余命短い妹のために、婚約者を譲れと言われまして
祝福の鐘が、青空の下に高らかに響いていた。
純白のドレスに身を包み、花冠を載せた妹――リリアーネは、いつもの儚げな姿が嘘のように美しかった。
その隣には、穏やかな笑みを浮かべたエルガルドがいる。
いつも優しく、誰に対しても誠実な彼らしく、愛おしそうに花嫁を見つめていた。
二人が並んで歩くたび、参列者たちが手にした花びらを空へと撒いていく。
色とりどりの花びらが陽射しを受けて舞い、二人の肩や髪にふわりと降り積もる。
雲ひとつない空。
どこからともなく聞こえてくる小鳥のさえずり。
降り注ぐ花びら。
まるで、幸せな物語の最後の一頁を切り取ったような光景だった。
参列者の中に立つアデリアは、その光景を静かに見つめていた。
二人は、愛しい妹と――優しい元婚約者だ。
本来なら、今日エルガルドの隣にいるのはアデリアだった。
リリアーネは、幼い頃から不治の病に侵されている。
今の医療では、治療薬どころか、病の進行を止めることさえできない。
妹の病は、成長するほど少しずつ体が弱り、やがて緩やかに死を迎えるものだ。
おそらく――リリアーネに残された時間は、もう長くない。
『アデリア姉様が羨ましい。私もエルガルド兄様が好きだったのに。私も一度でいいから幸せな未来を夢見てみたい。……私だけが、もうすぐ一人で死んでいくなんて』
アデリアの結婚式が近くなるにつれ、リリアーネは塞ぎ込んでいった。
食欲を失くし、日々痩せて弱っていくリリアーネに、両親がアデリアに頼み込んだ。
『このままでは、リリアーネが死んでしまう。アデリア、お願いだから婚約をリリアーネに譲ってくれ』
『たった一人の可愛い妹でしょう? リリアーネに生きる希望を持ってほしいの』
そう、懇願された。
両親は、身体が弱く、儚げな美しさを持つリリアーネを溺愛していた。
物心ついた頃から、何をするにもリリアーネが優先だった。
『アデリアは健康なんだから、これからいくらでも機会があるでしょう?』
昔からそう言われてきた。
欲しいものを譲るのも。
行きたい場所を諦めるのも。
両親の期待に応えるのも。
それは、いつだってアデリアの役目だった。
それが当たり前なのだと思っていた。
けれど――今回だけは、譲れなかった。
『アデリアには時間があるんだ。まずはリリアーネとエルガルドが結婚するべきだ。リリアーネにもしものことがあった後、落ち着いてからエルガルドと結婚しても遅くないだろう?』
父親は、そう言って何度もアデリアを説得した。
母親も涙を流しながら、同じように訴えかけてくる。
それでも、アデリアは頷くことができなかった。
リリアーネは、確かに愛しい妹だ。
生きる希望を持ってほしい。
できることなら、病気だって治してあげたい。
アデリアだって、心からそう願っている。
けれど――だからといって、エルガルドを諦めることもできなかった。
自分がずっと愛してきた人を、妹のためだからと簡単に譲れるはずがない。
それは、アデリアにとっても一度しかない人生なのだから。
『婚約は譲れないけど、結婚した後も、エルガルドと一緒にリリアーネを支えるつもりよ』
そう言ったアデリアに、両親は激怒した。
『なんて薄情な!それでも姉か!』
『アデリアが幸せにしている姿が、今のリリアーネの毒になるのが分からないの?』
怒鳴られ、泣かれ、何度も言い聞かされた。
それでも、アデリアは首を縦に振ることができなかった。
そんなアデリアに呆れた両親は、今度はエルガルドを呼びつけ、懇願した。
『リリアーネは先が短い。それまでの間、夫としてリリアーネを支えてほしい。リリアーネが亡き後、落ち着いたらアデリアと結婚すればいい』
それはあまりにも馬鹿げた提案だった。
姉だからといって、何もかも受け入れられるわけがない。
――たとえそれが、先の短い病弱な妹の願いだとしても。
エルガルドにとっても、リリアーネがアデリアの代わりになるはずがない。
『止めてよ。エルガルドを困らせないで。そんなの、リリアーネの死を待つようなものじゃない!』
そう言ってアデリアは反論した。
だが――
エルガルドはその提案に頷いた。
『アデリア、落ち着いて。もちろん、僕はアデリアを一番愛してるよ。でも、リリアーネは僕にとっても大切な妹だ。僕と結婚することでリリアーネが生きる希望を持てるなら、僕はリリアーネと結婚するべきだと思う』
(どうして……!)
言葉も出なかった。
もちろん、優しいエルガルドのことだ。
病弱なリリアーネのことを思って受け入れたのだろう。
けれど、どんな理由があったとしても、婚約者の入れ代わりを受け入れたことが信じられなかった。
(しょせん、それだけの想いだったってこと……?)
――そんなふうにしか、考えられなかった。
何か言うべきだとわかっていた。
けれど、頭が真っ白になり、言うべき言葉も見つからない。
『……そう』
ただ、そう答えた自分の声が、ひどく遠く聞こえた。
そうして、結婚式を前に、アデリアとエルガルドの婚約は解消された。
代わりに、リリアーネとエルガルドが婚約した。
婚約を結んだリリアーネは、次第に元気を取り戻していった。
婚約指輪はリリアーネに譲り、アデリアが着るはずだった結婚式のドレスも、リリアーネのサイズに手直しされた。
『アデリア姉様。この指輪、すごく素敵ね』
『ドレスもすごく素敵。エルガルド兄様も『よく似合ってる』って褒めてくれたの』
『エルガルド兄様じゃなくて、エルガルドって呼んでいいって言ってくれたの』
嬉しそうに微笑むリリアーネの白い頬には、以前には見られなかった赤みが差していた。
その笑顔を見れば、アデリアは何も言えなかった。
妹が元気になった。
それだけは、心から嬉しかった。
けれど――その笑顔を見るたびに、自分の胸の奥が少しずつ冷たくなっていくのを感じていた。
夕食の席で笑顔を浮かべて話すリリアーネに、両親は嬉しそうに頷いている。
ときおりエルガルドを招いて食事をすることもあったが、彼もまた、いつもリリアーネを見つめていた。
深く切り裂かれる思いでいるのは、アデリアだけだ。
結婚式前の、慌ただしくも幸せな家族の時間。
その中で、アデリアは一人だった。
目の前にある幸せな光景が、手を伸ばしても届かないほど遠く感じる。
こんなとき、アデリアは自分が口元に微笑みだけを浮かべる人形になったような気分になる。
そうして、ぼんやりと自分の思考の中に沈んでいた。
「アデリア姉様」
甘い声で呼ばれ、アデリアは意識を目の前に戻す。
幸せな二人の姿を見ているうちに、また思考に沈んでいたようだ。
いつの間にか、祝福に訪れた客人たちへの挨拶を終えた二人が、アデリアの前に立っていた。
「二人とも、今日はおめでとう。リリアーネ、とても綺麗よ」
アデリアの祝福に、リリアーネが嬉しそうに微笑む。
「私、とても幸せよ。エルガルドと一緒なら、病気だって治りそうな気がするの」
アデリアは妹を見つめた。
純白のドレス。
頬に浮かぶ赤み。
幸せそうに細められた瞳。
少し前まで、食事さえ満足に取れなかったリリアーネだった。
けれど今は、エルガルドと少しでも長く一緒にいたいと、以前より食事を取るようになった。
少しずつ体を動かすようにもなり、これまでになく元気そうに見える。
「そうね。こんなに元気になったんだもの。エルガルドが側にいれば安心ね」
「アデリア。そう言ってくれると嬉しいよ。これからは三人で支え合って暮らしていこう」
「三人……?」
穏やかな微笑みを浮かべるエルガルドを、アデリアはじっと見つめた。
笑みを深めた彼は、これからもアデリアが二人の側にいて当然とでも思っているのだろうか。
「エルガルド。違うわ、二人よ」
「え?」
思わず訂正すると、エルガルドが目を瞬かせた。
「二人は結婚したんだもの。二人で支え合わなくてどうするの?」
「いや……でも、結婚した後も二人でリリアーネを支え合おうって、話してただろう……?」
戸惑いを見せたエルガルドに、アデリアの方が戸惑いそうだった。
「それは、私とあなたが結婚した場合でしょう?エルガルドは、夫として支えるつもりでリリアーネと結婚したんだもの。私はあなたの義理の姉であって、妻じゃないわ。まさか姉の私に、家のことを押し付けるつもり?」
「あ……いや、そういうつもりじゃないよ。お義父さんもお義母さんもいるし、僕も手伝うつもりでいるから、アデリアに面倒を押し付けるつもりはない。――そうじゃなくて。僕たち三人、精神的な面で支え合っていこうって言いたかったんだよ」
(これまで私の気持ちを支えてくれなかった、あなたがそれを言うの?)
アデリアは思わず黙り込んだ。
「アデリア姉様。私はエルガルドにも、アデリア姉様にも、ずっとそばにいてほしいと思ってるわ。私にもしものことがあった時、その時はアデリア姉様に、エルガルドと幸せになってもらいたいと思ってるのよ?」
気遣うように告げるリリアーネに、アデリアは内心で長いため息をついた。
ゆっくりと首を振る。
「リリアーネ。『もしも』なんて考えないで。エルガルドは、あなただけの旦那様よ」
「でも……」
「私がエルガルドと結婚することは、もう絶対にないわ」
アデリアは、妹を安心させるように微笑んだ。
「私は、最初から私だけを見てくれる人と結婚したいもの」
「「え……?」」
揃って目を丸くした二人に、アデリアは思わず小さく吹き出した。
「やだ、おかしい。二人とも息が合ってるわね」
そして、アデリアはそっとリリアーネの手を取った。
「リリアーネ、私は家を出るつもりなの」
「アデリア姉様!私は姉様を追い出すつもりは――」
「違うのよ。追い出すとか、そういうことじゃないの」
慌てる妹に、アデリアは穏やかに微笑んだ。
「リリアーネの病気に関する研究が、今、王都で進められているみたいなの。ほら、私、学園の薬草学部で成績優秀だったでしょう?」
「研究……?」
問い返したリリアーネに、アデリアは頷いた。
「『結婚しないなら、王都に出て研究に参加しないか?』って、友達が誘ってくれたのよ」
症例の少ないリリアーネの病気は、まだ治療法が見つからない。
学園生時代、アデリアはリリアーネの病気を治したいと、必死に薬草学を学んでいた。
優秀な成績を収めていたものの、愛するエドガルドと結婚するために、薬草研究者になる道は諦めていた。
(もっと早くこうなることが分かっていたら)
そうは思っていたものの、自分で選んだ過去だ。
薬草研究者への道へは戻れない。
だが、妹の名前に変え、送り直した結婚式の招待状が、アデリアに転機を与えた。
王都で研究者になった友人にも当然送り、そこでこの誘いを受けたのだ。
「側でリリアーネを支えることはできないけど、遠くであなたのために頑張るわ。病気を治す薬を開発して、リリアーネには長生きしてもらうつもりよ」
「アデリア姉様……」
リリアーネの瞳から、涙が落ちる。
(これでいいのよね)
このまま二人の側にいれば、アデリアはきっとリリアーネを深く憎んでしまう。
リリアーネに優しく微笑むエルガルドにも、憎しみを向けるだろう。
結婚式の準備に追われる日々の中。
幸せそうなリリアーネとエルガルド、そして両親の中で、アデリアは一人だった。
笑っているのに、心はそこになかった。
思考に沈み、考えることはいつも同じだった。
(リリアーネは、いつまで生きるのかしら……)
そんなことを考えてしまう自分が、何より嫌だった。
リリアーネに残された時間が短くなるように――そんな願いを、知らず胸の奥で抱いていた。
だからこそ、王都での研究の誘いが届いたとき、アデリアはそれを一筋の光のように感じた。
学園生時代、アデリアが熱中していたのは薬草の研究だった。
何もかもを忘れて没頭できる、かけがえのない時間。
けれど、エルガルドと結婚するために、研究者になる道は諦めていた。
もう二度と戻ることはないと思っていた道が、今、再び目の前に差し出されている。
『リリアーネの病気を治すために、王都に行く』
そう説明すると、両親は大きく頷いてくれた。
『リリアーネとエルガルドのことは心配しなくても、私たちが付いてるから。リリアーネが不安がるといけないから、その話は結婚式の後にしてね』
そう言って、笑顔で背中を押してくれた。
(ほんと、リリアーネが一番なんだから)
嬉しそうに笑う両親に、苦笑するしかない。
けれど――そんな両親たちとも、今は少し距離を置きたかった。
まだ驚いた顔のままアデリアを見つめるエルガルドに、アデリアは微笑んだ。
「エルガルド。今日はあなたもとても素敵ね。私は王都で薬の開発を頑張るから。リリアーネと幸せになってね」
「アデリア、僕は――」
「アデリア!」
そこに、明るい声がエルガルドの言葉を遮った。
「クラウス?」
アデリアに向かって駆けてくるのは、研究に誘ってくれたクラウスだった。
はあはあと息を切らしながら、アデリアの前で足を止める。
「どうしたの? 何かあったの?」
――予定が変わったのかもしれない。
(やっぱり、要らないとか?)
ドキン、と心臓が跳ねた。
「何って、迎えに来たんだよ。今日ここを出るんだろ?一人旅じゃ危ないだろうし。――あ、妹さん?結婚おめでとう! 君の病気を治す薬は、僕とお姉さんで必ず開発するから。安心して待っててね。
――さあ、行こうか。今から出れば、夕方には王都に着くよ。父さんも一緒に夕食を食べたいから、今日は早く帰るって言ってるんだ」
「え?フェルナン研究所長が?」
クラウスの父は、薬草研究所の所長だ。
学園生時代、クラスメイトだったクラウスに付いて、何度も薬草について話を聞いたことがある。
「アデリアは父さんのお気に入りだからね。結婚式の招待状を見て、アデリアが結婚しないって分かっただろ?それで父さんが、『研究者にならないか、アデリアさんにもう一度声をかけてみたらどうだ?』ってさ」
(それは、ちょっと嬉しいかも……)
じんわりと喜びが胸に広がる。
「そういうわけで、アデリアは連れて行くね。じゃあ妹さん、お幸せにね。――ああ、エルガルド。君が妹さんを選んでくれて良かったよ。僕たちが必ず妹さんの病気を治すから、安心して二人で幸せになりなよ」
学園時代に仲があまり良くなかった二人は、今もそれほど変わらないらしい。
エルガルドが不愉快そうにクラウスを睨んでいる。
クラウスの軽い物言いが、エルガルドとは合わないのだろう。
(しょうがないわね)
晴れやかな結婚式の日なのだ。
これ以上、エルガルドに不快な思いをさせるのも気の毒だった。
「フェルナン研究所長をお待たせしないように、急ぎましょう?父さんと母さんは……ああ、エルメおばさんと話し込んでるわね」
お酒を飲んでいるのか、顔を赤くしたエルメおばさんと両親が笑い合っていた。
話好きなエルメおばさんとの会話は、当分終わらないだろう。
ここで挨拶に行けば、アデリアも捕まって、きっと話が長くなる。
「リリアーネ、父さんと母さんに『また手紙を書くわ』って伝えておいて。二人とも幸せにね」
最後に、アデリアはリリアーネをきゅっと抱きしめた。
「姉様……」
「元気でね、リリアーネ」
そう言って身体を離す。
アデリアはクラウスとともに、その場を後にした。
王都へ向かう馬車の中。
窓の外を流れていく風景を眺めるクラウスは、どこか機嫌が良さそうだった。
アデリアは、そんなクラウスをじっと見つめた。
「何?久しぶりに会った大人の僕に見惚れちゃった?元婚約者の結婚式に駆けつけるなんて、ヒロインの窮地に駆けつけるヒーローみたいじゃない?」
「ヒーロー?」
(こんな弱そうなヒーローなんているかしら?)
クラウスは、どう見ても研究者だ。
知的な雰囲気の顔立ちで、白衣でも着せれば、それこそ学者そのものだ。口は軽いが、見た目だけなら文学者とでも言ったほうがしっくりくる。
(どちらかと言ったら、エルガルドの方がヒーローっぽい見た目だけど)
そんなことを考えながらも、アデリアは口を開いた。
「そうね……そうかも。ヒーローみたいに、クラウスが私を助けてくれたもの。王都への招待も、こうして迎えに来てくれたのも、すごく嬉しかったわ。ありがとう」
「えっ」
(え?)
アデリアの返事に、クラウスの顔が赤く染まった。
思わず、その顔を見つめてしまう。
「……そういう不意打ちはズルいだろ。学園生のとき、研究以外の僕の言葉、全部流してたのにさ」
「流すって」
(そんな失礼な態度、取ってたかしら?)
確かにエルガルドが嫌うクラウスとは、少し距離を置くようにしていたが、そんな露骨な態度を取った覚えはない。
「え……何だよ、これ。期待していいのか……?」
両手で顔を覆い、俯いたクラウスがブツブツと呟いている。
(期待って。……ちょっと。いくら一人ごとが多いからって、なんでも呟かないでよ。聞こえるじゃない!)
「妹さんの薬を開発したらにしようと思ってたけど、プロポーズしてみるか……?――いや、まださすがに早いか?今度の休みに観劇に誘ってみるか……?――いや、観劇は露骨か?……食事ならいいのか?――いや、お茶くらいなら……?」
(ちょっと。全部聞こえてるんだけど……!)
「プロポーズは、いくらなんでも早すぎじゃない?」
「!!!!」
バッと体を起こしたクラウスは、自分が考えていることを全部口に出していたことに気づいたようだ。
真っ赤な顔で硬直している。
(本当にこの人は……)
学園生のときは、研究者体質の変わった人だと思っていた。
けれど、こうして向き合ってみると、彼はなかなか興味深い人なのかもしれない。
「でも食事やお茶に誘ってくれたら嬉しいわ。――あ。友達として、ね」
「やばい。……すごい嬉しい」
パッと顔を輝かせたクラウスに、アデリアは一瞬黙り込んだ。
あまりに嬉しそうな顔に、少しだけ心が跳ねる。
「観劇は、妹の薬が完成してからかしら?」
「それなら、観劇に行けるのもすぐだね!」
照れ隠しに言った言葉に、クラウスが嬉しそうに笑う。
「最近、王都の近くで新しく見つかった薬草があるんだ。まだ詳しいことは分かってないんだけど、抽出した成分にかなり面白い特徴があってね」
そこまで言ったところで、クラウスは目を輝かせた。
「その薬草、葉の表面にある細かな毛に特殊な成分が含まれてるんだよ。普通なら見落とすくらい微量なんだけど、処理の仕方を変えると、その成分だけをかなり効率よく取り出せる可能性があるんだ。もし本当にそうなら、妹さんの病気にも――」
「……楽しそうね」
「え?ああ、まあね」
薬草の話をしているクラウスは、さっきまでとはまるで別人だった。
頬を赤らめていたことも忘れたように、身振りを交えながら熱心に語っている。
アデリアは思わず笑ってしまう。
「ふふ。学園の頃と変わらないわね」
「そう?」
「ええ。薬草の話になると、途端に周りが見えなくなるところ」
「……あー」
クラウスは少し照れたように頭を掻いた。
「だって、面白いんだよ。植物って、見た目は似ていても含まれている成分が全然違ったりするし。同じ薬草でも育った土地や季節によって効き方が変わることもある。まだ分かってないことが山ほどあるんだ」
嬉しそうに話すクラウスを見つめながら、アデリアはふと思った。
この人は、本当に薬草が好きなのだ。
そして――好きなものを語るときの彼は、こんなにも生き生きとしている。
学園の頃から知っていたはずなのに、アデリアは今日初めて、そんな彼の姿をちゃんと見た気がした。
今日リリアーネと結婚したエルガルドは、アデリアがずっと愛してきた人だ。
彼と結婚する日を、ずっと夢見ていた。
もう心の整理はついたと思っている。
それでも、胸の奥には何かを失ったような感覚がまだ残っていた。
だから、クラウスに好意を向けられたからといって、すぐに彼を好きになれるわけではない。
この嬉しい気持ちは、まだトキメキとは違う。
それでも――クラウスと過ごす時間は、不思議と心地がいい。
彼のそばにいれば、後ろを振り返ることなく、前に進める気がする。
これまで深く知ろうともしなかったクラウスに、アデリアは初めて、一人の人として興味を持った。
(……この人のことを、もっと知ってみたいな)
ふと、そんなことを考える。
そして、少しだけ胸が軽くなったことに気づく。
アデリアは、静かに窓の外へ視線を向けた。
雲ひとつない青空が、どこまでも続いている。
それはまるで、新しい物語の始まりを祝福するようだった。
これから始まる日々を思うと、アデリアは自然と笑みを浮かべた。




