(92) 琥珀の光
その問いに、応接室の空気が一変した。
視線が一斉にサイラスへと集まる。
サイラスはわずかに眉をひそめ、低く答えた。
「……まだ、分からない。
自分でも、完全に制御できていない。」
そう言いながら、彼は無意識に左目へと手を伸ばした。
そこに、彼の紋章が存在している。
その時だった。エレが口を開いた。
「発動時、彼の左目は金色に光り、紋章が鮮明に浮かび上がったわ。」
その言葉に、応接室の面々は一斉に驚き、彼女へと視線を向けた。
エレは平然とした口調で続ける。
「その時、周囲の影が集まり、光が歪んだのも見た……
高速移動しているように見えたけど、実際は空間認識を狂わせ、相手に位置や距離を誤認させる力だと思う。」
一瞬、室内が静寂に包まれた。
サイラスも、予想外だったらしい。
エドリックとヒルベルトも、それぞれ思案深い表情を浮かべる。
数秒の沈黙の後、ヒルベルトが静かに言った。
「……随分と、観察眼が鋭いな。」
エレは微笑み、サイラスへ視線を移す。
「なればこそ、常に見つめしゆえ。」
サイラスは一瞬きょとんとし、エレを見つめ返す。
彼女は続けた。
「それに——
あの時、強い精神的な圧力も感じた。
あなたより弱い者なら、あの場で極度の恐怖に陥るはずよ。
実際、ラファエットの護衛たちは震えていた。」
淡々と語られる言葉に、応接室の空気はさらに重くなる。
エドリックが小さく呟く。
「なるほどな……」
サイラスは視線を伏せ、指先で無意識に左目の周囲をなぞった。
そんな中、ヒルベルトが口を開いた。
「紋章……か。」
彼は低く呟き、一拍置いて続けた。
「かつて、陛下が——
ラインハルト陛下が、殿下の左目を見て、異変に気付いたのだ。」
サイラスは眉をひそめる。
これが、彼の「紋章」に対する初めての明確な評価だった。
サイラスは左目をそっとなぞる。
そこには——
半月状の輪郭と、中心に二重の同心円を持つ奇妙な紋様。
遠目には気付かれないが、近くで見ると、光の加減で浮かび上がる繊細な模様。
まるで、封印のように。
そして感情が高ぶった時——
虹彩が金色に輝き、紋章が燃えるように浮かび上がる。
瞳孔は赤金に交じり合い、日蝕のような光輪を作り出す。
周囲の影は蠢き、光は歪み、空間そのものが狂って見える。
これが——
彼が幼い頃からずっと感情を抑え続けてきた、本当の理由。
誰とも視線を合わせず、感情を表に出さないよう心掛けてきた。
すべては、この異形の力が暴走するのを防ぐためだった。
「……つまり、父上……ラインハルト陛下は、俺の異常に気付いていたのか?」
サイラスの声は低く、どこか苦味を含んでいた。
ヒルベルトは静かに頷く。
「しかし——
我々も、その正体を特定できてはいない。
いかなる文献にも、あなたの紋章に関する記録は存在しない。」
その言葉は、サイラスの胸に重く沈んだ。
ずっと答えを求めてきたのに——
誰も、それを知らないというのか。
彼は目を伏せ、軽い眩暈にも似た感覚を覚えた。
左目は、忌むべき異常か、それとも……?
その時だった。
エレの柔らかな声が、彼を現実へと引き戻した。
「でも、私はあなたの目、綺麗だと思うよ。」
サイラスは驚き、エレを見る。
彼女は優しく、しかし確かな光を宿した眼差しで彼を見つめていた。
「琥珀色の目って、それだけでも珍しいのに……
光の加減で赤金にきらめくところなんて、朝焼けに映る湖面みたい。」
エレは微笑んだ。
その瞳に、怯えも、疑念もない。
ただ、ありのままのサイラスを見つめる、澄んだ眼差しだった。
「たとえそれが異世界の血に由来していようと、紋章に繋がっていようと——
それでも、あなたの一部であることに変わりはない。」
サイラスは言葉を失い、ただ彼女を見つめた。
自らを異物としか思えなかったこの左目を、
誰かが、ありのまま受け止めてくれるなどと——
今まで、考えたこともなかった。
彼は静かに笑った。
「……そうか。」
低く、かすかな声で。
「稀有なる見解よ。」
エレは軽く肩をすくめた。
「皆、未知のものを怖れるものだから。
でも、私は——あなたを見ているだけ。」
サイラスは目を細め、何も言わなかった。
エドリックがそれを見て、からかうように微笑む。
「されば、君の瞳を認めし者を、もう見つけたようだな、サイラス。」
サイラスはわずかに目を細め、言葉を返さなかった。
だが、心の中に巣食っていた重たい霧は、ほんの少しだけ——
晴れた気がした。
たとえこの紋章の意味が、まだ分からなくとも。
少なくとも、今、彼の隣には——
真っ直ぐに彼だけを見てくれる存在がいる。
それだけで、十分だった。




