10 しっぽの理由
【前回のあらすじ】蔵の国の公爵ナオフミは、ヒデトに乗っ取られてた。ってことは、こいつが獣人排斥の犯人か……ん? ちょっと時系列おかしいな。
オレとサラはレディ・アリアの庇護から外れて、まあ、下手すりゃお尋ね者。さっさと王都を出て、向かいたいところがあるんだけど……。
「ふーん、それで、そんな慌ててんのかい」
のんびりとしたカスミの声を聞いたオレは、いらいらとテーブルに手を打ち付けた。
カスミの宿は相変わらず薄暗くて、窓から微かに入ってくる陽の光だけが唯一の光源。
そんな中でも、カスミが呑気な顔をしているのだけは良く見えて、オレの心は勝手にどんどん回転数を上げていく。
「そうだよ。だから、早く地図見せてくれよ!」
「まあまあ、落ち着きなって。そんな一分一秒争うわけじゃないんだから。どうせ正門からは出られないだろ。前回どうやってこの街に入ってきたか、覚えてんでしょうが」
覚えてる。
あの時は、アキラを連れてたので、壁を越えたんだった。
「そうだけど」
イマイチ納得できないのは、心のどこかが、急げ! と叫んでいるからだ。
急げ、急げ、急げ!
急がなきゃ、あんたが――
――ぺち、と背中を叩かれた。
オレの背中を叩いたのは、小っちゃいサラの手の平。
振り向くと、無表情な黒い瞳が。
落ち着け、と言っていた。
どうも、気持ちばかりが焦ってる。
サクヤの、あのペーパーバードを見たからだと思うんだけど。
だからって、焦ってもどうしようもないんだ。
オレには何も出来ないんだから。
今、目の前にあることしか。
深呼吸してから――もう一度カスミを見た。
オレの表情から判断したのか、カスミは苦笑しながら引き出しを開けて、地図を取り出す。
「落ち着いたね。じゃあ、ご覧」
がさがさとテーブルの上に広げた地図に、オレは屈み込むように視線を落とした。
地図はこの蔵の国を中心にして、周辺諸国を描いたものだ。
地図の一番右端、方角で言えば東北東に、サクヤと旅を始めた湖の国の端っこがある。そこから古都の国と海港の国のそれぞれ一部だけを挟んで、蔵の国に到着する。
この街道を、オレとサクヤはそのまま通ってきた。
蔵の国の東端、この辺りから道を逸れてディファイの集落に向かったのだから、この周辺にあるのだと思う。
こつり、とサラがオレの指の少し横を指した。
どうやら、そこがディファイの集落らしい。
オレはサラに頷き返してから、自分の指を西へ移動させる。
ディファイの集落から結構な距離を置いて、今オレ達がいる王都。
ここからさらに西へ移動して、先日聞いたばかりの、麻里の倉庫のある街へ指を動かした。
黙ったままサラの尻尾が頷くように揺れる。
肯定の気持ちの表れと考えて、オレはそこで指を止めた。
そこよりさらに西には仙桃の国と、その北に砂の国が、この蔵の国と領土を接している。
この国を中心にした地図は、そこで終わっていた。
本当は、この西にも東にも色んな国があるけど。
なあ、サクヤ。
あんたと2人で歩いてたの、ほら。
たったこんだけだぜ。そっから、ここまで。
こうやって見ると、随分短い。
よくもまあ、これだけで、あんたもオレも覚悟を決めたもんだ。
「ほら、何考え込んでるのさ。しゃきっとしな」
物思いに耽るオレを呼び戻したのは、今度はカスミだ。
どうもオレ、調子が良くない。気を抜くと、すぐあいつのことを考えてしまう。
多分、心配だからなんだと思うけどさ。
カスミは微妙な表情を浮かべている。
この感じだと、もしかすると、何となく読めているのだろうか。
オレ自身にすら良く分からない、オレの気持ちが。
「ねぇ、あんたさ――」
言葉に出されそうになって、怖くなった。
オレは慌てて話を変える。
「そうだ、またペーパーバード売ってくれよ。何か使うかもしんないし」
「はあ? 昨日売ったばっかじゃない」
苦し紛れに出した話題だけど、手持ちのペーパーバードがなくなったのは事実だ。
昨日の夜、思いついて宿から送ってみたんだが、使ってみたら、これが便利っぽい。他にも色々使えるかも知れない。少し多めに持っておきたい。
「まあ、良いけど……そんなに余裕ある訳でもないから、ちょっとだけよ?」
「ありがと。特に何に使うってもないんだ。使ってみたら意外と便利で、何かあった時の為に持っておきたいなってだけだから、ちょっとで良い」
金とペーパーバードを取り替えたところで、ふと、宿の奥から物音が聞こえた。
扉を開閉する音。
どうやら、奥の部屋に宿泊者がいるらしい。
続いて、足音の近付いてくる様子で、宿泊客がこちらに出てこようとしてることが分かった。
そう言えばこの宿、めちゃ壁が薄いんだった……。
カスミが何も言わないから、気を抜きすぎてたかも。
自分がさっきまで何を話していたか、それは人に聞かれても問題ないことだったか、考えながら角の向こうから誰が顔を出すか待っていると。
現れたのは、大柄な獣人。
鈍色の髪、ふさふさの尻尾。
「……やはり、カイか」
「あ、あんた――キリ!」
先日、隣国で別れたばかりの狼獣人のキリだった。
「え!? あんた、森に戻るって言ってなかったっけ?」
「もう戻った。折り返してすぐこちらに来たんだ」
「随分早いな!」
「我らの森は隣国の砂の国にあるんだ。それにグラプル族の足の速さはちょっとしたものだぞ。山を越えるもさして苦ではない」
自慢げに軽く笑みを浮かべて、尻尾が揺れた。
オレの正面に歩み寄ってきたキリの手が、両肩に置かれる。
真っ直ぐに覗き込むように、鈍い水色の瞳が光った。
「先日は世話になった。女王からは君に良く感謝を伝えるようにと言葉を預かっている。我々は今後のことを検討している。焔の一族が滅び、剣の一族が危機に瀕しているこの時、我が大樹の一族が何を為すべきか。だから、私は一足先にこちらに来た。約束通り、君達に力を貸す為に」
「心強いよ。ありがとう」
笑い返すと、キリがそのままオレの背中に両手を回そうとしたので――それはさすがに逃げた。
いや、違うんだ。分かってる。
変な性癖とかじゃなくて、獣人達っていつもこうなの。
距離が近いんだよ。
獣人じゃないオレからすると、ちょっと照れくさくなる位に。
案の定、キリは不思議そうな顔をしたけれど、「オレ、人間だから」というオレの言葉で、何だか分かったような顔をして黙って頷いた。
さすがに森と人との交渉役は、人間のやり方にも敏いらしい。
サクヤもこのくらい物分りが良かったら良いのになぁ……。
そんなやり取りの間、オレとキリの様子を見ていたカスミが、じろじろとこちらを見比べて首を傾げている。
「あん? あんた達、知り合いなの?」
だけど、オレ達が何を言うでもない内に、すぐに共通点に気付いたらしい。
「……あぁ、サクヤ繋がりか。良い男2人も掴まえとくなんて、あいつも隅に置けないわねぇ」
こんな言葉を聞いたら、サクヤはきっと苦々しい顔をする。何が言いたいんだ、なんて問いただすだろう。
いや、そもそも既にオレがいたたまれない。
キリはいいよ? そう、良い男だ。間違いない。
だけどオレは……もう、やめてくれ。
「あはは! 何、その顔。かーわいいねえ!」
爆笑されて、天を仰いだ。
カスミと言い、レディ・アリアと言い、どうやら年上女性はオレの鬼門らしい。
こうしてからかわれてばっかりだ。
サクヤ?
サクヤは精神的には年上だけど、肉体的には年下だ。
もっと言えば、精神的にも向こうの方が年上だというのは、何となく納得いかない。
それにそもそも、女性じゃない……と、思う。
少なくとも、オレのカテゴリ分けではそんなとこに入ってない。
あいつからはからかわれるってより、真面目に迫ってくるんだから――ああ、そうだ。余計にたちが悪い。
またいつの間にか、サクヤのことを考えている。
あんなペーパーバード1枚で、オレはそんなに心配になってしまったんだろうか。
こんなにも、四六時中、あいつのことを考えてしまう程に?
いや、勝手に頭に浮かんでくるって、何か――
――止めよう。これ以上突き詰めない方が良い。
オレは首を振って、今想像しようとした、よしなし事を追い払った。
ついでにその勢いで、サラと無言のまま再開を祝している(傍目に見たら黙って尻尾を振りながら、真顔で見つめ合ってるだけだ)キリに、声をかける。
「なあ、キリはそもそも何でここにいたの? ディファイの集落で会おうって言ってなかった?」
「そのつもりだったが、私にとってもここは定宿なんだ。少し休憩する位のつもりで寄ったのだが、まさかここで会えるとは思わなかった。サクヤは一緒じゃないのか?」
そうか、キリの方が先に出発したんだっけ。
「あいつは今、島に戻ってる。ナチルを連れて」
「ああ、そういうことか。彼女を連れて歩くのは危ないだろうな」
森と外との連絡役のキリは、人間の街の事情にも詳しいらしい。すぐに状況を理解してくれた。
「それにしても、定宿なんてあるんだな。そんなにキリは外と行き来があるの?」
「連絡役だからな。半分は森にいない。この国も今は危険だが……一昔前までは獣人がうろついていてもさして目立ちもしなかったんだ。特にこの王都は大きな街だから。砂の国の王都も大きいが、やはりこちらには負けると思う」
この口ぶりだと、オレのがよっぽど旅慣れてないくらいかも。
「人間の世界に詳しいんだな。かなりあちこち回ってるみたいじゃん」
「ああ、ずっと……カエデを探していたんだ。まさか、仙桃の国にいるとは思わなかった。知っていれば、もっと足繁く通って探したのだが」
少し自慢げなくらいだったんだけど、その名前を出す時だけ、キリの表情が曇った。
砂の国と仙桃の国は、間に山地を挟んでいるとは言え、隣同士――気付こうと思えば気付けたはずだと、そんなことを後悔しているのだろうか。
だけど、時々こうして街へ出てくるキリが気付かなかったのだから、やはりカエデがうまく隠れていたんじゃないかと思う。
それとも、本当にスレ違い続けていたのだろうか。
過ぎた時間は戻ってこない。
慰めなんか何の意味もないけど。
オレは軽くキリの肩を叩いた。
慰めなんか意味がなくても。
あんたを慰めたい心は届くはずだから。
まあ、本当に届いたかどうかは定かじゃないけどさ。
キリはちらりとオレを見て、軽く微笑んだ。
「さあ、それより先の話をしよう。ここからは君の指示に従う。我らの足の優れていることは理解しただろう? これからどこへ向かう。早速ディファイの集落へ行くのか?」
キリの言葉を聞きながら、サラの尻尾がふらふらと揺れている。
行きたいけど行きたくなくて。
行きたくないけど、いきたい。から。
そんな様子を見ていると、サラを急いでディファイの集落へ連れてってやりたいと思うんだけど。
実は昨日、アキラと約束してしまった。
「実は、先に西へ向かわなきゃいけない。麻里家の倉庫に、捕まった獣人達が囚われているという噂があるんだ。もしもそこにあんたらの一族がいるなら、早く助け出してやらなきゃ」
サラとキリの顔を交互に見ながら、ゆっくりと説明する。
ぴたり、とサラの尻尾が止まって、黒い瞳がオレを見た。
その瞳の答えは――唯――を超えて「当然だな」だ。
「なるほど。勿論行こう。我が一族の中にも、囚われている者がいるかもしれない」
いつものキリの決断の早さで、何気なく強気の答えが返ってくる。
その背中で、ふぁさり、ともふもふの尻尾を揺らしながら。
もふもふ……うーん。もふもふだなぁ。
「なあ、キリ……聞きたいんだけど」
「何だ? 私で答えられることであれば」
ちょっと引っかかることを聞こうと、キリに声をかけると、あっさりとした返事。
ふぁっさふぁっさと左右に振られる尻尾に気を取られながらも、何とか尋ねた。
「あんた、ここまでその立派な尻尾どうやって隠してたの?」
「……立派とは……嬉しいことを言う」
止めろよ、褒めてんじゃない! 照れるな!
……何か……こっちまで照れるだろ。
獣人って、尻尾褒められると嬉しいのか……初めて知ったよ。
いや、そういう話じゃないんだけど。
「とにかく、その尻尾どうやってここまで隠してきたんだよ! そんなの服の中に入らないだろ!」
「何だそれは。隠すなんて、そんなことはしない。私はただ夜闇に紛れて疾走ってきただけだ。尻尾を隠すなど、獣人の名折れ……」
――またこれだ。
旅慣れたキリですら、これが普通の感覚なの?
アキラがようやく納得したと思ったら、今度はキリに説明しなきゃいけないのかよ。
獣人にとっての尻尾って、そんなに大事なものなのか。
……だからだろうか。
隣国で会ったグラプル族の、カエデ。
耳も尻尾も失って、ヒデトに付き従う彼女が。
同胞まで恨むようになってしまったのは、尻尾を失ったから?
そうなるまで――いや、そうなっても助けて貰えなかったから?
もちろんそれは、十分、恨むに値する理由だから。
それが理由なのかも知れないけど。でも。
オレには、何か。
彼女の恨みはもっと別に理由があるような気がしてる。
同胞を憎んで、どうしようもないような。
そんな――救われない理由が。
2015/12/25 初回投稿