プロローグ 闇の中で
世の中は至って不平等な物である。
いくら頑張っても報われず、最底辺を這い蹲るしかない人間がいる一方、特にこれといった努力をすることなく、持ち前の運や才能だけで億万長者へと登りつめる者がいる。
しかし、運の良し悪しだけは、天運としかいいようがない。
だから何も持たない凡俗な人間は、少しでも良い運を掴む為に、回数を重ねて挑戦を繰り返すしかないのだ。
いつか幸せを掴み取れると信じて……。
だが、自分の夢に向かって挑戦したり、努力したり出来る人は、例え報われなくても幸せなのかもしれない。
世の中には、生まれや育ちの所為で、挑戦すら許されない人間もいるのだから。
夜目が殆ど利かない暗い新月の夜、緑の匂いが濃い山奥の森の中で、白川進は額から流れる汗を拭いながら、自分に訪れた数々の不幸を呪っていた。
どうしてこうなってしまったのだろう、と考えずにはいられなかった。
現在、進はある者達に追われていた。
「おい、いたか?」
「いや、でもここら辺りにいるはずだ」
「絶対に逃がすな。いいか? 絶対に見つけるんだ!」
その言葉に、後ろから大きな「おうっ」という野太い声が響き、進は身を竦める。
彼等に捕捉されたら、自分は……いや、自分たちはどうなってしまうのだろうと。
「兄ちゃん……歩たち、どうなっちゃうの?」
進の恐怖を察したかのように、腕の中からか細い声が響いた。
目を向けると、大きな潤んだ瞳と目が合う。
腕の中の少女は白川歩。肩口で切り揃えられた流れるような黒髪と、カチューシャで露出した可愛らしいおでこが特徴の、今年小学二年生になった進にとっては目に入れても痛くない、愛すべき妹だ。
周りからはシスコンと揶揄されるが、進は一向に気にしなかった。
歩は大切な家族だ。家族を愛して何が悪い。
だから進は歩を守り続ける。
例え、どんな絶望的状況に陥っても、だ。
恐怖で震える妹を元気付ける為、進は歩の頭を優しく撫で、諭すように語りかける。
「大丈夫だ、兄ちゃんが絶対に守ってやる。いいか? あいつらがどっか行ったら、もうひとっ走りするぞ?」
「……うん」
進の問い掛けに、歩は力強く頷く。
歩の瞳に光が灯ったことを確認した進は、改めて廻りの状況を伺う。
自分たちを追って来ているのは五人程度、その誰もが血眼になって自分たちを捜している。
しかも、この山道にかなり精通しているのか、人が通れそうな山道から順に捜しているようだった。
そのお陰で、今は見つからずに済んではいるが、それも時間の問題だった。
これといったストラテジーもなく、ひたすら相手がいなくなるのを願っていると、
「くちゅん」
突然、可愛らしいくしゃみが漆黒の闇の中に響いた。
驚いて進が声のした方に目を向けると、歩が泣きそうな顔でこっちを見ていた。
歩は必死に我慢しようとしたのだろう。口を両手で塞いだ姿勢で固まり、目には涙が今にも溢れそうになっていた。
歩の大きな目から流れる涙を指ですくった進が「大丈夫」と声をかけようとすると、
「おい、こっちから声が聞こえたぞ!」
歩のくしゃみに目敏く気付いた追っ手の一人が、大声で仲間を呼ぶ。
その声が聞こえたと同時に、進は行動に出た。
「歩、行くぞ」
「え……キャッ!?」
進は胸に抱いていた歩を担ぎ上げると、声のした方とは逆の方向へ一気に駆け出した。