interlude18(前編)
(――ノイズ音)
(――ノイズ音)
(――ノイズ音)
――強制接続――
目を開けた。
視界が悪い。
変に濡れている身体を拭おうとして。
腕を持ち上げたが……重い。
痛い。
(いてててっ!)
(痛い、痛いって!)
(何これ!? オレどこに跳んだの!?)
「サクヤ……目が覚めましたか?」
真上から声がした。
歪む視界を、目を眇めて。
何とか認識する。
「……イツキ……?」
自分を見おろす紅の瞳で。
イツキの腕の中にいると気付いた。
――瞬間に。
理解した。
身体の重さなんてどうでも良かった。
傷の疼きも気にならない。
即座にイツキの腕から滑り降りた。
無茶な動きで、脇腹と右腕が軋むように痛んだが。
(痛ぇ! 痛いって! もっと丁寧に!)
(……あれ? 呼ばれた時間じゃない)
(もっと前だ)
(でも、ツバサとやり合ったよりは後だな)
(だって撃たれたとこ、すげぇ痛ぇ……)
無視した。
「――時間は!? あれからどれだけ経った!」
「……向こうは停泊した砂浜から動いていません」
「動いてない? 何故……?」
「さあ、余裕を見せているのか……。ただ、様子を見に行った者の話ではほとんどが人間の傭兵のようなので、取り纏めるのに苦労しているんじゃないかと思います」
その説明は、確かに納得のいくものだった。
故郷を忘れた獣人ですら。
原初の五種に仕掛けるなど。
しかも一族諸共を狩るなど。
平気な顔では出来まい。
いきおい、人間の兵士で固めざるを得ない。
きっと赤鳥族を攻めた時も。
同じだったはず。
それが。
原初の五種の一種が。
よくもこんな寄せ集めの人間に――
(いや、あれだ)
(あの新兵器――)
銃で狙われたことがその理由だろうか。
あんな武器があるとは予想も出来なかった。
(中に火薬入ってんだろ?)
(炎とは相性悪そうだけど……)
(暴発を恐れなければ、遠距離で狙い撃てる)
(優れた武器だ)
赤鳥とは以前からほとんど交流がない。
種族特性すら、さっき初めて知ったくらいだ。
内乱で揉めていると噂には聞いたが。
まさか、滅びているとは思わなかった。
あれが最後の赤鳥。
最後の騎士ならば。
一族を守るはずの騎士が、何故。
ふと、イツキの背後から。
斜めに日が差してきた。
思わず目を眇めた様子で、気付いたらしい。
イツキが苦々しく呟く。
「あいつら、夜が明けるのを待ってたのかもしれませんね」
「……向こうにはヒデトがついてるからな。知っていてもおかしくない」
月の光で魔力は強まる。
その逆を狙ってくるなら。
今、この時間から、あいつらは動きだす。
――迎え撃たねばならない。
「イツキ。ナチルはどこにいる?」
「皆、近くにいますよ」
言われて周囲を見回して。
島の同胞の全てが傍にいることに、今更気付いた。
木々に囲まれたこの場所が。
どこなのか。
それに。
一族の意志も。
全て、一度に理解した。
「……ここは、泉の洞窟の前か」
「姫巫女ではない俺達は中には入りません。赤鳥達もここから先へいかせない為にいるんです。だから、あなたは――」
イツキの言葉が、そこで止まった。
止めたのは。
(止めたのは)
(あんたの視線だ)
真っ直ぐにその紅の瞳を見つめる。
「少なくとも今の姫巫女は俺だ。俺は――」
イツキの唇が微かに動いたけど。
向こうが何かを言う前に。
「――我が一族とともにある。この命の最後まで」
先に宣言した。
(ああ、口に出してしまった)
(あんたは絶対逃げないとは思ってたけど)
(まさか言っちゃうとは)
(バカ……)
眉をしかめたのは、姫巫女の誓約の。
意味を良く理解しているからだろう。
(絶対に違えることはない)
(あんたの言葉は、一族にとっても)
(遵守すべきものになる……)
同胞達は何を考えていようと。
姫巫女の言葉を守るしかない。
あまり好きではない強制力だけど。
今は、言えて良かった。
イツキの嘆息が聞こえる。
「強情な人だな……」
「義姉の薫陶だろ」
本気で答えれば、こんな時でも微笑みが浮かぶ。
その人のことを考えると、いつだって。
少しだけ心が温まる。
例え、後悔と哀しみを掘り起こしたとしても。
「彼女は強い人でしたから」
目の前のイツキと同じような表情を。
きっと浮かべているのだろう、自分も。
だから。
今こそ、問わねばならないと思った。
(問う? 何を……?)
「……イツキ。もし、あなた達が――」
「はい?」
「――もしも、完全な姫巫女を望むなら……」
口に出した瞬間に、イツキの表情が変わった。
歪めた顔の示すものは、怒りか嘲りか。
「サクヤ。ちょっと黙って下さい。またあなたは余計なことを考えているみたいだ」
「余計? 目の前に敵がいて、今の力では不足があるかもしれないなら、底上げを考えるのは妥当だろう」
答えながら、本当は分かってた。
「あなた達が望むなら」なんて。
責任を被せるようなことせずに。
これも宣言してしまえば良かったんだ。
だけど、俺自身がまだ迷ってるから。
俺の作った苦しみを。
幼い同胞に負わせることが正しいのか。
それに……少しだけ。
これで自分は消えてしまうと考えると。
(怖いんだろ。おかしくないよ)
(誰だってそうだから)
(止めろよ、自分を責めるのは)
一族のためなのに。
身勝手な理由で躊躇する自分を嫌悪した。
イツキの視線が冷ややかなのを見て。
ますます……落ち込んだ。
(イツキがこんな顔してるのは)
(あんたが思ってる理由じゃないんだ)
(むしろ、逆なのに……)
「相手は魔力を燃やすんでしょう? 代替わりしたところで、姫巫女の魔力頼りの状況は変わらない。それでこちらに勝ち目があるんですか? そんな無駄なことなら……」
「逆なんだ。大昔に前の姫巫女が島のおじじ達と話していた口ぶりだと、グロウスの騎士と姫巫女がやりあった場合、勝つのは姫巫女だというようなニュアンスだった。それが押し負けるということは……多分、単純に出力の問題だと思う」
俺が大量の魔力放出に耐えきれないから。
格好の燃料になっているんだ。
魔力の出力を増やすことができれば。
燃え尽きる前に向こうに到達するはず。
だから、やっぱり。
正規の姫巫女なら、こんなことはないのだろう。
(……そうかもしれないけど)
(この運命を選んだのは)
(あんただけじゃないんだろ)
話している内にようやく、吹っ切れた。
彼女には、重荷を背負わせることになるけど。
一族全てが殺されれば。
彼女の生命だってないのだから。
(――おい、何考えてる……)
「ナチルを呼んでくれ。前の姫巫女の時のことを思い出すに、姫巫女を譲ってもしばらくは俺も消えないはずだ。だから――」
「――止めて下さい、黙って!」
厚い手の平で物理的に口を塞がれた。
(イツキ、良くやった!)
「何を言うつもりですか!? イワナがあの時どんな思いであなたを守ったのか、まさか覚えてないとは言わないでしょうね!?」
(……あの時?)
まさか。
分かってる。
イワナが守ってくれた生命だ。
無駄にしたい訳じゃない。
だけど――
俺の表情で大体分かってるのか。
イツキは手を離してくれない。
「責めるつもりではありませんが、あなたを説得するには別の言い様がないのが困る……。とにかく他の話をしましょう。それなら離します」
提案を受けて少し考えたけど、結局頷いた。
このまま作戦も立てられずに。
赤鳥に攻め込まれるのは困る。
おずおずと手の平が離れていく。
それでもイツキの顔色は青いので。
黙ってもう一度頷いて見せた。
「……失礼しました。もう、さっきの話は蒸し返さないと誓ってもらえますね」
「ああ、誓うよ」
その言葉でようやく。
イツキは息を吐いて力を抜いた。
俺ももう、口には出さないことにする。
(口にはってあんた――)
「じゃあ、この先のことを考えましょう」
「うん。作戦を立てようか。皆、武器はある? 攻撃系の魔法が使えないなら、物理攻撃をしかけるしかない。狩りの時に使う弓矢は? 投石器も持ってきた?」
本当は、まともな武器があればもっと良い。
だけど。
同胞達には武器を手にして戦うなど。
経験のない者がほとんどだ。
剣さえ数える程しかないこの島で。
まともな戦士が何人いるのだろう。
確実なのはイツキと、後何人いるか。
(そんな弱々しいのか……)
(そう言えば、トラ達もグラプルの女王も)
(そんなこと言ってたな)
もともと、治癒魔法に特化してる。
その一族を守るのが姫巫女の役目。
そのはずなのに。
俺の代でうまく機能してない。
姫巫女の力不足で。
「一応、武器になりそうなものは大体持ってきましたが……」
イツキの表情も暗い。
結果が分かっているのだろう。
本当は俺と同じで、皆を逃したいに決まっている。
だけど、多分。
同胞達はそれでは納得しないはずだ。
泉と姫巫女を捨てて、避難するなど。
決して。
「見張りはもう置いてあるか?」
「はい。勝手ですが俺の判断で、森の入り口に何箇所か」
「ありがとう。後は武器を割り振って……ここで迎え討とう。遠距離武器を持つ者は木の上に。剣を持つ者は――そうだ、イツキの……」
イツキの剣は。
さっきユナが。
「……ユナは」
「すみません。……俺にはあなたを連れて離れるのが限界でした……剣だけは回収しましたが」
言葉通り、腰に剣を佩いている。
イツキが2人を抱えて走るのは無理だ。
分かっていた。
きっとイツキが表情を変えないのは。
姫巫女を守るという、その責務を。
果たしたと思っているから。
(じゃあ、やっぱり)
(ユナは――)
俺の手の中で、既に呼吸も止まっていた。
あそこから連れて逃げたとしても。
例え同胞達でさえも。
手の施しようはなかったかもしれない。
だけど。
もしかしたら。
(でも、あんたは言わない)
(イツキのせいじゃない)
(自分のせいだって思ってんだろ)
俺がいなければ。
きっとユナは。
(それは違うよ)
(なのに、口に出さないだけで)
(あんた、ずっと考えてる)
こうして攻め込まれて。
他の同胞に同じ道を。
辿らせることになるんだろうか。
周囲を見回せば。
紅の瞳が、俺とイツキを見ている。
姫巫女と泉を守るために。
その柔らかい手に武器を持つ覚悟で。
彼らは逃げないだろう。
俺も逃げない。
だけど、せめて――
「――イツキ。やっぱりナチルを呼んでくれ。一族で最も幼い同胞だ。彼女だけ逃がす訳にはいかないだろうか」
提案に、イツキが少し考え込んだ。
「確かに彼女1人なら、逃げ延びられるかも知れません……」
幼い同胞を救いたいのは。
きっとイツキも同じなのだろう。
(そうだな)
(愛する人の娘でもあるのだから)
「頼む。ナチルを呼んでくれ」
俺の言葉にイツキは。
少し疑問を感じたようだけど。
すぐに。
「あたし、ここにいるよ。サクヤは何のご用なの?」
本人が来た。
その声に。
その姿に。
肩先で揃えた白銀の髪に。
深い紅の瞳に、不満げに尖らせた唇に。
いつか別れた時の義姉の面影を見る。
俺もイツキも、一瞬黙った。
(本当に、そっくりなんだ……)
「ナチル。崖を見に行こう」
約束をしていたから。
ここからなら崖までは近い。
ついでに赤鳥の様子も見える。
俺の言葉が聞こえていた一族達には。
この後に何が起こるか分かったらしい。
手の届く範囲でナチルの髪を撫でては。
気付かれないように別れを告げていた。
(何で本人に言わないんだ)
(騙し討ちみたいなことすんなよ)
ナチルまで「逃げたくない」と言い出したら。
どうすれば良いか、困ってしまうから。
多くの手に撫でられて。
物々しい空気に怯えていた耳が。
ゆっくりと持ち上がって、瞳を細めた。
「約束しただろ。一緒に見に行こう」
手を差し伸べると。
にこりと微笑んだ顔が。
記憶の中の何かを刺激する。
「うん。ナチル、一緒に行く」
俺達を凝視しているイツキに。
「少しだけ離れる。とにかく武器を用意しておいてくれ」
「……分かりました」
声をかけてから、手を繋いで歩きだした。
ナチルとの最後の約束を守るために。
(――あんた!)
(やっぱり、そのつもりなんだろ)
(姫巫女を譲って……)
(――くそ。頼む、誰か……)
(こいつの考えに気付いてくれ……!)
一族達の視線を背中に感じながら。
森へ分け入った。
歩きながら。
「ねぇ、皆なんで集まってたの? お祭りなの?」
途端にナチルの口数が増えた。
大人に囲まれて緊張していたのだろう。
適当に無言で頷き返すとますます喋りだした。
「お祭りはね、リドルのお祭りは楽しいってママが言ってたよ。いっぱいあってね、皆で赤い服着たりね、お歌を歌ったり……あと、きもだめし!」
「肝試しは、今はもうやってない」
そこだけ訂正しておく。
森を抜けると視界が開けた。
崖の向こうには、朝日を反射して輝く波と。
海岸に寄せられた軍船。
白い砂浜。
軍船の周りを取り巻く人間達。
「サクヤ……あの人達、なに?」
俺の腰に抱きついて、足を踏み鳴らす。
完全に寝かせた耳で恐怖が伝わってくるけど。
何も答えられないまま、魔法陣を描く。
(ナチルを安心させるような)
(優しい言葉が浮かんでこない)
(あんたはでまかせ言うわけにはいかないし)
大丈夫、なんて言えないから。
「ねぇ、サクヤはなにしてるの? こないだの魔法?」
「ああ。転移魔法だ」
この前と同じ。
場所を俺が指定して、ナチルの力を使って。
行く先は。
「もうここからお出かけするの? 今度はどこいくの?」
「青葉の国」
ナチルは俺から離れないまま。
頭を胸元に押し付けてくる。
(――痛っ!)
(肩の傷……まだ治りきってない)
優しい言葉はかけられないから。
多少の痛みで。
怯える彼女を突き放す気にはなれない。
「あおばの国にはなにがある? お花は咲く? ママは言ってなかった」
「青葉の国には――友人がいる」
以前島を襲われた時には思い付きもしなかった。
人間の国に逃げ込むなど。
今は。
ナチルを1人で送っても大丈夫だと。
信じられる。
リョウを。
エイジを、アサギを、サラを。
ナギ……は、ちょっとアレだけど。
多分。
カイも、全てが終わればあそこに戻るはずだ。
「サクヤのお友だちがいるんだ。じゃあ、みんなであそべる? あたしも一緒にあそんでくれるかな?」
「きっと」
ナチルをくっつけたまま。
地面に魔法陣を描ききった。
若干雑な気もするが。
(若干じゃないよ)
(アサギの魔法陣見た後だと……)
(――いや、それどころじゃないだろ!)
無視した。
立ち上がり、ナチルに向き直る。
「ナチル」
「なに? もう行く? ナチルおにもつ用意してないよ」
「荷物は良い」
「サクヤもおにもつ、いらないの?」
「俺は行かない」
途端に。
ナチルの瞳に涙が盛り上がる。
「……なんで?」
見開いた瞳で問われて。
何を聞かれているのか、分からない。
(バカ! ナチルはお前と)
(一緒に行くもんだって思ってんだよ)
「あたし……だけなの?」
「そう。だから、頼みがある」
カイに、何かを言伝ようと。
何を言おうかと迷って。
……止めた。
出てくる単語にロクなものがない。
(あんた、本気で消える気か)
(今浮かんだの)
(別れの言葉ばっかりじゃねぇか!)
「頼み、なに?」
だけど一度言いかけてしまったので。
何かを頼まずにはいられなくなった。
慌てて。
言葉を。
「目を閉じて」
静かに瞼に隠れた紅の、その頬の涙を拭った。
2016/01/12 初回投稿
2017/02/12 サブタイトルの番号修正