レイと凜と龍彦と翔華
「ちょっと、ジュース買って来て」
昼休み。
屋上にやって来たレイに、凜は突然こう言った。
「は……?」
見ると、差し出された彼女の手のひらには、150円がのっている。
「何で俺?自分で買って来いよ」
レイは、不満そうに言う。
しかし、凜の手はなかなか引っ込まない。
「別にいいじゃない。奢れと言っているわけではないわ。お金は自分で出すわよ」
「そういう問題じゃねーよ」
「いいから買って来なさい、下僕」
「下僕!?俺いつから下僕!?」
レイは驚いてツッコム。
凜は無視して続けた。
「あなたはさっきから私にタメ口をきいているけれど、私は一応あなたの1つ上で、2年生よ。つまりは先輩。後輩が先輩の言うことを聞くのは当然でしょ」
「うっ……」
レイは何も言えなくなる。
「分かったら買って来なさい、下僕。オレンジジュースを」
レイは凜から渋々150円を受け取る。
「下僕じゃねーっての!」
彼より1つ上の先輩は、とても楽しそうに微笑んでいた。
「ったく、ジュースくらい自分で買えよな」
オレンジジュースを買うべく自動販売機へと向かっていたレイは、歩きながらぶつぶつと文句を言っていた。
「しかも俺、下僕じゃねーし……」
いくら相手が先輩でも、他人から下僕と呼ばれるのは、気分のいいものではない。
「……あんまり遅くなると文句言われそうだし、さっさと買って戻るか」
「すみません」
「ん……?」
突然後ろから声をかけられて、レイは振り向く。視線の先には、一人の女子生徒が立っていた。
小柄で華奢な体格。学年章の色は自分と同じ。見覚えのない顔だから、他のクラスの生徒だろう。
女子生徒は控えめな、けれど抑揚のない声で言った。
「すみません。そこは龍彦様が通ります。道をあけてくださいませんか」
口調は穏やかなのに、有無を言わせない感じがするのはなぜだろう。
「……龍彦様?」
レイは女子生徒が口にした名前を繰り返す。
すると、女子生徒の後ろから声がした。
「すまないが、そこをどいてくれないか?」
「……龍彦様……」
声のした方を見ると、一人の男子生徒が立っていた。おそらくこの生徒が、「龍彦」なのだろう。
「龍彦様、私にお任せください」
女子生徒が龍彦を制する。しかし龍彦は構わずに言った。
「翔華が言っても効果がないから僕が言っているんだ。翔華はもっと、言い方を考えるべきだ」
「………すみません」
翔華がしおらしく謝った。
龍彦は今度は、レイに顔を向ける。
「どいてくれないか」
「………」
レイは大人しく道をあける。翔華の言い方も龍彦の言い方も、有無を言わせない感じなのは同じなのに、龍彦の方が迫力があった。
「行くぞ、翔華」
レイがあけた道を、龍彦は翔華を残して堂々と歩く。
翔華は龍彦の後を追いかけていく。
「……何だったんだ……?今の……」
歩いていく二人の背を見ながら、レイはぽつりと呟く。しかし、ジュースを買わなければならないことを思い出したレイは、再び歩き始めた。
ちょっとした騒ぎがあったのは、午後の授業の最中だった。
レイが眠気をこらえながら授業を聞いていると、突然校内放送が聞こえてきたのだ。
『………校内で火災が発生しました。生徒の皆さんは、先生方の指示に従って、速やかに避難してください』
校内放送によると、どうやらボヤ騒ぎらしい。
「……火事か……」
レイはぽつりと呟いた。クラスメイトたちと一緒に足早に廊下を歩く。すると、階段の踊り場で誰かに腕を引っ張られた。
「うわっ……」
そのまま暗がりへと連れこまれる。レイを連れこんだのは、凜だった。
「……なんだ、あんたか……」
レイはため息をつく。校内で火事が起こっているというのに、のんきなものだ。
「逃げないのか?」
「何よ、私じゃ不満なの?」
凜は不服そうな表情をする。しかし、すぐに険しい表情になると、レイに囁いた。
「屋上に行くわよ」
「屋上?」
レイは即座に聞き返す。
凜は頷いた。
「さっき、屋上に生徒が二人、上がっていったわ」
「二人?」
レイは繰り返す。
「きっと、今回の火事について、何か知っているんじゃないかしら」
「……」
「行くわよ」
本当に行ってもいいものか考えているレイをおいて、凜は屋上へと続く階段をさっさと登っていく。
レイは慌ててその後を追った。
凜が屋上の扉を開ける。
「……あれ?」
レイは首を傾げた。今自分の目の前にいる二人組に見覚えがあったのだ。
どこで見かけた二人だったか、記憶を手繰り寄せる。
「……もしかして、昼間の……?」
「さっきはどうも」
少年のほうが微笑む。
レイは完璧に思い出した。確か、「翔華」と「龍彦」といったか。
「やぁ、待っていたよ」
レイと凜を認めた龍彦が口を開く。
「待っていた、って?」
凜が龍彦に尋ねた。
龍彦は再び口を開く。
「言葉の通りだよ。でもその前に、自己紹介をしておこうか」
彼は自分の胸に手を当てる。
「僕は、雨流龍彦」
そして、隣の少女を手で示す。
「こっちが姉の、雨流翔華」
翔華が頭を下げる。
「姉……?」
レイが繰り返す。
龍彦は静かに頷いた。そして本題に入る。
「僕たちはここで君たちを待っていた。それは、君たちに用があるからに他ならない」
「今回の火事を起こしたのは、あなたたちね」
凜が確かめるように尋ねる。
龍彦は再び頷いた。
「何かしらの騒ぎが起これば、君はじっとしてはいられない。そうだろう?」
「つまり、私に用があるということ?」
凜は警戒心を強める。
龍彦はスッと両手を前に出すと、自分の胸の前で合わせた。
とたん、合わせた手の間から光がこぼれ出る。
(……手品?)
レイは思った。
龍彦は合わせた手を、今度はゆっくりと広げていく。手の中の光が徐々におさまるにつれて、それは見慣れないものへと姿を変えていった。
見慣れないものが音を立てて地面に落ちる。
「………日本刀?」
レイは呟いて目を凝らす。
刃の部分は長く、太陽の光をキラキラと反射している。柄の部分は紫色で、複雑な模様が描かれている。
間違いない、これは日本刀だ。
(ファンタジー!?)
レイは驚く。隣をチラリと見ると、凜も驚いているようだった。
龍彦が日本刀を拾う。
「この学園は、じきに僕のものになる」
「?」
レイと凜は顔を見合わせた。
龍彦は日本刀を構える。
凜は制服のポケットからカッターナイフを取り出した。
(………何でポケットにカッターなんか入れてるんだ)
レイはそう思ったが、状況が状況なので黙っておいた。
「翔華」
龍彦は日本刀を構えたまま、翔華の名を呼ぶ。
「はい……」
翔華は一歩前に出る。そういう意味の呼びかけだと思ったからだ。
しかし。
「っ…………!」
「!?」
レイと凜は息を飲む。
「こいつ……」
レイは掠れた声で呟く。
「自分の、姉を………」
凜の声も震えている。
「刺した、だと……?」
そう。刺したのだ。
龍彦の日本刀は、翔華を貫いている。
翔華の足元にはだんだんと血だまりができ、広がっていく。
翔華はギリギリのところで意識を保ちながら、なんとか口を開いた。
「……どうして……、私は、あなたの、為に………っ」
「確かに」
自分の姉を刺した少年は、うっすらと笑う。
「確かに、翔華は僕の為にいろいろと尽くしてくれた。でもね………」
「つ………っ」
翔華を貫いた刃が引き抜かれる。
もはや自力では立っていられない翔華の体は、支えを失って前のめりに倒れた。
「………僕は、新しい世界を見たくなったんだ」
翔華の傷口からは、止めどなく血が溢れ出る。
「………」
レイも凜も、倒れた翔華を凝視する。
彼女はピクリとも動かない。
「………死んだ、のか……?」
レイが呟く。
龍彦が、倒れた翔華を跨いで前に出た。
「僕の目指す学園の将来に、翔華と君は必要のない存在だ」
そして凜を指差す。
「特に神田凜。君は今始末しないと、後々面倒なことになる」
「………っ」
凜が動揺した。その僅かな隙を狙って、龍彦が日本刀を手に突っ込んで来る。
「しまっ………」
凜は慌ててカッターナイフで応戦しようとするが、間に合わない。
「ヤベ………!」
見かねたレイが、とっさに凜と龍彦の間に滑り込む。
「下僕!?」
凜が叫ぶ。
「馬鹿な………!」
龍彦が驚きの声を上げる。
「………っ」
レイは痛みに顔を歪める。痛みはやがて、激痛へと変わっていった。
「………っ、愚かな奴。でしゃばらなければ死なずにすんだものを……」
龍彦はそう呟くと、レイに刺さった日本刀を抜く。
「っ………が……っ」
レイの意識が遠ざかる。口の中に血の味が広がった。
「レイ………っ」
地に膝をついたレイを、凜が後ろから支える。
その時にはもう、レイの意識はなかった。