12 その重さ
【前回までのあらすじ】ディファイ族を助ける為に、麻里家の倉庫に忍び込もうとするオレとキリとサラ。何となくサクヤが心配な気はするんだけど……まあとりあえず目先のこと片付けないとな。さあ、潜入開始だ!
倉庫に着いた時点では、まだ辺りは薄暗かった。
選択肢は2つ。
今夜は見送って、明日の夜に侵入するか。それとも、今夜これから潜り込むか。
疲れてるし。もうすぐ朝だし。
本当は、一眠りして下調べして明日にすれば良いんだろうけど。
――何故か。
急げ、と頭の中で声がした。
広い倉庫の外観を掴むために、ぐるりと一周だけ回った後。
倉庫の死角の壁に、オレと一緒に隠れているサラとキリにそっと尋ねる。
「なあ、まだ日も上りきってないし、これからすぐ潜入するって……ダメかな?」
キリのふさふさの尻尾は水平に伸ばされて、微かに揺れている。
眉を寄せているのは、やはり不安があると言いたいのだろう。
「先だって、君達があのリドルの娘と話していた間に聞いたのだが……サラはあのディファイの長老の妹御なのだって? 随分頼れる仲間じゃないか。単独調査もお手の物だと言うし、今日は手分けして周辺の調査に当たり、今夜再び日が暮れてからゆっくりと潜入するのではどうかと、私は進言する」
「分かってる。でも――」
――でも、何なんだろう。
自分でも何とも言えないから、言葉に詰まった。
オレの表情を見て、諦めたようにキリが笑う。
「……まあ、あくまで今のは私の見解だ。君がそう言うなら行こう」
「キリ――」
「――時間がないのは事実だ。ほら、サラもやる気のようだ。我らは君の決定に従おう」
「……ありがと」
笑い返すと、キリの微笑みが深くなった。
尻尾がふぁっさふぁっさと大きく揺れ始める。
黙って下を見ているサラも耳だけはこちらを向いていて……何も言わないということは、多分肯定なのだろう。
少しだけ不安を抱えながらも。
2人の承諾に背中を押されて、オレは即時潜入を決意した。
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できるだけ目立たないようこっそりと、倉庫の端から屋根によじ登った。誰にも見られない為に姿勢を低くしたまま3人で相談する。
サラの黒い瞳が無言で「どうするんだよ?」と問うてきた。
「今ぐるっと回った時にさ、何かトイレみたいなとこあったじゃん」
「ああ。あの小さい窓だな。私もあれは厠だと思う」
「あそこからなら、見つかりにくいんじゃないかな」
キリが無言で頷き、サラは答えないまま即座にトイレ(仮)へ向かう。
――正直に言う。
オレ、別に何のすごい能力もない。
トイレ(仮)はどうかな? って、ただ思ったことをそのまま言っただけだ。
本当はちょっとダメ出しとか、そうでなくても意見が欲しい。それを元に、本当にトイレ(仮)から入る、で良いのか考えたい。
だけど。
群れのリーダに従うタイプのキリと、基本的に自分でモノを考えないサラ。
この2人と一緒に動く場合には、オレが指示をして、その結果の全責任を取らなきゃいけないらしい。
2人の生命を預かってると思ったら……何だか突然、両肩に荷物が乗ったような気がした。
今までは知らない内に、この役、サクヤが背負ってたんだろう。
サクヤの指示に従って、オレは走ってただけだった。
あいつが「俺は死なないから」って言う度に、その庇われる感じにムカついてたけど。
ようやく分かった。
庇わずにはいられない。
この重さ。この怖さ。
サクヤはいつも、こんな重みに耐えてたのか。
こうして考えると、意外にあいつは偉大だった。
自分勝手でわがままで説明もなしに動くけれども、考えるべきことは考えている。
だいぶ乱暴だし、力任せな部分は否めないが。
それでも、オレのように迷って怯えたりはしない。
なのに、そんなサクヤが今は不在で、どんなに不安でもオレがやるしかない。
胸に突き刺さるような不安感を抱えたまま、覚悟を決めて拳を握りしめた。
屋根から半身をぶら下げたサラが、トイレ(仮)の窓を静かに開け、そのまま滑り込むようにその中に身体を入れた。
慌ててオレも屋根の端に駆け寄り、後に続こうとしたところで、キリに止められる。
「今は様子見の時間だ。君の目となって先を見通すのが斥候の役目なのだから。君はもう少し待て」
「え? 斥候?」
「そうだ。そして前衛が君の為に道を切り開く」
「キリが前衛?」
「この人員なら、そう用兵することを推奨する」
いつの間にやら、キリの中では(勝手に)役割分担の計画ができているらしい。
サクヤといる時はサクヤがメインアタッカーで、オレは良くも悪くもサポートしかさせてもらえなかったから、分担と言うほどのことはなかった。そもそもオレが決めたことじゃない。サクヤといるならこれしかない、みたいな選択の余地のないサポート役だ。
ディファイの一族だって、何となくトップは決まってたけど、その他は皆適宜その場で判断、みたいなとこがある。
だから、こんな風に明確に言われたのは初めてだった。
「……えっと……分かった。じゃあ、サラの帰りを待とう」
「うん。今回は君が群れのリーダだ。よろしく頼む」
予想以上の大役にオレが目を白黒させている内に、トイレ(仮)の窓に乗っかったサラが、屋根の上に黒い瞳を覗かせた。
その背中でくいくいと尻尾を曲げて手招きしている。
キリはオレに笑いかけると、再びトイレ(仮)に戻るサラの後を追った。
さすがに猫のように屋根の上から直接窓の中へ滑り込むような動きは、キリには出来ないらしい。一旦両腕で屋根から身体をぶらりと下げてから、振り子のように揺れてその勢いで窓に身体を捩じ込んだ。
まあ、オレからすればどっちもすごいとしか言いようがない。
何がすごいって、あれ、中で着地どうしてんだ……?
そもそも2人とも屋根から窓の中へ移るのに5秒もかかってない。
やっぱり身体能力は人間より獣人の方が圧倒的に上だ。
オレはため息をついてから、自分も屋根から懸垂のようにぶら下がった。
キリの動きを参考にしてるんだけど……スマートさが失せているのは、許してほしい。
ぐいぐいと腕の力を使って少しだけ身体を持ち上げ、窓枠に足をかける。
足の力で窓の中へ飛び込むように跳ねて、屋根にかけたままの手を離せば、何とか身体は窓の中へ入り込んだ。
向こう側で構えていたキリが、全身でオレの身体を支えてくれた。
「……さ、さんきゅ」
無言のまま尻尾をふぁっさふぁっさと揺すったキリが、小さく微笑んでオレの身体を離した。
周囲を見回して見れば、やっぱりここはトイレ(仮じゃなくなった)だ。
割と広さがあって良かった。狭いと……3人でギュウギュウに密着することになるだろう。サラは良いとして、キリにそんな密着するのはあんま嬉しくない。……さっきやったけど。
オレがそんなくだらないことを考えてる間に、サラはトイレの扉を開けて外を窺っている。扉の向こうの安全を確認した黒い尻尾が、また手招きした。
少しだけ開いた扉の隙間からするすると出ていくサラの後を、堂々と扉を開いてキリが続く。
そのもふもふの尻尾をオレが追い掛けた。
扉の向こうは廊下。
オレ達は最初の隊列で、一列に並んで廊下を歩く。
一般にこういう直線の隊列を「勇者並び」と呼ぶらしい。以前、師匠がそんなことを言っていた。
何か……古の勇者にまつわる言葉だそうだけど、詳しい話は誰も知らない。
あ、でも「勇者並び」は先頭にリーダが来るんだったっけ。
時々先頭のサラは足を止める。前方を警戒してるんだろうか。
だけど、キリもちょくちょく立ち止まって、鼻をすんすん言わせていた。
何かが2人には気になるらしい。
オレもそんな2人が気になるけど、声を出すわけにいかないので、説明を受けられないまま黙って後をついていった。
それ以外は順調。静かに歩を進める。
廊下にはところどころ木箱が置いてあるくらいで、装飾なんかは何もない。
倉庫の中だもんな。いくら麻里家の持ち物と言っても、そう豪華に作るもんでもないんだろう。
軋む板床を出来るだけ音を立てないように歩いていたら、前方のキリがついに完全に動きを止めた。
その先には、壁に張り付いて、油断なく曲がり角の向こうを覗いているサラが見える。
最初は何かわからなかったけど。
空中に漂う匂いで気が付いた。
錆びた鉄のような、特徴のある刺激臭。
オレより嗅覚の鋭い2人は先に気付いていたのだろう。
同時に、角の向こうからくぐもった男の叫び声が聞こえてきた。
「――君は……!? あぁ、私は君を知っているぞ! 同族同士で何故こんな――っぎゃあぁ!?」
びくり、とキリの背に力が入った。
ぐるる……と、唸る唇から牙の先が見えている。
すぐにも飛び出しそうなその身体。
多分、オレと同じことを考えているはずだ。
この曲がり角の向こうにいるのは――
「――もう気配は覚えたって言っただろう」
冷ややかに響く声を、何度か聞いたことがある。
裏切りの白狼――カエデの、どこか投げやりな諦めたような声だった。
「出ておいでよ、黒猫の娘。ちょっと時期が早いけど、恒例の大運動会といこうじゃないか」
その言葉を待っていたようにサラが飛び出し、曲がり角の向こうの扉を乱暴に開く。サラの合図を待たないままに、キリが後を追った。
慌ててオレも腰の剣を抜きながら、2人の尻尾を追い掛ける。
扉の先は広い空間で、そこは。
血で、赤く染まっていた。
「……最も、生きている黒白の獣は君達だけだけどね」
立っているのは耳も尻尾も持たぬものだけ。
この凶行の犯人であろう、武装して血にまみれた人間達が8人と、カエデ。
床に転がる死体は皆、尻尾を持っている。
多分、狩りにあって、この倉庫に閉じ込められていた獣人達だ。しっぽや耳の特徴から、累々と重なる死体の中にディファイ族が何人も含まれていることはすぐに分かった。
そして最後の1人、白いふさふさした尻尾の獣人が、カエデの足元に伏せている。
人間達の1人が、驚いた顔をしてカエデに近寄った。
「……お知り合いですか?」
「まあそれなりに。でも知り合いだからって手を緩める必要はないよ。麻里公爵からの依頼の内容は変わらない、この場にいる獣人の駆除だ。君達は金の分働いてくれれば良い」
カエデの言葉に頷き返した男は、残りの7人に合図をして剣を構え直した。
ああ、傭兵なんだろうな。
金で生命を賭けるやり方を、オレは非難なんてしない。出来ない。
オレだってもう何人も手にかけてる。人殺しの理由は結果に意味をもたらさない。ただ、殺した、という事実が残るだけだ。
――非難はしないけど。
立ち塞がるなら、排除しなければならない。
「不運だったな、あんたら。麻里から幾ら貰ったのか知らないけど、命の代金だと思えば、幾らだって安いはずだぜ」
オレは剣を右手で握り直して、左手で目の前のキリの肩を叩いた。
「キリ、あんたはカエデを頼む。サラ、オレと行こう」
頷くキリの背を見届けてから、オレはサラと共に傭兵達の方へ走り出した。
背後からは、唸るキリの声が聞こえてくる。
「何故――何故タチバナを殺した!?」
タチバナ、というのがカエデの足元に伏している男の名前なのだろう。
多分それがさっきの悲鳴の持ち主で、最後に死んだ彼はカエデのことも見知っている同族だったらしい。
それを――いとも簡単に。
「何故? 理由は君が良く知ってるんじゃない? 私はもう君達とは違う生き物だよ。既に同胞でも何でもない……何でもなくなっちゃったんだ。そう思ってるんだろう!?」
その声が泣いているように聞こえて。
思わず、振り返りそうになった。
「――カイ!」
前方から鋭く叱責を受けた。
響く高い声は、聞くことが少ないサラのもの。
(――真っ直ぐに切り下ろす!)
呼ばれたことを理解する前に。
耳元を通っていった声に反応して、右側に避けた。
左腕すれすれを剣が通っていく。
その風圧を感じながら、握った剣を真左に振り切った。
両腕に肉を裂く鈍い感触――オレに斬りかかったヤツに、うまく当たったらしい。
「――っがぁ!?」
「小僧が!」
腹を裂かれて呻く仲間の脇を走って、2人目がこちらに向かってくる。
そいつの剣を自分ので受けながら、サラの方に視線を向けた。
残りの傭兵は6人もいるというのに、サラはたった1人でうまくいなしていた。
くるくると走り回っては壁を背にして、全方位を囲まれないように工夫している。
目標を変えようとするヤツには良いタイミングでちょっかいを出し、隙を見てはナイフで切りかかる。
じりじりと、傭兵達の身体に傷が増えていく。ディファイ族特有のスピードを活かした動きだ。
その合間にオレに注意をする位の余裕があるんだから、やっぱり彼我の差は大きい。
だけど、そんなに派手に動ける時間は長くは続かないはず。
早く片をつけなければ……。
そんな気持ちの横で、背後のキリにだって気を付けなきゃいけない。
リーダなんだから……全員の動きを見てなくちゃいけないんだよな?
再び斬りかかって来た前方の傭兵の剣を弾いてから、オレは背後の会話に耳を傾けた。
「カエデ、なぜ君はそんな哀しいことを言う!? 耳も尻尾も失ったからか!? 人間たちが君にした仕打ちが余りにも酷いものだったからか!?」
キリはまだ武器を取り出していない。
カエデの振る血まみれの剣だけが、空を切る音が聞こえる。
鼻で笑うように息を吐いて、カエデが答えた。
「今更何を言ってるのか……。君達の側から私を切り捨てておいて、危なくなったところで回収かい? 誇り高き獣人とは思えないな!」
「切り捨てた? 君こそ何を言っている! 私が君を見付けられなかったことを責めているのか?」
サラが再び前方からオレを呼んだ。
「カイっ!」
あからさまに苛ついた声は、気を散らしているオレに対するものだ。
戦闘中によそ見をするなと――
(――右から振り切ってやる!)
耳元を走る声に急かされて、右下にしゃがんだ。
頭上を刃がかすめていった隙に、下から切り上げるように無防備な相手の腕を刎ねる。
「がっ!?」
両腕とともに剣が吹っ飛んでいったのを見送ってから、オレはサラが相手をしている残りの傭兵達の1人に斬りかかった。
「何だ、この小僧!?」
「その小僧に負けないようにしろよ!」
口では軽口を叩いたけど。
その実、身体中に冷や汗が浮かんでいた。
先程から身体のぎりぎりを掠めていく刃は、うまく避けていても毎回寿命が縮む思いがする。
それに――オレに付き合ってくれてる2人が気になって仕方ない。
元々抱えていた言い様のない不安と、背負うことになった責任の重み。
そこに自分の戦闘が絡んで、緊張感がハンパない。
おれが傭兵を2人倒す間に、サラは既に3人を沈めていた。
大勢をいっぺんに引き付けて一瞬たりとも動きを止められない中、良くぞここまで、と思う。小さな攻撃を繰り返して注意を引きつつ、全員の隙を見ては確実に致命傷を与えていく。
サラが相手をしている傭兵は残り2人。
だけど、全く安心出来ないのは。
既にサラの息が上がっているから。
「このクソ猫が! ちょこまか動きやがって、ゴキブリか、てめぇは!」
肩で息をしながらも、斬りかかってくる相手の動きをしっかりと見切って、ぎりぎりで躱す。
ぎりぎりなのは、この期に及んでは出来るだけ動きを最小限にしたいからだろう。
その様子を見ながら、オレは切り結んでいた傭兵の頭蓋を真上から叩き割って、サラの相手をしていた残る2人の内の片方に斬りかかった。
オレが斬りかかったのは、さっきカエデと話をしていたヤツ――こいつがこの傭兵達のリーダらしい。
これでようやく、オレもサラも1対1だ。
後は、キリが――
「私が何度も何度も助けを求めても、君は一度も助けてくれなかった! 森の方が大切だったからだよね!? ……本当は……君の目の前に姿を見せても、追ってこないかも知れないと思ってた。でも、さすがにそこまですれば、無視することは出来なかったみたいだね」
「確かに私には君の助けは聞こえなかった! 私だけが森でのうのうと生活していたと言われれば、それは謝るしかないが……」
「何言ってるの!? 届いていたでしょ! 無視してたんでしょう!」
「……何のことを言ってる? 君が私の前に姿を見せたのは、この前――罠にかけられた時が初めてだ!」
キリは追い詰められつつある今も、得物を抜いていなかった。
ひたすらに繰り出されるカエデの剣が身体を掠めているのに、それでも抜こうとしない。
叫ぶカエデの腕に力がこもる。
「白々しいっ! 私が何度君達にペーパーバードを送ったと思ってる!? 隠し持ってたペーパーバードを、人間達の隙を見ては……最後の1枚がなくなった時の絶望が分かるか!?」
「ペーパーバード!? そんなものは私の手元には届いてない!」
「君に届かなかったのなら、私の手元に戻ってくるはずだ。でも1羽も戻って来なかった! 全部君が握りつぶしたんだ! 私がもう――白狼じゃないから!」
吠える声とともに、カエデの剣がキリの肩先へ突き込まれた。
今までのどんな踏み込みよりも早い――
「――っぐぅ!?」
「キリっ!」
オレの呼び声に応えるように、キリが咆哮した。
「見損なうな! 君がどんな姿になっても――私が君を見捨てることはない!」
誇り高き白狼の叫びに、他人のオレまでが胸を打たれた。
その瞬間に。
正面にひやりとした殺気を感じる。
同時に、鋭く叫ぶサラの声。
「――このど馬鹿っ!」
(弾いて――切り下ろすっ!)
聞こえた声を紙一重で躱すように、右に身体を反らせた。
直前に斬り込みを弾かれた自分の刃をもう一度身体に引きつけようとしたけど――
(ちょっと見てれば分かったぜ、てめぇの癖――右に避けることはお見通しなんだよ!)
――今躱したはずの刃が、左下から迫ってくるのを、避ける術がなかった。
2016/01/05 初回投稿