3 見た目との差は
【前回までのあらすじ】獣人排斥政策を取っている蔵の国。サクヤと別行動中のオレとサラは、この国の公爵ナオフミと面談の機会を得た。もちろん仲介するのはレディ・アリア。さて、このろくでもない政策……誰が押してんだよ?
静かに対峙するレディ・アリアと麻里公爵――ナオフミの視線が絡む。
口火を切ったのはナオフミだった。
「多少は見当がついているんだ。カイ君のことでないなら、君が私の所に来る理由は1つしかないな、とね」
「あら……さすがはナオフミ様。私のことを良くご存知だわ」
微笑んだレディ・アリアが、頬に指先を当てて呟いた。
「私のこれからのお仕事に関わってくるのよね……流行を先取りすることが商人の絶対資質なのに、今回は乗り遅れちゃったわ」
少女のような口調と軽い言葉。
呆れ半分尊敬半分でレディ・アリアに視線を向ける。顔をしかめていると、ナオフミがオレの分もまとめて苦言を呈してくれた。
「仮にも一国の王が正式に発布した法令を流行なんて呼ぶのは、君くらいだよ」
「そうかしら、分かって頂けたってことは、ナオフミ様もそう思うお気持ちがどこかにあるのよ」
いたずらっ子のように笑い合っているが、双方の視線は変わらず鋭い。
ナオフミが両手を上げて、降参のポーズを取った。
「君には諸手を上げて降参したい気分になるね、本当に。今回の流行は私の全く知らないところで始まってしまってさ。今頃になって王をどうやって説き伏せようかと、皆やきもきしてる」
皆やきもきしてる?
どういうことだ。その口ぶりだと、王の政策を裏で支えるヤツはあんたじゃないと言いたいのか。
「オレはてっきり、王を後押しする方がどなたかいらっしゃるのだと思ってました」
口を開いたオレに、ナオフミが視線を向ける。
余裕のある様子でロマンスグレーの髪を指先で撫でつけながら、薄く笑った。
「そうか。君は私についてどう聞いてる?」
どうやらオレの言葉がナオフミを疑うものだと認識して、切り込んできたようだ。
オレは肩を竦めて答えた。
「あなたの娘さんからは、志を同じくする者だと聞きましたが」
こころざし。良い言葉だ。
こういう言い方をするだけで、目的の貴賎も良否も覆い隠してくれる。
何が言いたいかというと、獣人嫌い、というだけなんだけど。
「なるほど。私の噂の出所は、意外にも我が家族だった訳だ」
その言葉は娘――エリカの言葉を否定するとともに、「自分は王の政策を支援していない」と暗に言っている。
へえ、そうすると誰なんだろう。
まだまだこの国の政情に疎いオレには、次の仮説も思いつかない。
まあ、ナオフミの言葉をそのまま信じる理由もないんだけれど。
「君達、それを調べているのかね? 何か分かったら私にも報告をくれないか」
あっさりと言い切ったナオフミを、オレは正面から見据えた。
ぎりぎりと頭が痛くなるくらいに表情の変化に集中してみたが、その言葉が真実か嘘かすら分からない。ナオフミはオレと視線を合わせながらも、余裕の笑みを浮かべている。
これが一国の重鎮の力というものか。心の底を見透かさせない深みが。
「ナオフミ様、お心当たりはまったくありませんの?」
残念そうなレディ・アリアの声に、ナオフミは苦笑を返した。
「スバル王子にも聞いてみたのだが、あの方も全く分からないそうだよ。……今までは周辺諸国の政情も安定していたから、王の我がままも聞く余裕があったが。君は聞いたかね? 隣国の件」
「隣国の件ですか?」
咄嗟に聞き返す。
この蔵の国から隣国と言える国境の接した国はいくつかあるが。
やはり出国したばかりの仙桃の国が、ぱっと頭に浮かんだ。
そして、その発想は間違いではなかったらしい。
「仙桃の国の王宮で火付けがあったそうだ」
こそり、と秘密ごとを囁くようなその様子は。
多分、実際に秘密なのだろう。仙桃の国では公開したくない情報のはずだ。王宮で火災――それも付け火だなんて、王の威信に関わる。
……勿論その付け火には、多分にオレ達も関係してる訳で。
「その夜から彼の国の有力貴族の1人、遠目塚家の当主は屋敷に戻っていないそうだ。火災に巻き込まれたか、それとも……と、言うのが専らの噂になっている」
やはりあの夜を境に、ヒデトはカナイの仮面を捨てたらしい。
となると、今はどこかに潜伏しているか……もしかすると、もう既に新しい仮面を見付けているのかも。
「あら、まぁまぁ! それは大変なこと!」
わざとらしいレディ・アリアの言葉に、ナオフミが肩を竦める。
「……その口ぶりでは、既に知っていたらしいね。私もさっき聞いたばかりだと言うのに。さすが、各国を股にかける大商人の情報網は私とは違う」
ひねたような言葉だが、その微笑みが柔らかいのは情報の真偽を確認できたからだろう。
その表情にレディ・アリアも笑い返す。
「ではナオフミさま、情報交換が終わったところで、本題の方に入らせて下さいませ」
「おや? 今までのはどれも本題じゃないのか? だとしたら君の本題とは……商売のことかな?」
心なしか、ナオフミが身体を乗り出してきた。その空気に乗っかるように、レディ・アリアの指先が優雅に宙を舞う。ぽい、と何かを放り出すような仕草をして、彼女は嘲笑っている。
「あら、獣人を排斥するなら――捨てるよりはお金が入る方がよろしいですわね?」
「全く……君には本当にお手上げだ」
言葉と姿勢が噛み合っていなかった。ナオフミはますます身体を乗り出していて、その姿勢からレディ・アリアの話に興味があることは明らかだ。
つまり国家として回収した獣人をどう処分するか、そこに彼女は一枚噛みたいのだろう。安く買い取って国外に売る、という方法で。
ナオフミとしても金になるならば、レディ・アリアに渡したい気持ちがあるらしい。
そう言えば、ナオフミの娘のエリカが、捕えた獣人を麻里家の倉庫に押し込んであるようなことを言っていた……。
「ねえ、ナオフミ様。その獣人達はリストなんてあるのかしら……?」
舌なめずりをするレディ・アリアの頭上に、ぼんやりと浮かぶそろばんが見える気さえする。
ここからは、商人達の利益計算の時間。
サクヤの代理人たる交渉担当のオレには、興味も関係もない。
時に和やかに時に火花を散らしながら、2人が捕らえてある獣人というパイを切り分けるのを、オレは黙って見守った。
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「うふふふ……でかい仕事が入ってきたわねー」
王宮の庭をぶらぶらするレディ・アリアの後ろを、オレは黙ってついて歩く。
彼女からすれば結構な実入りがあるのかもしれないが、オレには完全に時間の無駄だ。折角王宮に入り込んだって言うのに、今回の碌でもない施策の出所すら分かってない。
レディ・アリアとナオフミの話はお互いの納得できる範囲で、手打ちとなったらしい。オレは時折ナオフミにカマかけの言葉を投げたくらいで、さして何かをした訳でもないが。ほくほく顔の彼女の様子を見るに、良い話にまとまったようだ。
今は集めた獣人達のリストをナオフミに用意させている。
もともとがこの後何かに役立てるつもりがなかったために、随分簡易的なリストしかないとナオフミは言っていたが、ないよりマシであるのは確かだろう。
準備を待っている間、こうして王宮の庭を物見がてら散歩している。
「何よ、辛気臭い顔してないで、あたしの商売の成功を讃えなさいよ!」
「……オレはあんたの商売の応援する為に、ここまで来てんじゃないんだよ」
オレの答えを聞いて、レディ・アリアは顔をしかめた。
黒いドレスを翻して、つかつかと近付いてくる。
「じゃあ何しに来たのよ。あんたは正当な取引の末、今はあたしのお付きなの。もっとしゃきっとしなさい。そうすれば……特別ボーナスも考えてあげてよ」
するりとハイヒールを履いた右脚が持ち上がって、白い肌が露わになる。肌色の面積が一気に増えて、思わず顔をそらした。
「……うわ」
「『うわ』!? 言うに事欠いてこのガキは!」
がし、と右脚がオレの腰に巻き付いてきて、そのまま勢い良く引き寄せられた。ケツに白い脚が巻き付くように絡まって、じりじりと下半身を押し付けようとしてくる。全然好みでも恋愛対象でもないレディ・アリアと言っても、こんな距離でこんなエロいポーズを取られれば、さすがに心臓がどきりとする。
「お、おいっ!?」
「なーによ。年上は好みじゃないって言いたいの? 言っとくけどね、サクヤだって絶対あんたより年上よ? あんな風に見えて、何十年前からあたしとあいつがやりあってるか、教えてあげましょうか?」
「……何十年?」
いや、サクヤが年上ってのは知ってるけど。
それも半端なく年上だって分かってるけど。
――その相手してる、あんたの方は幾つなのさ?
オレの表情で、言いたいことを何となく察したらしい。
レディ・アリアは「やばっ……」と呟いて、慌てた様子で今まで以上に腰を押し付けてくる。いつもだったらどきどきしたはずのこの至近距離も、柔らかい身体も。
今のやり取りで、ぶっちゃけ萎えた。
「……なあ」
「あはっ、まあいいじゃないの。お仕事もうまくいったことだし。お姉さんと遊びましょ」
いやいやいや。あんた、マジで幾つなんだよ。
お姉さんって呼んで本当に良いの?
オレの疑問はまるまる顔に出ていたらしい。とりなすように、レディ・アリアが絡ませた脚でオレの身体をなぞる。はいはい、すげぇバランス感覚だな。
「何よ、そんな顔しないで。ほら聞いたわよ、あんた女は胸派なんでしょ?」
「……誰から聞いたんだよ」
もう考えるの馬鹿らしくなりながら答えたけれど、レディ・アリアの方は気にせず、胸の下で腕組みをして持ち上げて見せつけてきた。
止めろよ、揺らすな。
黒いドレスに覆われた2つの丸い塊がゆさゆさと揺れる様子が気になって……つい視線がそっちにいってしまう。
「んふっ、見てる見てる。今朝ペーパーバードで可哀想なアホの子が嘆いてたのよ。自分には胸がないからどうしようもないって」
「ちょ、それ……」
……そんなバカなこと言うのにペーパーバード使うヤツ、サクヤしかいないじゃん。
胸の揺れにちょっとドキドキしてたのが、一気に醒めた。絶望的な気持ちになって、両手で顔を覆う。さっさとこの人から離れたいんだけど、脚を外したり身体を触るのは気が引けて……とりあえずその体勢のままじりじりと後退した。
「もう。何よ意気地なし、海老野郎! あんた本当に胸あるのが好きなワケ? やっぱあいつみたいにない方が良いんじゃないの?」
「知らん! 少なくともあんたに教える義理はない!」
つまらなそうに絡めた脚を外して、レディ・アリアがなおも何か言い募ろうとしたところで、不意に――
「――あの、すみません」
背後から声がかかった。
「え? あ! あら、まぁ! スバル様……」
あたふたとドレスの裾を直すレディ・アリアの視線を追い掛けて、オレも背後を振り向いた。
ふわふわした薄い金色の巻き毛の青年が、緑色の眼を見開いて突っ立っている。
年はオレより上に見えるが、どことなく頼りない雰囲気なのはちょっと垂れ目気味だからだろうか。えらく高級そうな生地のグレーの三揃えを着ている。
スバルという名前……丁度さっき聞いたばっかりのような気がするんだけど。
「あの、レディ・アリア……」
意を決して声をかけたようだが、随分と憔悴した様子なのは――まあ、多分。オレ達がくっついてたときから見てたのだろう。
一瞬で自分を取り戻して、セールス用の笑顔で「うふ」と笑ったレディ・アリアはさすがだと思う。
さすがにオレはそこまで図太くないので、大きく一歩後ろに下がって、レディ・アリアと距離を取った。何とか無表情を保って2人の動きを待つ。
「どうされましたの、スバル様。何かご入り用のものがおありですか? 私の名にかけて、何でもご用意させて頂きますわ」
「いえ……その、少しご相談したいことが」
スバルと呼ばれた青年がちらちらとオレを気にする様子で、レディ・アリアが片手をオレの方に向けた。
「そう言えば、スバル様は先日の夜会にはいらしてませんでしたね。こちら、氷の島の第八王子様。訳あって、私の店に滞在されてますの」
「カイです」
右手を差し出すと、スバルは条件反射のように微笑んで、その手を握り返してきた。
「これは……蔵の国へようこそ。僕はこの国の王子でスバルと言います」
「あなたがスバル王子ですか。ご挨拶が遅れて失礼しました」
ちょっと頼りなさそうに見えるが、さっきのナオフミとの話にちらりと出てきた王子サマはこいつらしい。
スバルがちらっと笑って、オレの手を離しながら答えた。
「皆さん驚かれますから、お気になさらず。どうも僕は王子らしく見えないようで」
「いえ、そんなことは……」
慌てて手を振って否定するが、レディ・アリアはいっそ楽しそうに笑い飛ばす。
「スバル様は少し線が細くていらっしゃるのよ。芯はお強いのに……でも、それは自覚して使えば長所ですわ。敵を騙すにはまず味方から、と言いますもの」
貴人に対しては完璧な態度で振る舞うのが常なのに、彼女らしくない赤裸々な言葉だ。あまりの言い草に一瞬目を剥いたが、スバルが照れ笑いを浮かべる様子で、レディ・アリアの評が正しいことを理解した。
力あるとは言え、一商人にここまで言われて笑えるなら、やはりその根性は大したものだと言える。
「いや、お恥ずかしい。でも、そこまで僕に言って下さるレディ・アリアだからこそ、ご相談差し上げたいのです」
微笑みは皮肉には感じられなかった。
だからこそ――レディ・アリアの背中に力が入った。
「スバル様のご相談なら、何なりと――」
唇の端を引き上げる麗しい横顔を見ながら、オレも目の前の王子に対する印象を、意識的に切り替えた。
この青年を見た目のままちょっと頼りない王子だなどと甘く見ていれば、踏み躙られるのはきっとこちらになるだろう――。
2015/11/20 初回投稿
2016/11/19 校正――誤用修正及び一部表現変更