愛しの我が家
気が付くと、満点の星空が広がっていた。
進が目を覚ましたのは、水の流れも緩やかな川辺で、幸運な事に歩の姿もすぐに発見できた。
進は歩の傍まで歩き、そっと頬へと手を当てる。
すると、僅かではあるが、歩が苦しげに身動ぎした。
「よかった。無事みたいだな」
川の水で体温は随分と下がってしまっていたが、目立った外傷はない。
出来れば何処かで服を乾かし、休ませたかったが、休むわけにはいかない。
ここが何処かは不明だが、ここにいたら、また奴等に見つかるかもしれないからだ。
進は自分の着ていた上着を脱いで歩に着せると、携帯を取り出す。
先程の父親からのメールを確認しようとしたのだが、携帯は全く反応しなかった。
「やっぱりダメか」
メーカがいくら生活防水だと謳っていても、完全に水没し、且つ激流に飲まれたのだ。日本製のガラパゴス携帯、所謂ガラケーの耐久力がスマホより高いといっても限度があるようだった。
進は携帯の復帰を早々に諦めると、小さな体を背負って歩き出した。
そこから進の記憶は曖昧だった。
何処をどう歩いたのかも、覚えていない。
気が付いた時には夜が明け、日が一番高い所まで昇ろうとしていた。
しかし、その甲斐あってか、どうにか見覚えのあるところまで戻って来られた。
「歩、待ってろ。もうすぐ家に着くからな」
進が歩に励ましの言葉をかけるが、後ろからは何も返事は返ってはこない。
歩は苦しそうに、浅い呼吸を繰り返すだけだった。
その様子を背中に感じた進は、家路への道を急いだ。
歩だけは何があっても絶対に助ける! その一心だけで進は両足を動かし続けた。
信号機の無い横断歩道を渡り、児童公園を抜け、三叉路を右に曲がったところで、念願の我が家、築五十年は越えている木造平屋の一軒家が見えてくるはずだった。
だが、
「な、なんだあれ」
角を曲がった進の目に飛び込んできたのは、いつもの見慣れた我が家ではなかった。
一見すると廃屋にも見える我が家は、今は白い幌に覆われて中を見ることが出来ない。
家の周りには、数台のトラックが停まり、黄色い重機がディーゼルエンジンの音を響かせながら騒がしく働いていた。
「どうなっているんだ……」
進は訳もわからず、重い体を引き摺るようにして我が家に近付く。
そのままふらふらと幽鬼のような足取りで、家の敷地内に入ろうとすると、
「おい、危ないから入っちゃいかんぞ!」
頭にタオルを巻いた、色黒の中年の男に止められた。
そんなに強い力で止められたわけではないが、全身が鉛のように重くなっている進は、それだけで倒れそうになる。
「お、おい兄ちゃん。大丈夫か」
男は慌てて手を伸ばすと、進が転ばないように支えてくれる。
「おいおい、なんだか随分ボロボロだな。ちゃんと飯食ってるのか?」
「そんなことより、ここで何をしているのですか?」
質問に答えず、血走った目で問い詰める進に、男は思わず一歩下がる。
「な、何って……仕事だが」
「仕事って、どんな仕事ですか?」
怪訝な表情を浮かべながらも、男は几帳面に幌に書かれた自分の会社の名前を指差し、
「見てわからないのか? 俺達はこの家を壊しに来たんだよ」
「な、なんですって!?」
進は驚きに目を見開きながら、男が指差した場所を注視する。
そこには「田山解体事業部」と事務所名と、事務所の電話番号が書かれていた。
進が呆然とそれを眺めていると、一際大きな音が鳴った。
思わずそちらを見やると、目に飛び込んできたのは、巨大なショベルカーがその大きなシャベルを使って、進が十五年過ごした我が家に大きな穴を開けたところだった。
その後もショベルカーは、その見た目に違わぬパワーを発揮し、家を破壊していく。
断末魔のような激しい音を立て、家が崩れ落ちるまではあっという間だった。
「あ……ああ」
「お、おい、兄ちゃん。どうした」
「家……俺の家が……」
進は目の前の光景が信じられず、膝をついて呆然と崩れ落ちた家を眺めていた。