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恐怖の訪問者

 翌日、首の痛みに進が目を覚ますと、既に陽が昇り、明るくなっていた。

 部屋の中はしんと静まり返り、彼方からチリ紙交換のアナウンスが聞こえる。

 どうやら舞夏は出かけているようだった。

 昨日の態度から、起こしてもらえたり、一緒に朝食を食べたりすることはないだろうと思っていたが、ここまで綺麗に無視されると悲しい気持ちになる。

 だが、こうしていつまでも寝ているわけにはいかないので、進は固い床に寝た所為で痛む関節をほぐしながら身を起こすと、


「あれ?」


 自分の体に、昨日までなかったある物に気付いた。

 それは、花柄の薄いピンク地のタオルケットだった。

 生地自体は軽くて薄いものだが、体に被せると思った以上に暖かさを感じる。

 少なくともこれ一枚あれば、今の季節なら風邪をひく心配はなさそうだった。

 こんな物を進は持っていないので、これを用意してくれたのは一人しかいない。


「なんだ。案外いい人……なのかな?」


 進はここにはいない舞夏にそっと感謝しつつ、タオルケットを畳んで邪魔にならないように部屋の隅に置いた。


 起きたついでにトイレに行って一息入れようと思うと、突然、来訪者を告げるチャイムが軽快な音を立てた。


「え、ええ!?」


 まさかの事態に、進は全身から冷や汗が出てくるのを自覚する。

 昨日から家主の了解を得てここに住むことになったのだから、普通にチャイムに出てもいいような気もするが、ここを訪れる人間は十中八九舞夏目当ての客だろう。

 というより、進を訪ねてくる人間に心当たりはない。

 もしここで進が出て、相手に不信感を与えるばかりでなく、事情を説明する間もなく警察を呼ばれでもしたらことである。

 進がどうしようかと手をこまねいている間にも、短気な来訪者によるチャイムの音が連続して鳴り響く。


「ヒッ……ど、どど、どどどうしよう」


 進は、まるで今すぐに出て来いと脅迫されているかのようなチャイムの連打にパニックに陥り、あたふたとその場でぐるぐると回っていた。

 すると、


「おい、進君。いるんだろ! 早く起きてここを開けたまえ!」


 扉の向こうから、透明感のある女性の声が聞こえてきた。

 その声を聞いた途端、進はほっと肩をなで下ろした。

 声の主は、進の恩人である優貴の声だった。


「どうやらまだ寝ているようだな。なら仕方ない……ぶち破るか」

「……え?」


 いきなり聞こえてきた優貴の言葉に進はハッとなる。

 優貴は冗談が嫌いだが、待つのはもっと嫌いと言って、舞夏が扉を中々開けなかった時にも、同じ様に扉を蹴り破ろうとしていた。

 つまり、さっきの言葉は冗談でも何でなく、本気で扉を蹴り破る事を意味している。

 その事に気付いた進は「待ってください!」と悲鳴にも似た叫び声を上げながら、慌ててドアのロックを外して扉を開いた。


「……何だ。起きているのなら早く開けたまえ」


 扉の向こうには、スカートにも関らず、腰の高さまで足を振り上げている優貴が立っていた。

 間一髪、後一歩扉を開けるのが遅かったら、扉を壊されていたかもしれなかった。

 そうなったら、舞夏に自分の立場を認めさせるどころか、顔向けすら出来ないだろう。

 進は心の中で安堵の溜め息をつきながら、優貴に向き直る。


「ど、どうしたんですか。何かあったのですか?」

「どうしたもこうもないだろう。君はいつまで寝ているつもりだ」

「いつまでって……え?」


 優貴がそう言って取り出した時計を見て、進は愕然とする。

 今の時刻は午後の三時を廻っていた。

 となると、優に十二時間以上も寝ていた事になる。


「さっき、病院から君が来ないと歩ちゃんが泣いていると連絡があってな。まさかと思って来てみたのだ」

「す、すみません。ご迷惑をおかけしました」


 今日は早起きして歩の所に行くつもりだったのに、いきなり予定が狂ってしまった。


「謝るのは後でもいい。今はそれよりも歩ちゃんのところへ急ぐのが先だろう」

「そ、そうですね」


 進は頷くと、着の身着の儘で外へと飛び出そうとする。


「ちょっと待ちたまえ」


 すると、優貴が後ろから手を伸ばして、進の服の襟首を掴んだ。

「ぐえっ!」思わぬ不意打ちに、進の首が締まり、体が一瞬宙に浮く。

 次の瞬間、着ていたシャツが破れる音と共に、進は地面に尻餅をついた。


「あっ、痛ぅぅ……な、何をするんですか!」

「何って、君はそのままの姿で出かけるつもりか?」

「え? 何処か変ですか?」

「……君はデリカシーという言葉を覚えるべきだな」


 そう言うと、優貴は進の頭、顎、体を順に指差していく。


「頭は寝癖がついてるし、顎には無精髭が生えている。昨日は風呂に入ったのか? 少しだが、体臭も気になる。そして、極めつけは着ている服がボロボロだ」

「さ、最期のは優貴さんが原因じゃないですか」

「あん? 何か言ったか?」

「いいえ。何も言っておりません!」


 優貴にジロリと睨まれ、進は反射的に最敬礼を返した。

 睨まれただけなのに、全身の毛穴が一気に開いた。

 この若さで人の上に立っているだけあって、人を黙らせる迫力は尋常ではなかった。


「そ、それでは、急いで身支度をしてくるであります!」

「うむ、早くしたまえよ」

「イエス、マム!」


 進は再び最敬礼をすると、身支度をする為に家の中へと取って返した。



 無茶苦茶な物言いで進に身支度を強制した優貴だったが、決して考えなしに言ったわけではなかった。

 進の為に新しいシャツや下着、体を洗うためのタオルと洗面用具、髭を剃る為の髭剃りやシェービングフォームを取り揃えてくれていた。

 それらの厚意に感謝しつつ、進は身支度を手早く終えた。

 最期に、これまた用意されていたヘアワックスで髪型を整え、ダイニングの真ん中でまるで彫刻のように微動だにせず、進の支度を待っていた優貴の前へと出る。


「ほう、ようやく男前になったじゃないか」


 優貴は生まれ変わったかのように身奇麗になった進を見て、微笑を浮かべて進の頭をくしゃりと撫でた。


「ハハ、ありがとうございます」

「うむ。いいか、進君。人の評価は見た目で決まる。その人がどれだけの才能を持っていたとしても、身なりがキチンとしていなければ、正当な評価は受けられないのだ。故に、いかなる場合でも最低限の身なりに気を配る事を忘れないようにな」

「はい、わかりました」

「いい返事だ。それでは行こうか」


 進の殊勝な態度に、優貴は鷹揚に頷いた。

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