第三十話 直視不能の太陽――S級総崩れの「瞬殺」
(場所:王都・深淵罪悪楽園正門)
前触れは、まったくなかった。
地鳴りもない。大軍が迫る足音もない。
巨大魔法陣の閃光もなければ、風すら吹かない。
ただ――。
洗いざらしで色あせた麻布のシャツに、腰には錆びついた鉄の剣。
一見どこにでもいる青年が、何の演出もなく、ふつうに遊園地の正門の前に立っていた。
彼はあまりにも「完成されすぎて」いた。
正午の陽光を切り取ってきたような金の短髪。
澄んだ空そのものを映したような青い瞳。
ただそこに立っているだけで、周囲の空気はほんのりと温まり、
足もとの名もない野花が、季節を無視してほころび始める。
現役勇者ランキング第1位。
人類最後の希望。
――「光の子」アーサー。
「止まれ! ここは深淵領だ!」
正門の警備隊長、S級ミノタウロスのミノが、咆哮と共に戦斧を振り上げた。
深淵特有の殺気をぶつけ、目の前のひょろい人間を威圧しようとする。
アーサーは歩みを止め、顔を上げた。
抜剣もしない。敵意すら見せない。
ただ、ミノを見つめ――規格品のように整った、完璧で、無限の慈悲と許しに満ちた笑みを浮かべる。
「迷える魂よ。君は……とても苦しいのだろう?」
その一言。その一瞥。
「モ……?(お、俺は……な、何を……)」
ミノの巨体が、ビクリと震えた。
彼の視界に映るアーサーは、もはや「人」ではない。
曇りひとつない、絶対純度の太陽だった。
その光の前で、自分の一生――
殺した命、発した怒り、草を食べたあと口を拭かなかった回数――
そのすべてが、ひたすらに穢れた罪の記録にしか思えなくなる。
「う、ううう……お、俺は罪人だ……。母ちゃん、ごめんよぉ……」
S級魔物ミノは、戦斧を取り落とし、
アーサーの前で膝をつき、その足にすがりついてわんわん泣き始めた。
戦意、完全喪失。
「クソ……精神系か。なら、私が相手してあげる。」
城壁の上で、吸血鬼女王カミラの紅い瞳が細められる。
精神を弄ぶことにかけては、彼女は誰よりもプライドが高い。
【血魔法・マインド・スレイブ(心魂支配)】
真紅の精神の針が一直線に放たれ、アーサーの眉間を目指す。
だが、その針は――。
薄く身を包む聖光のヴェールに触れた瞬間、
完璧に磨き上げられた鏡にぶつかったかのように、
十倍の威力を乗せてカミラへと跳ね返された。
「が、はっ――!」
カミラは盛大に血を吐き、城壁から転げ落ちる。
瞳には、純然たる恐怖。
「ありえ……ない……! あいつの精神、ひと筋の“綻び”もない……。
欲望も、恐怖も……なにも……。あれは一体、何なの……?」
「警告。勝率解析:0%。」
機娘アリスがリンの前に立ちふさがり、紫の電子眼を真っ赤に染める。
「即時退避を推奨。出力格差――算出不能。」
S級戦力、瞬時に全滅判定。
アーサーは、泣き崩れるミノを跨いで、
一歩、また一歩と、リンの正面まで歩み寄る。
そして――。
とても丁寧に、九十度の深いお辞儀をした。
春風のように柔らかな声で、言う。
「はじめまして、リン先生。
世界の平和のために――そして何より、これ以上罪なき人々を傷つけないために。
どうかおとなしく、私と一緒に勇者協会へ来ていただけませんか?
“永遠封印”の処置を、お受けください。」
リンは茶杯を手に、目の前の“完璧すぎる光の子”を見つめる。
恐怖はなかった。
あるのは、呼吸を重くするほどの――圧迫感。
「アーサーさん。」
リンは眼鏡のブリッジを押し上げた。レンズの奥で、冷たい光が閃く。
「あなたは病気です。
しかも――かなり重症だ。」




