1 言えない真実
【前回までのあらすじ】見事にヒデトを出し抜いて、ノゾミの力をがんがん使ったオレ。使いすぎて失神しちゃったみたいだけど……気絶する前に聞こえた声、アレ、あいつだよな。あいつを戦場に置きっぱなしにして脱落とは情けない……。
「……さーて、どうするかね、サラ? ん、ヒゲ? いいよいいよ-! じゃあインク取ってよね……」
こそこそと囁く声が聞こえる。
インク、なんて不穏な言葉を聞き取って、オレは慌てて目を開けた。
「あら? 起きちゃった、おはよーさん」
からかうような言葉とともに、目の前に黒いインクの付いた指。
その先に、面白そうに細められた碧眼を発見した。
皮肉っぽく歪んだ表情を見て、オレの意識は一瞬で覚醒した。
驚きでも懐かしさでもない。
怒りで。
「――エイジ!」
「はいはい、少年は寝起きから元気だねー。皆のアイドル、エイジさまですよー」
「うっせぇ、バカ! あんたに今度会ったら、殴ってやろうと思ってたんだよ!」
サクヤ本人にはその気のないエロどっきりの数々を一気に思い出して、立ち上がった。
途端にエイジの後ろにぴたりと寄り添っていたサラが、エイジの背中から距離を取る。
さっきまでくっついていたくせに……どうやらオレには見られたくないらしい。
エイジも何だかしれっとした顔をしている。
何を隠してるんだかと余計に腹が立って、起き抜けの勢いのままに殴りかかった。
だけどオレの隙だらけの攻撃なんかエイジが素直に受けるワケない。
するりと避けられた拳が思い切りスカった。
「何だぁ? 穏やかじゃないね。何で俺が殴られなきゃいけないの」
「あんたね、サクヤやサラにとんでもねぇエロ知識教え過ぎなんだよ!」
避けた先から片手で頭を押えられては動けない。ばたばたと手を動かして胸板を掠めるようにどついても、さすがに体格差が半端ないのでぴくりともしなかった。
「……っ! ちくしょー!」
「はいはい、少年が俺のこの美貌の横顔を殴ろうなんて百年早いっての。……ああ、でもそれで思い出したわ」
ふっ、と突然エイジの手がどけて、オレは勢い余って前にずっこけそうになる。
「――うわ……!?」
たたらを踏んでも、何とかこけずに踏みとどまった。
そんなオレの頭上に。
「はは。今度会ったら殴ろうと思ってたのは俺も一緒なんだよね。少年さ……何でサクヤちゃんのむちゃな取引止めなかったの? 今回の仙桃の国のアレコレにどんだけ損害出てるか分かってる?」
面白そうな声は変わらないままに。
何故か、後頭部に感じる視線の温度だけが一気に下がったような気がした。
その冷たさで、こないだエイジからもらったペーパーバードの文面が珍しく慌ててたことを思い出した。
「いや、あの……オレだって知らなかったんだよ、サクヤがあんな……」
「知らないですむと思ってるのかなぁ?」
「ま、待て! オレより前にサクヤだろ!? 何であいつに直接言わないんだよ!」
「簡単なお話です。サクヤちゃんが俺の言うこと聞くと思う?」
「――ちょ、そんなのずるい! あいつがオレの言うこと聞くと思うのか!?」
「思わないよ。だからまあこれは、ただの八つ当たりだね」
弓を肩に担いだまま、エイジは女を騙す時の見事な微笑を浮かべる。
「歯ぁ食いしばってね」
何なら語尾にハートが付いてんじゃないか、なんて口調で。
握りしめたエイジの拳はオレの頭を直撃した。
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「……痛い」
「あー、どうもすっきりしないなぁ。これはちょっと別のストレス解消が必要かもね」
「はぁ!? じゃオレは何だよ? 殴られ損か!?」
「殴られ損にしたくないならもう一発試してみようか? もしかしたらそれですっきりするかも」
「遠慮します!」
頭のてっぺんを両手で押さえたまま勢い良く答えると、笑いながらエイジは煙草を取り出して火を点けた。
すぱー、と吐き出す煙の向こうで、サラが木の幹に寄り掛かっている。
その表情がいつになくリラックスしているのは……まあ、多分。このくそでかい王子サマがここにいるからなんだろう、きっと。
周囲を見回せば、森の中。
さっきまでいたディファイや人間の兵士達はだれもいない。
いるのはオレとエイジとサラと――?
ああ……今まで気付けなかったけど、サラの向こう、カエデを抱いて座り込んだキリがいる。
水色の瞳と目が合うと、少しだけ頬が緩められた。
「……キリ、無事で良かった! カエデは――」
「大丈夫、支配が解けて眠っているだけだ。サクヤが言った通り、距離を置けばあの男の『精神支配』とやらも届かないらしい」
「その狼サンが少年とそのお姉さんを片手で抱えて連れてきてくれたんだよ。感謝しとけ」
咥え煙草のまま、エイジがオレの頭をポンポン叩く。
「キリ、ありがとう」
「いや、私も君には感謝している。カエデをこうして連れ出せたのは君のおかげだ。サクヤを含めディファイの面々の戦闘はまだ続いているから少し心配ではあるが……カエデを放ってはおけない」
気を失う直前にサクヤの声を聞いたような気がしたのは、気のせいじゃなかったらしい。
遠すぎて音も聞こえないけど、まだ彼らは戦っているのか。
なら、戻らなきゃ。
サクヤを1人には出来ない。
例え、力を使いすぎて眠り込んでるノゾミの能力を、今はアテに出来ないとしても。
オレの表情を見てエイジが肩を竦める。
「少年は本当にサクヤちゃんが大好きだねぇ……。まあ、ちょっと待ちな。今の状況を説明したげるから」
2本目の煙草に火を点けてから、エイジはそこら辺から拾った木の枝で地面に図を書き始めた。
「良い? さっき少年がいたとこがここ。ここでまだサラのお友達とサクヤちゃんは戦ってる。ここがサラの実家のある集落。えっと……剣の……何だっけ?」
「つるぎのほこら」
いつの間にか寄ってきたサラが指先で集落の奥を指した。
「そうそう、それ。ここが剣の祠。で、俺達が今いるのが……この辺かな」
すーっ、と枝の先が集落を挟んで剣の祠と反対側に動く。
戦場と祠の距離感からすると、オレの足だとしばらく走って戻ることになりそうだ。
「えらく遠くまで……」
「しゃーないよ。人間の俺も追放者のサラも剣の祠とやらには入れてもらえんでしょ。サクヤちゃんがさ、獣人に正しく属してないヤツは距離をとらないと敵さんの『精神支配』で操られちゃうって言うからさ」
この前ヒデトの言ったことをサクヤなりに考えた結果、そういう結論になったんだろうか。
ノゾミの力を応用して考えると、あれは自分を中心にして効果範囲が決まってるから、確かに距離を取れば逃れられるという結論は間違っていない。遠くのヤツに働きかけようとすればするほど疲弊するので、現実的に影響を及ぼせる範囲はそう広くもない。さっきのオレも、銃を持った狙撃手のところまで届かせるのが精一杯だった。
「それで、あんたらここにいるのか。あれ? そう言えば師匠は来てないの?」
「サラとサクヤちゃんが来てるのに、これ以上人手を割けませんよ。いきなり人口増えてあっちはあっちで大変なんだから」
その言葉で思い出した。
確かリドルの島にはツバサが行ってて、リドル族の泉を――
「エイジ! 『泉』は――」
「少年のご指示通り、無事青葉の国へ移動したよ」
「『泉』を移動しただと? まさかそれは――リドルの泉を転移したということか? そんなことが出来るんだな……」
横から驚いた声を上げたのはキリだった。
カエデを抱えたまま、ふさふさの尻尾を持ち上げてオレ達を見ている。
「出来たんだよねぇ、これが。さすが若い子の柔軟な発想は違うわ」
「……や、オレも驚いた。本当に転移出来たんだ……」
思わず呟いたオレの言葉を聞いて、エイジの口元から咥えたままの煙草が落ちた。
「はあ? 自信があったから勧めたんじゃないの?」
「いやその、出来るかどうかはサクヤが考えるだろうと思って……とりあえず色んなアイデア出してみようと……」
「確かに、獣人からはそんな考えは出ないだろう……」
唸るようなキリの声を聞いて、それが普通じゃない思い付きだということを改めて理解した。
「ディファイの剣、リドルの泉、グラプルの大樹、グロウスの炎……これらは原初の五種にとって、いや全ての獣人にとって神の身体の一部だと考えられている。剣や炎のように動かせるものなら別だが、泉を動かすなんてことは獣人には考え付かない」
「人間にも無理でしょ。そもそもそんな泉ごと転移しないといけない程大切なものだなんて発想がないわ。ま、今回は少年のハイブリッドなアイデア勝ちってことで」
どうやら褒められているらしい。
ちょっと嬉しい気持ちと共に、気になることが少し。
「あの……それさ、リドル達は揉めなかったの?」
神サマの一部を転移させるなんて、不遜だとか罰当たりだなんて意見も出たんじゃないだろうか?
『泉』の転移が獣人の普通の発想じゃないなら、抵抗があってもおかしくない。
「ん? 聞いてる限りではサクヤちゃんの一言で皆さん沈黙してたよ。転移の魔力も大人しく貸してくれたしねぇ。……内心は知らないけど」
エイジが3本目の煙草の煙を吐きながら、つまらなそうに答えた。
その態度と内容からするに、リドル達はやっぱり納得してないんだろう。
納得しなかったとしても、姫巫女の『宣言』に逆らう一族はいないから、サクヤはそこをうまく利用した、というところか。
なら近いうちにサクヤを通してリドル族達にも納得してもらわないと。
「そうか、泉ですら転移できるのか……」
考え込むように呟くキリに、オレは少しだけ近付いた。
キリの腕の中のカエデはぐったりと眼を閉じている。
それでもカエデの表情からは、いつもどこかにあった苦しそうな感じがなくなってたので、何だか嬉しく思った。
そんなカエデのことも心配なんだが、実はキリのことも心配だ。
失った右腕のことじゃなくて、確認しておかなきゃいけないことがある。
「なぁキリ、あんたさっきカエデと一緒に一族を捨てても良いって言ったよな?」
「ああ……言った」
「あんたに聞くのはバカバカしいけど、一応聞いとく。本気でそう思ってるんだよな?」
「本気でそう思っている」
即答だった。
ま、そうだと思った。
真面目なキリが冗談でそんなこと言うワケない。
「じゃあさ、忠告しとく。あんた絶対にヒデトに近付くな。あんたがそう思ってる限り、あいつは侵食してくる」
「つまり、ヒデトとやらが言っていた守り手の庇護は……」
「うん。あんたと守り手の双方の思い次第でどうにでもなるんだ。あんたが『一族を抜ける覚悟』ってヤツを持ってるなら、もうあんたには庇護はないと思った方が良い。ヴァリィは良くも悪くも『思い』の隙を突いてくる」
「……ずいぶんお勉強したねぇ、少年」
エイジがオレを見て唇を歪めた。
いつものからかうような声だけど、その碧眼は笑ってないことにオレは気付いてた。
気付いてたけど……まだ、何で知ってるか、なんて説明したくない。
だってエイジは、オレとよりノゾミとの方が付き合いが長いんだ。
そんなノゾミがオレの中にいるってバレたら、きっと――エイジは、いやサクヤは――より親しい方を選ぶんじゃないだろうか。
オレが黙ってるのを見て、エイジは諦めたように息を吐いた。
「ま、言いたくないなら良いのよ。無理に聞き出すつもりはないしさ」
そんなエイジから視線を逸らして、オレはもう一度キリを見る。
「だから、キリに頼みがあるんだ。オレは戦場に戻るけど、キリは魔術師に近寄らない方が良い。だからキリには……」
「ちょっと待って。片腕でお姉さん抱えた狼サンに、何を無茶頼もうとしてんの。どうせ人間の俺も魔術師サンには近付けないんでしょ? 手伝うから、仲間外れにするのは止めなさい」
エイジが吸い終わった煙草をぐりぐりと携帯灰皿に押し付けた。
そんなエイジの脇腹に、黙ったままサラがするりと背中を擦り付ける。
どうやらサラも一緒に行くつもりらしい。
「これは……心強いな」
2人に向かってキリが笑う。
ふっさふさの尻尾を左右に振りながら、カエデを抱えたままエイジの前に歩み寄った。
「サラがそれだけ心許しているのだから、人間とは言え貴君も信じるに足る人物なのだろう。改めて名乗ろう。私はキリ、こちらはカエデだ」
「キリ、ね。俺はエイジ。サラ……はもう知ってるんだよな」
さすがにエイジは握手をしようとはしなかった。
右手は半ばから失われているし、左手はカエデを抱えて手一杯。
その代わりに、拳を固めてキリの胸元へ軽く当てた。
「よろしくね、キリ」
「こちらこそ」
サラがそっとそんな2人を見ている。
オレはサラの頭を撫でてから声をかけた。
「じゃ、気を取り直して。3人にお願いしたいのは、こないだペーパーバードのやり取りしてた件なんだけど……」
「何でも言ってくれ。君への恩を返す為どんなことであろうとも大樹に賭けてやり遂げてみせよう」
「じゃー俺は少年にさしたる恩もないけど、この煙草に賭けますかね。禁煙の良い機会かも」
「あんた絶対禁煙すんな。頑張れ」
オレの言葉にキリが苦笑いして、そこで全員がこちらを見た。
その3対の瞳に宿る信頼と友情を感じて。
誇らしい気持ちと。
同じだけの信頼と友情と。
そして、その視線が本来当てられるはずなのは、オレじゃないと――ノゾミのことを思い出して、少しだけ悲しくなった。
2016/02/19 初回投稿
2016/02/20 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2018/03/11 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更