7 おそくなる
【前回までのあらすじ】蔵の国の獣人排斥を止める為に、王宮に潜り込んだオレ。この国の王都には知ってる顔も多少はあるワケで。公爵令嬢エリカに、宿の女主人カスミ。実はもう1人、前回ここで別れたっきりになってるヤツがいるんだけど……まあ、それは置いておいて。カスミの宿で渡されたのは、別行動中のサクヤからのペーパーバード。あいつがオレに連絡取ってくるって、何!? 一大事なの!?
カスミに手渡された紙片を、なんとなく。
別に勿体つけるワケじゃないけど、ゆっくり開いた。
見慣れた几帳面な文字が目に入ってくる。
何があったのか、心配で痛む胸を抑えながら、文字を追う。
確かサクヤは、オレが文字を読むのを苦手だって知ってるはずだ。
なのに。
――ものすごく細かい字で、びっちり書きやがった。
しかも、難しい単語が幾つかあって、量も数枚に渡ってるし……これ、もしかしたら、読めないかも。
「カスミ……ちょっと手伝って欲しいんだけど」
「うーん……ま、良いけど。惚気とかだったら勘弁してよ」
「んなワケないだろ! 止めてくれよ」
「ん? 違うなら良いけどさぁ」
カスミがオレの手元をちらりと見る。
「まずは、読めるとこ読んで見なよ」
「え!? えっと……『お前の――」
「頑張り」
「――頑張りには、それなりに――」
「満足」
「――満足してる。だけど、いくつか――」
「問題」
「問題もあるので、まずは忠告しておきたい。1、とっさの攻撃をよけるときに、お前は右に動くくせがあるから、もうちょい頭使え』……何だ、これ? わざわざダメ出しかよ?」
――放り捨てそうになった。
ちらっと見た感じ、この調子で16まである。
とっさの動きで頭使えるなら、使ってるっつーの!
あいつ、何考えてんだ!
テーブルに叩きつけようとした紙片を脇から抜き取って、カスミが全文を眺めてからため息をついた。
「……あー……あいつ、こまっかいとこ良く見てるね……何か知らないけどさ。多分的外れなことは言ってないんだろうから、本当は全部読めって言いたいけど、時間もないし、とりあえずは最後だけ読んどきな」
「……うん」
ご忠告に従って、最後の辺りだけもう一度目を通した。
「『さて、本題だがディファイの集落と連絡が取れない。もしお前の方で早めに動けそうなら、たのむ』」
「……ま、そいつがそう言うなら、それが本題なんだろうね」
「全体の1割未満の分量しかねーけどな」
何を考えているのか、このバカは。
オレが字を読むの苦手なこと知ってるんだから……と、思いかけて。
もしかしたら、知らないのかも知れない、と考え直した。
厳密には、知ってるけど頭で理解できてない、と言うか。
あいつ自体はどんな文字もすらすら読んじゃうし、それに加えてリドル語も読み書き出来るらしいし。
読めないヤツがどのくらい読めないかとか、文字が並んでるとどのくらい辛いかとか、分かんないんだろうな……。
そんなことを考えながら、何となく裏表ひっくり返して見ていた時に。
ふと、最後の5枚目の裏に、慌てているような荒れた字の走り書きを見付けた。
「……『わるい、おそくなる。だけど必ず行くから、先に』……?」
「うん? どれどれ……おや、随分とこれは――」
それ以上はカスミも口に出さなかったが。
明らかに不穏な走り書きであることは間違いない。
文字は荒れてるし、多分途中で終わってるし。
サクヤに何かあったんだろうか。
こんなに慌てて、裏側に書かなきゃいけない程に?
……大丈夫だろうか?
サクヤは死なないけど、無敵ってワケじゃない。
現にオレにやられた時だって。
本当に、大丈夫なんだろうか――
何も言えずに黙ってしまったオレを見て肩を竦めたカスミは、手にしていたペーパーバードを静かに押し付けてきた。
「また会う約束になってんだろ。じゃあ、あいつは絶対約束を守る。あんただってそこは信じてるんじゃないかい?」
――勿論、信じてる。
あいつは約束を守るに決まってる。
絶対に嘘をつかない、それがサクヤの誓いで。
オレは、そんなあんたとずっといるって誓ったんだから。
「ま、それはあんたに任せるよ。正直あたしにゃどうしようもない。それよりさ、こないだの黒猫、あれからちょいちょいこっちに顔を出すようになったんだけど」
「……黒猫?」
カスミの突然の話題転換に、一瞬ついていけなくて聞き返した。
最近行動を共にしてるからサラの顔が先に頭を掠めたけど、カスミの言う黒猫は、多分。
「……アキラか!」
前回蔵の国に来た時に一緒だったディファイ族の若造だ。
若造のオレがヤツのことを若造と言うのがおかしければ、小僧でもいい。糞ガキよりはちょい大きい、でも大人とは認められない、そういうヤツ。
「そう、その黒猫ね。一族の為に色々探ってるよ。あたしも暇な時は手伝ったげてるけど」
ゆるゆると浮かべたこのカスミの微笑みこそ、大人の余裕と言うべきだろう。
オレやアキラには、こういうところがちっとばかし足りない。
「探ってる? オレと一緒で、獣人排斥をどうやって止めるか探ってんのか?」
「もっと対症療法だね」
対症療法?
つまり、獣人排斥の結果――
「――捕まったディファイ族を……」
「そ。前回来た時に、サクヤが幾つか目星付けてくれてたからさ。あたしとあいつとあいつの仲間であちこち暴いてんの」
そう言えばあの夜サクヤは、王宮のバルコニーから、アキラにペーパーバードを飛ばしていた。
立ち上がったカスミが背後の戸棚をごそごそとかき回して、ぼろぼろの地図と紙片を取り出す。
地図につけられた大きな丸が4つ。
その内の3つは既に上からバツが付いている。
「サクヤから貰った4箇所の内、1つは当たりだった。3つはハズレ。そんで最後の1つは……」
「これからなんだな?」
オレの言葉を聞いて、カスミの指がするすると動いた。
1つだけ残った丸。王都の西。
「ここは……」
「麻里公爵の倉庫だそうだ」
――ああ、思い出した。
その話、確かにエリカから聞いた。
あの夜会の時、公爵令嬢は言っていた。
獣人を一時置いておくのに、王都の西にある麻里家の倉庫を使っている、と。
その言葉が腹立たしくて、オレ、どうしてもエリカが好きになれないんだった。
倉庫に押し込められてるのがディファイ族かどうかは分からないけど、調べた方が良いのは確かだ。
オレがぼんやりと夜会の会話を思い出している間、カスミはコツコツとゆったりとしたリズムで地図の上を叩いていた。
ふとその指先が止まって、深い息を吐く。
「……麻里公爵は奥方を獣人に殺されたらしいからね。是非はおいといて、ま、あたしにゃ分からんでもないよ」
身内を亡くして復讐を遂げたカスミは、オレから視線を逸らしながらそんなことを呟いた。
彼女なりに色々と考えることがあるのだろう。
そこは気になるが、新しくもたらされた情報も気になる。
「奥さんが殺されただって?」
そんな情報は初耳だ。
もしもそれが事実なら、政策推進者の最有力はやっぱり麻里公爵――ナオフミってことになる。
「知らなかったのかい。数年前の話らしいが。拐かしの犯人が獣人だったとか」
「それもディファイ族なのか?」
「いや、種族までは知らないねぇ。当時の噂でもそこまでは言ってなかった」
詳細は分からなくても、嫁を獣人に拐かされて殺されたなら、十分に恨みの対象になるだろう。
明日もう一度、ナオフミと話をした方が良いかも知れない。
もしくは。
気が進まないけど、娘の方と。
「その公爵の倉庫だからさ。ディファイ族がいるかどうかは分からなくても、獣人がいる可能性は高そうじゃないかい?」
「確かにな。今度アキラに会ったときには、オレが連絡取りたいって言ってたって、伝えておいてくれよ。まあ、オレが向こうの集落へ行く方が早いかもしれないけど……」
それがディファイ族の助けになるのなら、オレだって手を貸したい。集落へ向かおうとしてたのは、彼らを助ける為なのだから。
ただし、ディファイの集落までは2日くらいかかるから、どっちが早いかは微妙なところだ。
ついでに言うと……サクヤからのペーパーバードを見て、この後どうするか本気で悩んでるのもある。
いっそ全部放り出して、サクヤのこと助けに行った方が良いんじゃないだろうか。
オレの悩んでいる表情を見て、思い出したようにカスミが手を叩いた。
「あぁ、そう、それを言いたかったんだったわ。あの黒猫、今うちに滞在してるんだよ」
「……は? アキラここに泊まってんの?」
「今は出かけてるけどね。帰ってきたら伝えとく」
あっけらかんと言われて、拍子抜けした。
何だ、いるならいると早く言ってくれよ。
でも、それなら早ければ今日にも連絡が取れるかも知れない。
そうしたら――そうしたら、どうしよう……?
また考えに沈みそうになったオレに、カスミが努めて明るく声をかけてきた。
「で、あんたは今どこにいんの?」
「オレは、知り合いのとこに泊めて貰ってて……レディ・アリアって知ってるか?」
名前を上げた途端に顔をしかめられる。
「あぁ、あの強欲おばはんね。この国にいて、知らない奴はもぐりだよ」
「おば……まあ、その人のとこにいる」
否定しようかと思ったけど、こないだ恐るべき疑惑が浮上したので、否定しきれない。
見た目で言うなら、もしかするとカスミの方がちょっと年上じゃないか、位に見えるんだけどなぁ……。
オレの方を見たカスミが、ふと唇の端を引き上げた。
「――あんたが何を言いたいかは、大体分かるけどね。口には出さない方が身のためだよ」
ぞくぞくと背中を悪寒が走ったので、忠告に従って無言を貫いた。
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ペーパーバードを数枚買い取って、書き方を教えてもらってからカスミと別れた。
幾つかサクヤ宛に来てた他のペーパーバードも預かったけど、大した内容のものはない。あえて言うなら、珍しく焦ってるエイジのが一番重大なくらいだと思う。
そんなエイジには『ごめん、それぜんぶおわってるから、いまさらおそい』って書いて返しておいた。
オレの汚い字だと、小さな紙にはこれくらい書くのが精一杯。
青葉の国に帰ったら、サクヤと一緒に謝ることになりそうだ。
そんなことを考えながら、王都の大通り、騒がしい人混みをすり抜けている時。
ふと、前を歩くバンダナ野郎の背中が、ごそりと動いた気がした。
背中に小鳥でも飼ってんのかと思って目を凝らした瞬間に、そいつが誰だか唐突に理解した。
「――おい、アキラ!」
「ぅえ!? ……カイ?」
振り向いたのは、バンダナで耳を隠し服の中に尻尾をしまって人間に紛れ、堂々と道を歩いていたアキラだった。
「カイ! お前……もう! 驚かすなよ!」
後ろから声をかけられて、余程驚いたらしい。
そりゃそうだ、ディファイ族は現在排斥の対象。こんな風に街中にいてはいけない存在。
……ま、実際にはこうして耳と尻尾さえ隠してしまえば、人混みの中だと分かんなくなっちゃうけど。
黒目黒髪の人間なんて、結構いるし。
それを考えると、リドル族なんかは紛れるのが難しそうだ。
プラチナブロンドなんて、リドル以外に見たことない。紅い瞳はなおさらだ。
ナチルを早めに島へ帰したのは正しかったように思う。
「悪い悪い、久し振りだな、元気だったか?」
「元気だったか……じゃ、ねぇよ! お前だろ、そりゃ!」
笑い合いながら、何となくハイタッチした。
「お前がここにいるってことは、姫は? 姫はどうした?」
アキラの言う姫は、サクヤのこと。
全部話しても良いんだけど、面倒なので大胆に省略する。
「色々あって、今、里帰り中。もうすぐこっち来る予定……なんだけどなぁ」
「里帰り? 何だそりゃ、また喧嘩してんのか、お前ら」
「……違うし。そういう言い方止めろ」
別に、喧嘩して嫁に逃げられたワケじゃない。
そんなちょっと哀れんだような視線は止めてくれ。
「リドル族を見付けたから、島まで送って行ってるんだよ」
「あぁ、そういうことね。……じゃ、何でお前はこっちにいんだ?」
「サクヤはあんたらに約束しただろ。仕掛け中の件が終わったら戻ってくるって。そのつもりだからオレが先に来てんの。大した役には立たないかもしんないけど、いないよりマシだって言ってくれ」
オレの言葉を聞いて、アキラは大げさな笑顔を浮かべる。
「マシなんてもんじゃねぇよ! 良く来てくれたな!」
喜びのあまり抱きついて来そうになってるので、さりげなくオレは距離を空けた。
獣人の距離感って、本当……慣れない。
サクヤもそうだけどさ。
多分、逆もそうなんだと思う。
オレ達の距離感は遠すぎて、サクヤにとってはストレスなんだろう。
だから、里帰りしてちょっとはリラックスしてるかな、と思ってたんだけど、不審なペーパーバードの為に、不安感が拭えない。
あいつに何があったのか、何をしてるのか。
何がどうなってるのか。
……本当は。すぐにでも飛んで行ってやりたい。
だけど、どこにあるかも分からないリドルの島、行く方法を探すのも難しい。
どうすれば良いんだよ?
どうすれば、あんたの状況が分かる!?
「……おい、どうした?」
どうやらオレは随分難しい顔をしていたらしい。
心配そうな黒い瞳が覗き込んできた。
その表情で少し気を取り直す。
一族のこと、アキラだって心配しているはずなのに、そんな素振りを見せないのはきちんと隠しているからだろう。……や、単に目の前のことしか考えてないのかも知らないけど。
でも、そんなアキラの前でオレだけ悩んでるワケにはいかない。
オレはオレの出来ることをきちんとやらなければ。
「アキラ……ちょっと良いか? 幾つか相談したい」
「おう! 何だ?」
笑いながら返事するアキラを連れて、オレはレディ・アリアの屋敷への道を戻る。
多少距離感が違おうが、隣を歩くことは出来るはずだと信じて。
2015/12/11 初回投稿
2016/04/04 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更