かれた箱の中には、コーヒーを飲むときの気を抜いたひととき。
扉の向こう、硬いレンガのように積み上げられた責任感。
観葉植物のように部屋の隅に置かれて育つ、ヒデトに対する警戒。
求められないかもしれないことを知りつつ、ナチルを包もうと用意されたタオルケットのような愛情。
【……は! こんな――こんなもの!】
ノゾミの触手が無遠慮にそれらを蹴散らしながら、ますます奥に入り込んでいく。その動きに気付いているのに、動きの鈍いオレには追いつきも止められもしない。
「止め――!?」
制止の言葉を叫ぼうとしたオレの声が、現実で止まったのは、途中で口を塞がれたからだ。
オレに全体重をかけて押し倒しながら唇を合わせてきたのは、サクヤの身体だった。
「――ん、んんぅ!?」
押し退けようとしたけど、どこか虚ろな青い眼は口づけの間も閉じずにオレを見下ろしてる。普段にない強い力がオレの肩を掴んで離さない。
唇に当たる小さな舌の感触で、ぞくぞくして力が入らない。
それでも何とか顔を背けて唇を離した。
「おい! あんた何してんだ――!?」
「カイ……俺、の身体……おかしい……」
切なげに眉を寄せた瞳が真上からオレを見下ろしてる。
その心の中で好きなように暴れまわってるノゾミの触手が、サクヤが普段建物の奥の奥の奥の方に押し込めてるはずの、どろりとした何かを引きずり出して振り回しているのが見えた。
触手の先で好きなように弄ばれる、その甘ったるく蕩けたキャラメルのような欲望の名前は――
「――っバカ! 止めろ、ノゾミ!」
【うるさい! あるはずだ! この近くにオレを――】
「カイ……何これ……こんな、の」
言葉の合間に何度も口づけを落とされて、折角ノゾミを追い掛けていても、そのリアルな感触ですぐに現実に引き戻されてしまう。
「……カイ」
聞いたこともないような艶めいた声でオレを呼ぶ。
そんな風に呼ばれたら、オレだって……
【ほら見ろ! 所詮あんただってこれが目的なんだろ】
【ムカつくけど今だけ許してやるさ】
【そこで溺れてろ! すぐに見付けてやる!】
細い指先がオレの胸元をまさぐった。肩に押し付けられてた反対の手の平がするすると腕を伝ってずらされて、オレの手に指をからませる。
荒い呼吸を繰り返すサクヤの吐息が肌を湿らせた。握られたオレの手が、いつかのようにシャツの中へ導かれて。
柔らかい白い胸の間に指先が挟まれた――
「――っあぁあぁっ! くそ! もう、オレ百回死ね!」
すっげぇ気持ち良いし興奮するし、止まんないし止めたくないけど、こんなことしてる場合じゃない。
現実の触感に全部集中しそうになる感覚を、強制的に脳内で遮断した。
それでも諦めきれずにどっかで勿体無いと思ってる気持ちを振り切る為に、頭の中で「何考えてんだオレのバカ!」と叫びながら、精神だけを切り離したオレは本格的にノゾミを追う。
さっきまでよりオレの動きがマシになったのは、慣れたからか現実を離れたからか。建物を駆け抜けながら、ノゾミを探す。
ぐちゃぐちゃにかき乱されてる建物の中はひどい様子だ。サクヤが大事に閉まってたあれやこれやが床に散乱している。
その中にもオレとの他愛ない思い出なんかが混じっていて、ひどく狼狽した。
例えば、買ってもらった剣を腰に提げながら、ちょっと笑って見せたオレの表情だとか。
くっつかれて赤面したオレの手が熱かったことだとか。
そんな、小さな。
(――ノゾミ! どこだ、くそっ!)
硬い床を必死で蹴りながら、奥へ向かう。
荒らされた痕を頼りに、ノゾミの触手を探して。
あちこちの部屋を覗きながら、内部へと進んでいく内に――
【――嘘だ!】
建物全体に響き渡る絶叫が聞こえた。
その悲痛な叫びを耳にして。
ノゾミが何を見ているのか、何となく想像がつくような気がした……
2016/03/29 初回投稿