第六十六話:物理断網?――これは“離脱症状”の大規模実験現場だ
(場所:人間諸国・各大都市)
災厄というものは、たいてい音もなくやって来る。
大陸中の人々が、朝起きたらまず『幻鏡』を開き、エルフ女王のダンスを眺め、戦神じいさんに“いいね”を押す――そんな生活に完全に慣れきった、その時だった。
空の色が変わった。
雲が湧いたわけじゃない。息が詰まるほどの、無音の灰白――“死んだ光”のような色だ。
【禁呪《絶対静黙結界(Absolute Silence)》】
聖教廷が奥の手として封印してきた神術。本来は“滅世の魔王”と戦う時にしか使わない。だが今日――枢機卿たちはリンの“精神汚染”を止めるため、迷いなくそれを放った。
瞬間。
世界中すべての【魔導端末・黒曜石パッド】が、ただの――**“レンガ”**になった。
信号がない。画面がない。あの脳に刺さる中毒音「ピン♪」も、ない。
「世人の魂を浄化し、悪魔の卑俗なる情報が諸君の脳を汚すのを防ぐため――」
大主教の威厳ある声が、拡声魔法で大陸全土に響き渡る。
「教廷は決定した。すべての“邪悪なリンク”を遮断する。諸君は神殿へ帰り、祈りによって安寧を得よ」
……安寧?
違う。暴動だ。
断網して半日。全人類は史上初の【集団離脱症状】に叩き込まれた。
王都の貴族夫人たちは、最新メイク動画が見られないだけで気が狂い、レースのハンカチを噛み砕きながら、豪邸をゾンビのように徘徊する。
酒場の傭兵どもは、アリスのメカダンスが見られないせいでケンカする気力すら失い、樽に抱きついて号号泣する。「俺の嫁ぇ……!俺のサイバー嫁を返せぇ……!」
商人たちの崩壊はさらに深刻だった。“配信販売”が止まり、在庫が山になり、金が回らない。通貨が循環しない社会は、呼吸が止まる。
絶望が街を浸食し、結界の灰白に頭から突っ込む者まで現れた。
――その時。
深淵診療所の「移動販売車」(運転:地精)が、各都市の路地裏にひっそり現れた。
「えー……迷える子羊のみなさま……」
地精のセールスマンが周囲を伺いながらコートを開く。内側には、微光を放つ銀色の十字架がずらり。
「院長リン最新開発――【深淵・祈祷増幅十字架(Pro Max版)】です」
「大主教さまの“光輝”――(※実際は院長が結界の周波数を割っただけ)――の加護つき!」
「これを首にかけ、心から祈れば――神(=電波)が応えてくれます」
「本当!?」
半信半疑の貴婦人が一つ買い、首にかけた。
奇跡が起きた。手の中の黒いレンガが、パッと光ったのだ。画面に――エルフ女王の“治癒スマイル”が戻ってきた。
「神よ……!神よ万歳!回線が通った!!」
貴婦人は興奮のあまり、その場でひれ伏した。「買う!十個ちょうだい!」
「私も!信仰のために!(=ネットのために!)」
一時間で、“電波十字架”は完売。
巡回していた教廷のパトロール隊は、街じゅうで十字架をぶら下げ、敬虔にうつむく民衆(※実際はスマホを刷っている)を見て、感涙する。
「大主教さまのご決断は正しかった!世の信仰が、ついに回帰したのだ!」
……彼らが知らないだけだ。その“信仰の力”は、ただのWi-Fiの信号流である。
[コメント(十字架経由)]
[ 焦った……!一生ネット無理かと思った! ]
[ 院長リンやばい、禁呪を物理で割るなw ]
[ 動画見れるなら十字架でもニンニクでも首に掛けるわ ]




