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奴隷商人は嘘をつかない  作者: 狼子 由
第1章 Beautiful Stranger
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1 尋ね人

 誰かに呼ばれた気がして、うっかり振り向いた。


 振り向いたって言ったって、ほんの一瞬なんだ。すぐに、我に返って視線を前方に戻したんだけど――そんなちょっぴりの隙も、オレの師匠は許してはくれなかった。

 目前に、ぎらぎらと光る刃が迫ってきている。


「――油断大敵ですよ!」


 刃の向こうから、燃えるような赤い髪がちらりと見えた。

 目を見開いて何とか攻撃を避けようと身体を捻り、頬のすれすれを風のような速度で素早い突きが通り過ぎたところまでは、自分でも何とか認識している。

 そこから体勢を立て直そうと足を踏み直して――そこで、世界がぐるんと回った。


「……痛てててて」


 しこたまぶつけた背中をさすりながら身を起こすと、師匠は既に刀を腰の鞘に戻し、オレを見下ろしていた。どうやら、刃と一緒に横を通り過ぎたはずの師匠に、踏み直した足をうまいこと前方に払われて、思いっきり後ろにコケたらしい。

 眼鏡の奥の冷たい視線が、真上からオレを射抜いている。


「真剣みが足りないんじゃないですか? 立ち合いの途中でよそ見するなんて」

「ご、ごめん……。でもさ、何か……」


 言い訳しようとしたけれど、座り込んだままもう一度見つめてみたところで、森はいつもの森だった。

 午後の光が柔らかく差し込む木漏れ日の中、ちょっとばかし開けただけのこの場所に、他に踏み入ってくる人影もない。


「……何か……誰か、いたような気がしたんだけど」

「こんなところに誰が来るって言うんですか、バカ弟子。誰もいませんよ、少なくとも俺は認識できませんでしたもの」


 呆れた様子で息を吐かれた。

 確かに誰かの声を聞いたような気がしたんだけど。


 でも、オレが気付くならその前に師匠が気付くはずだ。この人の気配察知は、オレとはちょっと桁が違うレベルで鋭いのだから。

 師匠が何も感じなかったのなら、やっぱオレの気のせいだったんだろう。


 オレは軽く尻をはたきながら立ち上がる。


「あー……ごめんなさい」

「……全く。特訓に身が入らないようじゃ、一人前の称号も遠いですね」


 気が散ってるとかそういうのとは違うと思うんだけど、うまいこと説明ができない。

 細められた紅い瞳が、このバカ弟子、と無言の内にオレをけなしてくる。


「このバカ弟子」


 無言ですらなかった。普通に口に出してた。

 さすがに腹が立って、オレも言い返す。


「朝からずっと特訓ばっかじゃ、疲れるのだって当たり前だろうが。オレのせいにすんなよ、師匠の訓練スケジュールの采配ミスじゃないか。もう今日は終わりに……」


 さり気なく切り上げようとしたら、ぎりりと睨み付けられた。

 途端に恐ろしい殺気に似たものを感じて、慌てて口を閉じた。

 いつもは眼鏡がうまい具合に隠してるけれど、この人、本当はすごく目つきが悪い。眼鏡を外してちょっと街角に立つだけで、周辺から人気がなくなるくらいの威圧感を発することが出来るだろう。

 ただし、本人的には、そういう無言の圧力みたいなものは目つきの問題ではないと言う。曰く、「世界でも並ぶ者もない程の凄腕の剣士なのだから、少々オーラが溢れ出てても仕方ないでしょう」ということなのだった。


 傍目に見れば、その評価はさすがに盛り過ぎなんじゃないか、とは思う。

 いや、もちろん強い男ではある。師匠の強さは、弟子たるオレが身をもって知ってる。

 だけどほら、確かに強い人なんだけど……まあ、そう簡単に世界一がこんなとこふらふらしてないだろ、っていうのがオレの意見だ。


 そのヤバいくらい鋭い目つきをオレから逸らして、師匠は小さくため息をついた。


「……ま、確かにそろそろ良い時間ではありますし。宿の方に戻りますか」


 どうやら、これで今日の特訓は終わりらしい。

 解放されたオレはこっそりと歓声を上げながら、宿の方へと向かう道に足を進めた。


「帰るとなったら随分早いですねぇ」


 かるーく皮肉が背中から飛んでくるが、知ったことか。

 さすがに半日もあの素早い切り込みをかわし続けていたら、人よりちょっとタフなのが売りなだけのオレなんか、へっとへとに疲れてさっさと帰りたくなるのは当然のことだ。

 が、それをそのまま言ったところで、さして前向きな話にならないのは既にわかりきっている。

 オレは歩きながらちょっと考えて、差し迫った問題の方に、限られた時間リソースを使うことにした。


「……それよりさ、昨日から泊まってる宿、他のとこに替わるとかしないの?」

「はい? 宿ですか? シチューもうまいし風呂にも入れたし、悪くなかったと思いますけど」

「そりゃ師匠は良かっただろうさ! でも、オレはやなの」

「なんで」

「朝が早すぎるからだよ。隣が神殿だからだろうけど、日の出前から子どもがわんさか集まっててさあ」


 良いとこのご子弟たちの耳に響くきんきん声で、朝っぱらから叩き起こされる切なさよ。

 辛くて仕方ないオレに比べれば、師匠も、もう1人の旅の連れであるエイジも、朝早いのなんて全然平気な人だから、それがまた辛い。エイジ曰く「旅に出る前は朝も夜も関係なかったからねぇ」ってことらしいけど。

 歩きながら、師匠が軽く両手を胸の前で組み、祈りの姿勢を取って見せた。


「『我らが母よ、古き世界は消ゆるとも、新しき民を祝福し給え』……ってね」

「え!? まさか師匠も昔は、神殿で勉強してたの?」


 師匠が突然、聖典の一節を暗誦し始めたので、びっくりして問い返した。

 神殿で学ぶのは貴族の子女だけだから――もしもそうなら、師匠はお貴族サマということになるのだが。

 ちなみに、オレがそういうアレコレを知ってるのは、別に貴族だからじゃない。小さい頃、住処の近くに神殿があって、そこにいた可愛いお姉さん神官にちょっと憧れて、覗き見してたからってだけ。

 それを思い出して、勝手に納得した。

 ああ、多分師匠もオレとおんなじなんだろうな。神殿の壁をよじ登って、貴族の子ども達をからかって遊ぶような悪戯坊主だったんだろう。


「ああ……俺の高貴な雰囲気、隠してもやっぱ溢れちゃいます?」


 ふふん、と鼻で笑った感じがムカついたので、オレはそのまま口を閉じた。

 はいはい、ムリムリ、そんなワケない。

 全体として見てみても、師匠はまるっきり貴族になんて見えない。今着てるジャケットはかっちりめではあるけれど、まあその辺でちょっとお金出せば買えるだろうな、ってレベルだし。

 例の目つき悪さとか、赤い髪も風に煽られて癖がついてるような有様だし。

 その上、どう考えても腰に提げている片刃の剣。こんな不思議な武器を提げて歩くお偉いさんはいない。

 師匠が言うには、これは『カタナ』という武器で、南の方では比較的ポピュラーだそうだが、そんなこと言われたって、同じような武器を持ってる人なんて本当にいるのだろうか。

 オレだって、『刀』なんて武器を見たのは、師匠に会った3ヶ月前が初めてだ。


 3ヶ月前、生命を救ってくれた師匠の強さに惚れて、その場で弟子入りを申し入れた。

 以来、こうして師匠とエイジの2人旅にくっついてきたオレは、毎日特訓の日々を送っている。


「で、どうすんの? 明日はまた移動すんの? もしそうなら隣が神殿じゃないとこが良いなぁ」

「そうですね、多分この近くにいるとは思うんですが……」

「そのセリフ、ここまでの旅路であちこちに泊まる度に10回以上聞いてんだけど……」


 いまだに、その「この近くにいると思う」ヤツと遭遇したことはない。

 誰を探しているんだか特徴でも名前でも教えてくれれば、オレだって一緒に探せるのに……何故か師匠は詳しくは教えてくれない。


「……まあ、とにかく。近くにいることは間違いないんですって。問題は、向こうが人目につくところに出てこないことなんですよね」

「何だ、そりゃ……」


 人目につかないのに、何故近くにいると分かるんだか。野生動物か何かか。生活の跡でも残ってんのか?

 言ってることが無茶苦茶な気がする。

 そこんとこ突っ込もうと師匠の方を見た瞬間、はっとしたように振り向かれた。

 赤い瞳が見据えている先はオレ――を通り越して更に後ろ。視線を追いかければ、道から逸れた森の中に向けられている。

 1本の木の影。

 眼を凝らしてみたが、枝葉の影になって、師匠が目を凝らしているものが何かは分からない。


 それでも、その木陰に向けて、師匠はうっとりとした微笑みを浮かべた。

 そして、出会ってからこっちオレが聞いたこともないような甘い声で囁く。


「……サクヤさん、待ってましたよ」


 ――がさり、と茂みが動いた後、踵を返して走り去る黒っぽい服装の細い背中を確かに見た……ような気がする。


「何やってるんですか、カイ! さっさと追い込んで下さい!」


 ずばし、と背中を叩かれた。

 弟子は師匠の言葉に絶対服従。3ヶ月間で叩き込まれたその至高ルールに反射的に従って、訓練用の剣をその場に放り捨て、オレは走り出した。

 追いかける理由もこれまでの経緯も、そして自分の追いかけてる人が誰なのかも分からないままに。

2017/02/07 初回投稿

2017/02/12 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2017/05/26 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2017/06/08 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2017/08/25 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

2018/01/21 校正――誤字脱字修正及び一部表現変更

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