第十六話 品切れ危機! 吸血鬼女王を崩壊させた「サプライチェーン」
(場所:地下城第六十六層《永夜メンタルリカバリーセンター》本部)
「院長! もう在庫ゼロよ! 一粒たりとも残ってない! こんなんじゃ生きていけないわ!」
鼓膜が破れそうな悲鳴が、静かな朝のオフィスを切り裂いた。
就任してまだ数日の新任CFO――元吸血鬼女王カミラが、髪をぐちゃぐちゃに乱しながらリンの執務室へ飛び込んでくる。
かつては高貴さの象徴だった真紅のイブニングドレスにはインクのシミが点々と付き、目の下のクマはパンダのように濃い。
その手には、分厚い羊皮紙の決算報告書が、まるで命綱のように握りしめられていた。
「精神安定剤、特製拘束具、そして昨日あなたが配信で爆売れさせた《SSR級・安眠ブラインドボックス》……在庫、全部、ゼロ!」
カミラは報告書の束を机の上に叩きつけ、真紅の瞳をギラつかせる。そこに映っているのは、もはや血ではなく金貨の色だ。
「現時点の予約注文、来年分までパンパンよ! なのに、うちの上流サプライヤー――第三十三層《歯車の都》から、丸一週間も入荷ゼロ!」
「このままじゃ、一日あたり三千万ゴールドの損失よ! 三千万! わかる? その額を血で回収するのに、どれだけ吸わなきゃいけないと思ってるの!?」
リンの横でふわふわと浮かぶ配信オーブは、その修羅場を忠実に映し出していた。
【コメント】
『はははは! これがあの恐怖の《鮮血大公》だった女王様ですか?』
『完全にKPIに追われる社畜CFOで草 リアルすぎる』
『カミラ様:昔は血のために人を殺した。今は皆勤手当のために殺したい』
『一日損失三千万って、リンのビジネス規模どうなってんだよ』
リンは『深淵マクロ経済学入門』を閉じ、鼻梁の眼鏡を押し上げた。
「サプライチェーンの断裂、ね。企業としては心臓発作レベルの事故だ。」
立ち上がったリンは、カメラに向かって工作用の微笑みを向ける。
「視聴者の皆さん、予定変更です。本日の配信テーマは――ビジネス視察。」
「行くぞ、カミラ。そしてミノを呼んでおけ、警備主任も同行だ。」
「第三十三層まで現地調査だ。うちの《深淵大公》の仕入れを止めてる豪胆な経営者が誰なのか、きっちり確認してこよう。」
…
(場所:地下城第三十三層《歯車の都》)
転送門を抜けた瞬間、鼻を突く油と硫黄の匂いが襲いかかってくる。
ここに青空はない。
頭上を覆うのは黒煙に覆われた天蓋だけだ。
巨大な真鍮の歯車が空中で噛み合い、回転するたびに歯ぎしりのような金属音を響かせる。
幾本もの極太スチームパイプが、まるで血管のように街中を這い回り、ときおり灼熱の白い蒸気を吐き出す。
鋼鉄と蒸気だけで構成された、スチームパンクの世界。
だが、本来なら轟音に満ちているはずの工場区は、今にも暴動が爆発しそうなざわめきに包まれていた。
「搾取反対! 休憩させろ!」
「一日二十五時間労働は違法だ! 領主を出せ!」
中央広場には、油まみれのゴブリン技師やドワーフ鍛冶たちが数万人単位で押し寄せている。
スパナやハンマーを掲げ、領主邸の重い鉄扉に向かって怒号を浴びせていた。
その鋼鉄の門の向こうからは、十メートル級の巨大機械蜘蛛がゆっくりと姿を現す。
コックピットに座るのは、真っ赤な髭をたくわえ、顔中贅肉だらけのドワーフの王――第三十三層の領主、《鋼鉄の暴君》ブロック。
「休憩だぁ? この怠け者のウジ虫どもが!」
ブロックは拡声器越しに怒鳴り散らし、唾をコンソールに飛ばした。
「仕事場を与えてやり、寝床(檻だが)を与えてやってる恩人に向かってストライキだと?!」
「働きたくないなら、全員スクラップにしてやるよ!」
ガチャガチャガチャ――。
機械蜘蛛のボディに取り付けられた六門のガトリング砲が一斉に回転を始める。
黒い銃口が、無防備な労働者たちの群れへと向きを変えた。
【コメント】
『うわ、ガトリングじゃねえか!? 世界観どこ行ったw』
『社長、自社工場前で従業員皆殺し宣言はアウトだろ』
『配信主、早く止めて! あれ絶対洒落にならないやつ!』
「死ねぇぇ! この低効率なゴミどもが!」
ブロックは迷いなく発射ボタンを叩いた。
火炎が噴き上がり、豪雨のような弾幕が群衆めがけて降り注ぐ。
絶望した工員たちが目を閉じ、自分の身体が蜂の巣になる未来を覚悟した、その刹那。
ブウン。
透明なのに、絶対に破れそうにない「精神念動の壁」が、彼らの頭上に出現し、全ての弾丸を空中で止めてしまった。
リンは片手をポケットに突っ込んだまま、散った薬莢を踏みしめて煙の中から歩み出る。
頭上の巨大な機械蜘蛛を見上げ、その声はおだやかで、しかし冷徹だった。
「ブロックさん。労使問題を銃弾で解決しようとするのは、マネジメントの中でも最低レベルの手だよ。」




