13 頼る・頼られる
【前回までのあらすじ】麻里家の倉庫に潜入した。それぞれに動くサラとキリに気を取られて、注意散漫なオレの目の前に、白刃が迫る――。
左下から迫ってくる刃を、避ける術がない。
先の攻撃で弾かれた自分の剣を、慌てて身体に引き寄せようとしたけど。
それよりも相手の刃の方が早い――。
どうしようもなく、ただ近付く死の影を見詰めていた。
だけど、光る刃の輝きを遮るように、黒い影が。
オレの前方を翻る――
「――サラ!?」
「――っ!」
腹部に翳したサラのナイフが、相手の剣を一瞬だけ受けて――押し負けた。
そのままサラの細い脇腹に、白刃が食い込んだのが見えた。
我を忘れそうになったけど、それでも相手に一瞬の隙が出来たのはぎりぎりで見逃さない。引き寄せた剣を真横に薙いで、傭兵の頭蓋を吹き飛ばした。
「サラっ!」
力を失って崩折れそうになる小さな身体を、左手で必死に支える。
脇腹をおさえている小さな手から、ぼたぼたと血が垂れた。
真っ赤な唇が小さく動いて。
「……このばか」
言葉を吐き出し終わった瞬間に、身体の力が抜けた。
一気に重みを増したサラを両手で抱えて、思い切り揺さぶる。
「サラっ! 起きろ、死ぬな! おい、サラっ!」
「――っふうぅっ!」
「落ち着け! まだ生きてる、とにかく止血しろ!」
慌てるオレを真下から、毛を逆立てて叱ったのはサラで。
真上から降ってきたのはキリの声だった。
見上げれば、肩口を赤く染めたキリがオレの腕をキツく掴んでいる。
その手に握った剣は――さっきまで、カエデが握っていたもの。
キリの背中越しに、カエデが床に伏せているのが見えた。
「カエデは……?」
「気を失わせた。これでここにもう敵はいない。大丈夫だ。落ち着け」
言われて辺りを見回してみると、さっきまでサラが戦っていた傭兵も、いつの間にかもう立ってはいなかった。
サラが片付けてからオレのところに来たのだろうか。いや、キリの服に返り血が付いているから、カエデを気絶させた後に、その剣で最後の傭兵を斬り捨ててからオレに声をかけたんだろう。
「あんた、その肩……」
シャツの肩から、カエデにやられた傷が覗いて血が滴っている。
「私は大丈夫だ。それより、サラを」
言いながら既に、キリは荷物の中から出したタオルでサラの腹を抑えて止血を始めていた。
力を込めて押してるだけなのに、見ているオレの方は膝の力が抜けそうになる。
だって、この短時間の間に、どんどんタオルが血に染まっていく。
それは、明らかに致命傷だった。
「キリ……サラは……」
「大丈夫だ。落ち着け」
その言葉に応えるように、オレの腕の中でサラが呻く。
「……サラ、大丈夫だ、からな……?」
何とかサラを励ましたいんだけど、自分で言っていても信じられない。
だけど、言わずにはいられなかった。
オレの言葉を聞いたサラは不満げに顔をしかめ、キリだけが大きく頷き返してくれた。
「そうだ、大丈夫だとも。ナイフをうまくこじ入れて、深く斬り込まれるのを避けたんだな。直撃すれば一刀両断だった。これならまだ間に合う――」
サラを間に挟んで、水色の瞳が至近距離からオレの眼を覗き込む。
その瞳の色で、言葉ほどキリが落ち着いていないことが、ようやく分かった。
思い返せば、さっきから「大丈夫」と「落ち着け」の使用率が高すぎる。
「――良いか? リドル族は治癒の術に長けた一族だ。残念なことに今代の姫巫女は治癒魔法は使えないが、連絡を取りさえすれば、他の者がすぐに転移魔法で移動して来れるはずだ。サクヤと連絡を取る方法は何かないのか?」
ゆっくりと尋ねられたけど。
――そんなものはないんだ。
ペーパーバードは、島へ行ったことのあるヤツにしか使えない。
サクヤを呼ぶどころか、今の状況を伝える方法すらない。
このままじゃサラは――
「……オレのせいで……」
誰かに全てを預けることが出来なくて、余所見ばっかりしてたオレのせいで。
なのに、何で死にかけてるのはオレじゃないんだ。
全部代われれば良いのに。
こんなオレなんかより、サラが元気でいた方がよっぽど。
自己嫌悪と自嘲で背が丸くなる。
「――カイ、先に謝っておく。すまない」
そんな、頭を伏せたオレの頭上から、唐突にキリが謝罪を告げた。
脈絡もないその言葉に。
「え?」
顔を上げた瞬間――頬を張られた。
すぱん、と小気味良い音とともに、衝撃で一瞬身体がふらつく。
それでも何とかサラを両手で抱いて、たたらを踏んで堪えた。
――はずなのに、そこにサラが。
がつん、と真下から顎を殴ってきた。
痛いと言うより衝撃で目がちかちかして、くらくらした足元が不安定で、サラを抱いたまま尻もちをついた。
「何すんだよ、サラ!」
腕から何とか落とさずにすんだけど。
こんな傷で床にぶつかれば本人が一番危険だったから、本気でムカついた。
だけど、サラは何も言い返しはしない。
ただその黒い瞳がオレを捉えて、小さく笑った――直後に、そっと瞼を閉じる。
「サラ――!」
揺さぶって起こそうとしたオレを、しゃがみ込んだキリが押し留める。
「止めておけ。安静にさせた方が良い。……良いか? 君をリーダだと言ったのは私だ。サクヤに見事な指示を出していたから、君がそういう位置に慣れていないとは思わなかった。これは私の判断ミスだ。だから、私には君を断罪するなどということは出来ない」
「……キリ」
「ましてやサラは自分から君の前に飛び込んだ。それはサラの意志で、受けきれなかったのはサラの未熟だ。君はそれを甘受すれば良い。それが――友達と言うものだろう?」
オレを叩く為に一瞬だけ離した手を、キリが再びサラの腹に置いた。
その手が力強く優しく見えて。
低く落ち着いた声に。
熱い頬の痛みに。
じんじんする顎の疼きに。
何より、温かいサラの身体に――オレの心は徐々に平静を取り戻す。
「私達はいつだって君を放って自分の道を行くことが出来た。それをこうして共にいるのは全て自分の意志だ。自分のやりたいようにやっている、それだけだ。だから――今のは、それを忘れている君への忠告だ」
「うん……」
リーダに相応しくないオレに。
渦巻く不安に浮足立ってたオレに。
それでもついてきてくれた2人は、オレを見捨てなかった。
きっと同じ気持ちなんだ。
オレだって、サラを諦めたりしないから。
「……ありがとう、キリ。」
「うん。しかし、とにかく何かこの状況を打開する方法を――勿論私も考えているが、こういう時は君が一番悪知恵が働くだろう?」
キリは皮肉っぽく笑ったけど、内心ヒヤヒヤしているのが勝手に分かってしまう。いつも誇らしげに振られている尻尾が、さっきからずっとカチカチに萎縮して丸まってた。
それでも笑って見せてくれるキリに励まされて、オレは腕の中のサラを見た。
出血のせいか怪我のショックか、完全に気を失っている。
本当は一刻の猶予もないのに、落ち込むことが目に見えてたオレの為だけに、最後の一発を取っておいてくれたんだろう。
この期待に、応えなきゃいけない。
それは、リーダとしての義務なんかじゃなくて。
ただ、1人の友人として。
とにかく、頭の中の使えそうな情報をひっくり返すことにした。
かばんの中を逆さにしてぶち撒けるように、かき回して。
良く考えろ。
サクヤには連絡が取れない。
こちらに来て欲しいなどと伝える方法もない。
だから今、出来るのは――
――あ。
「そうだ……」
「何かあるのか!?」
途端に上擦った声を聞けば、ここまでのキリの無理が痛いほどに伝わってきた。
きっと余りにオレが情けない状態だったから、どうにか落ち着いて見せてくれたんだ。
その心遣いに感謝しながら、オレは改めてサラの身体を抱え直して立ち上がる。
「サクヤじゃない。青葉の国と連絡を取ろう!」
「青葉の国……?」
「神殿に行くんだ! どんな小さな町でも神殿はあるってサクヤが言ってた! ならこの町にも神殿があるはずだ! 青葉の国には治癒魔法の使える人がいて、その人となら即時通信が出来るんだ! 今から呼んですぐに来てもらえば……」
ポケットの中の金色のメダルを脳裡に思い浮かべる。
そうだ、アサギなら神殿の間でなら転移魔法が使えるし、大神官なんだからきっと治癒魔法だって……!
大事なものだけど、アサギに迷惑かけるけど――今使わずにいつ使う!?
「キリ、カエデを頼む。オレ行ってくるから」
「分かった」
キリは、たった一言でオレを信じた。
背後で気を失ったままのカエデをちらりと見て、頷きを返してくれる。
「後から必ず行く」
「うん、後で!」
その返事を聞いてから、サラを抱えて駆け出した。
もう誰も止める人のいない倉庫の入り口を堂々と出て、町の中央に向けて走る。
倉庫の外は、朝焼けが始まっていた。
眩しい光を目の端に感じながら、神殿を探す。
明るくなっていて良かった。来たこともない町だけど、何とか建物の様子が見えて――神殿のシンボルマークになっている綺麗なお姉さんのレリーフを見付けることが出来た。
サラを抱えて両手が塞がってるので、足でガンガン扉を蹴る。
「おい! 起きてくれ! 開けて!」
中には神官がいるはずだから、諦めなければ絶対開けてくれる。
その信念を持ってひたすらに扉をガツガツと蹴り続けていると、中から声が聞こえた。
「……どなたですか……?」
「怪我人なんだ! 助けてくれよ! 大神官サマから許可貰ってるんだ!」
取り留めのない言葉だけど、「怪我人」が良かったのか「大神官サマ」の言葉が効いたのか、内側から扉が開いて寝起きの顔した男が姿を現した。
閉められては困るので、開いた隙間から無理矢理に身体を捩じ込むと、そこは広い礼拝堂になっている。普段だったら多少は見物したかもしれないけど、今はそんな気も起きない。
男の視線が、腕の中のサラを見付けて硬直した。
「……これは……」
「良いからオレのポケット探って! こっち!」
説明の時間も惜しい。
ズボンのポケットをケツごと差し出すと、少しだけ躊躇した後、男はポケットの中に手を入れて例の金色のメダルを取り出した。
「……即時通信の許可証……!?」
「早く! 青葉の国のアサギに繋いで!」
「あ、わ……分かりました、すぐに!」
男が走り去ると、途端に神殿の中は静かになった。
徐々に差し込んでくる日の光に照らされて、礼拝堂に並んでいる椅子の向こう、神殿の唯一神である女神の像が白く光っている。
その中途半端な微笑みを見上げてから、こうして待っている時間が惜しくて、オレは去って行った男の後をサラを抱えたまま勝手に追い掛けた。
赤い絨毯の敷かれた廊下をばたばた走っていると、向こうからさっきの男がやってくる。
「あの……繋がりましたので!」
慌てているのはオレの腕の中のサラが血塗れだからなのか、大神官サマが関わっているような大事だからなのか。多分、両方だと思うけど。
男に先導されて、小さな部屋の扉を潜る。
中に入った瞬間に、青い光があちこちで仄かに輝いていて――すぐに、魔法陣だと分かった。
壁にも床にも一面の魔法陣が青く光る中、部屋の中央に白い影が立っている。
良く見ればそれは、ぼんやりと透けた白いローブで、オレの視線に応えるようにふわりとこちらを振り向いた。
『……カイさん』
「アサギ!」
魔法陣の生み出した幻影のアサギと目が合った。
アサギは一瞬、微笑みを浮かべそうになって――すぐにその表情を真剣なものに戻す。
『サラ……!』
「ごめん、アサギ。何とか治癒魔法を……」
本当はもっとたくさん謝りたい。
オレの都合でサラを連れ出して怪我させて、それなのに困ったらアサギに頼るなんて……最悪だ。
自責の念に圧し潰されそうになるけど、それでもそうは言わないで。
とにかく、言うべきことを言った。
オレの謝罪も言い訳も、今は意味がない。
サラの生命を永らえられるのなら、誰に罵られようが構わない。
だけど、アサギから返ってきたのは予想外の反応だった。
いつも笑顔で頷く優しいアサギが、泣きそうに困った顔をしてる。
「アサギ……?」
『カイさん……実は――』
「――ダメなんです!」
背後からさっきの男が突然叫んだ。
オレに言わせれば「あんたまだいたの!?」ってとこだから、背中でいきなり大声を出されて、とてもびっくりした。
しかもその内容がまた腹立たしい。
苛立ちと焦りを前面に出して、オレは言い返した。
「ダメ!? 何だよ、あんた! この事態見てそんな決まりとか――」
『カイさん、違うんです! 決まりなんてことじゃなくて、現実的に不可能なんです』
「不可能!?」
「先日、隣国の銀行に押し入った盗賊が、この辺りの転移魔法陣を破壊して回ったんです! この神殿の魔法陣も破壊されて……修復にはあと数週間はかかると……」
魔法陣の破壊――その言葉で思い出した。
確かにこないだ、それで金を集めるのに苦労したんだ。
この町は蔵の国でも西の方にあるから、仙桃の国にとても近い。
「――そんな……」
『我々神官はサクヤさんのような魔法使いとは違って、神殿にある数々の道具を使って、何とか『奇跡』を起こしているのです。転移先に魔法陣がなくては転移は出来ません……』
「じゃあ、あの――こないだ使ってた杖は……!?」
『あれは大神官以上の神官だけが管理しているもの。そちらの神殿には――』
「――まさか! こんな小さな神殿に大神官様などいらっしゃいません! もちろん聖杖などありません!」
これじゃあ、アサギがここに転移してくることは出来ない。
蔵の国の王都辺りまで行けば魔法陣も無事かもしれないし、大神官もいるのかも知れないが、王都からこの町までは半日かかる。既にこれだけ揺すっても意識の戻らないサラがこのまま半日も耐え切れるとは……到底思えなかった。
『とにかく……後ろの助神官の方、あなたも治癒魔法は使えますね?』
「た、多少は……」
『ではお願いします。少しでも時間を――』
オレの背後に立ったままの男が、弾かれたように駆け寄ってくる。
その表情は真剣だ。彼は彼なりに怪我人を助けたいと思ってくれているのだろう。
彼のやりやすいように、オレは抱いていたサラを床の上に静かに下ろした。
「偉大なる母の御名を唱えます
我が心かけて太陽を駆る馬車を呼びます――」
男がサラの脇腹を両手で押さえながら、一生懸命呪文を唱えている。
だけど、その様子を見たアサギの顔色は青くなった。きっと期待してたより男の治癒魔法のレベルが低いんだ。サラの回復に必要なだけの治癒魔法がかけられてないんだと思う。
オレは引き続きアサギに向かって話しかける。
「傷が深くて……このままじゃ……」
『えぇ……その、それで……今考えていたのですが――』
悩ましげに顎先に拳を当てるアサギの、次の言葉を待つ間に。
ローブの後ろから、ひょこり、ともう1つ幻影が現れた。
身長はアサギの胸元くらいまでしかない。
人間で言えば10歳にも満たないだろう少女の幻影。
だけど、その頭上には白く長い耳が伸びていた。
肩先でさらりと白銀の髪が揺れ、紅の瞳がまっすぐにサラを見据える。
『彼女、死にかけてるの?』
あどけない声を、どこかで聞いたことがあるような気がする。
しばらく分からなくて、記憶を探った。
そうだ、前に聞いた時はもっと――
――そこで、ようやく。
声の持ち主の名前に思い当たった。
「――あんた、まさかナチル!? どうして……?」
すぐに分からなかったのは、最後に会った時とあまりに印象が違ったからだ。
頼りなげな若い娘の姿をしていたナチルが、利発そうな少女の姿に――まるで、時を逆戻りさせたかのように、心と身体を入れ替えたかのように変わっている。
『久し振りね……って言っても、前のことは何だかぼんやりとしか覚えていないんだけど。その節はお世話になりました』
勝気な声色ながら、あくまで丁寧に頭を下げる様子を見てると……何となく以前の姿を彷彿とした。絶世の美女なのに、えらく子供っぽく喧嘩をしかけてくる姿を。
だけど――いや、そんなことより。
彼女が少女の姿で青葉の国にいることに、とてつもない不安を感じる。
ナチルがここにいるなら――サクヤは……あいつはどうしてる?
だってサクヤは、姫巫女を――
不安にかられて足を踏み出した時。
(……カイ)
どくり、と心臓が鳴った。
(――カイ)
聞き慣れた甘い声。
どこからか響いてくるその声に。
「サクヤ――?」
答えた瞬間に、くらりと、身体が揺れた。
(――カイっ!)
視界が暗転する。
床に膝を突いた瞬間に、血相を変えたアサギが駆け寄ってきたのが見えた。
だけど、幻の腕はすり抜けて、オレの身体は床に倒れていく。
「――カイさん!?」
「アサギ……サラを――」
聞こえるかどうかも分からないけど。
頼りきりで申し訳ないけど。
囁いた言葉を最後に。
オレの意識は途切れた――
次回はinterludeです。
2016/01/08 初回投稿