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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第7章 I'll Remember
102/184

15 ねがわくば

 夜の内に歩き続け、朝一番で隣国の端っこの街まで辿り着いた。


 一応人目は避けて移動したが、それでも何事もなくここまで来れたのは、幸運と言ってもいいだろう。

 申し訳ないけど、こんな逃避行の間、暴れるナチルを押さえながら隠れることは出来そうになかったので、ナチルはあのまま起こさずに運んだ。

 サクヤ曰く、一晩くらい寝れば自然に目が覚めるそうだから……そろそろ目を覚ます頃ではある。


 新しく借りた隣国の宿の一室に落ち着いて、ようやく一息ついたところで、ナチルが身じろぎした。


「……あれ、ママ?」


 寝言のようなことを呟く自分の声で目を覚ます。しばらくそのままぼんやりしていたが、突然勢い良く身体を起こした。

 ベッドの傍に座り込んでるサクヤと、その向こうのオレを、見開いた目で見ている。


「――あんたたち!?」


 そう、オレ達……だけ。サラとキリは隣室にいる。

 目が覚めた瞬間に大人達に囲まれているのはさすがに怖いだろうと思って、サラ達には別の部屋に待機してもらってる。オレがここにいるのはサクヤのフォローの為だけだ。

 変なとこケチくさいサクヤにしては珍しく、そこそこの値段の宿をとったので、前の部屋みたいに椅子が1つきりしかない、なんてこともなくて良かった。


「おはよう。まずは水でも飲むと良い」


 多分すごく意識してぎこちない微笑みを浮かべながら、サクヤが水差しからカップに水を汲んで差し出した。その甘い声だけで、並の男なら許してしまうと思う。


 だけど当たり前のように、並でも男でもないリドルの美女――の姿をした少女は、差し出したカップを振り払い、ベッドの上に水が飛び散った。ぐしゃぐしゃになった自分のドレスを見向きもせず、ナチルが叫ぶ。


「――卑怯者! あたしをさらったのね!」

「違法な手段じゃない。正当な売買契約によって、あなたの身柄は俺の所有権の元にある。問題があるとしたら正式には書類を交わしていないことぐらいだけど……」


 すらすらと述べるサクヤの言葉に……まあ、ナチルが納得するワケがない。どんどんその顔つきが険しくなっていくけど、理由が分からないサクヤの方は不思議そうにしている。

 ああ、もう。あんた、そういう返事しか出来ないのかよ。

 間違ってない言葉でも、ナチルはそんなことを言ってるワケじゃない。

 本当に、人の気持ちの分からないヤツ。


「何よ、あんたが『飼い主』だって言いたいの!? 知らないから! あたしは……絶対あんたの言う事なんて聞かないから!」


 言い募られたサクヤは眉をしかめて、何だか困惑している。すごく苦労してるみたいだけど、オレは引き続き静観することにした。

 手を出しても良いんだけど、多分。

 ナチルに必要なのは説得じゃない。オレの言葉じゃきっと上っ面で滑るだけだ。

 頬を膨らませて、ぷい、と目を逸らしたその横顔から、少しずつ涙が溢れ出した。


「……ナチル?」


 小首を傾げたサクヤが、細い指先でナチルの頬を拭う。

 パシン、とその手を払い除けて、サクヤの方を向いたナチルの瞳からは、堪え切れない涙がぼろぼろと落ちていた。


「ナチル」


 おろおろと名前を呼ぶサクヤを睨み付けて、ナチルがしゃくり上げる。


「……っひ……あんたなんか……ぅ……何でママを迎えに……っ……来なかったのよぉ……」


 その言葉で動きを止めたサクヤが何を考えてるのか、多分オレには分かってる。こいつの頭の中なんて、複雑に見えて案外単純だって、オレは知ってる。

 きっと泣いているナチルが可哀想で、抱き締めてやりたいんだろう。

 でもイワナの死に間に合わなかった自分はナチルに触れる資格があるのかなんて――こいつは、いつもそんなことばっかり考えてるんだ。

 動けなくて固まっている細い背中を、オレは軽く押した。


「……カイ?」

「資格とか権利とか義務とか……そんなこと考えない方が良い時だってあるって」


 どうやらオレの予想は、ほぼ当たってたらしい。

 サクヤは一度オレを振り返ってから、ゆっくりとナチルの身体に左手を伸ばした。


「……ナチル」


 名前を呼びながら、片腕で静かに抱き寄せる。


「ナチル、ごめん」

「ママぁ……」


 サクヤの声に応えるように、ナチルが泣き声をあげるのを、ただ抱き締める。

 ベッドの上で同じ人を悼む2人を置いて、オレは部屋を出た。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


「カイ、向こうはどうだ?」


 扉を開けるなり、すぐにでも出発出来るように革の胸当てを身に着けたキリが、どことなく心配そうに声をかけてきた。

 サラはいつものような無表情で器用に椅子の上に丸まっているけど、その心中複雑なことは纏う空気で伝わってくる。

 心配の理由は良く分かる……サクヤのことを良く知ってるヤツは、きっと皆心配するに違いない。あいつに子どもを宥められるのかって。

 オレは肩を竦めて返す。


「あの調子なら大丈夫だろ。もともと……多分、イワナはサクヤのことを信じて待ってたんだと思う。その期待に応えられなかったサクヤを責めるしか、ナチルには出来なかったんじゃないかな」


 無力な自分を責めずにいるには、無力な他人を責めるしかない。

 だけどきっとそんなのは嘘だって、自分が一番良く分かってるから。

 ナチルだって、ずっと前からもう気付いてる……ただ、認めたくなかっただけだ。


「前後の事情はまだ分かんないけど、ナチルはああ見えてまだ子どもだし、あんまり情報を聞き出すのは急がない方がいいと思う。とりあえずはサクヤに任せよう」


 オレの言葉を聞いて、キリは安心したように「そうか」と呟いた。

 自分の一族ところも結構な大事に巻き込まれつつあるにも関わらず、サクヤのことを心配してるらしい。しばらく一緒にいて分かったけど、キリは強面なのは外見だけで中身は大概お人好しだ。


 こっそり苦笑するオレに気付かないまま、言い出しにくそうにキリが眉をしかめる。


「……こんな時に言うのもどうかと思うのだが」

「今後の話か?」


 ふぁさり、とふかふかした尻尾の一振りで肯定の答えが返ってきた。

 オレもその話はしなきゃいけないと思ってたので、丁度良い。


「私は、一度森に帰ろうと思うんだ……」


 いかにも申し訳なさそうな顔をしているが、そんな顔する必要ない。いつもぴんと伸びた耳も、わざわざそんなに垂らさなくて良い。当然のことだ。

 オレは同意を示す為に、頷いて見せた。

 キリは片方だけ耳を持ち上げて、小さく呟く。


「あの男は『次はディファイの集落で』と言った。今回の件はどうやら原初の五種が狙われている。既にグロウスと禁忌の種族が襲われて奪われたということなら……次がディファイで、その次はリドルか我が一族だ」


 ゆったりと空中を泳いでいたサラの尻尾が、ぴくりと反応して止まった。


「どちらが先かはさして問題ではない。問題はあの男をどうやって止めるかだ。次がディファイの集落だと言うなら――我々は手を取り合って戦わねばならない。だが……」

「そうだな。正直、あいつが戦力を分散させないかどうか、オレも自信がない……」


 神の守り手は嘘がつけない。

 だけど、サクヤが良くやっているように、本当のことでごまかすことはできる。

 例えば「次はディファイだ」と言っておいて、ディファイと同時にグラプルの森へ攻め込むことは、誓約に何ら反さない。


「ああ。こちらも森とディファイとに戦力を分散して、ディファイへの増援を考えるべきだと思う。しかし、まずは女王様に現状を報告せねば私の一存では動けない。その為に私は一旦森へ戻るのだ。こんな時に微力とは言え、戦力が欠けるのは申し訳ないが……」


 サラが再び尻尾を柔らかく振り始めた。

 尻尾の意味は――気にするな、それも大事なこと――かな。

 オレはそんなサラの文まで含めて、キリへ頷きを返す。


「昨日からあんたがいてくれて凄く助かった。この先、獣人達はまとまってあいつと戦わなきゃいけない。だから……むしろあんたが森にその状況を知らせてくれるのはありがたいことだ」

「ありがとう、すまない。女王様へ事情を説明したら、出来るだけ早くディファイの集落へ私も向かうから」

「頼むよ」


 キリのごつい右手が、オレの方へ差し出される。


「君は人間だが、我ら獣人の為に命をかけてくれている。我々は友だと――そう言って良いか?」

「そう言ってもらえると嬉しいな。じゃあ友達として……これからもよろしく」


 オレは笑ってその手を握り返す。

 口の端を上げてちらりと牙を見せたキリが、囁くように付け足した。


「まあ君の場合は、獣人と言うより――姫巫女に命をかけていると言った方が正しいのかもしれないな。時に君達はどこまで進んでいる?」


 手を握ったまま動きを止めたオレを見て、キリは苦笑しながらゆっくりと右手を抜いた。


「友ならば、そういう話もいずれ聞きたいものだ。今は君を問い詰める時間も惜しい。私はすぐに森に戻る。サクヤによろしく伝えてくれ」


 オレがこの部屋に入ってくるまでに、既に荷物もまとめてあったらしい。

 片手を上げて挨拶するキリに、かろうじて硬直から復活したオレは声をかける。


「……サクヤに声かけていかないのか?」

「またすぐに会えるだろうし……そうでなければいけないから」


 それがキリなりの再会の誓いだった。

 椅子の上のサラは1度だけ一際尻尾を大きく振る。そちらを一瞥して微笑んだキリは、そのまま扉を開けて出て行った。


 残されたオレとサラは、2人並んで椅子に座る。

 丸まってゆったりと尻尾を振るサラと、その隣にぐったりと腰掛けるオレ。


「……何か色々あって疲れた、かな」


 独白のようなオレの言葉に、返事はない。

 隣のサラが大きくあくびをして、うっとりと眼を閉じた。振っていた尻尾を自分の身体にゆったりと引いて巻きつけているのは、サラも疲れたからそろそろ眠りたいという意思表示だろう。


 ふと、隣の部屋でガタガタと大きな音が数度して――しばらくすると静かになった。いつかの蔵の国のカスミの宿のように話し声まで聞こえるような壁ではないから、何があったのかはっきりとは分からない。

 それでも何だかしばらくわたわたとする気配のようなものが伝わってきたが……静かになったと思ったら、廊下で扉の開く音がした。


 不思議に思うより先に、こちらの部屋の扉が開いてサクヤが入ってきた。


「どうした?」


 尋ねるオレに、サクヤが小首を傾げて答える。


「……出て行けと言われて、椅子を投げつけられた」


 その口ぶりとさっきの物音からすると、何かナチルを怒らせるようなことを言ったのだろう。

 よく見ると塞がりかけていたはずの傷からまた血が滴り落ちているので、投げ付けられた椅子は見事に右腕に命中したらしい。


「何を言ったんだ、あんたは?」

「事実を。『イワナは口より先に手が出るタイプだったから、多分あなたにもその血が流れてるんだろう』って」

「……バカ」


 言わなくていい事実があることを知っている割に、言うべきか否かの判断は相変わらずガバガバだ。


「魔法で寝てたとは言え精神的にだいぶ疲れているようだし、まだ眠そうだったから置いてきた」


 またサクヤは人の気持ちを思いやらないことを言っている。こういう時は1人にしない方が良いと思うんだがなぁ……。1人ぼっちにしてしまうと、何をするか分からないじゃないか。

 オレが行ってもいいけど、こういう時は女同士の方が良いのではないだろうか。いくら子どもって言っても、泣き顔を男に見られたくはないはずだ。


 かと言って、ほとぼりが冷める前にサクヤが行くと、また興奮させてしまう。オレは隣の椅子で丸まったままのサラに声をかけた。


「サラ、寝てもいいけど、ナチルを見張りながら寝たり……できるかな」


 うとうととしていたサラが、オレの言葉で片眼を開けて、すぱっ、と鋭く尻尾を振る。

 今の尻尾は、多分。

 ――てめぇ、ふざけんな。……ですよね、すいません。


 さすがに申し訳ないと、別の方法を考えようとした時に、小さなため息とともにサラが立ち上がった。

 そのまま小刻みに尻尾を揺らしながら部屋を出て行く。

 すぐに隣の部屋の扉が開いた音がしたので……呆れつつもナチルの様子を見に行ってくれたらしい。すまん。


 どうやらナチルは既に寝付いているのか、サラの気配のなさが良かったのか、隣の部屋は静まり返ったままだ。とりあえずは、これで一安心。


 先程までサラが座っていた椅子に、サクヤは黙って腰掛けた。

 ゆったりと足を組んで肘を突く姿はいつも通り――。


「……カイ」


 こちらを見ないまま、オレの名前を呼んだ。


「あ? どうした?」


 オレは返事をしたが――サクヤは何も言わなかった。

 そのままもう一度椅子を離れて、オレの正面に立つ。


「……何だよ?」


 問うても答えは返ってこない。じっと見下ろす青い瞳が、何故か――少しずつ近付いてくる。

 屈み込んだ姿勢のせいで、シャツの襟元から胸の膨らみが覗けて――


「――え、何!? ちょ――」


 オレの座る椅子の肘置きに、サクヤの両手が置かれた。

 その腕と椅子の背もたれに閉じ込められたような体勢。

 何をしたいのか良く分からなくて、慌てている内にどんどん近くなる瞳との距離が――


「――んくっ……」


 ――ゼロになる。

 唇に柔らかいものが当たる感触。

 目の前の深い紺碧が、ゆっくりと瞼を閉じた。


 自分が何をされてるのか分からなくて――分かった瞬間に、顔が熱くなった。

 これ――これは、オレが何度も仕掛けては諦めた……あの……キスというものなのではないだろうか。


 いや、これが初めてじゃないけど。

 初めての時は、何かそういう感じじゃなかった。

 ドキドキはしたけど――まるで、儀式のようだった。


 だけど、今日は。


 初めて、キスというのはこんな生々しいものなんだと知った。

 微かに温かい吐息で、肌が近いことを感じて。

 下腹を抉られるようなぞくぞくする感覚。

 ドキドキを通り越して、胸がドドドドドと鳴りっぱなしになっている。


 すぐに唇が離れようとしていると気付いた瞬間、オレは――目の前の身体に両手を回して、抱き寄せた。


 大した力も入れてないのに、サクヤの身体は崩れ落ちるようにバランスを崩して、オレの腕の中にすっぽりおさまってる。

 小さな頭を右手で固定して、擦り付けるように唇を押し当てた。

 掠めた粘膜の感触が痺れるようで、どうしようもなく息を吐く。自分で吐いた息が熱いのを感じて、ますます――頭が沸騰しそうになった。


 何か弱々しいものがオレの腕の中でもがいてるけど。

 ――知るもんか。

 ぬるつく粘膜を暴くように、無理に舌を捩じ込んだ。


 しばらく黙って、舌を絡めてみる。

 何にも反応がないのを良いことに、ひたすら擦りつけては吸った。


 ああ、もう。

 サクヤの気持ちなんか知るもんか。

 オレは勝手に自分のやりたいように、その柔らかい口の中を這い回る。

 それで少なくとも――オレは気持ち良――


「――っ痛ってぇ!?」


 いきなり舌先を噛み付かれた。

 思わず手の中から離した身体が、軽く沈んでバネのように伸びる。


「っぐぇ!?」


 腹を蹴られた。思い切り。

 椅子ごと跳ねながら、肘掛けでケツを打って、ごっちゃになって床を転がった。

 バランスを崩して、打ったばかりのケツをもう一回床で強打して、痛みと言うより衝撃で泣きそうになる。


 椅子の下から這い出して、床に座り込んだ。両手を後ろについて脚を立てて座るオレの姿を、サクヤが見下ろしてる。


「ああ、もう! 何だよ、あんた何のつもりなんだよ!?」


 サクヤはシャツの袖で、何故か唇じゃなくて自分のほっぺたをごしごし擦ってる。

 不服そうな表情だが……とりあえず、オレの質問に答える気はあるらしい。


「俺は、昨日宣言した通り、お前が嘘をついたら罰を与えようと言うのが最初の目的だったんだが……」

「嘘!? オレがいつ嘘ついたよ!?」


 何故かサクヤは困ったような顔でオレを見下ろしている。

 何だよ、その顔! 困ってんのはオレだよ!


 恨めしい思いで見上げていたら、ゆっくりとオレの正面に膝を突いて、そのまま再び身体を寄せてきた。だけど――これじゃさっきの二の舞いだ。

 生々しい感触も記憶に新しくて、どきどきはまだ全然止まらないのに。

 とにかく押し返そうとしてみる。


「おい、止めろ……」


 軽く左腕を押すと、さしたる抵抗もなく素直に身を引いた。

 眉を寄せて、オレの眼を覗き込んでくるけど。

 ――その表情。すげぇやばい。


「今のはーー」

「今のは何だよ!? ああ! もう! そういうの困るって言ってるのに、くっついてくるあんたが悪いんだからな!」


 もう悲鳴みたいな声になってる自覚はあるけど、止まらない。壁の厚さがありがたい。もう一度抱き締めようと両手を持ち上げると、サクヤはそんなオレの動きに気付かないまま、小首を傾げた。


「……今のは嘘だな」

「はぁ!?」


 床に座り込んで立てたオレの膝の間に、自分の身体を押し込むように近付いてくる。その背中に両手を回しながら、無駄と知りつつも呟いた。


「おい、頼むから止めてってばーー」


 このまま近付かれると、また、したくなる。

 もう一回、ぼこぼこにされるって分かってても。

 ゆっくりと、サクヤの身体が体重をかけてくる。


「……それも嘘だ」


 オレの身体に伸し掛かかりながら、耳元でサクヤが囁いた。

 もういっそこのまま、床に倒れ込んでしまいたい。

 この身体を抱き締めたままで。


 オレの耳に甘い声が吹き込まれる。


「お前、いつも止めろとか困るとか言うけど。俺が触ると嬉しそうだし、離れようとすると寂しそうな顔をする。だから……本当はこうしたいんだろ?」


 耳の中に温かい息がかかって、正常な判断を狂わせる。

 ダメだ、頷くな――と脳みそに指令を出したはずなのに、オレの頭よりも手の方がよっぽど素直に動いてて、目の前の細い身体を力いっぱい抱き締めていた。


「……そうだよ。したいよ」


 何が何だか分からないうちに、勝手に口が開いて言葉だけが漏れる。

 言っちゃダメだって、分かってるのに。

 いつか恐れた通りに、一度溢れだすと止まらなかった。


「あんたと、こうして――」


 果物のような香りが、脳みそを掠めてく。

 抱き締めたサクヤを逃がさないように引き込んで、横に押し倒そうと肩に力を入れた瞬間に。


 ーー耳元で、微かな笑い声が聞こえた。


「やっぱり。大人ぶって見せてもまだ子どもなんだろうな。ナチルと一緒で、まだまだ甘えたい年頃ってことだ」


 ……え? ナチル? 何の話だ?

 きょとんとしてるオレを放置して、サクヤの手がオレの髪を撫でた。


「お前よりは俺の方が年上だし。幸い今は身体も女だし。『お姉ちゃん』? 『お母さん』? どう呼びたいんだ?」


 はぁ!?

 ちょ、何言ってんだ、あんた!?

 どっちも呼びたくねぇよ、バカ! そういう話じゃない!


 オレの困惑――だか怒りだか良く分かんないけど、とにかく混乱してるオレに構わず、サクヤがくすくす笑い出した。

 少し力を込めた腕に抱え込まれるように、きゅ、と柔らかいものに頬が挟まれる。やわやわとした弾力についそのまま頬を擦り付けそうに……


 いや、違う。……違う違う違う!

 そうじゃなくて!

 オレの気持ちとナチルの感情は、全く別物だから!

 あんたもう、マジで――


「――もう! こんの……大バカ野郎が!」


 胸の間から突然叫んだオレに。

 サクヤは不思議そうに小首を傾げて見せて――とりあえずのところ、反応はそれだけだった。


 今まで人の気持ちなんて全く読まなかったヤツだから、偶然オレの気持ちを(微妙に掠めるように)当てられたのが嬉しかったのだろう。自分の推測がずれてるなんてこと、考えもしてないようだ。


 でもそのずれ、でかい差なんだって。

 それが人の感情ってもんなんだよって……きっと、今のこいつに言っても無駄なんだろうな……。これをこのまま1人にしなきゃいけないのがすごくすごくすごーく、心配で仕方ないんだけど……。


 この期に及んでようやくオレはレディ・アリアとの約束を、少し後悔し始めた。

 願わくば、オレが傍に戻るまで、このバカで素直で可愛くて仕方ない――オレの奴隷商人サマが、無事でありますように……。

2015/10/31 初回投稿

2015/11/09 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

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