14 広がる焔
【前回までのあらすじ】オレ達の前に立ちはだかるヒデトは、500年前に消えたはずの禁忌の種族『ヴァリィの魔術師』を継ぐ者だと名乗った。それだけの力を持っていながら、他の4種族の守り手も必要としてるなんて――あんたの目的は一体なんなんだ!?
「全く……駄目だな」
楽しそうに肩を竦めるヒデトの様子が信じられない。
カエデは、あんたの部下じゃないのか。傷ついて敗北した部下に対してかける言葉がそれか?
「すみません」
ヒデトに対してあっさりと答えたカエデの声が、改めてキリに向けられた。
「さあ、殺しなよ。私を連れて帰ろうなんて馬鹿なことは考えない方が良い。ここで息の根を止めなければ、私はまた君達の前に立ちはだかる」
剣を構えたキリが息を呑む音がする。
振り向いて止めたいけど――オレはヒデトから視線を外せない。
こいつから眼を逸らせば、殺られる。
「キリ……」
「――キリ、止めろ」
せめて言葉だけでもと振り絞ったオレの声に。
甘い声が、重なった。
入り口から入ってきた気配に、ようやく……少し安心する。
「止めとけ。そんなのは女王の望むところじゃない。お前の役目は裏切り者の抹殺じゃないだろ」
そっとキリに寄り添うように、気配が移動した。
聞き慣れた耳に心地よい声と、甘い香り。
「……サクヤ」
静かに、キリがその名を呼ぶ。
自分で行けと言ったはずだったのに、サクヤが戻ってきただけで、オレは――何故か呼吸が楽になったような気がする。
目前のヒデトがつまらなそうに呟いた。
「またお前は適当なことを言う。嘘がつけないはずなのに、随分自由に口が回るな」
自由なんて。
サクヤがどれほど発言に気を使っているか、オレは知ってる。
1言1言、口に出す前にどんなに悩んでるか。
おかげですっかり反応の薄いヤツになってるくらいに。
そのサクヤがそう断言するなら――きっとそれは真実なんだろう。
キリも同じ結論に至ったようだった。静かに剣を下ろす気配が、背後から伝わってきた。
カエデがくす、と笑う。
「……君達は、本当に馬鹿だ」
「ああ全くだな、俺もそれに同意する。さて、サクヤ。例の同胞のガキはどうしたんだ? あれが一応は次の姫巫女候補なんだから、いらないなら返してくれ」
ヒデトの言葉を受けて、周囲を探ってみたけど、確かにナチルの気配は感じられない。サクヤだけがこちらに近付いてくる。
その後を追うように、ぽたり、と水音が聞こえた。
「……カイ、ありがとう。助かった」
オレの肩に置かれた右手が、ぐっしょりと血に濡れている。
「サクヤ――」
「大丈夫。外から話は聞いてた。ヴァリィの魔術師――俺が姫巫女を継いだ時にはもうヴァリィは消えたと言われてたから……こうして見るのは初めてだな。前の姫巫女なら会ったこともあったのかもしれないが」
「……ナチルは?」
「外にいる。さすがにこんな危険なところへ連れて戻る気にはなれない」
何だかんだ言っても、隣にサクヤがいると――すごく安心する。
その魔力と、無理矢理にでも安定させている心に触れているだけで。
オレはようやくヒデトから視線を外して、サラを抱えたまま立ち上がった。よく見るとサクヤは右の二の腕から出血している。外でナチルと揉めたのだろう、偶然にもヒデトと同じところに怪我を負ったようだ。
違うのは……すぐに傷が塞がっていたヒデトに対して、サクヤの傷はまだ生々しいこと。
多分それは、神の守り手としての力の差に比例してる――。
「ヒデト、お前……『守り手』だと言うなら、誓約はどうした? お前は第二誓約を――」
第二誓約――純潔の誓約。
サクヤの口ぶりからすると……いや、何故かオレも知ってる気がする。ヒデトは純潔じゃない、はずだ。どっかで聞いた。
訝しげなサクヤに対して、いっそ憐れむような表情でヒデトが答える。
「お前、何も聞いてないのか。まあ、お前だけじゃないか。彼女も真綿で包まれるみたいに、何も教えてもらっていなかった……」
何だ、それ。
確かにサクヤの知識は誓約について曖昧すぎるけど。
何だか末っ子みたいに猫可愛がりされてたと思うけど。
サクヤの知らない情報が、何かあるのか?
一瞬だけ躊躇してから、サクヤはヒデトの言葉を追求しないことにしたらしい。軽く息を吐いて別のことを尋ねた。
「それで、お前は何がしたいんだ。ヴァリィの魔術師なんてどうやって見付けたのか知らないが――その力で何をしようとしてるんだ」
「なぁサクヤ。俺はな、お前だけを憎んでる訳じゃないんだ。考えようによっちゃ、お前も巻き込まれた被害者だ。そうだろう?」
憐れむように。嘲るように。
ヒデトは笑っている。
対するサクヤは恐れを知らないように、近付いてくる相手に臆せず、自分も一歩距離を詰める。
「……被害者? どういう意味だ」
「分からないのか? 人間の癖に随分と同族に洗脳されている。同胞の為世界の為なんて言葉で、お前たちは皆、誰かと愛を交わすこともせずに長い寿命を孤独に生き、そして消えていくんだ……」
サクヤの身体を通して誰かに語りかけるような、そんな声だった。
多分そう言うヒデト自身には、愛する人がいたのだろう。
でもきっと。
サクヤにはそんな言葉は必要ない。
言葉だけじゃなく、その命を賭けて。同胞を愛すると誓うサクヤには。
現に目の前のサクヤは、ヒデトの言葉を聞き流して、全く違うことを口にしながら小首を傾げている。
「おかしい。お前から同胞の気配を感じない。カエデのように耳を落とし、眼も髪も色を変えたとしても。例えヴァリィの守り手となったとしても、身体の気配まで変わらないはずだ。俺がリドルの気配を纏えないように――お前、一体何をした?」
「――はは、相変わらずだな、お前はあの頃のままだ。お前を見てると、守り手っていうのは脳味噌までその年で固定されてんじゃないかって、不安になっちまうよ」
耳障りな笑い声の後に。
ぞっとするような冷たい声が響いた。
「『姫巫女』に魔法の技が、『長老』に剣が与えられているように、『ヴァリィの魔術師』の特技は『精神支配』だ。俺達は色んな奴の頭を転々と渡り歩きながら……永遠を生きることが出来る」
「――精神支配?」
『精神支配』――? 色んな奴の頭を渡り歩く?
言葉の意味を理解しかねて思わず繰り返すサクヤの声を聞きながら、ふと。
『神の守り手』達の第三の誓約を思い出した。同胞を愛すること。
ヒデトに愛するべき同胞はいるのだろうか?
500年前に姿を消したと言う、禁忌の種族――。
その種族の力を継いだだけの、他所者の魔術師。
「さて……俺が手に入れたもう1種とは何だと思うかね?」
背後でキリの殺気が高まった。
まさかと否定する不安と、もしやと信じたくない恐れが、交差して揺れている。
その姿を見て、ヒデトは残念そうに右手を振った。
「ああ、引っ張っておいて悪いけど、ご期待には添えないんだ。もう1種は『グロウスの騎士』だ。焔を纏った赤鳥はさすがに強くてなぁ……。騎士だけあって、お前らなんかよりよっぽど同族に対してすら容赦がない。人質も効かないし陥落させるのに苦労した」
「おかげでこちらは私1人に任せっきりで。金もろくに出さずに、上納金ばかり取っていく。本気で殺してやろうかと思いました」
黙って聞いていたカエデが、ここぞとばかりに冷たく口を挟んだ。
その言葉を馬耳東風で聞き流して、ヒデトは皮肉に笑っている。
「……あんたらそれが、人手不足の原因かよ。オレ達は片手間で――その間にグロウス族を攻めてたって言うのか? じゃあ、上納金ってのは――」
2人の会話に割り込んで口を開くと、そろってこちらに視線を向けてきた。ヒデトに目で促されて、カエデは肩を竦める。
「そうだよ、巫女ちゃんが集めてくれたお金、それはそれは役に立った。それでまた表の馬車に乗っけてあるんだから……二重取りだね。銀行さんはご愁傷さま」
その銀行には、あんたの友達もいるんじゃないか。
気にならないのか? 罪悪感なんてないって?
それとも……最初から目的の為に近付いたんだから、どうでも良いと言うのか。
後者に違いないから、オレはそれ以上問わなかった。
5年前からの計画? ――それとも、ヒデト。あんたが追放された時から――?
オレはヒデトに視線を当てたまま、更に言葉を足す。
「そうして1つ片付いたから、もうその身体も要らないってことか」
驚いたように。
片眼を見開いて、ヒデトは冷たく問う。
「どうしてそう思う?」
「こんな王宮の敷地内でシオを斬り殺すなんて。もう『カナイ』の仮面は捨てるってことだろ」
ヒデトは黙っていた。
その後ろでため息をついたカエデが、肩を軽く回す。
「さて、どうすんですか、我が主。バレてますよ」
「別にバレても困りゃしないがね。……それよりこいつが何者なのかが気になるな。俺の『精神支配』を弾く人間は初めてだ」
「はあ? 何者?」
オレなんて、何者なんてヤツじゃない。ただのサクヤのおまけだ。
頭の中で呟くオレの声を無視して、サクヤが無事な左手をオレの手に乗っけてきた。オレが答える前に、サクヤが答える。
「これはうちの交渉担当、俺の代理人。今後は俺との商談については、これを通してもらいたいな」
「おや、昇進したねぇ少年。おめでとう」
わざとらしくにやつくカエデを無視して、オレはサクヤの手を握り返す。その左手の中に、堅い感触を感じながら。
――交渉担当。
今朝、レディ・アリアが少し言っただけの言葉だけど。
オレにとっては――オレが、こいつに仲間として認められたって、たった1つの証拠。
「俺が聞きたいのはそういうことじゃねーけどさ。まぁいいか。じゃあ、今回の交渉を終わらせてしまおう。例の同胞はお前にやる。その辺をうろうろしてるのは他にもいるし、最悪は姫巫女を継ぐのは同胞でなくても良い。お前に言うことを聞かせようと思って生かしておいたが……どうも、他にも方法があるらしいからな」
にたりと細めた眼が。
サクヤではなく、隣のオレを見た。
「アレには鎖も首輪もついてねぇから好きにしろ……その代わり表の馬車の代金貰ってく、後片付け頼んだぞ」
「ふざけるな、逃がすか――!」
振り抜いたサクヤの指先から、白銀の光が飛ぶ。
いつもの針――マントにしまってた分は河に浸かってダメになってたけど。
今サクヤが飛ばしたこれは、別のもの――多分、ブーツに隠してある致死毒の方だ。さっき手を繋いだ時には、既に握り込んでいることに気付いてた。
過たず胸元にその針を受けたヒデトは、一瞬ぐらりと傾いだけど。すぐに体勢を立て直した。
「……毒か。お前は元人間だからかなぁ。半端な巫女ならどうか知らんが、生粋の獣人の守り手ならさして気にならないよ、こんなもん。他に守り手の知り合いがいるなら、今度ちゃんと実験してみろ」
そんなことを嘯いている隙に、全力で駆け寄ってナイフを振った。もちろん真正面からの攻撃なんて、当然避けられる。それでも――
「――氷結槍!」
オレのナイフを避けた直後に、ぴったりのタイミングでサクヤの魔法が放たれて――これこそ逃げ切れないと思った瞬間。
「――『炎よ』!」
背後から聞こえた声とともに。
氷の槍を包むように炎が広がった。
赤い光に炙られて、一瞬で槍が溶け落ちる。
「誰だ!?」
サクヤが身体を捻って入り口を振り向いた。
焔を招いたヤツがそこにいた。
視線の先で部屋の入り口を塞ぐように立っていたのは、片手に炎を纏わり付かせた真紅の髪の男だった。
その背から紅い一対の羽が伸びていて――多分。グロウスの赤鳥の血を引く獣人なのだろう。
「あれが新しいグロウスの騎士で、俺の配下。様子見させてたんだが、もう帰りたいらしいな……よしよし、ツバサ。撤退しようぜ」
ヒデトの声に応えるように、ツバサと呼ばれた真紅の男は右手を水平に振った。
手のひらに纏わり付いた焔が、その動作だけで一面に広がる。
「悪ぃなサクヤ。本当はもっとしっかり勧誘したり、姫巫女の誓約について俺が調べて分かったことも教えてやろうと思ってたんだが。俺達がどうやって愛し合ってたかも話してやりたかったし。だけど……さっきは変わってねぇって言ったけど、お前ちょっと喧嘩っ早くなったな」
少し呆れたようなその声に。
もっと呆れているオレが言葉をかぶせた。
「何言ってんだ、あんた。義姉ちゃんを殺したヤツと、サクヤが仲良くお話出来ると思ってんのかよ」
大した根拠はないけど。
義姉ちゃんのそもそもの持ち主が誰で。
その娘がどんな状態になってるのか考えると。
きっと、それしかないだろうな、と思う。
ちょっとばかしカマかけも混じったオレの言葉を、ヒデトは。
酷薄な笑顔で、肯定した。
「良く分かったな」
――即座に、サクヤの髪が白銀に染まる。
バチバチと飛び散る火花の激しさが、怒りの凄まじさを物語っていた。
「――お前が、イワナを! この――月焔龍咆哮!」
「『火炎よ』」
サクヤが無詠唱で放った白い光の渦は、直後に再びツバサの炎に巻かれて消え失せる。
氷の魔法だからダメだったのかと思ってたけど、どうやらそういうことではなく、姫巫女と騎士の力が相殺して消し飛んでいるらしい。
多分、怒りで集中しきれていないのも理由の1つとは言え。
相殺し切れないのはやっぱり騎士の力の方で、部屋の中に消しきれない炎が広がりはじめた。
「じゃあな、サクヤ。次は――ディファイの集落で」
手を振って部屋を出ていくヒデトの背中を見ながら、カエデがため息をついて床に転がる自分の剣に手を伸ばした。そちらに歩み寄ろうとするキリの足下を、広がった炎が押し止めさせる。
「カエデ――。私は君を諦めない。君の無事が分かったからには、いつまででも追って見せる」
「……キリ」
ふ、とかすかに笑い声が聞こえたような気がしたけど。
次の瞬間、炎にひらめく影の向こうへ、ヒデトとカエデの姿は消えていた。
1人入り口に残ったツバサが、一礼をする。
「では――また、いずれ」
その姿をかき消すように燃え広がっていく炎を、オレ達はしばらく黙って見つめた。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
最終的に、床をどんどん舐めていく炎を避けて、窓から脱出した。
気を失ったままのサラはキリが抱えて、全員が部屋を抜け出たところで改めて、今出てきた建物が火を吹いているのを……振り仰いだ。
「……ここって、王宮の一部なんだよな」
燃え盛る炎はすぐに消し止められるレベルじゃない。
どうしようか、という困惑を前面に出したオレの問いに、答えてくれる仲間はいなかった。ってことはつまり、オレが考えなきゃいけないらしい。
……良い方法なんて思いつかないし。もう逃げるか。
いっそ馬車でぱぱーっと――
と、考えたところで、乗ってきた馬車の影が見当たらないことに気付いた。
「あれ? 今日借りた馬車は……?」
「ないな。あいつらが乗って出てったらしい」
この質問だけ、かろうじてサクヤの答えが返ってきた。オレは頭を抱えて……そこで、もう1つ確認しなきゃいけないことがあったのを思い出した。
「そうだ、ナチルは――!?」
夜空の下、ひらめく炎に照らされた無表情のまま、サクヤは道の先を指差す。
「……え? もう一足先にこの庭園から出たってことか?」
「いや、もっと手前。あの草の影」
確かに、指の先、手前の方には草むらがある。
オレが草を分けて踏み込むと、その陰に隠れるように――ぐったりとした白いドレスの少女が血と泥に塗れて転がっていた。
何だ、これ――殺人事件かよ!?
「……どういうことだ?」
「魔法で眠らせた」
……こら。
うまいこと説得したかと思ったら、何やってんだ、あんたは。
少し呆れつつも、とりあえず納得した。
どうやら同族の(中身は)少女との交渉は決裂し、それで先程の怪我を負わされたようだ。逃がすよりは――と、ひとまず眠らせたのだろう。
ってことは結局、ナチルの説得はこれからなのか……。
「じゃ、とりあえず宿に戻るか。そんで速攻でこの国出よう。あんたしばらくここには近付くな」
「そうだな。幸いにしてこの辺りは俺のテリトリじゃない。ほとぼりが冷めるまで近づかないようにしよう」
転がったナチルの身体を拾い上げて担いでいると、遠くから兵士達が驚きと警戒の声を上げているのが聞こえてきた。
そりゃそうだ。王宮の庭園で炎が上がっていれば、兵士が集まってくるに決まってる。
「――水煙」
サクヤの魔法が周囲に霧を生み出した。
これだけでの消火は難しそうだが、燃え広がるのを防ぐことにはなるし、そもそもオレ達の姿を見えづらくするのが主な目的のようだ。
サクヤからすれば、燃え広がってもヒデトとその配下のツバサのせいだ、くらいには思っていそうだ。
ようやく目を覚ましたサラが、キリの腕の中から身を捻って飛び降りた。その身のこなしからすると、身体には問題ないらしい。
よし。急いで荷物をまとめて、隣国に移動しよう。
それにしても。
今回の取引は、ただの取引じゃなかった。
――何かが、良くない方向に動いている。
それは多分、原初の五種全てと、もしかすると人間も含めた世界の全てに関わるような。
そんな嫌な予感をどこかで感じながらも、オレ達はこの国を後にするしかない。
ディファイの集落で、もう一度ヤツらとまみえることを分かっていながらも――。
2015/10/29 初回投稿
2015/10/30 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更