1 一つ屋根の下
黙々と歩いたのが良かったのか、次の宿場街には予想よりも早く着いた。
サクヤは眠くて仕方ない様子で、途中からは眼を擦りながら歩いていた。あまりにふらふらするから、手を繋ごうとしたら怒られた。
「ほら、サクヤ、通行証返すぞ」
「……ああ」
話しかけても反応がワンテンポ遅いのは、立ったままうとうとしていたらしい。それでも街に入る前にはきちんとフードを被り直していたので、これはほとんど無意識にやっているのだろう。
街に入るときの手続きは、眠そうなサクヤの代わりに、オレが全て終わらせた。今回は顔をわざわざ改めようというようなやる気のある役人ではなかったのが幸いだった。
フードに隠れて見えてはいないけれど、安心して終始眼を閉じていたように思える。勿論、本当のところは分からない。でも、丸1日一緒にいたことで、何となくこの奴隷商人のやりそうなことに予想がついてきた。
「宿、探すか。今ならまだ空いてるだろ」
「……ああ、いつものとこ」
今一つ、やり取りが噛み合わない。
寝ぼけているのかと思ったが、サクヤの言葉をよく考えて、何とか理解した。
「知っている宿があるのか?」
「……そう。右」
どうやらこの街は初めてではないらしい。
ぼんやりしているサクヤを、時に揺り起こし、時にマントを引っ張り、無理矢理に道案内をさせると、そう歩かない内に目的の宿が見えてきた。
宿の前をほうきで掃いていた少女が、こちらに気付いて笑顔を見せる。
「あら、サクヤさん、お久しぶりです」
明るい雰囲気のある翠の瞳がくるくると輝いた。茶色っぽい跳ねたショートカットも、元気の良さを表すように外側に好き勝手跳ねている。年はオレと同じか、少し下くらいだろうか。客商売に必要な愛想の良さを十二分に備えていると思う。
一方、声をかけられた方はフードの下から、愛想なんてゼロの声でぼんやりと返答した。
「……うん、また世話になる」
「はい、毎度です! お父さーん! お客様2名様だよー!」
ぱたぱたと宿の中に駆け込んでいく後ろ姿を見つつ、オレは何となく感動していた。
そう、これだ。これが女の子というヤツだ。
明るくて、表情豊かで、見ているこちらも楽しくなる。
断じて、顔だけ綺麗な毒舌野郎ではない。
――と、思っているのだ。いるのだが。
……あんたのことだよ、そこで立ったままぼんやりしてる人。
サクヤのマントを引っ張って宿の中に入ると、髭面の親父が1人、テーブルの向こうに座っていた。テーブルごしにこちらを見て、のんびりと挨拶をする。
「ああ、よく来たな」
サクヤは頷きながら、銀貨を数枚取り出してテーブルに置いた。親父が金額を見て、オレとサクヤの顔を見比べる。
「一泊か? 今回はえらく時間に余裕がないな。いつ来るかと思っていたが、オークションは今夜だぞ。ぎりぎりのご到着とは忙しない」
「……そう言えば、例の定例会は今日だったか。すっかり忘れていたが、折角だから顔くらいは出しておこうか」
オークション、というからには、やはり本業のオークションということなのだろうか。会話の感じでは、この街で定期的なオークションをやっているらしい。それなりに参加もしているからこそ、こうして定宿があると言うことか。
「おいおい、そんな悠長なことを言っていていいのか? 今回はリドル族が出品されるらしいじゃないか。まさか聞いてないのか?」
宿の親父の一言に、直前までうつらうつらしていたサクヤが、一瞬で眼を覚ました。
さすが商人。儲け話になれば、どんな状態でも意識が戻るということか。
リドル族と言えば、昼間の話にも出てきた伝説級の獣人高級奴隷だ。銀髪に紅の瞳。頭上に兎のような白い耳。それは美しい種族だと聞く。
サクヤもわざわざフードを外して、親父に一歩近寄った。
「――詳しく聞きたい。誰の商品だ?」
「レディ・アリアの伝手で西国のお偉いさんが出品すると聞いたな、今回の目玉だぞ。あんたが聞き漏らすとは珍しい、高級品は専売特許だろう?」
「別件を追いかけてたんだ……しばらくねぐらに帰ってない。失敗したな……」
フードを外したサクヤの顔を見ても、親父は驚かない。この宿で、サクヤが素顔を晒すのは当然ってことなのだろう。かなり気に入って利用しているようだ。
親父の話を聞いたサクヤは、小首を傾げて考え込んでいる。
見るともなくその姿を眺め手持ち無沙汰にしているオレに、宿の表にいた少女が近付いてきた。くりくりとした翠の瞳でオレを見上げて、小声で尋ねてくる。
「ねえねえ、お客さんはサクヤさんのお連れさんだよね? あんまり奴隷っぽくは見えないけど……」
オレの顔をじっと見る表情は興味津々で、年相応の好奇心が見えた。
特に隠すこともないけど全て説明するのは面倒、というのが今のオレの立ち位置。どう答えるか少し悩む。
少女のひそひそ声に気付いた宿の親父が、オレの答えより先に声を上げた。
「こら! アスハ! お客さんの事情を詮索するんじゃないって、いつも言ってるだろう!」
「わー! ごめんなさーい!」
アスハ――というのが、彼女の名前か。そう反省した様子もなく明るい声をあげて、パタパタと走り去っていった。
「すまんね、お客さん。全くあいつ、近頃とみに生意気になって……」
「随分、娘らしくなったじゃないか。母親によく似てきた」
「そうかね。まあ、子どもは成長が早いと言うが本当らしい」
そっけない口ぶりの中に、伸ばした髭の下の唇が緩んでいるのが分かった。
父親らしい親バカっぷりを見せながら、サクヤに向けて鍵を手渡してくる。
「オークションはいつもの時間に始まる。それまでゆっくりしてなよ。あんた、ずいぶん疲れて見えるぞ」
「ああ」
聞いているのかいないのか、適当な返事をしながら鍵を受けとったサクヤは、オレに眼で合図すると部屋へと向かった。迷う様子も見せないのだから、よほど使い慣れた宿らしい。
扉を潜ったサクヤの背中を追って、後から部屋に入る。扉が閉まった途端、オレが何を言う間もなく、マントもブーツもそのままでベッドに飛び込んでしまった。うつ伏せにシーツに頬をつけ、うっとりと眼を閉じた顔をこちらへ向けている。
持ってきた2人分の荷物を、床に置きながら一応声をかけてみる。
「おい」
「……うん」
「マントはとれよ」
「……うん」
「ブーツも」
「……うん」
生返事ばかりで動き出す様子はない。指一本動かすのも面倒なのだろう。
仕方がないので、ベッドに腰かけて、その片足を取った。ブーツの紐を解いてやる。
昨日から好き勝手オレに蹴りを入れてくれるブーツだが、脱がしてみると予想以上に重い。……道理で蹴りが痛いワケだ。
マントのボタンを外し脱がせようとすると、サクヤが軽く腹を浮かせた。されるがままだったので、もう寝落ちしているのかと思っていたけれど、どうやら起きてはいるらしい。
腹の下になっているマントの端を引っ張り出して、壁にかける。脱がしたブーツを揃えてからベッドの上に視線を戻すと、白いシャツと黒いスラックスだけになったサクヤは、随分小さく見えた。
瞼を閉じたまま、ぼんやりした声が投げかけられる。
「なあ……」
「何だよ?」
「……ベルトも、外して」
低く掠れた声を聞いて、一瞬答えに詰まった。
多分、言った本人は、全く意識していないんだろうけど――うつ伏せになってるヤツからベルトを外すってこう……かなり密着しないと出来ないんだけど。つまり、背中から腹に手を回してベルトのバックルを外して、それからこう……一つ一つ吊り下げ紐から抜いてやらなきゃいけないのだ。その細い腰を抱くように腕を巻き付けることを考えると、何だか落ち着かない気持ちになった。
答えるのも面倒になったので、無視することにした。
サクヤはこちらの葛藤を理解しているのかいないのか、それ以上は何も言わず、黙って眼を閉じている。言うだけ言って寝てしまったのかもしれない。
寝てるだけならいいんだけど、もう一度同じ事を言われるのが嫌で、オレはつい口を開く。
「なあ。これ……部屋って2人一緒じゃなきゃダメか?」
小さく首を振られた。
肯定か否定かがよく分からない。反応はしているので、まだ起きてはいるらしいけれど。
しばらく沈黙が続いた後、オレに意味が伝わっていないことに気付いたのだろう。小さな声で捕捉された。
「……誰の金だ?」
――はいはい。
ほぼ文無しのオレが宿に泊まれるのは、お優しいサクヤ様のお恵みですよっと。
まあ、相部屋と言ってもベッドは2つある。とにかく一昼夜歩き続けたことを考えると、マットレスの上で寝られるのは非常にありがたい。
サクヤが使っていない、部屋の反対側にあるベッドに腰をかけて、自分の靴を脱ぐ。そのまま仰向けに倒れ込んだ。
一度転がってしまうと、動きたくなくなる。
サクヤの気持ちが良く分かった。
静かに眼を閉じると、疲れが頭の中でぐるぐる回っているようで、手足が重くなった。
まだ日が高い内からベッドにいるのは、中々にいい気分だ。
部屋に、果物のような甘い匂いが漂っている。昨日から何度も嗅いだ香りのように思えて――何となく、くすぐったいような、気持ちいいような。
それが何の香りなのか頭が理解する前に、オレは何だか幸せな気分で、ゆっくりと意識を手放した。
2015/06/03 初回投稿
2015/06/05 言い回しを若干修正
2015/06/12 サブタイトル作成
2015/06/20 段落修正
2015/08/06 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2015/08/10 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更
2017/08/25 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更