11 その心に触れる
【前回までのあらすじ】オレとノゾミちゃんとサクヤの三角関係。サクヤにどっちか選んで貰えばあっという間に片付く。だけどそれを躊躇ってしまうのは、サクヤにとってどっちが良いのか、迷ってしまうからなんだ……
【サクヤ! サクヤ!】
うるさい、すごく。
頼むから黙っててほしい。
脳内のノゾミはまるで飼い主に再会して尻尾を振る犬のよう。
その意識を追いやろうとしたところで――意図しないのにオレの両手が勝手に動いていることに気付いた。
オレのものなのに思うとおりにならない両手が、真上にいるサクヤの頬に当たって、当てたオレ自身がびくりとした。
滑らかな肌の感触が指先に伝わってくる。そのまま撫で回していると、くすぐったそうに身を捩らせたサクヤがオレの手を静かに外した。
外された手は――いつの間にか再びオレの意思で動く状態に戻っている。
さっきのは何だったんだろう、と疑問を感じたところで、くすくすノゾミが笑ってる声で気付いた。
要するに、そういうことだ。
こうして徐々に奪われていくんだろう。きっと。
一抹の不安を覚えながらもどうしようもなくて、とにかく他のことを考えたいと思った。
目の前のサクヤに問いかけてみる。
「……いつの間に上って来たの?」
「いつも何も。このぐらいの岩なら簡単に飛び乗れるさ」
さっきよじよじと上ってきていた白狼の女王のことを考える。
サクヤに飛び乗れるなら、あの外見ロリだってそんなこと簡単に出来たに違いない。それをわざわざオレに手伝わせたのは――どうせまたオレをからかいたかったんだろう。
改めて詰問すれば「手を繋いで見たかったのだ」なんてわざとらしく頬を染めて言う様子がすぐに頭に浮かんだので、一生聞かないことにしよう。
「カイ……」
サクヤがオレの名前を呼んでる。
ノゾミちゃんじゃなくて、オレの名前を。
【はっ、今だけ今だけ】
【すぐにあんたもぐるぐるに縛って閉じ込めてやる】
そう……そうなれば、オレにはどうすることも出来ない。
さっきみたいに勝手に動く自分の身体を見てるだけになるんだろうか。
それともノゾミちゃんの言うように、そんなことも分からずに永遠の眠りにつくんだろうか。
無意味な感傷を振り切って、オレは自分の隣を叩いて示した。静かにオレの横に回ってくる姿を見上げて、問いかける。
「あんたも空を見に来たのか?」
「いや、お前と話をしに来た」
大人しく座りながらも、自分の言いたいことを言うところがこの人らしい。
ちょうどさっき女王がしていたように、オレの隣に腰掛けてまっすぐにこちらを見据えている。
その青い眼がまるっきり夜の色をしてるから、何を言うべきか少し迷った。
何を言っても吸い込まれそうな気がして。
【ははっ、素敵に詩的な表現だなぁ!】
【サクヤの美しさを理解してるってとこだけ】
【かろうじて誉めてやろうか】
うるさいな、とは思ったけど。
残された時間が短いと思ったら、もう何も言い返す気にならなかった。
そんなことよりもサクヤのこと、見てたいから。
とりあえず時間稼ぎじみたことだけど、目についたことを尋ねてみる。
「ねぇあんた、何で今、女の姿になってるの? 会談が終わるまではどこも怪我なんかしてなかっただろ」
「さっき走ってきた女王とぶつかって跳ね飛ばされた。ほら……」
「うわぁ……」
右腕のシャツが破れて血が滲んでる。見れば結構な範囲に擦り傷が広がってて痛々しい。
――けど。
なんか女王それわざとなんじゃないか、もしかして。
【あー、やりそう。あの人なら】
【オレはどっちのサクヤも好きだから良いけど】
オレはシャツのポケットから包帯を取り出した。
血まみれの右手の傷に直接触れたりしないように腕を支えて、ぐるぐる巻いてやる。
「そのうち治るから良いのに」なんて言われたけど、見てるこっちの方が痛いんだよ。それだけ。
「ありがとう」
「……や、別に」
でも終わった途端に珍しく素直にお礼を言われて、少し戸惑った。
小首を傾げたサクヤが、左側の怪我してない方の手をオレの胸元に触れさせる。
「……何?」
「さっき女王が……」
「女王が?」
またあの外見ロリが何か言ったんだろうか。
まさか――
【まさかあいつバラしたんじゃないだろうな】
まさか――いや、違う。
あの人はきっと、そういうことはしないと思う。
【そう? 意地悪そうな人じゃん】
底意地悪そうだよな。
だけど、意味もなく選択肢を奪うようなことはしない、多分。
よほど切羽詰まった状況じゃない限り最後までオレに選ばせてくれると思う。
確たる理由はないけど。引っ掻き回すのも好きそうだけど。
それ以上は踏み込まないラインを明確に引いてる人だと思う。そしてきっとそのラインはオレのと似てる。
そんなこと考えている内に、サクヤはオレの胸元からするすると手を滑りおろして腹を撫で始めた。
何やってんだか、と見下ろすと青い眼が楽しそうに見上げてくる。
「女王が、お前の腹筋はなかなかのものだと言ってたんだ」
「……ああ腹筋ね、なるほど。だからって触って確かめなくても」
指先が筋肉の溝をなぞるのがくすぐったい。
女王が言ってるのは、戦った時の話だろう。
あんなロリにぺちぺちされても何とも思わなかったけど、この人にこんな触り方されるとヤバい。腹ってなんか、場所が下半身に近くて……。
「うん、確かにうまく筋肉がついてきたな」
「まあ、師匠がうるさいし。それに……」
それに、あんた達に近づきたいから、とは言えなかった。
今更言っても、もうその日は来ないかもしれないなんて。
【よしよし。そうやって諦めちまえ】
言い返しはしなかったけどノゾミの言葉に腹を立てたついでに、オレはサクヤの手を掴んで腹から引き離す。
「もう止めろ。ヘンな気持ちになるからあんまオレに触んなって言っただろ」
サクヤは自分の指先を見ていた視線を、一瞬だけオレに移した。
だけど眼が合う前に顔を伏せられてしまう。
「今日は……お前が俺に隠しごとをしてる罰だから、良い」
偉そうなことを言っているのに、呟いた声があんまり悲しそうだったから。
少しだけ、心が揺れた。
このまま言わないままでいたい。
だって辛いんだ。
選んでもらえるかも知れない、なんて期待するの。
だから、同じ消えるならいっそこのまま。
それに、サクヤはどうなんだろう?
選びたい? でもどちらを選んでもきっと後悔する。
選ばなくても勝手に決まるというなら、その方が。
選ぶ権利。
知らないでいる幸福。
切り捨てさせる残酷さ。
その内のどれが必要で、どれが無駄なのか。
何をサクヤに与えれば良いのか、迷う。
【おい、何考えてるんだよ】
【前言撤回? 男らしくないぞ】
【言っても無駄だって、大人しく黙ってろ】
サクヤにとっては――でも。
もしも、何も言わないまま。
オレの中身だけが入れ替わる。
この人はそれに気付かず、オレじゃないものを受け入れる。
それじゃ、オレは。
何のためにあんたと出会ったんだ――
「……サクヤ」
名前を呼んだ自分の声があんまり情けなくて、次の言葉をなかなか言えなかった。
呼ばれて顔を上げたサクヤの青い眼が、何かを問いたげにオレを見る。
朝の光にきらきらと輝いてる金の髪が、一瞬、強い風に煽られた。
青空に舞う金の糸を見ながら。
何て、綺麗。
あんたの。
「……カイ、頼む。言ってくれ」
その輝きに目を奪われながら、オレは決断した。
最終的にオレを押したのは、結局は。
この人に対する優しさなんかじゃなくて。
ただ知られないまま消える自分が怖くて。
【はは、結論はオレと同じってことか】
【自分勝手に。自分のために】
そうかもしれない。
だけど。とても、この孤独には耐えられそうになかった。
サヨナラするなら、せめてあんたに見送って欲しい。
色んなことを天秤にかけて悩んだ結果、それだけを望んだ。
だからサクヤの声に応えようとしたけど――
【――だけど、それならオレだって考えがある!】
ノゾミちゃんの声が叩きつけるように脳内で響いた。
直後。
「――ねぇサクヤ、違うよ。ノゾミって呼んで」
オレの口から吐き出された声は、オレじゃなかった。
いつの間にかその場所を追い出されたオレは、混乱しながら縋るようにそこに戻ろうとする。
【ばーか、渡すかよ】
【あんたが説明すれば、あんたの良いように言うだろ?】
【どうせ言うならオレがやってやる】
見ればまたオレの手は勝手に動いてて、目の前のサクヤの背に回ろうとしてる。
その場所に無理やり入り込んで必死でそれを止めようとするオレと、動かそうとしてるノゾミちゃんの両方の指示を受けて、腕がぶるぶると震え始めた。
「カイ? お前、何を……」
「違うんだ。ほら分かるでしょ、オレだって。ねぇ……」
震える腕は、最終的にその場所の中心にいるノゾミの指示を優先した。
細い身体がオレの胸に引き寄せられて、喉元でサクヤが息を飲んだ動きがありありと伝わってくる。
――止めろよ! あんた、いい加減に……!
「オレの名前を、呼んで」
縋り付くようにオレの腕の中におさまっているサクヤが、唇を震わせて。
「……ノ、ゾミ?」
その名前を呼んだ。
途端にオレはしがみついてたその場所から弾き出された。
完全にオレの身体の支配権を握ったノゾミが、頭の中で勝利の笑い声を上げながら、今まで以上に強くサクヤの身体を抱き締める。
「そう、そうだよ、サクヤ! オレだ、オレが――もうこれからずっとオレがあんたの傍にいてあげる。置いて行ってごめんね、もう離れない!」
現実の身体でもしっかりと触れ合ったまま、精神を支配するヴァリィの力を遺憾なく発揮しようとする。
ノゾミの心から鋭敏で柔らかい触手が幾つも伸ばされて、サクヤの心を忙しなく探り始めた。
触手がサクヤに届いた瞬間から、今までノゾミによって時折、空耳のようにもたらされていた心の声が、はっきりと感じられるようになった。
多分オレ自身がノゾミに取り込まれかけてることで、その力の全容が把握出来るようになってきたんだろう。
明らかになった心の声は今やオレにとっては、聴覚だけでなく他の五感をも介して訴えかけられる存在になっていた。
きっと生粋の黄金竜なら、五感とは違う特有の感覚があって、その六つ目の感覚で聞き取るんだろう。
だけど、元が人間の為に心の声を感知する器官がないオレやノゾミには、今ある五感の中で情報は整理される。
それに従えば、サクヤの心の中は、純白の大理石で出来た立方体の建物のようだった。
表面のツルツルした壁を撫でると、苦味のある混乱と刺々しい驚愕が舌を刺す。でもそんなのはちょっとした隠し味みたいなもので、その中に包まれているのは紛れもなく、大好きな人に会えたとろりと甘い喜びだ。
ノゾミが伸ばした精神体の触手は、そんな感情の全てを舐め回すようにうっとりと味わっている。自分に対する好意的な感情を、存分に。
予想以上の幸福感の甘さに打ちのめされたオレは、もう――この後の展開なんて分かり切ってしまってるのだから、いっそ今すぐ消えたいとさえ思った。
弱気になったオレからはますます支配権が失われる。
だって、このままオレが消えれば、サクヤは選択をしなくてすむんだろ。
選ばれない方。消える方を決めろ、なんて、苦渋の選択を。
「……お前、本当にノゾミなのか?」
「そう、オレだよ。あんたと一緒にいるためだけに戻ってきたんだ。ね、もうずっとオレと一緒にいよう。オレ、今度こそあんたの旅について行くよ」
「ノゾミ……」
こってりとした生クリームのような再会の喜びがサクヤの心を覆っていく。
ノゾミの触手が勝ち誇りながら、その全てを吸い尽くそうと建物の表面を撫で回した。
愛撫にうっとりと浸かっていく姿を見たくなくて、1人外されたオレがもうその場所から出て行こうとした瞬間。
まるでオレの動きに気付いたように、ぴりりとした辛味に似た警告が建物の表面を蔦のように這い登った。
警告の名は――喪失。
辛味に触れて途端に強張ったノゾミの腕の中で、サクヤがぼそりと呟く。
「ノゾミ、お前……カイは、どこにいった?」
――サクヤ!
今まで踏み込めなかったその場所の防御が緩んで、オレは再びそこをこじ開けて踏み入った。
【来るな! 最後まで黙って見てろよ!】
【本人に選ばせるんだろ、どっちといたいか、って】
うるさい、やっぱあんたになんか任せられない!
やっぱ違う! こんなの選択でも何でもない。
見なきゃいけないものから目を逸らして、ずっと一緒にいるなんて甘ったるい言葉だけ聞いて、その結果も知らない内に選ぶなんて。
あんたが一緒にいればきっとまた、こんな風にどろどろに甘やかすんだろ!?
自分で選ぶことさえ忘れさせたまま。
そんなことが続けば、この人は1人じゃまともに生きられないヒトになる。
そんなのは許せない! だから、譲れない!
サクヤと一緒にいるのはオレだ――!
「サクヤ、ごめん。あんたには辛いことを頼むけど……」
「……カイ? お前、カイだな!? どういうことだ、さっきのノゾミは――」
再び苦い苦い困惑が滲むその心の表面を、ノゾミの触手は撫で続けてる。
どこまでも優しく。途切れもなく。
触手の幾つかが、建物の表面をまさぐる内に入り口を発見した。他の壁よりは柔らかいそこから入り込もうとノブを回すけど、鍵がかかっている扉は開かない。
当たり前だ。
心に鍵もかけずに開けっ放しのヤツなんていない。
外から覗き込める窓だけは何とかあって、中を知りたいヤツはそこから覗くのが精一杯。
サクヤの心の窓はそんなに大きくないけど、幾つかは……オレにしか見付けられない小さな窓がついてることに気付いてた。
それは時折オレに向かって開かれて。
中に入れはしなくても、中のものをオレに見せてくれる。
あんたがどんな言葉に苛立つのか。
どんな言葉に傷つくのか。
同胞への愛情、自負と自嘲。そういうものを。
【あんただけだと思うな!】
【オレにだって見えてんだよ!】
ノゾミの触手を通じてダイレクトに繋がってるから、あんたが出した答えは言葉よりも早くオレに伝わってる。
だから、口に出してないものも聞こえてるよ。
再会出来たノゾミがどこかに消えたことを悲しむしょっぱさと。
オレが今ここにきちんといることを喜ぶあんたの甘い感情を。
さっきの甘さとは違う、頭くらくらしそうな南国の果物の匂い。
あんたがオレを求める気持ち。
【――邪魔するなっつーの! くそっ……】
その香りに勇気づけられて、がたがたと暴れるノゾミを押さえつけながら、オレは決定的な言葉を告げた。
「――ごめんな、サクヤ。辛い選択だけど、あんたに選んで欲しい。この先をオレと行くか、それともノゾミを選ぶのか……」
見開かれた青い瞳には、苦々しい表情のオレの顔が映っている。
全部あんたに押し付けるなんてしたくないけど。
誰よりも、あんたに選んで欲しいと、オレの心が叫ぶから。
2016/03/25 初回投稿