7 黄金竜
【前回までのあらすじ】色々とサクヤについて思うことはあるけど、それよりもまずは身近に迫ったことを考えなきゃ。ノゾミの眠っている今の内に。守り手達と青葉の国の第二王子の移住会談が始まる。
ディファイの集落から少し離れた森の奥。
真っ暗なはずの森の夜更けに、会談は始まった。
「さて、これでとりあえず顔は見えるようになりましたね」
「ありがとう、イツキ」
あまりに暗いからと言って、仄かな灯りを作ってくれたのはリドル族のイツキだ。細かい魔法の苦手なサクヤが軽く手を上げて礼を述べる。
だけど応えるイツキの表情が少し硬く見えるのは、見間違いじゃないだろう。
この場の雰囲気に呑まれているからか、それとも――。
お互いへの牽制で微妙に距離をあけて集っているために、灯りのある中央近くにいるエイジと3種族の長の顔はどうにか見える、というレベル。
長達の連れている各々の腹心は、シルエットを見るのが精一杯。一応全員を知ってるオレやサクヤは大丈夫だけど、エイジ辺りにしてみれば誰が来てるのか全く分かんないと思う。
そんな薄明りの中。
自分の立ち位置にちょっとばかり緊張しながら、オレは周囲を見渡した。
岩の上に座り込んだグラプルの女王の傍に、直立で控えているキリのがっしりとした肩が見える。片腕を失ったその影は隻腕のハンデを感じさせない程に堂々と胸を張っている。
切り株に腰掛けたエイジの後ろで、黒髪をつやつやと灯りに照らして伸びをしているのはサラだ。リラックスしている風に見せて、小柄な身体はしなやかにいつでも飛び掛かれることを示している。
エイジ達から少し距離を置いて、木に背を預けて立っているのがサクヤ。そんなサクヤの斜め後ろで、イツキが油断なく周囲を見回している。腰の剣は外していても、数少ないリドルの剣士は己の役割を完全に理解しているらしい。
そしてサクヤと女王の間、集落から持ち出した木製の椅子に腰掛けているのは、ディファイの長老トラだった。本来ならその脇を固めるのはイオリだったんだろうけど――先の戦いで亡くなった彼女の代わりに、小柄な弓使いの少女とアキラが立っている。ヤナギはオレ達と同じ位の歳に見えるし、頭の両横で括ってある子供っぽい髪型をしてるけど、弓の腕はすごい。余裕があれば、エイジとどっちが凄いのか競わせてみたいくらいだ。
獣人と青葉の国の4人の長に混じって、サクヤとエイジの間にオレは立ってる。
サクヤにトラに女王、エイジ、そしてオレ。意図した訳ではないんだけど何て綺麗な五角形。
オレからは対角線で少し距離のある女王が、楽しげにこちらを見た。
「さて、君の訴え通り我々はこうして集った訳だけど。戦いの直後で疲労した黒猫と青兎には、休む時間もなくて申し訳ないことだね」
どこか揶揄するような女王の言葉に、サクヤが眉を上げる。
「俺は問題ない。それを言うなら、キリだってカエデの傍を離れたくなかったんじゃないのか?」
煽っているのか無神経なのかはっきりとは判別がつかないが――多分、わざとだ。ようやく目覚めたカエデが、この会談の始まる前にキリと女王とともに小一時間ほど話をしていたのをオレ達は知ってる。
だけどこちらからわざと喧嘩を吹っかけるとは珍しい。ここまで色々あった分だけ、鈍感なサクヤにすら思うところがあるみたいだ。
不機嫌そうに女王がふん、と鼻を鳴らす。
「それに関してはそこの少年と君の作戦勝ち、としようか。カエデとキリが何をしたのかと思ったら、まさか同族殺しとはね……」
言い捨てたついでに、傍にいたキリの足を踏んづけた。
キリは少しだけ顔を歪めたがそれ以上の反応はないので、女王は踏む力をかなり加減したらしい。女王の『物理強化』なら本気を出せばあのまま踏み潰すことも出来る力があるはずだ。
そんな2人にトラが横から声をかける。
「同族殺しを白狼の森に受け入れるんですか?」
皮肉のようにも聞こえるけど、多分そうじゃなくて。
言葉を選ぶ余裕がなかったんだろう。ちょっと上擦った声は――多分サラを何とか森に戻せないかと、糸口を探りたがってるんだ。
そんなトラの動揺には気付かない様子で、女王がつまらなそうに答える。
「勝者が正義、それがグラプルの最上の掟だからね。2人が望むのだから、粛々として受け入れるだけさ。我々にとっては同族殺しの掟より少年の勝利の方が優先する」
彼女の言葉で、初めてオレはキリとカエデの選択の結果を知った。
そうか、森へ戻ることを選んだんだ――。
思わずキリに視線を向けると、キリはちょっと微笑ってオレを見たけど、それ以上は何も言わなかった。
多分それは森を出るよりも辛い選択になる。
それでも全部解っていて、キリとカエデは罪を償うことにした。
それを選ぶと言うなら、オレには何も言うべきことはない。
「ま、我々のことは良いよ。それより集まった目的を果たそう。少年、君からの提案とやらを聞こうじゃないか」
ひらひらと手を振る女王に応えて、オレは一歩足を踏み出す。
素早く息を吸って、この場の全員に聞こえる声を出した。
「お集まり頂いてありがとう。早速話したいんだけど……実は今の話も少し関係がある。白狼のとこで誘拐されたカエデがどういう目に合ってたか……まずは、お互いの持ってる情報を擦り合わせよう。そもそもこの場にいない『原初の五種』なんだけど――」
「――『原初の五種』って言っても、この場にいないのは赤鳥だけよね? 3種族が揃ってるんだから」
黒猫のヤナギが手を挙げながらオレの言葉を補おうとした。
だけど、その声でトラが「やべ、言い忘れてた」って顔をする。それに対してサクヤが呆れた表情を浮かべたのは「お前、まだ自分の一族に伝えてなかったのか」ってことだろう。
2人の長が目と目で交わす会話を他所に、女王が驚いたように目を見開く。
「……ん? 君の一族は何を言ってるんだ。黒猫は数も数えられなくなったってこと? 『原初の五種』なんだから、5種族いるに決まってるじゃないか」
「それは分かってるよ! でもヴァリィは500年前に滅んでるじゃない」
黒猫をバカにするあからさまな言葉に、少しばかり腹立たしそうにヤナギが言い返した。
だけど、ヒデトのことを聞いてなかったらヴァリィをいないものと数えるのはおかしくはないじゃないか。
女王の態度を見て、キリも不思議そうな顔をしてる。
女王は自分の一族の表情を見てから、改めて納得した顔をした。
「ああ、そうか。皆、噂を信じているのか。そう言えば彼女以外とその話をしたことはなかったなぁ……しかし巫女どのは元から知っていてもおかしくないはず……」
女王の訝しげな表情に、サクヤの方は顔を顰める。
「なぜ? 幾らヒデトが我が同胞だったと言っても、その存在を知ったのはつい先日で――」
「――いやいや、そういうことではない。そもそも私にヴァリィは滅んでいない、と教えてくれたのは、先の姫巫女からなのだ」
え、何? じゃあ姫巫女と女王はヴァリィの存在を知ってたってこと?
びっくりしてサクヤの方を向くと、本人も驚いた様子で目を丸くしていた。
オレを見ながら、ふるふると首を振る。
「前の姫巫女は、俺にはそんなこと一言も……」
「おや、君は教わってないのか? まあ、引継ぎが随分早急だったらしいから、そのせいなのかな……。良く考えれば私も自分の一族に積極的に教えたりはしなかったし、実際のところ知っても何がある訳でもない、どうしようもない話だしな」
「どうしようもない、とはどういうことなんですか? 僕もそんな話聞いたことがありませんでした。知っているのは伝説みたいな曖昧な話で、ヴァリィが突然消えたのは誓約を破ったからだろうって……」
前提の話以前の問題で守り手達は盛り上がってる。
ふと、獣人じゃないエイジは話についてこれてるのだろうかとエイジとサラの方を伺うと、ちょうど目があったエイジが「後で説明して」と口パクで要求してきた。
オレは軽く頷いてから、女王に視線を戻した。
女王は全員の視線が自分に集まったことを確認して、前の姫巫女と重ねるようなどこか遠い目つきでサクヤの身体を見る。
「うーん、隠しておく理由もないが……これは先の姫巫女からの又聞きだからな。さすがの私も500の歳は重ねておらん、真偽は知らんぞ。――そうだな。そもそもヴァリィとはどんな獣人か知ってる者はおるかな?」
くるりと周囲を見回しても、全員が首を横に振っていた。
『禁忌の種族』と言われるヴァリィについて、女王以外の誰もその詳細を伝え聞いてはいないらしい。
「そうか、ではそこからだな。――千年を生きた先の姫巫女はな、自らヴァリィに会ったことがあると言っていた。ヴァリィとは黄金竜の獣人なのだと」
「黄金竜……?」
明らかにイメージがわいてなさそうなアキラのぼんやりした声に、女王は優しく微笑んだ。
「具体的な姿かたちは知らんよ。それに、私がその話を聞いた時には既に彼らの姿などどうでも良くなっていたのだ」
「どうでも良いとは――?」
サクヤの問いを聞いて、女王が満足げに頷く。
注目されているのが嬉しいのか、小さな両手を胸元にあてぱたぱたと足を動かす様は本物の少女のようだ。
背中で尻尾を振り回すいとけない姿のままで、女王は話を続けた。
「巫女どのが見た通りさ。黄金竜の獣人であったヴァリィは500年前、人間に襲われて絶滅の危機に瀕した。そこで、元々精神を支配する技に長けていた彼らは、己の身体を捨て人間に乗り移ったのだそうだ。生き延びはしたが、精神だけの存在になってしまってはヴァリィの血を引く子を残すことが出来ない。人間の世に溶け込むために自身の正体も隠す彼らは徐々に数を減らし、歴史から忘れ去られていった。私が先の姫巫女からその話を聞いた時には、彼女自身もその30年前に会ったのを最後にしばらく見ていないと言っていた」
初めて聞いた事実に、トラが思わず椅子から立ち上がった。
「――待って! じゃあヴァリィ族は……!」
「探せば他にもどこかにおるのかもなぁ。ヴァリィの魔術師を名乗る輩がおっても不思議ではないよ」
皮肉っぽい女王の言い方からすると、ヒデトを魔術師だと断定していないのだろう。
確かに、証拠はない。
本人がそう名乗ってるだけだ。もしも魔術師であれば嘘をつけないはずだが、魔術師でなければその前提も無効、証明する方法もない。
だけど。
同じヴァリィの力を持つオレは、良く分かってた。
あれほどの力、魔術師でしかあり得ない。
オレとノゾミがあいつに対抗出来たのは、ただ宝玉の力でしかない。
あの宝玉、あれが――
恐る恐る、と言った様子でトラが言葉を切り出す。
「――あの……それじゃあ、そもそも誓約を破ったからって消滅した種族なんて存在しないってことですか? そのことが誓約を守らなきゃいけない前提だったと信じてたんですが……」
「黒猫ではそう伝わっているのか。私はそんなことを考えたこともなかったよ」
唯一ヴァリィの存在を知っていた女王は、くすくすと笑う。
「長老は誓約を破ってみたいのかね? しかし、私が300年の時をこの姿で過ごしておるのは事実だし、ただの人間であった巫女どのが姫巫女を継ぐとともに不死に近い力を手に入れたのも事実だろうさ。その力をもたらしたのが神か何かは分からぬが、強大な力には相応の制約がかかるのが自然ではないか? それでも試してみたいと言うなら、私は暖かく見守ろう。私はそんなもの確かめるつもりもないが、黒猫が一族を賭けてまで確認したいと言うなら自由にするが良い。後で結果だけ教えておくれ」
他人事のような女王の姿を見て天を仰いだトラは、一度だけサクヤの方を見てから、すぐに首を横に振った。
「……無理です。僕にそんな勇気はない。一族のことを考えれば安全だとわかってる道しか通れない」
「それが普通だろう。俺も無理だ。そんな天秤に同胞を乗せることは出来ない」
「だなぁ。そういうことさ。ただ……ちょっとばかり君らより経験は多いのでねぇ。第二誓約について少しはアドバイス出来るかも知らんよぅ?」
突然艶っぽくなった女王の声が、何故かサクヤではなくてオレに向けられてることにしばらく経ってから気付いた。
集まってくる視線を見渡してはっとする。
ついさっきまで守り手達だけで盛り上がってたので、うっかり返事が遅れた。
「――え、何? オレに言ってるの?」
「君が一番気になってるのじゃないか? それとも巫女どのの方が気にしているのかな?」
からかうような言葉を受けてサクヤの方に視線を投げたけど。
サクヤは一度もこちらに目を向けなかった。女王の話にもこれ以上乗らず、良く通る低い声で話題を本題に戻す。
「脱線したが、ヴァリィの話を続けよう。女王の言う通りヴァリィの魔術師を名乗る男が現れた。元は我が一族のヒデトという男だが、魔術師となり『精神支配』が使えるようになったと言っていた。その力を使って、白狼のカエデという娘を拐かし操ったらしい」
ヒデトの名で、同族のイツキが顔を背けた。
カエデの名を聞いて、女王の傍でキリが拳を握りしめる。
今回襲われたのは黒猫だが、結局これはどの種族にも関わってくる。既に誰かだけが被害者でも、誰かだけが加害者でもない。
オレは周囲を見回しながら、サクヤの話の後を引き取る。
「更にヒデトは人間達を操り獣人を――守り手を自分の手に納めようとしてる。すでに赤鳥は滅び、騎士はヒデトに従って動き出した。エイジ、赤鳥の騎士のツバサは、あの後どうしたんだ?」
突然話を振られても全く動揺しないエイジは、片手を小さく振る。
「捕獲しようかと思ったけど、ちょっとそんな余力なかった。島に置きっぱなしだからあそこにいた傭兵達に回収されてるんじゃない? 俺達と違って転移魔法で帰ってくることは出来ないだろうから、船でこっちに戻ってくる分の時間がかかるとは思うけど」
本当はあのまま殺しておければ一番だったけど、泉を転移するのには準備と人手が必要だったようだから、ツバサの死体を抱えては逃げられかったんだろう。
オレはエイジに頷き返して、再びトラと女王に視線を戻した。
「こんな状況だ。オレ達みんなが生き残るにはお互いに協力した方が良い。出来ればバラバラじゃなく一箇所に纏まって。だから、オレは提案する。皆、今の場所を転移して青葉の国へ移らないか――?」
そんな話を初めて聞いた黒猫のヤナギとアキラが息を呑み、そして白狼の女王が眉を上げた。
この場の全員の視線を浴びながら、オレは緊張で乾いた喉につっかえる唾液を飲み込んだ。
口に出してしまったからには、もう退けない。
オレに出来るのは最後まで誠意を持って、説明することだけだ――
2016/03/11 初回投稿