めいそう先輩
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
時計。
これまた人類の歴史を語るうえで、欠かせないツールのひとつだと思う。
持ち運びできる形のものはもちろん、広範囲へいっぺんに伝える時報のたぐいは現在でもなお活用され続けている。
お寺さんにおける打鐘も、代表的なものだろう。これから来る年の暮れの除夜の鐘などは、新年の訪れを告げる風物詩だ。
時間。我々は歴史の中で今に至るまで、非常に密接にかかわりながらいまだ流されるままである大いなる存在だ。そもそも時間など存在するのか、思い込みなんじゃないのかという考えまでこちらに抱かせるくらい、途方もない相手といえる。
ゆえに本当に貴重なタイミングは存在し、そこにおいては普段できないことも平然とできてしまう……そのようなパワーは我々の生活のそこかしこにあるかもしれない。それを正確にはかれる時計を携えているなら。
私の昔の話なのだけど、聞いてみないかい?
私の先輩に、「めいそう先輩」と呼ばれている人がいた。
めいそうも先輩の本名にかかっているとかじゃなく、よくめいそうしていることから、こう呼ばれていたんだ。
つぶらやくんは、めいそうというとどのようなイメージだろうか。目を閉じ、呼吸を整えて、浮かんでくる雑念にとらわれずに集中を高める……おおむね広まっているのは、このような形でないかと思う。
めいそう先輩が行うものも、ある程度は共通しているものだと感じていたのだけども、問題はその長さだ。
長いときもあるが、短いときは本当に短い。それこそまばたきをするほどだったりもするけど、めいそうだと判断できる材料は、音だ。
バチン、と音が聞こえる。
輪ゴムのちぎれた音、風船が破裂した音を思わせる高いもので、不意に鳴ったなら十中八九、何事かとあたりを見回してしまうだろう。そして、それがめいそう先輩のめいそうの終わりを告げるものでもある。
これが済んだあとの先輩は、非常に優れたパフォーマンスを発揮する。テストにおいても運動においてもだ。少なくとも、向こう1時間は効果が持続するようだった。
特別な道具などもいらず、本当にめいそうのみでそうもパワーアップできるのなら、自分も真似してみたい。そう思って先輩にやり方を尋ねたのだけど「一朝一夕には、できん」と言われたなあ。
「こいつは時間、というよりタイミングがとっても大事だ。めいそうをしながらも『ピン』とくる瞬間に目を開けられなければ、望む効果が得られない。すげえ短い間だから慣れないうちはまず合わせられないし、会わなかったら相当痛いぞ」
その通りだった。
一度、めいそう先輩の真似をしてみて目を閉じたところ、一時間以上をもくそうする羽目になったうえに『ピン』とする瞬間に乗り遅れた。
――『ピン』とはどのような感じか?
難しいな。もう本当に『ピン』と形容するのが一番なんだよ。次点が、背筋が一気に伸びてしまうような感覚というか。
こいつとね、せいぜいコンマ一秒くらいのタイミングで合わせて目を開けないと、先輩のような効用は得られない。合致した瞬間に、あのバチンという音が立つのさ。
そこから外れた私の場合は大変だった。まなこを開いた瞬間に、ぐっと両目を突かれたような痛みが走ってね。視界も赤い赤い幕が下ろされてしまった。
血が出たのか、とも思ったが誰に聞いても目からの出血や重度の充血などといった、異状があるとは言ってくれなかった。くだんの先輩自身もそうだったが、私が試したことを察したらしく「しくじると、そういうことになるってわけだ」と付け加えてくれた。
こんなリスクを毎回覚悟していたのか、と私は先輩のやってきたことにあらためて舌を巻く。完全に視界をつぶされるとまではいかずとも、色や形の判別は困難をきわめ、足元の段差などにも気づきづらく、おっかなびっくりになってしまった。
先輩ももし、そのタイミングで失敗していたなら、テストや運動どころでないレベルのハンデを負っていたはず。それをやってのけるのだから習熟も度胸も並外れたものだろう。
けれども先輩は話してもいたのさ。「ここのところは、やけにタイミングが合いすぎて怖い気もする」とね。まるで何かに突き動かされて、ぴったしカンカンにおさめられているのではないかと。
でもやめることはできない。自分はこのめいそうによって結果を出してきたのだから。それをいまさら失うことは怖いからと。
確かにそうでなければ、私たちという一部の間だけでも「めいそう先輩」とは知られることはなかっただろう。
そのような先輩の懸念は、ほどなく当たってしまう。
学校の定期試験。その科目間の休み時間で、ふと先輩は教室のある4階のベランダから飛び降りて、そのまま意識不明の重体となってしまった。少なくとも、このときはだ。
校内は大騒ぎだったし、先輩も病院へ運ばれたものの、翌日にはそこを抜け出して姿を消してしまったと伝わっている。
身内でない私たちに詳細を尋ねるのははばかられたが、先輩のご家族がほどなく地域から引っ越してしまったのは確かなこと。
またどこかで「めいそう先輩」に会う時があるのか。そのときに先輩は先輩その人であるのかは、わからないけれどね……。




