表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/57

新しい日々

「忘れ物はないか?」

「……うん」


 進の言葉に歩は小さく頷くと、おずおずと進の手を握った。


 進のささやかな歓迎パーティーが開かれてから数日は、特に何事も起きずに過ぎた。

 学校に行かない変わりに、進は積極的に仕事に取り組み、周りからの信頼を少しずつ得ていった。

 そして、仕事で認められた事以外にも、進には嬉しい出来事があった。

 それは、


「進、今日は歩ちゃんの退院の日でしょ? 今日の仕事は、優貴さんに頼んで休みにしてもらうから迎えに行ってあげなさい」

「うん、ありがとう。舞夏さん」


 舞夏の態度が、出合った時とは明らかに変わった事だった。

 最初は「あんた」としか呼ばれなかったのに、いつの間にか「進」と名前で呼ばれるようになり、進も「舞夏さん」と名前で呼ぶ関係になった。

 最初、思わず「舞夏」と呼び捨てにして、氷のメスのような鋭い視線で射抜かれたことは記憶に新しい。

 進が呼び捨てで、舞夏に敬称をつける理由は「私の方が年上だから」らしい。

 その時初めて知ったのだが、舞夏は進の一つ年上、高校二年生だったのだ。

 別に厳密な縦社会で生きてきた進ではなかったが、学校の先輩、後輩の関係くらいの機微はわきまえている。

 舞夏の意見に特に異論もなく、呼び方の問題はあっさり解決した。


「兄ちゃん、何か面白いことでもあったの?」

「ん? いや、なんでもないよ」


 ここ数日の間に急転直下の如く訪れた自分の身の回りの変化が可笑しく、含み笑いをしていたら、不思議に思った歩に心配されてしまった。


「本当に大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だって。それより歩、それ、本当に持って帰るつもりか?」


 進が指差す先には、歩が白鳥から貰った海洋生物のぬいぐるみ郡が紐で一括りにされて歩の小さな背中にでん、と乗っていた。

 このぬいぐるみを背負っている所為で、今日の為に皆がプレゼントしてくれた真夏の向日葵のような黄色いワンピースに、早速シワが出来てしまっていた。

 そんな進の心情等知る由もなく、歩は子犬の様に泣きそうな目で進を見上げる。


「……ダメ?」

「兄ちゃんはダメじゃないけど、一緒に暮らしてるお姉ちゃんの許可は取らないとな」

「わかった。じゃあ、その時は兄ちゃんも一緒にお願いしてね」

「え? あ、うん。兄ちゃんに任せとけ」


 歩の手前、笑顔で要請に応えたが、進の内心は穏やかでなかった。

 ここ数日でわかったが、舞夏はかなりの潔癖症だという事だ。

 これまでの人生において、掃除を割と適当にしてきた進にとって、かなり入念に、しかも毎日全ての部屋の掃除を行う舞夏の行動は、かなり奇妙に映った。

 ダイニング以外の部屋の立ち入りを許可され、暖かい所で寝られるのはありがたかったが、変わりに毎日掃除につき合わされるのは、体力的にきつかった。

 何故、毎日掃除をするのかという進の質問に、舞夏は「フン」と鼻を鳴らすと、


「そんなの簡単よ。幸せになる為に決まってるじゃない」

「幸せになる? それと、掃除に何の関係が?」

「知らないの? 掃除をしないと家に悪い気が溜まり、幸せがやってこないのよ?」

「はあ? 何だよそれ……」


 いきなり胡散臭い話になって、進は思わず噴き出した。

 そんな進を見て、舞夏は呆れたように首を振る。


「はぁ、進。そんなんだから親が破産して全てを失うのよ」

「なん……それとこれとは関係ないだろ!」

「あるわよ! 考えてみなさい。どうして、進にそこまでの不幸が降りかかってきたと思う? その様子から察するに、どうせ碌に掃除をしてこなかったのでしょ? もし、キチンと掃除をしていたのなら、ここまで不幸にならなかったでしょうね」

「そ、そんなの……結果論でしかないじゃないか」

「そうかもしれない。でも、古くから先人の教えで、掃除と幸福は割と密接な関係にあると言われているのよ。実際、大物タレントの中にも、どれだけ売れても、自宅のトイレ掃除だけは、自分で行うって話とか聞いたことないの?」

「……聞いたことない」


 進が負け惜しみ程度に反論しても、舞夏は少しも気にした様子もなく、


「あ、そう。じゃあ、そういう言葉があるって覚えておきなさい。ほら、今は時間が惜しいからとっとと動きなさい」


 舞夏はあっさりと話を打ち切ると、まるで何かに取り憑かれたかのように床を磨いていた。

 そんな出来事があったものだから、進は家を汚す行為だけは出来るだけ避けてきた。

 まして、ぬいぐるみなんて埃やダニの温床としかならない物を部屋に置かせて欲しいなんて頼んだら、舞夏は何て言うだろうか?

 舞夏の怒り顔を想像し、進はひっそりと溜め息をついた。


「二人とも、準備が出来たのなら早く来るんだ」


 すると、いつまでも現れない進たちに業を煮やしたのか、歩の入院費の支払いを終えた優貴が二人に急ぐように通達してきた。


「あ、すみません。今、行きます。ほら歩、行くぞ」


 進の言葉に、歩は小さく頷くと一緒になって歩き出した。

 優貴に合流した進たちは、ナースステーションに寄り、中にいた看護婦に礼を言って病院を出た。


「う……」


 病院から一歩出た歩は、久しぶりに見る太陽の光に思わず目を細めた。


「ハハハ、どうだ、久しぶりの太陽の光は?」

「うう……眩しい」


 普通なら感動して、もっと喜びを表してもいいものを、歩はいやいやとかぶりを振ると、太陽から逃げるように進の背中に隠れてしまった。

 そんな歩を見て、進と優貴は顔を見合わせて小さく笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ