第四十二話 伝説の禁域? いいえ、ここは「アルツハイマー病棟」です
(場所:世界の果て・諸神の墓場)
荒れ狂う風。腹の底に響く雷鳴。
ここは大陸でもっとも忌み嫌われる禁域──踏み入れた者は、上古の神々の怨念に狂わされる、と語り継がれてきた場所だ。
だが。
リンは機娘アリスと元勇者アーサーを連れ、まるで日曜の公園散歩でもするかのような足取りで、ずかずかと奥へ進んでいくのだった。
「高出力のエネルギー乱流を観測。警告──攻撃結界ではなく……エネルギー漏出に近いパターン」
アリスの瞳に赤い警告灯が瞬く。
「老朽化した配管から、水道が締まりきらずにポタポタ漏れてる、ってところかな」
リンは砕け散った巨大神像の列を見上げ、眼鏡をくいと押し上げた。
「ここに住んでる“患者”たち──かなりのご高齢のようだね」
ゴロゴロゴロ……!
一行のすぐ脇に、太い雷光が落ちる。
その直後、ボロボロになった黄金の鎧をまとい、床を引きずるほど長い白髭をたくわえた大男が、瓦礫の陰からぴょこんと飛び出した。
その手に握られているのは、かつて星をも砕いたとされる《雷神のハンマー》。
「気を付けろ! 上古の神王、雷霆の主だ! 神格は砕けていても、まだ――」
アーサーが思わず剣を抜いた、その瞬間。
ボリッ。
雷神は掲げたハンマーを、リンたちに振り下ろすこともなく──足元に置かれたクルミの殻へ、そっと振り下ろした。
「へへ……クルミ、おいしい」
割れた殻から中身をつまんで口に放り込み、よだれを垂らしながら咀嚼する。
それから、おもむろに顔を上げた。
本来ならば雷霆を宿すはずのその瞳は、今は濁りと迷子のような不安でいっぱいだ。
「えっと……お前ら誰だ? オレのハンマー、見なかったか? ハンマーがどこにもないんだが……」
そう言いながら、自分の手にしっかり握られたハンマーをぶんぶん振り回して、「ハンマー」を探し始める。
場が凍り付いた。
アーサーは、抜いた剣を落としそうになる。
「こ、これが……神王……?」
「やれやれ……」
リンはため息をつき、ポケットからリンゴを一つ取り出して近づく。
「おじいさん、ハンマーはその手ですよ」
「バカ言え、これはクルミ割りだ! ハンマーは別だろうが!」
雷神は子どものようにむくれ、指先からバチバチと雷を散らした。巻き添えになって、アーサーが危うく黒こげになるところだ。
「典型的な【神格退行性記憶障害(アルツハイマー型認知症)】だね」
リンは果物の絵が描かれたカードを取り出し、幼稚園の先生のような声色に変える。
「はい、おじいちゃん。こっちを見て。これはリンゴ、こっちはナシ。ちゃんと答えられたら、クルミをもう一袋あげよう」
「ほ、本当か? クルミ欲しい! それがリンゴ!」
「よくできました」
リンは、雷を帯びたその頭をわしゃわしゃとなでる。
「アーサー、記録して。確定診断一名。治療方針:認知トレーニング+クルミによるモチベーション維持」
【弾幕】
[ ……これが伝説の神王……? ]
[ 泣きそう。うちのひいじいちゃんも、リモコン握って“テレビどこ行った”って探してた…… ]
[ リンのこれは探検じゃない。どう見ても老人ホームの夜勤看護だろ…… ]




