クラゲの詩(4)
「なっ……」
ヒナの余りに鋭い直感に驚いて、シュンは顔をあげた。小悪魔のように悪戯っぽい笑みを浮かべる少女がそこにはいた。
「気付かないとでも思ってんの?多分タカさんも気付いてるんじゃないかな」
悔しいほどに見透かされていた訳だ。シュンは少し歯痒い思いだった。
このままやられっぱなしでたまるか──彼がそう思ったのかは定かではないか、シュンはヒナに反撃を試みた。
「いいじゃん、そんな話。今はヒナの好きな男の話してんだよ?
で、ヒナは誰が好きなわけ?」
復讐とばかりにニヤニヤといやらしい笑いを浮かべるシュン。これが彼なりの『反撃』というヤツらしい。
「……いないよ、好きな人なんて」
ヒナはシュンのその質問を受けて、少し寂しそうに笑った。シュンにはその笑顔の真意が図りかねたが、反撃は失敗に終わったらしい、ということだけは分かった。
こんなに寂しそうな笑顔を見せられて、それでもなお同じ質問を繰り返すような度胸も厚かましさも、シュンは持ち合わせてはいなかった。
なので彼は
「そっか」
とだけ呟き、会話を終わらせることにした。
ヒナはそんなシュンの気遣いを知ってか知らずか、小さく微笑みを浮かべた。
「ねぇ、クラちい。あたし、あんたがユキさんと上手くいくように協力してあげよっか」
シュンは一瞬、ヒナの言葉の意味が分からなかった。それどころか彼は、ぼんやりと『俺はよくニックネームが変わるなぁ』なんて考えていた。
そして数秒後、ヒナの言葉の意味に気付いたシュンは、ひどく狼狽した。
「えっ、なっ、え?」
「な〜にキョドってんのよ。嬉しくないの?」
ちなみに『キョドっている』とは彼らの言葉で『挙動不審になっている』という意味。シュンの困惑っぷりは、即座にヒナに見抜かれるほどのものだったということだ。
「いや、だって、俺とユキさんだよ?ユキさんにはタカさんとか会長とか、絶対もっと相応しい相手がいるだろうし、俺なんかじゃ無理だよ」
まだシュンの動揺は収まらず、たどたどしい口調で必死にそう告げた。
「そんなの、やってみなきゃ分かんないでしょ。一生ユキさんをオナペットのまま終わらせるつもり?」
「オ、オナ……!?」
ヒナは完全に会話のペースを握っていた。ことあるごとにシュンが動揺するような発言をして、彼が困惑している間に自分の意見を畳み掛ける。
詐欺師なんかが使う話術と、要は同じことだ。
詐欺師と同じ手法を一般人が使ったところで、人間関係が円滑に進むものなのかどうかは些か疑問だが、今に限って言えばその効果は絶大だった。
「いい、クラちい。やる前から『無理だ』なんて言ってたら、どんな簡単なことでも絶対に無理になっちゃうの。でも『出来る』って思って頑張れば、可能性は10%でも20%でも残るの。違う?」
ヒナはまるでまくしたてるみたいに早口でそう言った。ありふれた言い回しだが、彼女が言っていることは確かに正論だった。
彼女はさらに言を続けた。
「大事なのは、自分がどんな人間かじゃなくて、どんな考え方が出来る人間かなんだよ。何でもやる前から『無理だ』なんて本気で考えてるんなら、クラちいはもう先が見えてるね。男として、っていうよりも人間としてね」
辛辣な言葉だった。その言葉はシュンの価値観に、ズシンと重くのしかかった。
しかし、それ以上に彼の心は、喜びのような照れのようなムズ痒い感情で支配されていた。
彼にとって、ここまでストレートかつ熱心な言葉で誰かに励ましてもらったことなんて、多分生まれてはじめてだったから。
「…ヒナ、ひとつ訊いていい?」
「なに?」
「俺としてはすごいありがたいし、嬉しいんだけどさ。なんで俺なんかのためにそんなに熱くなれるの?」
その言葉がよほど予想外だったのか、ヒナは少し驚いたようだった。だがすぐにいつもの調子を取り戻して答えた。
「あんたがあんまりにも卑屈だからでしょ。勝手かもしれないけどあたしそういうの嫌なの。それにあたし、あんたのこと嫌いじゃないしね」
そう言って少しはにかみながら笑うヒナ。シュンは不覚にも少しドキっとしてしまった。
そしてそれをヒナに悟られないように冷静を装いながらシュンは言った。
「あ、あ〜、じゃあアレだ。ヒナ、サポートよろしく頼むね」
「え? どういう意味よ」
「俺とユキさんが上手くいくように協力してくれるんでしょ?だから、よろしく頼むねって」
恥ずかしそうにそう言うシュンに、ヒナはきょとんとした表情を浮かべた。まるでシュンの言葉の意味を吟味でもするかのように。
だが、その表情はすぐに笑顔に変わることとなる。
「任せて。あ、でもクラちいも頑張るんだからね?」
シュンは笑顔で頷いた。作り笑顔でない笑顔は、やけに久しぶりな気がする。
「あと、失敗する可能性もあることを肝に命じること」
「わ、分かってるよ。急に不安にさせるようなこと言うなよ」
少し脅しに近いことを言うと、シュンはすぐに不安気な表情を浮かべる。どこまでも素直な少年だ。
彼がクラゲと呼ばれる所以は、自分の意見を持たずにユラユラ他人に合わせるところだと大多数の他人には思われがちだ。
しかし、それは違うのではないか、とヒナは思った。
彼はクラゲのようにユラユラしているのではなく、クラゲのように真っ白というか、透明なのだ。
だから他人の言葉を非常に真摯に受けとめることが出来るし、ちょっと弱気なことを言えば彼もすぐに不安になる。
でもそれは、彼の心が純粋だから、と結論付けることも出来るのではないか。
(なんて、買い被りかな)
ヒナは面白そうにフフッと笑うと、シュンに向かって言った。
「じゃあちょっと待っててね」
その顔には先程と同じような小悪魔っぽい笑み。シュンは少し嫌な予感がした。 シュンがその予感の意味を確かめる暇もなく、ヒナは小走りでどこかへ向かった。
その先は……タカとユキが会話をしているところ。
シュンはあからさまに不安を覚えた。
(ヒナ…何をする気なんだろう)
ヒナはどうやら、ユキではなくタカと話しているようだ。それだけでシュンは少しほっとした。
ヒナが早まった行動をとっていないかが心配だったからだ。つまり、ヒナが自分の代わりにユキに告白してしまうような行動を。
途中、ヒナとタカの2人が笑いながらこちらに目をやった。シュンの嫌な予感はさらに強くなる。
と、不意にタカが大きくこちらに手招きをする。
最初は何のことか分からなかったが、タカが自分を呼んでいるのだということに気が付いて、シュンは慌ててそちらの方へ駆け出した。
「よう、シュン。もう時間遅いからさ、ユキのこと送ってやってくれよ。家の方角、一緒だろ」
そのタカの言葉を聞いて、シュンは一瞬で悟った。ヒナはタカに協力を頼みに行ったのだ。しかもユキの目の前で、だ。
(なんて危ないことを)
そう思ってシュンはユキを見た。自分の気持ちを悟られていないか確認するためだ。
ユキは、シュンの視線に気付くと申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「ごめんね、シュン。悪いとは思うんだけど、家って割と人気がないところにあるから、夜道って怖くて」
シュンの視線の意味を勘違いしたのだろう。ユキは、よろしくお願いします、と言って小さく頭を下げた。 よかった、俺の気持ちをユキさんに悟られてはいないみたいだ、とシュンは安堵の溜め息を吐いた。
その横を見ると、ヒナはウインクをしながら顔の横に小さくピースサインをし、タカは笑顔を浮かべながらシュンの方に小さく拳を掲げていた。
シュンは2人に対して、感謝の念でいっぱいになった。その気持ちを伝えるために、ユキには気付かれないように、笑顔でタカと同じように拳を掲げる。
「じゃ、ユキのこと頼んだぞ。俺はヒナを送ってくるから」
そう言うとタカは、G-BOPのメンバーに向かって大声で呼び掛け、自分達が帰宅するという旨を説明した。
「お〜、気を付けてなぁ」
「タカもクラゲも、送り狼になるんじゃねぇぞ〜」
「ヒナちゃん、ユキ、またね〜」
など、たくさんの見送りの言葉を笑顔で聞きながら、4人は2人ずつに別れ、それぞれの帰路へ歩きだした。
もっとも、シュンに限って言えば、ユキと2人切りになることの緊張から、メンバーの声なんてほとんど聞こえてはいなかったのだが。