第三十二話 仮面、破砕――「俺はもう、救いたくなんてない!」
(場所:全息シミュレーション室・内部)
テストは続いている。
最新のシナリオは、瓦礫だらけの廃墟の街。
アーサーは、機械のように岩をどかしては、
下敷きになった被災者(もちろん仮想データ)を救出し続けていた。
「僕は光の子……止まってはいけない……。
みんなが見てる……見てるんだ……。」
アーサーはうわ言のように呟く。
掌は裂け、血だまりができているのに、
口元だけは――ひきつった笑顔を維持している。
死人の顔のように、硬く、冷たい笑顔。
カチリ。
シミュレーションの時間が止まった。
瓦礫の世界に、白衣の医者が一人、歩み込んでくる。
手には一杯の水。
リンはアーサーの前に立った。
アーサーは反射的に、またあの“勇者スマイル”を貼ろうとする。
「――もう、いい。」
リンは水の入ったグラスを差し出すだけで、理屈を並べなかった。
ただ、静かに問いかける。
「アーサー。
“自分のために”泣いたのは、いつが最後だ?」
カラン、と。
アーサーの手から、鉄の剣が滑り落ちる。
その問いは、メスよりも鋭く、
完璧に乾ききった“聖人”という殻を切り裂き、
血だらけの内面を露出させた。
――自分のために、泣く?
アーサーは孤児として生まれ、教会に拾われた。
転んでも泣いてはいけない。
自分は光の子だから。
疲れても眠ってはいけない。
世界が、自分を必要としているから。
痛いときほど、笑え。
その笑顔が、信徒の救いになるのだから。
二十年。
彼は「象徴」として生き、
ただの一度も、「一人の人間」として生きてはこなかった。
「俺は……泣いちゃいけない……。
泣いたら、“光の子”じゃなくなる……。」
アーサーの全身が震える。
両手で必死に自分の顔を押さえ、笑顔を維持しようとする。
けれど、指の隙間から、止めようのない涙が溢れ出した。
「いや。」
リンは、そっと耳元で囁いた。
「お前は泣きたい。
怒鳴りたい。
すべて投げ出して、寝込みたい。」
【深層干渉・エゴ覚醒】
リンの声が、彼の心のもっとも深いところを、優しくも容赦なく抉る。
「見ろ、この“人質”たちを。うるさいだろ?
与えても与えても、もっと、もっととしか言わない。」
「今ここには、信徒も、神もいない。」
「いるのは――お前と、俺だけだ。」
アーサーの瞳孔が大きく震えた。
二十年分の黒い感情が、一瞬で噴き出す。
「うああああああああああ――――!!!」
世界中の視聴者が、その絶叫を聞いた。
完璧な勇者からあふれ出たのは、神の祈りではなく――野獣の咆哮。
アーサーは虚構の巨石を拳で粉砕し、その場に膝をつき、
顔をぐしゃぐしゃに歪めて、子どものように泣き叫んだ。
「どけええ!! みんな、どっか行けよ!!」
「俺はお前らなんか救いたくない!!
英雄なんてやりたくない!!
俺だって痛えんだよ!!」
「少しでいいから――俺に眠らせろよ、クソがあああ!!」
ドオォン――ッ!!
その叫びとともに、アーサーの身体を包んでいた純白の聖光は、
一瞬で灰色の混沌へと変わった。
それは堕落ではない。
――人間性の帰還だった。
神々しさは薄れた。
だが、今の彼の姿は、あまりにも人間らしく、痛々しく、そして美しかった。
【弾幕】
[ 泣いた……マジで泣いた……。 ]
[ ただの子どもじゃないか……。 ]
[ 勇者協会なんてクソ食らえだ! アーサー、もう寝ろ……。 ]




