2 オークションが始まる
ゆさゆさと揺すられている。
「――おい、起きろ」
一生懸命、誰かがオレを起こそうとしている。
だけど何となく夢の続きがあるような気がしているから。
オレは眼が覚めていないふりをする。
「……ちっ」
短い舌打ちとともに気配が離れていった。
心の中で勝ち誇って、オレはもう一度夢の中へ戻ろうとした。
……何だろう。誰かが泣いているような夢だったような気がする。
この辺りまで出かかっていて。もう一度寝れば、思い出せるかもしれないのだが。
オレが夢に戻るより前に、再び気配が近付いてきた。
しかも気配は今度はうまそうな匂いを伴っていた。焼き立てのパンとコーヒーの匂いだ。
それをかぎ分けた瞬間、自分がとても空腹なことを思い出した。美味しそうな匂いに押されて、無理矢理に瞼を開ける。一度眼を開けると、空腹感はもう耐えきれないほどになった。
近付いてきたサクヤから、パンとコーヒーの乗ったトレイを引ったくるように受け取った。
夢中でパンにかぶりつく。パンを1つ腹に納めて、コーヒーで流し込む。
ようやく落ち着いて、周囲の状況が分かるようになった。
オレの正面の椅子に、行儀悪く背もたれに肘をついてサクヤが座っている。
オレが気付いたのを見て、笑いながら声をかけてきた。
「おはよう」
「……おはよう?」
窓の向こうは真っ暗になっていた。
変な時間に寝て起きたときの現実感のない感覚がする。自分の置かれている状況が今一つ理解できない。
オレはベッドの上に座り込んだまま、とりあえずもう1つパンにかじりつく。
目の前のサクヤは珍しいことに、そんなオレの様子を見て楽しそうに笑っている。
今までも見たいと思ってて、でも見れなかったもの。
皮肉でもなく嘲笑でもないその笑顔は、予想していたよりもずっと綺麗だった。
いつもこんな風に笑っていればいいのに、とぼんやりと考える。
「あんた、そういう顔してる方が似合うよ」
思わず口に出すと、サクヤは一瞬びっくりしたように眼を見開いた。
自分の浮かべた表情に気付いていなかったらしい。すぐに自分の顔に手をやりながら表情を消した。
――言わない方が良かった。
ようやく現状を理解できる程度に頭がはっきりしてきた。
迂闊なことを口に出さずに黙って鑑賞していれば良かった、と少し残念に思った。
「ちゃんと眼が覚めたか?」
椅子の背に頬杖をついたままサクヤが尋ねてくる。
オレは口の中にまたパンを頬張っていたので、無言で頷いた。
よく見ると、サクヤはすでにマントを羽織り出掛ける用意をしている。そう言えば宿に着いたとき、オークションがどうのという話をしてたな。
「眼が覚めたなら、お前も準備しろ」
「……? オレも行くのか?」
「当たり前だろ。お前1人にしておいて、ナギ達と連絡を取られたらたまったものじゃない」
なるほど。
どうやら部屋を1つにしたのも、節約だけでなく警戒の意味もあったらしい。
とは言え、昼間、先に眠り込んでしまったのはサクヤだ。どこまで本気で言っているのかも良く分からないが。
だけど、そうか。
オレはサクヤが寝てる間に、師匠と連絡をとっておけば良かったのか。
ふと反省しそうになったが、いやいや待てよ、と思い直す。
連絡とるって、どうすればいいんだ。
手紙でもメッセージでも、オレから伝えようにも、師匠達は今もまだあの村にいるのか。
エイジやサクヤの口振りだと、既にサクヤを追って出立している可能性が高いんじゃないだろうか。
さらに。
もしも連絡がとれたとして、さて何を師匠に伝えればいいものか。
――オレ達がいる場所?
サクヤは分かっているらしいが、オレには全く分からない。
自分がいた村と比べてここが北か南かも分からないのだ。
――サクヤの目的地?
全然聞き出せてない。
つまり今のオレにはまるきり、師匠に伝えられる情報もその手段もないのだった。
まあ、それをわざわざ教えることもないだろう。
黙って準備をすることにした。
いずれ何か情報が掴めたら、師匠に伝えるというのも考えておこう。
黙っているオレに何か思うところがあったのか、サクヤは声をかけてくる。
「今日のオークションはVIP向けだ。いつも超高級品しか出品されない。俺と一緒じゃなきゃお前は一生入れないような所だから、これも人生経験と思え」
会員制のようなものか。
確かに街の端で叩き売られている奴隷さえ、買って食わせていく余裕がないオレには、高級奴隷なんてものは多分一生縁がないだろう。
肩をすくめて同意の意を表した。
「かさばる荷物は置いておいていいが、帯剣して行けよ」
身支度が整ったところで、サクヤがオレの剣を眼で示す。
「そういうオークションって武装が許されるもんなのか?」
「会場内には持ち込めないだろうが、行き来の間に何があるか分からん。特に帰り道がどうなるかは、今日のオークションの内容次第だな」
何気に物騒なことを言っている。
まさか超レア物の高級奴隷が出品されたからって、会場から盗んでくるつもりじゃないだろうな、この人。
とは言え、買ってもらった剣を本人が持って行けと言うのだから、オレに否やのあろうはずがない。素直に剣を腰に提げた。
サクヤが満足げに頷く。マントのフードをきっちりと被ってから、黙って扉を開けた。
廊下を抜けて宿の入り口で親父に挨拶してから、オレ達は夜の街に出た。
日は完全に沈んでいる。街は静かに夜に浸っている。
それでも酒場はまだまだかきいれ時。
大きな街の特徴で、この時間でも歓楽街はそれなりに明るく騒がしい。
「賑やかだな」
「そうじゃなきゃこんなでかいオークションは開けない。年に一回、決まった日に開催されるんだが、来る奴はかなり遠くからでも来る」
「ふーん」
「今夜のオークションの主催者はレディ・アリアだ。彼女の機嫌を損ねないようにしろよ」
途中で表通りを逸れて裏道に入ると、辺りは途端に静まり返った。
道を幾度か曲がって裏道のような所へ入ると、小さな建物の扉を、サクヤが指差す。
これが目的の場所らしい。
扉を開け、中に入る。
サクヤの後ろについてオレも扉をくぐると、部屋の奥にはもう1つ小さな扉が見えた。
その小さな扉の前に、屈強な男が2人立っている。
この2人が門番なのだろうか。
男達は、入ってきたオレ達を無言で値踏みするように見据えている。
無理もない。
サクヤのマントにしろオレにしろ、外見はどう見ても金を持ってなさそうな2人組だ。今日の客層ではないのだろう。
ところがサクヤがフードを下ろすと、途端にその空気が変わった。
「――レディ・アリアに取り次いでくれ」
「……どうぞ」
2人の門番の片方が恭しく扉を開いて道を譲った。
サクヤはオレを振り返り指先の合図で、剣を外すように指示する。
素直に腰から剣を下ろすと、途端にもう1人の門番がオレから剣を奪っていった。
入り口で預けるとは聞いていたがずいぶん乱暴な手つきだ。サクヤに対する態度が変わっても、オレにはこんなもんらしい。
理不尽な扱いについて、サクヤに文句を言おうと振り向く。
ちょうど目が合ったが、付いてこいと指で示しして、さっさと扉をくぐっていってしまった。
慌てて、後を追う。
扉をくぐると、背中の後ろで乱暴に閉まる音がした。
門番が軽々開いたのでそうは見えなかったが、かなり頑丈な扉のようだ。
前を見ると、サクヤは既に先へ歩いていっている。
外からは小さな建物のように見えたが、実際には長い長い廊下が続いていた。床には赤い絨毯が敷き詰められ、壁には明々と華奢なシャンデリアの灯りが点いている。
まさかこんな豪華な空間とは、外からは分からない。外観はカモフラージュなのだろう。
よく見ると微妙な角度で廊下は下っている。緩やかに地下に入っているのだ。
小走りで追い付くと、サクヤがこちらを見ないまま小さな声で囁いた。
「あいつらはレディ・アリアの忠実な門番だ。今日のオークションに参加可能な人間を全て覚えている。知らない顔は捕まって尋問されて終わりだ」
普段、顔を見せたがらないサクヤがフードを外した理由はそれらしい。記憶に頼るとは、アバウトなようで厳重なセキュリティだ。
声を潜めて話すサクヤの様子だと、ここにも監視があるのかもしれない。
いや、多分確実にある。さっきから何か嫌な視線を感じるのだ。
サクヤに合わせてオレも小声で返答した。
「そういうのはさ、新しく参加したいヤツはどうすればいいんだ?」
「事前にレディ・アリアにお目通しするか、お前みたいに既存の参加者と一緒に来ればいい。次からは1人で問題ない。あいつらは一度で覚える」
「ふーん。登録制ってワケね。じゃあオレももし来たければ、来年からは1人で参加できるってことか?」
「どう見てもお前、俺の従者ぐらいにしか見えないだろ。商品を運び入れるときや、貴族のぼっちゃんが護衛を連れてきたりするから」
門番の態度の違いはそれが理由らしい。
……しかし、従者ね。
まあ、いいんだけど。
「あ、忘れてた。これ持っててくれ」
ふとサクヤが普通の声の大きさに戻して呟いた。
マントを脱いでこちらに渡してくる。
黙って受け取りながら見ると、サクヤは昼間の服ではなく、簡素ながらも上質の上下の揃いを着ていたので驚いた。
いつの間に――いや、あの宿はいつもこのオークションの為に使ってるらしいし、あそこに置いてあるのか。
こんな服を着ているのだから、きっとドレスコードがあるのだろう。そんな所にオレを連れて入るのなら、従者だと言うしかない。
サクヤが何も言わない内にオレは納得した。
それにしても、こういう服装はサクヤには似合うと言うか、似合わないと言うか。
細身の身体をいわゆる三揃えで包んでいるが。
綺麗な横顔も相まって、正直いい男と言うよりは、男装の麗人にしか見えない。
世の貴婦人方が好んで着ける宝石の類いは着けていなくても。
見事な金髪にしっかりと櫛を入れ、丁寧に編み込んで整えていると、それが一種の装飾のようにも見える。
男性の象徴たる背広とサクヤの美貌。アンマッチなこの姿が、背徳的な美を感じさせることは事実だけど、普通それは似合っているとは言わないだろう。
オレはこっそり呟いた。
「……ドレス着た方が良かったんじゃね?」
「……てめぇ、後で覚えてろ」
やばい、聞かれてた。
監視を気にしたサクヤの返答は小声だった。いつもなら即座に飛んでくる蹴りもなかった。
と言っても、後のことを考えるとあまり喜べない。
サクヤの方から冷気のような嫌な空気が漂ってくる。
背筋を震わせながらオレは、しばらく大人しくしておこう、とそっと誓った。
長い廊下が終わると、先に執事服の男が1人待っていた。
その向こうには細かい金細工で飾られた巨大な扉がある。
執事がこちらに向かって深く礼をする。
「よくぞいらっしゃいました、サクヤ様。我が主人もこれで宴が華やかになると大層お喜びです」
「ああ」
「本日は大変な掘り出し物がございます。手前味噌ではございますが、お楽しみいただけると思っております」
「ああ」
仰々しい挨拶に、サクヤは短く答える。
ほとんど執事と眼も合わせない。
さすがに執事は苦笑して、そっと扉を引いた。
「どうぞ、ごゆるりとお過ごしください」
その横を無言で通り過ぎた。
サクヤの素っ気ない態度はいつも通りとも言えるが。しょっちゅう怒らせているオレには分かる。オレに蹴りを入れてるときと比較すれば、今の態度は蹴りどころか、殺意さえ含まれるくらいに怒っている。
まさしく顔も見たくないというレベルで、執事に一瞥も与えないまま扉をくぐった。
サクヤとこの執事の間に何があったのだろう。
何となく引っ掛かりはしたが、従者が主を放って考え込むワケにも行かないので、オレはサクヤの後を追って、中に入った。
背後で扉が閉まる直前に、背中に視線を感じる。
振り向いた瞬間、閉まりかけた扉の間から、執事が何故かオレを見ている気がしたが――。
すぐに閉ざされた扉の向こうに見えなくなった。
2015/06/05 初回投稿
2015/06/05 言い回しを若干修正
2015/06/07 傍点を追加
2015/06/12 サブタイトル作成
2015/06/20 段落修正
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2016/01/30 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更(恐ろしいことに三つ揃えを三つ巴って誤字ってましたよ! 何着てたのサクヤさん!?)