新しい家
真紅の車が、爆音立てて夜の街を疾駆する。
その洗練されたフォルムと、けたたましい音で鳴り響くエンジン音は、車に興味がある者が見れば、誰もが溜め息を漏らすほどの名車に違いなかった。
しかし、そんな事は助手席に座る進にとってはどうでも良かった。
今はこのジェットコースターのような地獄から、一刻も早く開放されたい一心だった。
そんな進とカーブの度に襲い掛かるGとの争いは、唐突な急制動と共に終わった。
「さあ、着いたぞ」
「う、うう……着いたって天国?」
「何を馬鹿な事を言っている。今日から君が暮らす家に決まっているだろ」
満身創痍の進を放って、優貴はとっとと先へ行ってしまう。
「……出るか」
今は少しでも外の空気を吸いたい思い、進は体を引き摺るようにして外へ這い出る。
冷たい空気を肺一杯に吸い込んで顔を上げると、夜の闇にそびえ立つ、似たような建物がいくつも見えた。
どうやらここは、集合住宅が並ぶ地域のようだった。
区画整理が完全に行き届き、等間隔で同じ高さの建物が並ぶ様は、作り手の感情の一切が欠落しているようで、ある意味で不気味だった。
せめてもの救いは、ぽつりぽつりと確認できる建物からの灯りで、ここに人の営みがあると認識出来る事だった。
自分が未知の場所に立っているという言い知れない不安に、進は優貴の隣に寄り添うように立った。
「どうした? 不安なのか?」
「いえ……まあ、そうです」
強がっても仕方ないので、進は正直に自分の思いを口にした。
「心配するな。今から行く所は、私の会社で所有している社員寮の一つだ」
「社員寮、ですか?」
「ああ、と言っても、知り合いの大家が取り壊しを決めた小さなアパートを、無理矢理頼み込んで格安で使わせてもらっている物件だがな」
優貴は肩を大袈裟に竦めて見せると、集合住宅の敷地を通り抜け、車がようやく通れるかどうかの小さな路地に入っていく。
てっきり目の前に見える集合住宅の一部屋がこれから住む家だと思っていたが、どうやら違うようなので、進は大人しく優貴の後に続く。
薄暗く、ジメジメとした細い路地を進み、角を曲がると少し開けた場所へと出た。
「あそこだ」
そう言って優貴が指差した先には、二階建ての小さな建物があった。
それは、よく言えば趣がある、素直に言えばボロいアパートだった。
部屋の数は、各階二部屋ずつの全四部屋しかない。二回へと続く階段は錆び付き、屋根には修復の後がいくつも見え、塗装も所々剥げている。
今にも崩れ落ちそうな建物を前に、優貴が頬をかいて苦笑する。
「どうだ。思った以上にボロくて驚いただろう」
「そうですか? ウチよりずっと立派ですよ」
対する進の反応は淡白なものだった。
進の家も、このアパートに負けないくらい古い家だった。
その見た目の古さから、近所の住人からはお化け屋敷と揶揄され、トイレは水洗でなく、テレビのアンテナ一つない。更に言えば、水道の蛇口からお湯なんて夢のまた夢。
そういう家で育った進にとって、むしろこの家はかなりまともな分類に入った。
「そうか……だが安心したまえ。中はしっかりとリフォームされているから」
「中は見た目とは大分違うんですか?」
「ああ、見た目は悪くても、生活する分には充分快適に過ごせる事を保証しよう」
内装には自信を持っているのか、優貴は不適に笑うと進をアパートの一室へと案内する。
アパートの一階、右側の部屋の扉前まで立った優貴は、
「おい、舞夏。私だ」
中に声をかけながら、扉に備え付けられたチャイムを押した。
「え?」
同居人がいるとは聞いていない進は、思わず身を硬くする。
いくら中がリフォームされているとはいえ、決して広いとはいえないであろう部屋で見知らぬ他人と同居するとなると、それなりの覚悟が必要だ。
特に、あの偉丈夫のような、もしかしたら男色の気がある人間が同居人だった場合、身の安全を第一に考えなければならないだろう。
後方で進が息を飲んで見守っている間にも、優貴のチャイム連打は続く。
「舞夏、聞こえないのか! これ以上私を待たすと言うのなら……」
中の人物が出てこないのに業を煮やした優貴は、一歩下がると扉を軽く蹴った。
どうやら外から扉を蹴り破るつもりらしい。
「ちょ、ちょっと優貴さん。本気ですか?」
「止めるな進君。私は冗談が嫌いだが、待つのはもっと嫌いなのだ」
進の意見をあっさりと却下して、優貴は扉の前で構えを取った。
まるでカンフー映画のスターのように片足を振り上げ、渾身の蹴りを繰り出そうとしたその時、
「ああ、ちょっと待って待って! 今開けます、開けますから! あいたっ!?」
ドタバタと駆ける音と、慌てて何処かにぶつける音を響かせながら、中の人物が扉を開ける。
「優貴さん、お待たせしました!」
「遅いぞ舞夏。私を待たせるなんていい度胸じゃないか」
「すみません。ちょっと汗をかいたのでシャワーを浴びてたんです……けど……」
中から出て来た人物と進の目が合った瞬間、進の顔は茹で上がった蛸のように真っ赤になる。
中から出てきたのは、予想に反して女の子だった。
年の瀬は進と同じくらいだろう。大きな瞳が特徴の整った顔立ちをしており、充分可愛らしいと形容できるが、その瞳は強い意思を抱いているように見える。長い髪の毛は、タオルで一つにまとめており、艶やかな毛の先からは水が滴り落ちていた。
そう、進の顔が朱に染まっている理由は、彼女が風呂上りだったからだ。
思ったよりボリュームのある肢体を包んでいるものは、今は薄いバスタオル一枚のみで、隠しきれていない部分からは、しなやかな手足と、豊かな胸の一部が覗き、風呂で上気した肌は薄紅色に染まり、吹ききれていない滴が水を弾いて流れていた。
「あ、ども……」
進は頬を赤く染めながら中の人物に挨拶をする。
女の子は、そこで初めて進の事を認識したらしく、みるみる顔を赤く染め上げると、
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
絹を切り裂くような悲鳴をあげ、素早くドアを閉めてしまった。




