銀の髪
「ふうん、珍しいね。こんなところに来るなんて」
こちらを射抜く翠の瞳。風に揺れる銀の髪。薄青色の洋服にチャームポイントとでも言うようについている橙のリボン。椅子に座り、洋服から出ている足は陶磁器のようで、投げ出すように組まれている。
その存在自体が一枚の絵画のような、絵本の中の登場人物のような雰囲気を醸し出している。海面に日の光が反射してキラキラと輝く。しかし、光と水が織り成す光景よりも、俺は目の前の少女から目が離せなかった。
なんだって言うんだよ!俺が何をしたって言うんだ!
そう心の中で叫ぶ。そんなことを言っても状況が好転するわけでもないし、むしろ悪化するのは分かっているので声には出さない。放たれる拳。飛んでくる蹴り。いつもにまして過激なその暴力は俺ひとりに対して向けられる。痛いものは痛い。寄ってたかって攻撃しているのは、一人ではそこまでする勇気もないからか。大した集団心理だ。そんなくだらない事を考えながら、現実から逃避をする。そうしていれば、いずれ痛みは過ぎ去るから。やがて囲んでいた人影は満足したのか、何も言わずに去っていく。やれやれ、やっと今日も終わったか。
「あー…骨は大丈夫か」
何度か咳き込んでから体の調子を確かめる。腕を触ってみたり、曲げてみたりして軽く体の調子を確かめ、普通に動くことを確認する。あざができたり腫れたりはしているものの、体の内部には異常はないようだ。そのことに安堵しつつ、服についたホコリを払う。
見て分かると思うが、俺はいじめにあっている。今日のようなことはよくあることで、寄ってたかって俺一人に対して暴力を振るっていく。理由は簡単、俺が気に食わないからだ。俺は平民生まれだ。元より高貴な血筋が流れているわけではない。そして、俺らに暴力を振るっているのはお貴族様だ。何が血筋だ、何が高貴だ。
親元を離れ、こんな王都の近くにある学園に通えているのは両親のおかげだ。小さい頃から俺は学ぶことに興味があり、そして周りの同年代の子供たちよりは勉強が出来た。そのことを両親はとても喜んでくれて、こんな俺をわざわざ教育機関のあるこの場所まで送ってくれた。自分たちの暮らしだけでも辛いだろうに仕送りまでしてくれて本当に感謝している。俺も将来は高給取りになって両親を楽させてやりたいという気持ちと、知らないことを覚えるのが楽しいという純粋な好奇心で学園に通い始めた。それがいけなかった。
成績は常に上位にあり、時にはトップを取ったこともある。だけどここは王都、貴族の巣窟だった。当然、奴らからしてみれば俺が注目されるのは目障りなんだろう。いや、全員が全員そうだというわけではない。常日頃から切磋琢磨して競い合ってる成績上位組の連中はわかってくれているし、俺もあいつらのことは信頼している。だけど世の中はそんな奴らばかりではないというわけだ。大半の貴族様からしてみれば俺は邪魔者でしかない。それでもって平民だからいじめても咎められることもない。そんなところなんだろう。
普段はそう言う奴らとは距離をとったり、ほかの信用できる奴らと行動を共にしているが、毎回それができるわけではない。一人になったところを狙って、奴らは寄ってたかって自分のプライドを保つためにこのようなことをするのだ。
「あ、あれ…ここどこだ…?」
結局今日も見つかった後に逃げ回っている途中で捕まってしまったのだが、どうやら見知らぬ場所に来てしまったらしい。無我夢中で逃げていたので元より帰り道なんて覚えていない。王都は広いので、同じような場所に見えても違う場所がたくさんある。つまり、迷子になったというわけだ。
「困ったな…とりあえず、海辺に出るか…」
思ったことを声に出してしまう。これは俺の癖であり、治さないといけないと思ってもいつまでも治らない。俺が下宿している宿は海のすぐ近くにある。なので、海を伝っていけばいつかは着けるだろうという安易な考えに基づいて移動を開始したのだが、これがうまくいかなかった。海沿いに出ることには成功したものの、どうやら逆方向に歩いてきてしまったらしい。いつまで歩いてもどんどん分からなくなっていき、一度戻ろうか、そう思った時だった。
「なんだあれ…建物、か?」
海の上、と言っても陸から全く離れてはいないが、そこに石レンガで作られた四角い家のようなものがあった。このあたりには津波が起こることが多々有り、人や建物があるのはとても珍しいことだった。現に周囲はその建物以外人工物は何もなく、波の音だけが静かに響いていた。ここなら静かに休めそうだな、などと密かに居心地のいい場所を発見したことに喜びつつも、俺は自分の好奇心を抑えきれず、そこに近づいていった。
「いっつ…あー、傷口にしみる…」
海に入ると傷口に海水がしみてくる。安易に海に入ったことを若干後悔しながらも、それでも好奇心が打ち勝ち建物に近づいていく。外観は四角い立方体の形をしていて、大きさは普通の部屋が二つ入るか入らないかくらい。所々に穴も空いていて、屋根や壁の意味をなしてないところもあった。周りをぐるっと回ろうとすると、裏に入口のようなものがあった。恐る恐る、しかし好奇心を刺激されて、俺は中に入った。
そこには居た。
ひとりの少女が。
そして少女はこちらに視線を向けるなり、一言つぶやいた。
「ふうん、珍しいね。こんなところに来るなんて」
「えっと…君は何をしているんだ?」
「見て分からないのかな?私はいま椅子に座っているんだよ」
それは知ってる。俺が聞いたのはなぜそんなところに座っているのかだ。彼女が座っている椅子は足の部分が海面に浸っている。見たところ木の椅子のようだし、ここにもともと置いてあったものではないだろう。だとすれば、この目の前の彼女が持ち込んだのだろうか。だが一体何のために?それと、木の椅子であるならば長いあいだ水につけておいて腐ったりしないのだろうか。などと今聞きたいこととは関係のないことが頭に浮かんだ。
「ふむ…見たところ、目的を持って来たわけではないみたいだね」
「あ、ああ…。ちょっと気になったんでな。なんでこんなところに建物があるのか、とか」
そう尋ねてみるが彼女はこちらをじっと見つめているだけ。俺のことを上から下まで眺めているようだが、俺が何かしただろうか。なにか彼女が答えてくれるかと思って待ってみたが、気まずい沈黙が続くだけ。沈黙は嫌いではないが、それではこの状況は何も変わらない。このままでは埒があかないと再び話しかけようとしたとき、彼女が唐突に口を開いた。
「ちょっとこっちに。早く」
「は?お、おう」
彼女に従う理由はないはずだが、咄嗟に言われたことだったのでつい彼女の言うとおりに近づいてしまう。すると彼女は俺の手をとってにぎにぎと握り始めた。彼女の手は力を入れれば折れてしまいそうなほど細く、だけどとてもやわらかかった。いや、何を俺は考えているんだ。何が何だか分からないまま、されるがままになっていると、彼女は満足したのか手を離した。
「これなら中の方は大丈夫そうだね。ならよかった」
「えっと…何をしたんだ?」
「LY∀CK∋シェ∉RΩσYウ∑」
「は?今なんて」
彼女が何かを話したのは分かったが、全く聞き取ることができなかった。口調自体は速かったわけではなかったのだが、聞きなれない発音とアクセントであり、かけらも意味を掴むことができない。
そのあと彼女が一度手を振ると、満足したかのように頷いた。俺にとってみれば何があったのかさっぱりなのだが。一人で満足してないで説明して欲しい。
「どう?まだ痛むかな?」
「痛むって…な…!?」
気づいて、驚愕する。先程まであったあざや腫れが全てなくなっている。もちろん、それに伴う痛みも全て。魔法は確かにこの世界に存在するが、治癒魔法でもこんなに一瞬で怪我が治ったりはしない。それに魔法を行使したようにも見えなかった。先ほど発音が聞き取れないなにかを彼女は話したようだが、それの影響だろうか。
「ん?まだ痛む?」
「い、いや…大丈夫だ」
「ほんとに?嘘はつかなくていいんだよ?」
「ほんとに大丈夫だ。今のは君がやったのか…?だとしたらありがとう」
何をされたのかわからないが、彼女が何かをして、俺の怪我を治してくれたのには間違いない。すると彼女はポカンとした顔をしてこちらを再びまじまじと見つめてきた。何も話さないでじっと見つめられるのは居心地が悪いので本当にやめてほしいんだが。
「何をされたのか分からないのにお礼を言うんだね。もしかしたらそれ治癒じゃないかもしれないんだよ?」
「え?ああ…まあ何をされたのかは確かに分からなかったけど…」
「尚更なんで?別に私はお礼が欲しくてやったわけでもないんだよ?」
「いやまあ、今んところ痛みはないし怪我を治してくれたし。現状から見て君が俺を助けてくれたのがわかったから、かな」
「ふーん、面白いというか変わってるね、君」
変わっているのだろうか、自分は。まあそれは彼女が出会ってきた人々によりきりだろうから、一概にどうとは言えないが。自分では普通を選んでいるつもりなのだが。いや、そうでもないか。普通だったらいじめにあったりはしない。そう考え、自嘲的な笑みを浮かべる。
「世の中はそんなに物騒になったのかい?」
「いや、そうでもないんじゃないか。今のところ世の中は平和だと思うよ」
つい先程のことを思い出して含みのある言い方になってしまった。それをどう捕らえたのか、彼女は黙り込んでまたこちらをじっと見つめて来る。何度かやられて分かった事だが、これが彼女の考え事をするときのしぐさなのだろう。手の上にあごを乗せてほおずえをつくように思案している姿は一枚の絵にすればとても可憐なものになるだろう。と、またしても意識が変な方向にそれかけたところで、彼女が口を開いた。
「よかったら君の境遇話してみてよ?アドバイスできるかは分からないけど」
「そんな聞いてて面白いような話じゃないぞ?」
「いいからいいから。お姉さんに話してみてよ」
お姉さんというほど歳が離れているようには見えないのだが。それに、どちらかと言えば彼女の方が年下に見える。あくまで外見で判断しているだけなので、実年齢は彼女の方がお姉さんなのかもしれないが。そこまで考えて、未だに何一つ彼女のことが分かっていないことに気づいた。何故ここにいるのか。何をしているのか。さきほどの怪我を治してくれたものは何なのか。まだまだ聞きたい事はたくさんある。
「じゃあ、君が話したら私も話す。だから話してよ」
考えていた事を読まれたのか、先に手を打たれてしまった。だが、自分の今までの事を話すだけの価値はあるかもしれない。それに、考えてみれば自分のことを誰かに話すという機会は無かった。誰かに話を聞いてほしかった、なんてことを言うつもりはないが別に話したところでどうなるというほど複雑な理由があるわけでもない。彼女のことを知るための対価なら自分の話なんて安いものだろう。
「繰り返すが、面白い話しじゃないからな」
そうもう一度忠告して、彼女に話しはじめた。最近の境遇だけ話すはずが、彼女の合間合間にとんでくる質問を返しているうちにいつの間にかこれまでのこと全てを話していた。ここから遠く離れた雪国で生まれ育ったこと。一冊の行商人が持ってきた本との出会いが人生を豊かにしてくれたこと。普段仲良くしている友人の話。果てには、下宿している宿で何が美味しいとかそんなとりとめのない話まで。その一つ一つに彼女は律儀に感想を言ったり質問したりと。なぜか彼女のことを聞くつもりが俺が話し続ける羽目になってしまった。
「…こんなくらいでいいか?正直もう話すネタが無くなってきたんだが」
「うん、ありがと。とっても面白かったよ」
「それで、君のことも話してくれるんだろうな?」
「そだね。ちゃんと約束は守るよ。…なんだけど」
ちらり、と彼女は外に目をやった。それに釣られて視線を向けると、外はもう夕暮れになっていた。自分が思っていた以上に話し込んでいたらしい。彼女が迷ったような表情でいるのは、時間は大丈夫か、ということか。確かに彼女には聞きたいことが沢山あるし、それを聞いていたら時間は今と同じように過ぎていくだろう。いつもならばもう宿に帰って勉強を始めているところだ。1日くらい学園をサボってもいいが、彼女はあまりいい顔はしないと今までの会話である程度の性格はつかめていた。だから、
「そうだな。君の話は明日でいいか?またここで」
「分かった。じゃあまた今度だね」
「ああ、また今度。あー…そういやあんなに話し込んでたのに名前聞いてなかったな」
一度くらいは名前が出てきてもいいはずだったが、さきほどまでお互いに君としか呼び合っていなかった。二人だけでの会話だったので意思疎通は問題なかったし、それで十分だったからかもしれないが。なんとも不思議なことだ。
「あ…ホントだね。私の名前は…」
そこで一度ためらったかのように区切り、その後一度かぶりを振ってから再び口を開いた。
「フィニ。特に姓とかはないからフィニって呼んで」
「フィニか、いい名前だと思うぞ」
自分で言ってて何言ってるんだこいつと思った。どこからどう見ても歯に浮くような言葉にしか聞こえない。名前を褒めるにしてももっと言い方があっただろうにと思っても後の祭りである。何か言い直さなくてはと考えているうちに、彼女がいつもの仕草とは違う意味でじっと視線を向けてくる。
「あ、えっとその、だな…」
「まあ、ありがと。それで、君の名前は?」
「アウィス。アウィス・リートだ」
あうす、と小さく彼女が呟いた。王都とは離れた土地の発音なため、名前の発音が難しいといつも友人たちに言われる。そのため、皆アウスやらアイスやらと呼んでくるのだが。
「あうす、…ありす、あうりす…あうぃす。これで合ってる?」
純粋に驚いた。数度つぶやいただけで、彼女は発音を完璧に合わせてきた。何人かは正確な発音で呼んでくれるが、ここまで短期間で話せたのは彼女が初めてかもしれない。彼女は俺の地元かどこか近くに来たことがあるのだろうか。またしても彼女に聞きたことが増えたが、今日は残念ながら時間切れである。
「ああ。驚いたよ、発音を正確に言えるとは思ってなかった。俺の名前は音が珍しいからな」
「まあ、ちゃんと言えるまで何回かかかったし。じゃあまた明日アウィス」
「それだけで言えるからすごいんだよ…。フィニは帰らないのか?」
「んと、そうだね。もう少しここに居るよ。だからバイバイ」
先ほど名前を言うときにも表情が一瞬曇った。何か話しにくいことなのかもしれない。そんな深くまで聞く気はないし、彼女が話せることだけ聞いて満足できれば、それで構わないのだが。彼女のことを聞くというよりかは、彼女と話すことそのものの方を求めているのか?なぜかついさっき出会ったばかりのこの少女のことをそこまで気にかけているのか。
俺が入ってきた来た時と同じように椅子に座って、手だけこちらに振ってくれている彼女との会話を惜しむように、また明日と再度約束をしてから、入口に手をかけると、彼女がぽつりと呟いた。
「守り石の巫女。気になったら調べてみて」
守り石の巫女。全く聞いたことのない単語だ。その一言についても色々聞きたかったが、ここで振り返っては質問したくなる気が抑えられなくなるだろう。名残を押し切って、一度だけ頷いて石レンガの建物を去った。
彼女との再会を心待ちにして。