(95) 邂逅と再会
サイラスとエレが並んで階段を下り、大広間に差し掛かろうとしたとき——
すでに扉の向こうから、火花を散らすような言い争いが聞こえてきた。
「まったく、ブレストの騎士団は忠義に篤いようだな。」
「当然だ。我らは“監視役”なんかじゃない。殿下の“本物の護衛”だ。」
「ふぅん?“監視役”と申すか? つまり、自分たちの地位には自信がないってことかしら?」
女性の冷ややかな声と、二人の騎士の声音が鋭く交錯する。
大広間の空気はピリピリと張りつめていた。
エレはサイラスに視線を向ける。
「……何が起こってるの?」
だがサイラスは微笑みを浮かべ、肩をすくめるだけだった。
そのまま悠然と足を踏み入れる。
案の定、彼の予想は的中していた。
ノイッシュとアレックが片側に立ち、不満げな表情で睨みを利かせている。
そして彼らの向かいに立つのは、漆黒のショートケープに身を包んだ軍装の女性——
彼女は背筋を真っ直ぐに伸ばし、腰には剣帯、手には淡い色の手袋。
まるで護衛というよりは、いつでも戦闘可能な“監視者”そのものだった。
短く整えられた黒髪が肩にかかり、サイドに流れた長めの前髪が灰色の瞳を強調する。
その鋭い視線は、まるで相手の内側までも見通すようだった。
彼女がサイラスに気づいた瞬間、先ほどの不快感を含んだ表情がピタリと止まり、代わりに静かな警戒心が宿る。
「……朝から賑やかだね。」
サイラスは眉を少し上げ、軽く笑いながら言った。
「何があったの?」
女性は冷静な動作で一礼し、口調も丁寧に言葉を返した。
「サイラス殿下。おはようございます。」
だがその声音には、歓迎の色がまったくなかった。
どころか、ほんのりとした嫌悪すら混じっている。
サイラスの視線に困惑の色が浮かぶ。
——誰だ、こいつ?
彼は確信していた。
この女とは面識がない。少なくとも、記憶に残るほどの印象はなかった。
だが、彼女の態度はまるで旧知の相手に向けるような、妙に馴れた苛立ちを孕んでいた。
「この方はヒルベルト様が“監視役”として派遣した、ヴェロニカ嬢だ。」
ノイッシュは皮肉めいた口調で言った。
「そして彼女の第一声が、『お前たちは辺境へ帰れ』だった。」
「誤解を招かないでほしいわ。」
ヴェロニカは感情を抑えた声で言い返す。
「ここは帝都。地方騎士を二人も連れて歩くのは目立ちすぎる、というだけの話よ。」
「傲岸なるかな。されば、未だ婚約なきも宜なる。」
ノイッシュがあからさまに嘲るように肩をすくめる。
ヴェロニカの灰色の瞳が鋭く光る。
「……で、君の婚約者はどこにいるのかしら?」
「俺のことは関係ないだろ!」
ノイッシュが食ってかかろうとしたところで、アレックが小さく咳払いする。
「お知り合いだったのか?」
サイラスが眉をひそめ、疑問を口にした。
「覚えてないんですか?」
ノイッシュとアレックが同時に目を見開く。
「……全く記憶にない。」
サイラスは正直にそう言い、再びヴェロニカの顔を見つめる。
記憶を掘り起こそうとするが——やはり何も浮かんでこない。
その言葉に、ヴェロニカの表情がわずかに引きつる。
「完全に忘れられている」ことへの屈辱がその瞳に宿る。
「……ああ、そうだったな。“万年三位”だよ。」
アレックが低く呟く。
「軍学校の成績で、ずっと殿下とエドリック殿下の後ろにいた、あの“第三位”です。」
ノイッシュが言葉を継ぐ。
「いつも一位と二位を競ってたあんたらの後ろで、どう頑張っても届かなかった“影の実力者”……が、彼女だ。」
「……そんなの、いたか?」
サイラスは記憶を手繰り寄せるように、月長石のピアスを指で触れる。
「学園の連中なんて、当時はあんまり関心がなかったからな。」
彼は腕を組み、もう一度ヴェロニカを見た。
「三位ってことは、実力は確かってことだ。悪いけど、本当に覚えてない。」
彼は素直に認めた。
「しかも女性だったとは……珍しいな。」
その言葉に、ヴェロニカの口元がピクリと引きつる。
感情を抑えているのがありありと見て取れる。
ノイッシュは吹き出しそうになりながら言った。
「然り、記憶せぬのも宜なる。あの頃の彼女、髪は殿下より短かったし、言葉遣いも俺らより荒かった。完全に男扱いだったもんな。」
アレックも苦笑いを浮かべた。
「貴族の坊ちゃん連中は“アルジェロの坊ちゃん”って呼んでたぐらいだからな。」
サイラスは興味深そうに眉を上げた。
「へぇ、それはまた面白い話だ。」
彼はもう一度ヴェロニカを見つめる。
——今の彼女は、確かに過去の“軍学校の誰か”とはまるで印象が違う。




