第二十九話 債権者が株主に? いいえ、「敵対的買収」です
一ヶ月の猶予期限が訪れた。
金牙会長は、目の下に深いクマを二つぶら下げ、取り巻きを引き連れてリンのオフィスに怒鳴り込んできた。疲れ切った顔のはずなのに、その表情には妙な高揚感も混じっている。
――計算上、リンが元本を返せるはずがないと踏んでいるからだ。
「リン院長、時間切れだ!」
金牙は例の借用書を机に叩きつけ、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「いくらガチャが売れようと、元本の一千億には届かん! 契約通りだ。さあ、お前と、この街と、その下に眠る資源――全部、俺のもんだ。」
リンは社長椅子にゆったりと腰掛け、さっきまでブラインドボックスから引き当てていた限定スライム抱き枕を弄んでいた。
「金牙会長、確かにあなたの口座には“元本”は戻っていません。」
リンが指を鳴らすと、すぐ脇に立っていたカミラ(今日はキリッとしたスーツ姿の秘書モード)が、分厚い書類束をテーブルに置いた。
「ですが――こちら、当園の決済システムのバックエンドデータによれば。」
「この一ヶ月の間に、あなたご本人、ならびにあなたの側近、さらに第十三商会の全従業員が……」
「『VIP課金』『ブラインドボックス十連ガチャ』『聖女握手券』『アリス投げ銭ランキング』に費やした総額は――」
「二千三百億ゴールドになります。」
金牙の笑みが、ゆっくりと固まる。
「な……なん……だと?」
「二千三百億です。」
リンは眼鏡の位置を直しながら、淡々と繰り返した。
「特に、あなたが“アリス水着限定Ver.”を引くために、商会の運転資金を全額突っ込み、さらにドリルマシンまで担保に入れた件については――」
「うちの会計部も感心していましたよ。“男のロマン”ってやつですか。」
「つまりですね。」
リンはゆっくりと立ち上がり、机に両手をついて、蜘蛛が獲物を眺めるような目で金牙を見下ろした。
「今のあなたには、ここを買い叩く資金どころか――」
「黄金連邦本部に対して、一千億以上の“使い込み”という穴が開いているわけです。」
「本部にバレたら……そうですね。あなたの皮は財布になるでしょうか、それとも靴になるでしょうか。」
ドサッ。
金牙の脚から力が抜け、その場にひざまずいた。絹のローブは、一瞬で冷や汗でびっしょりになる。
終わった。すべて終わった。この国を丸ごと刈り取るはずが――自分がガチャ中毒になって、人生と商会の金を全部溶かしてしまったのだ。
「た、助けてくれ……。」
金牙はリンのズボンの裾を掴み、二百キロの子どもみたいにしくしくと泣き出した。
「リンお父様! お願いだ、死にたくない……!」
「落ち着いてください。私は医者ですし、一応、慈善家でもあります。」
リンは引き出しから一枚の書類を取り出した。そこにはすでに、彼のサインと印章が押されている。
《黄金連邦第十三商会 買収契約書》
「ここに署名しなさい。」
「第十三商会を、深淵診療所グループに編入する。あなたの“負債”は、こちらで相殺してあげますよ。――あなたが払ってくれたお金でね。」
「今日からあなたは会長ではなく―― 深淵診療所・営業本部長 です。」
「給料は出ません。週休ゼロ、残業無制限。ただし――毎日アリスに会える権利は保障してあげます。」
二次元沼に頭から落ちたばかりのオタクに、それを断る選択肢など存在しない。金牙は震える手でペンを取り、契約書に署名した。
【全域システムメッセージ】
【プレイヤー「リン」が、レジェンド級ビジネス合併を達成しました。】
【取得資産:黄金連邦第十三商会一式(超大型ドリルマシン、世界規模の貿易ルートを含む)。】
【獲得S級社員:強欲の金牙(営業統括ディレクター)。】
【実績解放:ガチャで資本家を破産させた。】
窓の外には、すでに「深淵診療所」のロゴをスプレーで上書きされた巨大ドリルマシンがそびえ立っていた。その姿を見ながら、リンは満足げに微笑んだ。
「よし。資金、技術、人材、流通網――。これでひとまず、パズルのピースはそろった。」
少しくらい休んでもいいか――そう思った矢先だった。
オフィスの扉が勢いよく開かれる。
新任情報部長ニーナ(元千の顔の魔女)が、真っ青な顔で飛び込んできた。手には、真っ赤な封蝋が押された超特急の機密文書。
「い、院長! 大変です!」
「黄金連邦支部が壊滅したことで、人類側の評価機関が、あなたの“脅威ランク”を――“災害級”に引き上げました!」
「『人類勇者協会・総本部』が、史上最高レベルの討伐命令を発令!」
「今度来るのは、レオみたいなザコじゃありません……。」
ニーナはごくりと唾を飲み込み、震える声で続けた。
「現役ランキング第一位、“神の加護”を持つ正真正銘の勇者――『光の子』アーサーが、王都に向かって進軍中です!」
リンは片眉をわずかに上げた。
「ほう、第一勇者か。」
彼は机の上に飾ってあった“勇者フィギュア”を手に取り、指先で軽く握り潰した。
「この光の坊やは――“重度うつ病”という診断名を、知っているかな?」




