9 五角形
【前回までのあらすじ】原初の五種と青葉の国の王子サマとの会談、王子であるエイジの言葉を、その国の先行きを見極めたいと、白狼がエイジに話を振った――
その場の全員がエイジの言葉を待っていた。
ただの人間。獣人とは比べ物にならない弱い生き物。
だけど――数だけは多くて、いつの間にやら獣人はどの種族も人里のない場所へと追いやられてる。
そんな人間の心を、聞いてやろう。
その言葉次第で、信用するかどうか決めようと。
試されていることをはっきりと理解しながらも、エイジは軽く微笑んだ。
ポケットを探ろうと一瞬伸びた手だけが、珍しく落ち着かない様子を表してる。でも、結局は指先が煙草にかかる前に、エイジはその手を広げながら差し出すように周囲に伸ばした。
「言うなれば俺はね、国の助けがいらないようにしたいんだ。助けなくて良い国を作りたい」
「何だそれは? 民がどうなっても助けない、という宣言かね?」
「それだとちょっと違うんだよな。そうね……例えばさ、うちの国で日照りの為に飢饉が起こったりしたらどうするか分かる? 親父が国庫を開放したり、他国から買い漁って食い物配って回ることになる。それ自体はまあ別に良いよ。ひとまず腹はくちくなる。だけど本当はもっと先手を打てれば国が何かする必要ないじゃん。国を挙げて日照りに強い作物作るとか、魔法で雨降らせるとかね」
大雑把な説明だけど、その言葉が何を言いたいのか、オレには分かった。
助けない、んじゃない。
助けられたと思わなくて良い、ってコトだと思う。
先を見て。もっと早く。個人には出来ないことでも国の力があれば手を打てる。
それがエイジのやりたいことなんだ。
なら、オレだって言いたいことがある。
そうそうたる面々の中、オレは覚悟を決めて口を開いた。
「……あのさ、結局みんな移転したあとに自分たちがどんな風に扱われて、どんな王の下に支配を受けるのかって、それが心配なんだろ? だったら……そういうことなら、もしエイジが王サマになったら、エイジが1人で全部決めるんじゃなくてこういう会議で方向性を決めてく、てことにしたら?」
「会議?」
サクヤが小首を傾げてオレに問い返す。
その声に拒絶の響きが含まれてなかったことに力を得て、オレは言葉を続けた。
「うん。例えばここにいる皆が青葉の国に移住したとして、自分の一族の中でおさめられるところは今まで通り自分達で決めてさ、皆で決めなきゃいけないとこはこうやって集まって話し合えば、うまく解決するんじゃないか? だって女王なんて300歳なんだぜ? 普通の人間や獣人より色々知ってるのは、ここにいる皆さっきの黄金竜の件で分かっただろ?」
ふぁさささささ、と女王の尻尾が激しく左右し始めた。
表情は相変わらず余裕綽々の薄い笑顔だが、しっぽのキレが全然違う。それだけでオレの言葉が褒め言葉として機能してることが理解できた。
オレはその動きを横目で見ながら言葉を続ける。
「でも、女王はあんまり交渉に向いてないってのも分かってる。思ってることが尻尾でバレバレだし、解決方法は基本的に力尽くだ。本当はそういう駆け引きとか交渉とか調整はトラの方がうまいと思うんだ」
名前を出されたトラが驚いた顔をした。
「トラは怯えてたり苦しかったりしても、一族の前ではそういう感情はきっちり隠してる。そうしなきゃいけないってすごく責任感があるからだろうけど。それに元が個人主義な一族を普段からうまく纏め上げてるからかもしれないけど、バラけてる意見の中で共通するとこを探して、解決策を導くのがうまい。さっきみたく」
トラは曖昧に笑ってアキラとヤナギに視線で尋ねた。
2人がうんうん、と頷き返すのを見て、安心したようにオレを見返す。
「な? こういう人たちがそれぞれの良いとこを活かしていけば、エイジ1人で何もかも決めるより、良い案が出るんじゃない?」
そこまで話して、オレは対角線にいる女王とトラに笑いかけた。
2人もそれぞれのやり方で微笑みを返してくれる。
女王はあくまで不敵に。トラはどこか捉えどころのない穏やかないつもの顔で。
ちらりと見れば、右側にいるエイジが満更でもない様子をしてて、安心した。
エイジは自分に権限があるってことに固執するヤツじゃないけど、今オレが言った案を取れば、1人で決めるより時間がかかることも出てくる。だからもしかしたら反対されるかもしれないと思ったから。
好意的な空気が流れていて、ほっとする。
そうしてちょっと落ち着いたところで――真横からキッツい視線を感じた。
オレの左側から「何故俺に言及しないのか」なんて視線で無言の圧力をかけてるのは、言わずと知れた絶対無敵の姫巫女サマだ。
「……えっと……あと、サクヤは――」
ヤバい。元々エイジの魔法使いであるサクヤについては言う必要ないと思って、何にも考えてなかった。
この人、何か褒めるとこあったっけ?
もしくは、集団に資する何かの技能が……?
「サクヤは、えっと――」
次の言葉が中々出てこない間に、段々視線の圧力が増してくる。
分かってるって! 何か言ってやりたいんだけど、こういうのって身近にいるヤツ程良いとこ見つけにくいんだよ!
良いとこがないってんじゃなくて、それが当たり前になっちゃうから。
必死で頭を動かしてる間に、本格的にサクヤの視線がおどろおどろしくなってきたので、慌てて咄嗟に思い付いたことを言った。
「――あ! あの、サクヤは妙なときに可愛い! ……か、ら……」
色仕掛けが得意、と続けようとして、その場のほぼ全員がぴったり揃えたように変にニヤニヤした表情を浮かべていることに気付いて――最後まで言い切らずにそのまま口を閉じた。
たった1人無表情を維持しているサラが「ふひっ」と奇声を上げたが、全員がその声をスルーしてる。あれがサラの笑い声だってこと、みんな分かったらしい。
「くくく。カイにとっては可愛らしさが君の一番の長所であるらしいよ、巫女どの?」
からかう口調の女王が、楽しそうにオレからサクヤに視線を移す。
サクヤは黙って顔を伏せてるけど、薄明かりの中でもその首筋が真っ赤になっているのが良く分かった。
「……バカ……」
弱々しく呟く声が聞こえて、オレも何か顔が熱くなってくる。
「リドル全体で言えば治癒魔法が使えるとか、姫巫女単体で言うならサクヤの攻撃魔法だってもの凄い威力だし――僕ならうっかり魔法のことを先に言っちゃうだろうなぁ」
トラの言い方も何だか皮肉っぽい。
うっかりはオレだよ! もう!
「そうしょげるな。君のその状況を考えずにノロケを突っ込んでくる才能は素晴らしく面白い。ある意味才能だ」
「キリ、あんたね!」
何か真面目な声で讃えられて、さすがに言い返した。
本人はどこ吹く風な表情をしてるので、どうやらわざと言ってるらしい。皆しれっとオレをからかってくるから、たまったもんじゃない。
話が恐ろしいほど自分に都合の悪い方向に逸れていくことに苛立って、ガン、とサクヤが例の固いブーツで地面を蹴飛ばした。
「……本題に戻れ」
キレながらも頬を染めてるサクヤの姿を見て、他の面々はまだニヤニヤしていたけど、こういう時に割かし理性的なトラが一番にその願いを聞き入れて、エイジに向き直った。
「――と、まあカイの提案は中々有意義だと思うんだけど、青葉の王子はどう思う?」
「ん? 俺も面白いと思うよ。元々親父が一代で大きくした国だ。何のシステムも整ってない物を今後、俺1人で支えきれるとも思ってなかったし、経験豊富で民たる獣人からの人気も高い五種の長が手伝ってくれるなら万々歳だね。俺の今後の目的にも合致してくる。ただ、1つ言っとかなきゃいけないんだけど……」
「何ですか?」
トラの問いかけに、エイジは肩をすくめた。
「俺が王様になれるかどうかはこれから決まるんだよねぇ。昔からの伝統でね、王子同士で争わなきゃいけないの。一番強いチームが次の王様になる」
「面白いじゃないか!」
ばくちと喧嘩が大好きな女王が早速乗ってきた。
「白狼の女王もそうやって決めるのだ。最強が後を継ぐ、なかなか魅力的な国だ」
「そう? まあ、そういうことだから、最善は尽くすけど必ずしも約束通り全てを果たせるとは限らないってのは含んで検討してほしいね」
「その時はまた他所に動くさ。なぁ、巫女どの」
女王の言葉にサクヤは明後日の方を向いたまま口だけを開く。
「その時リドルがどうするかは分からないが、少なくとも白狼については、我が一族が責任持ってどこへでもお送りしよう」
「うん。それなら何のデメリットもないなぁ。つまり我々は君が王になったときのことだけ、考えれば良いわけだ」
既にノリノリになった女王が身体を乗り出してくるのを見て、エイジは「そりゃありがたいお話だね」とすっきりと笑った。
そんなエイジの方へ向かって、キリが一歩、背中にふさふさの尻尾を掲げて足を踏み出す。
「つまり我々にとっては、君の理想に賭ける価値があるかないかということが問題なのだな。では私も教えて欲しい」
「何なりと」
色んなことを少しだけ軽く見せかけるエイジの碧眼を、笑いもせずにキリはまっすぐに見詰めている。
「君の描くその国では、突然拐かされ、獣人の誇りを失うようなことは起きないのだろうか?」
それが誰のことを言っているのか、キリが何を聞きたいのか、女王には当然分かったのだろう。一言の制止もせず、黙ってエイジの答えを待った。
「起きない」と答えればそれですんだのかも。
でも、エイジはそうは答えなかった。
軽くてチャラチャラしてて女好きだけど、エイジは王サマになる人だから。
真実の願いには、真実の答えを。
「どんなに重い刑罰を設定しても法の網をくぐり隙を狙うヤツはいる。でもさ、今のこの国みたいに獣人には何をしても良いっていうのと、きちんと法を整備して抑止力を期待できるのとでは全然違う。勿論俺は獣人の誇りを知らない。だからどんなことを辛く感じ、どんなことを痛ましいと思うのか、教えてくれよ。一緒に作りたい、そんな法を」
無言のまま頷くキリを他所に、次に動いたのは黒猫だった。
アキラの背中を押しながら、ヤナギが黒い尻尾をしなやかに振りあげてトラの横に並ぶ。
「ねぇ、その国では愛する人を戦で失ったりしないの?」
「決して戦をしない、とは言わないよ。だって宣言しておくけど、現実に君たちが青葉の国に来たら国を挙げてヒデトってヤツと戦うことになる。力尽くでこられたら力を持って返さざるを得ない。戦争って言うのは自国の言い分を通すための最後の手段だから。でもさ、本当は最後の手段に入る前に色々と選択肢がある場合が多いんだよね。君たちが来ることで、その選択肢は格段に増える。他国からの戦争へのお誘いも減ってくるよ。だから俺はヒデトの件があっても君たちを歓迎する」
ヤナギとアキラが顔を見合わせた。
その沈黙の隙を縫うように、イツキがサクヤの肩を抱き、ピンと伸ばした耳をまっすぐにエイジに向けたまま歩み寄ってくる。
「その国は力を持たぬ者の声も聞いて貰えるのですか?」
「力って多分、君が思ってるような暴力だけじゃないんだ。さっき黒猫の長老サンが言った治癒の力。あれもうまく使えばすごい交渉力になる。そういうこと、もっと一緒に考えていこうよ。君にどんな力があって、それはどんな風に使うことが出来るものなのか。君らには十分な力がある。必要なのは自覚とその使い方を理解することだ」
最初よりも格段に小さくなった五角形を見回して、エイジは少しはにかんだ顔をした。
「ごめんね、この世の理想郷を作る、なんて言い切ってあげられなくて。俺に言えるのは最善を尽くすってことだけなの。今の青葉の国はただ国という名前があるだけの状態。国としての形作りはこれからだ。だから……手伝ってくれるのなら。君らの力は俺にとって新しい道を拓く剣になる。今までどこにもなかった新しい国を一緒に見よう」
誰も声を上げなかった。
細かいとこは、まだ色々問題もあって。
今エイジが言ったこと、もっと細かく詰めていけば人間の中ですら言い争うことになるかもしれない。
でも、この場の全員が気付いていると思う。
青葉の国の未来、エイジの提示した理想を、今、獣人達は沈黙の内に受け入れた。
同じ方向を見て進もうとするオレ達はもう敵じゃなくて、時に衝突したとしても共に歩む同志になったんだって――
2016/03/18 初回投稿