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第六話 同接一千万達成! もし俺が寝落ちしたら世界は終わる

 誰もが、リンが瞬殺される未来を想像していた。


 しかし、リンはリクライニングチェアに座ったまま、紅茶を口にしていた。


 カップを軽く掲げ、魔王に向かって挨拶すらする。


「ご来院ありがとうございます。ただ、横入りはあまり感心しませんね。でもまあ、症状が重そうなので、一回だけ順番を変えましょうか。」


 コメント欄は、一斉に黙り込んだ。


 視聴者全員が、リンの頭のネジが飛んだのだと思った。


 魔王アスモデウスは、ゆっくりとリンの前まで歩み寄る。


 見下ろす視線には、一切の感情が浮かんでいない。


 誰もが、その手が上がる瞬間を息を詰めて待った。


 療養所ごと蒸発させる、そんな一撃が来ると。


 だが、アスモデウスの口から漏れたのは、長く、重いため息だった。


 それは、数百年分の疲労を抱え込んだ者の吐息だった。


 魔王は、自分の目の下に刻まれた濃いクマを指差し、掠れた声で尋ねる。


「人間よ……ここで“治療”が受けられると聞いた。」


「余は、三百年、一度もまともに眠れておらん……このまま精神干渉とやらを受けられぬのなら……世界を一度、爆破してから寝るしかなかろうと思っておってな……」


 リンは、数秒だけ固まった。


 だが次の瞬間、紅茶をそそっとソーサーに戻し、いつもの“クライアント対応用”の笑みを浮かべる。


「もちろん。この療養所において、不眠は“軽症”の部類ですよ。」


「どうぞ、まずは温かいミルクを一杯。子どもの頃の話から、ゆっくり聞かせてください。」


 魔王は震える手でグラスを受け取り、一気に飲み干した。


 あまりの光景に、チャットは沈黙する。


 一秒、二秒、三秒――。


 やがて、張り詰めていた魔王の肩から、わずかに力が抜けた。


「……旨い。」


 しかし次の瞬間、アスモデウスの瞳にふたたび鋭い光が戻る。


 彼はリンの手首を掴み、そのままへし折りかねない力で締め上げる。


「だが、人間。ミルクだけでは足りぬ。」


 灼熱の魔焔を宿した瞳が、血走ったままリンを射抜く。


「十分以内に、余を眠らせろ。」


「余の“パッシブスキル”が暴走するまでの猶予が、それしかない。」


 魔王は窓の外を顎でしゃくる。


 九十九層の空間そのものが、ぐにゃりと歪み始めていた。


 黒い雷光が大地を引き裂き、遠くの山々が崩れ落ちていく。


「深い眠りに落ちて、内側の魔力を封じ込めねば、十分後には暴走が始まる。」


 アスモデウスは、笑っているのに泣きそうな顔で続けた。


「そうなれば、この療養所どころか、ダンジョン全体……いや、大陸ひとかたまりくらいは、余の寝起きの機嫌で更地になるだろうな。」


【システム警告:世界滅亡まで残り 09:59】


【現在のクエスト難度:神級(SSS)】


【直ちに精神干渉を開始してください】


 リンの口元で、笑顔が引きつる。


 これは、不眠治療などではない。


 「魔王」という名の核弾頭の、安全装置を外さずに分解しろと言われているようなものだ。


 ライブの同時接続数は、一気に一千万を突破した。


 世界中の人間が、この瞬間を見守っている。


 リンは、目の前の“世界を巻き添えにするかもしれない最重症患者”を見据え、深く息を吸った。


 そして、逆に魔王の手首を掴み返す。


 眼差しは、今まででいちばん真剣だった。


「十分だね。」


「常套手段を試している時間はなさそうだし……じゃあ、少しハードな介入をしようか。」


 レンズ越しに見える彼の眼鏡が、鋭い光を反射する。


「陛下。“強制睡眠プロトコル”というものを、ご存じですか?」

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