20 つたえたい
【前回までのあらすじ】捕まったディファイの長老トラを助ける為に、トラの追放された妹サラとアキラ、オレは、まずは最大の難関である魔法使いを倒しに敵陣へ向かう。
人間達の視線が陽動のイオリを向いている間がチャンス。
オレ達3人はひっそりと木々に隠れながら、魔法使いの近くへと進む。
サラの方から無言のまま怒りの空気だけが漂ってきた。
何故逃げなかったのかと言いたいんだろうけど。
「バカ、これで逃げたらオレは何のために来たんだよ!」
「おまえの目的なんかしったことか!」
激高するサラの答えに合わせて、すぱん、と尻尾が鞭のようにしなった。
何て答えても、サラの苛立ちを煽るだけのようだ。
だけどそれこそオレだって「知ったことか」だ。オレもあんたも、ただ自分のやりたいようにやってるだけだろ。じゃあオレだって、あんたの忠告なんか知ったことか。
だからオレはそれ以上答えずに走り続けた。
そんなオレ達の存在に、手近にいた兵士が気付いたらしい。
木の影から覗いた兵士とオレの目が合って、見開かれる。お互いに動きが止まったのはたった一瞬で、相手はそのままアキラへ斬りかかってきた。
「くそ、この……獣臭ぇんだよ!」
「誰が臭ぇって!?」
アキラは少し慌てながらも身を屈め剣を避けてから、そいつの首を切り裂く。
悲鳴を上げる暇もなく、兵士はその場に倒れ伏した。
その喉から吹き出る血しぶきの向こうから、別の人間達の声が聞こえる。
「クソ猫の野郎、こんなところまで!」
「お前らどっから来やがった!?」
死んだ兵士と一緒にいた人間達だろう。さっきの声で気付かれてしまった。
このまま誰にも見つからずに進めるなんて甘いことは考えてなかったが、予想よりも少し早い。まだ魔法使いまでの距離はかなりある。
どうしようかと悩みかけた時に、アキラがオレの背中を押して叫んだ。
「お前ら先に行け! ここはおれが止める!」
「お、おい! 大丈夫かよ!?」
格好良いシーンなんだけど、つい聞き返しちゃうのは普段のアキラの言動からして仕方ないと思うんだ。
だけどそんなオレを尻目に、薄情――と言うかアキラと知り合いでも何でもないサラは、あっさりとアキラを置いて先に走り始めてしまった。
「サラ!? ちょ……あぁ、もう! アキラ、死ぬなよ!」
「お、おう……思ったより決断早ぇな。もうちょっとこう……いや……おう! 後は頼んだぞ!」
何かぶつぶつ言ってるアキラを置いて、オレも駆け出した。
先行するサラを追いかけて、人間達の囲みを抜ける。
オレの背中に向けて、人間の制止の声が飛ぶ。
「待て、そこの小僧! てめぇ人間じゃねぇか!?」
「うるせぇよ! お前の相手はおれだ! 人間が人間に敵対して何が悪ぃ! 人間同士で戦争だってしょっちゅうやってんじゃねぇか!」
後方でアキラが人間達に向かって叫ぶ声が聞こえてきた。
その声を聞きながら、オレは前方で揺れるサラの黒い尻尾を見つめる。
獣人の側に人間がいるなんて。
裏切り者? 恥晒し?
だけど、オレはオレの信じる道を行くだけだ。
サクヤと一緒に行くと決めた時に誓った。
獣人の傍にずっといるって。
それをきっかけにアキラやイオリ、トラやサラ、キリとも出会って。
心、通わせて。
そこに種族なんて関係なくて。
ただ、心で。
それに、敵対してるヤツだって本当の意味で人間と言えるのか。
人間の皮を被った獣人。
見た目は人間と獣人の種族争いのように見えるこの戦いには、本当はもっともっと得体の知れないものが隠れてる――。
それにしても、先を行くサラに全く追いつかない。
それどころかどんどん距離を離されてしまう。サラも本気で疾走っているのだろう。
サラの安全の為に、あまり1人で行かせたくないんだけど。
距離を置いた前方でサラの黒い尻尾が一度バネのように沈む。
跳び跳ねて、上から一気に敵の魔法使いのところまで到達しようと言うのだろうが――
――ふと。
ここに来てから誰も見てない例の銃のことを思い出した。
「サラ! 迂闊に跳ぶな、撃たれる!」
(――猫野郎が跳びやがった!)
(あれを狙って――)
耳元を幾つかの声が通り抜けていく。
オレの注意はサラの耳に届かなかったらしい。
次の瞬間には、空中に高く跳んだのが見えた。
それでも、跳ねた直後はっとしたような表情を浮かべたサラが、間近に突き出た枝を掴んだ。その身体が空中でぐんっと軌道を変える。
次の瞬間に。
タン、という音がまばらに鳴って。
「――サラ!」
オレの視線のすぐ先で、どさり、と音を立てて地面に降りてきた。
うまく着地しているが、脇腹を押さえた右手の指先から血がぽたぽたと垂れている。
「おい! 怪我したのか!?」
「……大丈夫、かすっただけ。上からそげきしゅが見えてきづいた。うっかりしてた」
駆け寄ったオレはポケットの中に常備してる包帯を取り出しながら、サラの手をどけさせた。
かすり傷……とは言えないが、服が裂けて少し肉が抉れたくらいで内蔵には問題がない。包帯を巻いてやると、悔しそうにサラが唸った。
今のやり取りでオレ達に気付いた人間が、ちらほらとこちらに追い付いてきていた。
魔法使いとの間に壁のように立ちはだかる人間達をクリアしていかなければならない。
でも、とにかく。
「サラ、あんたの気持ちは分かるが突出すんな。皆で戦ってるんだから」
「……カイのくせに、えらそうなことを言う」
多分すごく興奮してるからだろう。
いつになく口数の多いサラだが、素直っていうのとはちょっと違う。
きっと今まで喋らずにセーブしてた分が漏れている、というだけだ。
それでも、オレの気持ちは上手く伝わったらしい。
一瞬オレの目をちらりと見ると、背中を合わせるように黙ってナイフを構えた。
背中は任せた、ということなんだろう。
とりあえず、あの新兵器。
さっきの様子を見るに、命中率はさして高くないと思う。
着弾点と的の位置に違和感がある。弾が狙い通りに飛んでない。射手の問題と言うより性能の問題なんだと思う。
なら、人間と入り混じってる間は、同士討ちを恐れて、こっちを狙うことは出来ないだろう。
同じ理由で、乱戦になってるアキラとイオリも大丈夫なはずだ。
「さっきの銃、あっちの方に狙撃手がいるんだよな? じゃあ、直線上に人間を挟もう。それで多分オレ達を狙うことは――」
(――バカが。俺が人間の命を惜しむと思うのか)
耳元を掠めて聞こえた声が誰のものか。
考えるまでもなかった。
オレは慌ててサラを小脇に抱え、アキラとイオリの方に向かって叫んだ。
「――アキラ! イオリ! みんな駄目だ、逃げろ!」
突然のことに硬直するサラを持ち上げたまま、木の影に走り込む。
剣戟と悲鳴の中、オレの声は誰にも届かなかったらしい。
ただオレの腕の中のサラだけが身を固くしている。
戦場の中央、ディファイ達と人間達の最も密集した場所。
足元に、光る魔法陣が広がっていく。
それに気付いたヤツと気付かないまま斬り合ってるヤツ。
両方をその内部に含んで――
「――爆散陣」
しゃがれた声が最後の呪文を響かせた直後。
地面に描かれた魔法陣から。
一瞬で広がる閃光と。
爆音。爆風。
風に足を取られそうになって、オレはサラを抱えたまま、その身体を押しつぶすように必死で木の幹にしがみついた。
激しく向かってくる空気の塊に思わず眼を閉じる。
跳ねた小石が頬を、腕を、足を掠めていく。
最初の爆音の後、一瞬、音が全く聞こえなくなった。
聞こえるのは、ただ。
(そうだ……みんな死んじまえば良い)
(人間も、獣人も)
(俺が欲しいのは『剣』と守り手だけだ)
吐き気がする程、自分勝手で。
どこか悲しい、その声だけ。
風がおさまって、腕の中のサラがもごもごと動き出した。
オレはしがみついていた木から身体を離して、眼を開ける。
風が戻って、塞がったようになっていた耳に、少しずつ音が戻ってくる。
そこで初めてこの爆発の魔法の引き起こした結果に気付いた。
いつかサクヤが扉を壊すのに使ってた『爆散陣』だけど、今回はその指定範囲がものすごく広かったんだろう。
それともしっかりと呪文詠唱をした人間の魔法使いの威力は、やはり物凄いものがあるってことなのか。
薙ぎ倒された木々。
空中を漂う土埃。
抉れた地面の広い広い穴。
そして、巻き込まれたディファイ達と。
それより何倍も多くの人間達。
確実に絶命してると分かる者。
死に切れなくて呻く者。
ぱっと見に怪我は見えないけど、爆風で吹っ飛んで、生きているのか死んでるのかぴくりとも動かない者。
そんな折り重なって倒れる身体の向こう。
爆発で見晴らしの良くなった森の先。
静かに佇む黒衣の魔法使いは初老の男だった。
初めてその姿をまともに見たが――やっぱり知らない人だ。
だけど、その濃い灰色の眼の焦点がぼんやりしてることに、すぐに気付いた。
だから同族殺しも忌避感なくやってしまえるんだろう。
カエデと同じように操られてる。
きっと、隣に立つその男に――
「――ヒデト、あんた何てことを!」
「は! 生きてたか、坊や。良かったよ。死体を1個ずつ確認するのは面倒だと思ってたところだ」
言いながら手を振ったので、オレは慌てて再び木の後ろに隠れた。
隣ではオレの手から離れたサラが、同じように木の幹を盾にして向こうを覗いている。
タタタンっ、と重なった音の後に、ちゅぃん、という跳弾の音がオレの足元を抉った。幹越しに弾が打ち込まれる衝撃を背中に感じる。
「あんたなぁ! あんたに従ってる人間達まで巻き添えにするなんて――」
「人間だ獣人だって俺に関係あるか? そもそもお前だって自分の種族を裏切ってるじゃねぇか」
そうさ。オレは人間の癖に人間を裏切ってる。
それは間違いない。
だけどオレは、ただ自分にとって大事なものを選んだだけだ。
あんたはそれより酷い。
どれも全部切り捨ててる。
誰もいらない、って。
そんなのは裏切りですらないじゃないか。
「囮勝負はこっちの勝ちかね。お前んとこの囮は自分の役目を忘れ果ててるみたいだぜ」
銃に狙われて木の後ろから出られないオレを見かねたらしい。
爆心地の向こう、オレと同じように木の後ろに隠れていたイオリが叫ぶ声が聞こえた。
「そんな勝負なんかどうでも良い! あたし達の長老を返しなさい!」
位置の問題なのだろう。この騒音の中、オレの声は皆に届かない。
唯一聞き取ってくれるのはヒデトだけ。向こうの声だけは誰からも良く聞こえるらしい。
オレのところからはイオリの声も聞こえるのに。思わずそちらに視線を移す。
半透明のナイフ――ディファイの剣を握りしめるイオリの数メートル先。
磔にされていた板から爆風に煽られて、倒れ伏す長老の白いローブと長い黒髪が見えた。
そちらに向かってイオリが駆け出す。
いつの間にかそんなイオリの後ろに、アキラが追い付いてきている。
そのことに気付いているのかいないのか、地面に伏せたトラの傍に膝を突いたイオリが、その両肩に手を置いて腕の中に引き起こした。
「長老――トラ、トラ! 大丈夫?」
悲痛な声に呼び覚まされるように。
白いローブを赤く染めたトラが、顔を伏せたままゆっくりと腕を動かして。
(なぁ。ヒトを騙してきた年月で)
(俺を上回るヤツはちょっといないだろ)
(だから、お前らの頭の中なんかすぐに分かる)
(今の爆発がただの目眩ましだなんて)
(ただの目眩ましで味方ごと吹っ飛ばすアホがいるなんて)
(単純なお前らにゃやっぱ見抜けなかったみたいだな――)
場違いな程に明るい声が耳元を掠めたので、オレは思わずイオリからヒデトへ視線を移す。
ちょうどこちらを見ていたヒデトと目が合って、向こうがにやりと唇を歪めた。
そこで、初めて。
今までのヒデトの声は「わざと聞かされた」ものだと気付いた。
「イオリ! ダメだ、違う! それは――」
――それは、トラじゃない!
オレとサラの背中で続く銃声がうるさすぎて、オレの声はイオリに届かない。
長い黒髪の下を覗き込んだイオリが、そこで初めて気付いて、慌てて立ち上がろうとした。
地面から身を起こした白いローブの上から、ずるり、と長い黒髪が落ちて鈍色の髪が覗く。
虚ろな水色の瞳がイオリを見据えて。
白いローブの中から突き出た銀色の光が奔る――
「――イオリぃ!」
気付いたアキラが手を伸ばすけど。
その指が届くより前に。
アキラの目の前で、イオリの身体が銀色に貫かれた。
「くは……っ」
血を吐くイオリの身体を、白いローブは剣の一閃で振り捨てる。
のろのろとした動きで、改めて血塗れの剣を構え直す。
片眼も耳も失ったその鈍色の髪の持ち主――裏切りの狼のことを、オレは良く知っていた。
「待て、カエデ! あんた操られてる――?」
叫んでみても、誰も聞いてはくれない。
わざわざオレにだけヒデトが伝える情報。
爆発の瞬間にトラとカエデが入れ替わってた、なんて。
オレにだけ。
手品のタネ明かしをするような楽しそうな声で。
オレは誰にも伝えられなくて、1人臍を噛むだけだ。
ようやくイオリの傍まで追い付いたアキラがその身体を抱えて、剣を構えたカエデから距離を取る。
「イオリ、イオリ! 死ぬな! すぐ祠へ! 祠ならあのリドルっ子が――」
「……だめ、あきら、おねがい……これを……」
苦しい息の中、イオリの震える腕が。
ディファイの剣をアキラへ向かって差し出してる。
「おねがい……とらを……」
「イオリ! やだ、待ってくれよ!? おれ、まだ――」
(まだ、あんたに何にも言ってなくて――)
悲痛な声が、オレの心臓を震わせた。
きっと他の誰にも聞こえない声。
ヒデトはただ嘲笑っている。
カエデの瞳は焦点を結ばず、ぼんやりと2人を見下ろして。
その先で、イオリの腕は力を失ってぱたりと落ち。
オレの隣にいるサラは、ただじりじりと弾幕の切れる瞬間を待ってる。
だから、アキラのその声を聞き取ったのはオレだけだった。
オレは気付いてたのに。分かってるのに。
誰にも、伝えられないまま。
アキラのすすり泣きを遮って、ヒデトが声を上げる。
「仕留めはしたが『剣』は奪い取り損ねたか。ほら、お前の出番だ。行ってあいつを片付けろ。今行かなきゃ、愛するカエデちゃんが逆に仕留められちまうぞ」
ヒデトの背後からゆらりと立ち上がった影。
ふさふさとした尻尾で、片腕のない男。
「――キリ!」
オレはその名を呼んだけど。
きっとオレの声は聞こえてない。
その首に奴隷の首輪が巻き付いてた。
「おぉおおおぉぉんっ!」
空に響く程高らかに吠えたキリが、ヒデトの後ろから駆け出した。
向かう先は勿論、カエデの傍。
まだ膝を突いて、イオリの名を呼び続けるアキラの元へ。
「キリ! 駄目だ、あんたの敵は――」
「おぉおおぉんっ!」
分かっていても己を止められないキリは雄叫びをあげる。
その声に応えるように、カエデもまた細い声で咆哮を返す。
「おおぉぉんっ!」
2人の狼の吠え声で、アキラが涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた。
力を失ったイオリの手から、そっと『剣』を取る。
「お前ら――お前らみんな殺してやる! この……人間のイヌがぁ!」
「止めろ、アキラ! 違うんだ!」
銃声の合間から叫ぶオレの声は。
誰にも届かない。
みんな自分の心に手一杯で。
どれだけ呼んでも、手を止めなくて。
オレの言葉を誰も聞いてはくれない。
だったら――
【だったら聞かせてやろう】
【あんたの言葉、あいつらの頭へ】
【届けてやろうじゃないか】
オレは、静かに。
尻ポケットに突っ込んでたままの。
かつての愛剣の柄を取り出して、右手に握り込んだ。
「頼むから――オレの声を聴いてくれよ!」
柄に嵌め込まれた宝石がきらりと光る。
その光を握りしめるように、全身で声を上げた。
「――うあぁあああぁっ!」
叫ぶオレの声に合わせて。
耳鳴りのような。
【そうそう、良い感じ】
【もっと力を】
【オレの名前を、呼んで】
耳鳴りのような空気の震えが周囲に広がっていく。
「っ!? お前、何をしてる!? この音は――?」
うろたえたようなヒデトの声が聞こえた。
その直後に。
「ひあぁああぁっ!?」
オレの横で、サラが両耳を押さえてしゃがみ込む。
それと時を同じくして、オレ達の背中を震わせてた銃声が止んだ。
「がぁあぁぁっ!」
「ぐぅ!?」
戦場のあちこちで、生き残った人間とディファイ達が頭を抱えてのたうち回る。
キリが膝を突いて低い声で唸る。
カエデが背を反らせるようにして、叫んでいる。
アキラが両手で顔を覆って身を屈める。
【ほら、オレの名前を】
オレは。
握ってた剣の柄の、嵌っていた宝玉にツメを立てた。
ころり、と転がりでた宝玉を握る。
宝玉を直接握った瞬間に、空気の振動が強くなった。
戦場から上がるうめき声が大きくなる。
【オレの名前を、呼んで】
囁き続ける自分の声に。
ようやく。
オレは返事をした。
「ああ、ノゾミ。あんたの声、やっと聞こえた――」
頭の中でくすくすと笑う声だけが、オレの言葉に応えた――
2016/02/09 初回投稿
2018/03/11 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更