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第七十四話:暴食症の救済? “概念的スリーブ胃切除”を施せ

(場所:深淵・海鮮バーベキュー城)


「ガリ、ガリ……」


 歯の根が軋む咀嚼音が、開業したばかりの焼き物街に反響していた。暗紅のストライプスーツに身を包み、所作は妙に優雅――だがその実態は、暴食の魔王・ベルゼブブ。


 彼は何万年も飢えていた獣のように床へ這いつくばり、狂ったように“摂取”している。焼き物街の在庫食材は、丸三日分をすでに完食。触手、ショゴス、深きものども――挙げ句の果てには、焼き台に使う精鋼の炉、鉄卓、椅子、板材まで。口に入ったものはすべて、ウエハースのように噛み砕かれ、飲み下されていった。


「まだあるか!? もう一トンだ! 腹が満たねぇ! 全然、満たねぇ!!」


 ベルゼブブの眼は真っ赤だった。美味を享受する目ではない。底なしの空虚に焼かれ、苦痛に歪んだ目。彼の胃は、黒洞ブラックホールに直結しているかのようだ。どれだけ物質を詰め込んでも、脳内の“空腹”警報は永遠に鳴り止まない。


「リン院長!!」


 ベルゼブブは鉄卓を一枚飲み込みながら涎を垂らし、吠えた。


「この海鮮城の株を差し出せ! 俺に“食わせろ”! さもないと、ここにあるもの全部――基礎ごと喰い尽くしてやる!!」


 周囲のドラゴンやエルフはとっくに逃げた。伝説の暴食王に、誰も逆らえない。


「……可哀想に」


 リンは瓦礫の中に立ちながら、護衛も呼ばず、ただ静かに“欲望の奴隷”を見つめた。


「ベルゼブブ。君は“食いしん坊”なんかじゃない」


 眼鏡を押し上げるリンの視線は刃のように鋭い。


「私の観察では、君の味覚はすでに退化している。――君は味を感じていない」

「診断:【重度の神経性過食症(Bulimia Nervosa)】+【知覚閾値の破綻】」

「内側が空っぽだから、“存在している感覚”を得られない。だから機械的に呑み込み続け、かろうじて“生きている実感”を拾っている。君が食べているのは食物じゃない。――不安だ」


「黙れ! 黙れ!!」


 急所を刺され、ベルゼブブは激昂した。家一軒を呑み込める大口を開き、リンへ噛みつこうとする。「喰ってやる!!」


「食べたい? いいだろ。医者として、君に“最後の一皿”を出そう」


 リンは一歩も退かない。ポケットから、爪ほどの小さな、淡い青光を放つ“立方体ビスケット”を取り出した。それはアリスが、超次元データ流を圧縮して生成した“概念結晶”。


「料理名:【絶対的満腹感(Concept: Full)】」


 リンが指で弾く。青い立方体は正確に、ベルゼブブの大口へ飛び込んだ。


「ゴクン」


 ベルゼブブは反射的に呑み込む。


「これだけ? 歯の隙間にも――」


 言い終える前に。ドン――!!


“満ちる”という名の情報流が、麻痺し切った神経中枢で爆発した。それは物理的な胃の膨満ではない。概念としての“ち”。リンは精神干渉で、ベルゼブブの脳における“満腹判定の閾値”を、瞬時に一億分の一へ叩き落としていた。


「う……おえ……っ……」


 ベルゼブブの顔色が一気に真っ青になる。腹を抱え、涙も鼻水も垂れ流し、煮えた海老のように丸まった。


「満……満ちた……ッ……! 宇宙ひとつ呑み込んだみたいだ……吐きそうだ……!!」


 何万年も知らなかった“満足”。それは巨大な幸福であり、同時に巨大な拷問でもあった。


「どうだ。まだ食べるか?」


 リンは微笑み、彼の前にしゃがむ。


「も……もう無理だ……! 食い物を見るだけで吐き気が……」


 ベルゼブブは白目を剥き、腹いっぱいのハスキー犬みたいにぐったりした。


「よし」


 リンは《雇用契約書》を取り出し、ベルゼブブの顔面に叩きつけた。


「暴食症を治してやったんだ。今度は働いて返せ。――さっき君は、私のテーブルを三千枚食った」

「役職:【深淵・主席テイスター(兼・試毒係)】。舌の感度はまだ生きている。今後は“味見”だけだ。“暴食”は禁止。いいな?」


 ベルゼブブの目から、貪欲が消えた。残ったのは医者への畏怖だけ。


「わ、分かった……食わない……すぐ出勤する……」

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