6 倦怠と悔恨
【前回までのあらすじ】負けたら一生奴隷、なんて無茶苦茶な条件で戦い始めてみたものの、さすがグラプルの女王は強い。だけど、負けられないのはオレだけじゃなくてサクヤの身柄もこの勝負にかかってるからなんだ。
何度目かの攻撃を危うく避けたところで、堪えきれず脳内のノゾミが騒ぎ出した。
【……もう無理だろ、コレ】
【アレ使おうぜ、アレ】
アレ、というのは頭をガリガリするってヤツだ。
分かるけど、それを使うと皆にノゾミの存在を説明せずにはいられなくなる。そうすればどうなるか……オレには分かってる。
だけどこうしてオレ達が迷っている間も、女王は攻撃の手を止めてはくれない。
(ほら、右手だ! 右足、左足――)
(おっ……と、やばいやばい)
(胴体と頭には当てないようにしないとね)
意識に従って、繰り返される攻撃を紙一重でかわしながら。
脳内ではノゾミちゃんと膝詰め会議。
【な、ほら。今ならオレ元気だし】
【ガリガリっと】
ノゾミの言いたいことは分かる。
……でも。
バラしたくない。
エイジやサクヤには。
いつか言うことになるとしても。
せめてノゾミちゃんよりも、オレの方があいつらとの付き合いが長くなるまでは。
【バカか? 何年かかると思ってんだよ】
【オレを超えられるワケないんだから】
【諦めて使えって!】
言うのは簡単だけど。
でも、オレ……。
(右手、右足、左手!)
(随分うまく避けるけど、やっぱ早い訳じゃないんだよなぁ)
(思ったよりつまらなかった)
(終わったら何させて虐めようかな)
女王は狙いを一箇所に定めてくるし、ほとんどフェイントもなしに同じリズムで攻撃してくる。意識を聞いてても、半分上の空だ。手足ばっかり狙ってくるのもそうだけど、きっと間違って当たっても殺さないように手加減してるみたいだし。
その数々の油断と思いやりのおかげで何とか避けられているが、手足を順に引きながら下がるオレはまるでダンスを踊らされてるように見えるはずだ。
ただし、手加減してるにも関わらず、この勢いなら指先がかすっただけで手足は吹っ飛ぶ。グロいダンス。
これだけ甘め対応されてるのに、まだ一度も攻撃もできないなんて。
これ、本当に五分五分か――?
【オレに怒られても困る】
【サクヤの記憶ではこの人こんなに早くなかった】
【30年間で成長したんでしょーよ】
守り手も成長するの!? 何てありがたくない成長だよ!
あぁ、もう! どうやって……
【あのさ、あんたがどうしても使わないって言うなら】
【オレがこの身体ごと使わせてもらうぞ】
【オレは自分が死ぬのも、あいつを】
【誰かに取られるのもごめんだ!】
【どっちかって言うと、特に後者!】
どきり、とした。
そう、サクヤがかかってるんだ。
それだけじゃない、キリやカエデ。
もしかしたらディファイの皆の今後も。
――覚悟が、決まった。
【よし! 行くのか――】
嬉しそうに脳内のノゾミちゃんがじりじりと力を溜める。
オレは、そんなノゾミちゃんの声をやっぱり無視して――
(右腕もらったぁ!)
嬉々として向かってくる女王を、今度は避けなかった。
こちらに来ているはずの彼女に対し、オレは半身の構えをとり剣を振り上げる。
もちろん動きの端々でそんな攻撃は読まれていて、女王は頭の中で嘲笑する。
(あはは、バカじゃないの、この子! 遅すぎる)
(まぐれ当たり狙いなの!? 避けるに決まってる!)
意識が剣先を掠めてオレの右側へかすかに避けた。
まったく無駄のない身のこなしは――避ける先までオレの予想通りのルート。
今まで一撃も仕掛けられなかったオレをバカにしきってて、大きく避けたり退いたり動きにフェイントをかます必要性すら感じなかったらしい。
(同胞の腕を奪った罪を――贖え!)
最短距離でオレの右側面に回り、二の腕に向かってくるツメよりも先に。
向こうからは死角の背中に回した左手で。
剣を掲げた時こそっと投げた古い柄が。
かこーん、と女王の額に当たった。
あの宝玉の嵌ってた柄。
あれ、まだポケットに入れっぱなしだったから……投げてみたんだけど。
予想以上にキレイに当たったのは、女王の油断とオレの器用さのおかげとしか言いようがない。
かつてスリで養った手先のテクニック。
派手な動きで注目を引きつけておき、出来るだけ体幹を動かさずに片手で事を済ます。
強さでも何でもない。手品みたいなもんだ、こんなの。
だけど、事前に決めたルール通りなら先に当てたオレの勝ち。
問題は、負けたからと言って振り下ろす途中の女王のツメはすぐに止まるワケじゃないこと。
だから――この後オレは右手を失うことが、確実で。
タイミングを計ったり、女王が十分に油断するのを待つ以上に、その覚悟を決めるまでに時間かかった。
女王のツメが、本人にも止められないままオレの右腕に向けて走る。
ああ、あんま痛くないと良いなぁ、なんて。
目を閉じたオレの。
【待て待て待て! これはオレの身体でもあるんだよ!】
決意を無視して、脳内のノゾミが無理やり力を解放した。
尻ポケットの宝玉がびりっと振動する。
「――っぎ!?」
振動と時を同じくして、女王の身体が電撃に弾かれたように一瞬びくりとした。
その一瞬。たった一瞬だけど、何とか少しだけ身体をずらす。右腕のかっきり1センチ先を女王のツメが走っていくのを見届けた。
女王はそのまま腕を振り切る。
そして、そこでようやく動きを止めた。
「――それまで!」
響いた声はトラのもの。
これから判定を下す本人が一番驚いた顔をしてオレを見てる。
「――か、カイの勝ちっ!」
ぴぅ、と遠くからエイジの口笛が聞こえてきた。
反対側からオレの方に駆け寄ってくるキリも見える。
女王はスかった自分のツメをしばし見下ろしてから、呆然とオレに目を向ける。
「人間の少年……今、君は――」
ノゾミのジャマーについて何か言いたいらしいけど――ぶっちゃけオレはそのことを話題にしたくない。
少なくともエイジやサクヤのいる、ここでは。
【ええ? 往生際……悪い……】
【あー、もう……あんた手伝ってくれないし】
【……さっきの戦いで使った力も、まだ、戻ってないのに】
【女王にジャマーかけるって、疲れる……】
ノゾミがかったるそうに呟いて。
その言葉を最後に沈黙した。
どうやら力を使い果たして、また眠りについたらしい。
このままずっと黙っててくれるとありがたいんだけどなぁ。
なんて思いながらも、まあ今回は……結果的に助かった。
起きたらありがとうと言わなきゃいけないかもしんない。
そんなことを考えながら、オレは慌てて剣を腰に戻して話を逸らす。
「ほら、オレの勝ち! 約束通り会談の席についてもらうぞ!」
女王は納得いかないようにじろじろとオレを見てたが、ふと息をついて首を振った。
「うん……その話はまた今度にしようか。まずはこのルールで私が負けたのは事実。その結果を受け入れてあげよう」
そっと差し出してきた小さな右手が何を意味しているのか、良く分からなくてしばらく見下ろしていると、近付いてきていたキリが「君も手を出せ」とそっと耳打ちしてくれた。
お言葉に従って手のひらを差し出せば、小さくて熱い手に握り返される。
「人間の割には良く私の攻撃を避け続けたな」
水色の瞳が面白そうにオレを見上げてきた。
にやり、と笑った表情がどことなく怖いのは、全然これ誤魔化されてなくてそのうち白状させられるだろう、とわかっちゃうからだ。
オレは沈黙だけを守ることにした。
楽しそうに笑ったまま手を離した女王は、トラの方を向く。
「さて、じゃあその会談とやらを始めないとねえ、どこにするかな、長老ちゃん」
「――ひゃいっ!?」
相変わらずビビりまくってる。
そんなトラに女王は呆れ半分で笑いかける。
「そこまで恐れなくても……秋の恒例運動会で毎年会ってただろう?」
「ぼ、ぼ、僕が長老になってからは、初めてお会いしてしま――じゃない、しましたので!」
「あぁ、去年はなかったからねぇ、運動会。でも私は君のことを知っているよ。以前よりトモエから聞いていた……」
少し遠くを見るような女王の目を、トラは意外な表情で見下ろす。
「……前の長老は、僕のことをあなたに話してたんですか?」
「俺には言わなかったのにな」
声を上げたのは、いつの間にかオレの後ろへ近付いてきてたサクヤだ。
その不満げな調子に、こちらを向いた女王は苦笑する。
「そりゃ、巫女どのには言えまいよ。そろそろ長老を次に譲ろうかと思う、なんて」
「なぜ」
「君ならきっとトモエを止めるから」
さすがに黙り込んだサクヤが、オレのシャツの袖を掴んでくる。
女王は笑ったまま――少しだけ眉を寄せた。
「私なら止めぬと分かっていたのさ、あの薄情者は」
その複雑な声から感情を読み取るより先に、磨かれたガラスのような水色の瞳がまっすぐにトラを見つめて声を上げる。
「年若きディファイの長老よ」
「……はい」
「我らは長い月日を孤独に過ごすことになる。神と一族に捧げたこの身は時の流れに置いていかれ、日々移りゆく時代の変化とともに一族の全てが君の背にのしかかる」
「はい」
トラの返事には迷いがなかった。
きっと全てきちんと理解して、それでも引き受けた責務だから。
だけどその決意とは別に、これまでその重責を耐え抜いた女王の実体験を余すことなく聞き取りたい、そんな気持ちがトラの黒い瞳には宿っている。
「そんな苦悩を抱えながらも私が今日も女王でいられるのは、我が愛すべき一族がいるからだ。愛しき者に子ができ孫ができ、死の床で『私の代わりに見守っておくれ』と頼まれれば……君もいやとは言えないだろうよ」
「……はい」
応えるトラの声を聞きながら、キリが黙って女王の前に跪いた。
頭にこだわる狼達の、敬意と憧憬を一身に受ける女王は、キリの頭を撫でながら言葉を続ける。
「それを千年続けたのが先の姫巫女さ。さすがの私もついぞ彼女には勝てなんだが――猫はな、飽きっぽいのが難点だ。すぐに長老を辞めたがる。薄情なのだよ、君たちは。長くとも100年を越えず、50年続けば良いところ。千年とは言わぬが、せめて私の半分は続けておくれ」
トラは少し迷ってから、顔を上げて。
「努力します」
と、答えた。
嘘をつかない守り手の誓いのことばは、祈りのように森に響く。
その答えに、女王は満足げに頷いた。
きっと女王の頼みは、トラの心に届いたから。
オレのシャツを掴むサクヤの手に、少しだけ余計に力が籠もる。
「あなたは、先の姫巫女とも付き合いがあったのか。今まで聞いたこともなかったが……」
「ふむ、言わぬのは嘘にはならんからなぁ。先の姫巫女の方が私よりも守り手としては長かった。これだけ続くのなら、この先も安泰かと思っていたが……やはり我らは同じ問題を抱えておるのだろうなぁ」
「問題?」
女王がサクヤを見た表情は、それまでの笑みすら消え失せた無表情だった。
「さっき言っただろう、飽きるのだ。少年との戦い、もしも我が一族を賭けたまま戦って私が負けていたらどうしたと思う?」
「……カイと戦って負けることはないと踏んでいたんだろう?」
「それもあるがね。それでも万一負けた時は、私はその場で次の女王に交替しようと思っていた。そうすれば私は嘘をついたことにはならぬまま、約束を反故に出来る」
永久を生きる守り手に許された、たった1つの解放の時間。
喜びも悲しみも浮かべぬままその言葉を吐いた女王の顔からは、覚悟すら消えていた。
キリが慌てて立ち上がり、女王を見る。
「――女王様」
「そんな怖い顔をするな。何も辞めたいと言ってる訳ではないのだ。守り手を長く続けていれば、皆そうなるのさ。そういう意味でも先の姫巫女は偉大であった。そもそもが長命の種族とは言え、良くぞ千年も保たせたものよ……」
小さく息を飲むトラに向かって、女王は再び微笑みかける。
「分かったな、皆こうなるのだ、覚悟しておけ。共に育った者が全て天に召されてからの100年は長いぞ」
「……心します」
神妙に頷いたトラの視線が一度オレの隣で止まった。
見下ろせば、サクヤはさっきの女王と同じような何も読み取れない顔をしている。
ノゾミは寝てるから、心を読むことは出来ない。
だから、全部推測だけど――きっとサクヤにも女王の気持ちが分かるんだ。
力のない自分を否定する言葉の数々。
島を襲われ一族を囚われたことへの後悔。
妙に攻撃的な姿勢。一族への恐ろしい程の献身。
常に先を歩き、己が身の安全を顧みない。
その言動を見てきたオレには、そうとしか思えない。
何もかも読み通すノゾミに否定されても、なお。
本人が気付かない程に深くで、この人は断罪を望んでいる。
その存在全てを捧げ、二度とは戻らぬ生命を賭けた贖罪を。
だとしたら、オレはこの人に何が出来るんだろう?
望んでその身を危機に晒しているのだとしたら。
オレはノゾミのように、あんたのために永劫を生きようとは思わない。
永久にあんたを守り続けることも出来ない。
ただ、今この瞬間に、偶然あんたの隣にいるだけの人間なのに――
2016/03/08 初回投稿