(91) 異世界の痕跡
「……異世界の血と王族の血の融合か。」
エドリックは低く呟いた。
彼の紅い瞳がわずかに揺らぎ、その奥で思考が巡っているのが見えた。
サイラスの脳裏には、古い伝承——「晶石の誓約」の起源がよぎった。
今では帝国貴族たちが若き恋人同士の愛の証として交わす儀式となっているが、その本来の意味は、遥かに暗く、重いものだった。
それは、かつて起こった——悲劇だった。
異世界の血と王族の結びつき。
それは帝国と異世界との繋がりを象徴するものであり、多くの古文書には、異世界から来た者たちがこの世界にもたらした知恵と力が、文明の形を変えたと記されていた。
しかし、ある時を境に彼らの存在は歴史から意図的に抹消され、今に残ったのは「ロマンチックな誓い」という表層だけ。
(神授の力……あんなもの、呪いに過ぎない。)
サイラスは記憶の渦に呑まれそうになったが、隣のエレの声がそれを引き戻した。
「……『神授の力』とは、一体何なの?」
彼女の声は冷静でありながら、内に鋭い問いを孕んでいた。
視線が一斉に、ヒルベルトに向けられる。
宮廷総管は、予想していたかのように頷き、静かに口を開いた。
「異世界の者たちは、時折この世界に現れます。」
その声音は低く、どこか遠い時代の記憶を語るようだった。
「彼らがどうやってこの世界に辿り着くのか、正確な記録は存在しません。」
ヒルベルトは一度視線を巡らせた後、話を続けた。
「しかし、帝国の古き記録によれば——
エスティリア王国は代々、『異世界の女性』を召喚し、彼女たちは『治癒の力』を宿し、聖女となったとされます。」
エレが小さく息を呑む。
「……母も、治癒の力を持っていました。」
ヒルベルトは頷き、さらに続けた。
「だが、聖女として召喚された者たちとは別に、異世界から来た者たちも存在していたのです。
彼らは『聖女』とは呼ばれず——
『神授の力』を得る者たちでした。」
エドリックが僅かに目を細める。
「つまり……異世界の者たちは、特別な能力を持っているということか?」
「その通りです。」
ヒルベルトははっきりと断言した。
「異世界の人間は、それぞれ異なる『神授の力』を持っています。
それは、超常的な知恵であったり、常人を凌駕する身体能力であったり、あるいは世界の法則そのものを操る力だったりする。」
「——魔法。」
サイラスが小さく呟く。
ヒルベルトは頷き、静かに続けた。
「そう、魔法という形で後世に伝わった力も、もとは異世界の者たちがもたらしたものです。」
エレは深く息をつきながら、静かに言葉を紡ぐ。
「つまり……異世界人は、ただ力を持っていたのではない。この世界の法則そのものを変えた。」
「その通りです。」
ヒルベルトは肯定した。
「彼らの知識と力が、文明を急速に発展させたのです。
錬金術、建築技術、航海術、農業技術……
その多くは異世界の影響を受けていると考えられています。」
サイラスは黙って話を聞きながら、脳裏に鮮明な光景を思い浮かべた。
——ラファエットとその配下が手にしていた、あの火器。
あの武器は、この世界のどの軍備とも異なっていた。
(……あれも、異世界から来た技術か。)
彼は小さく息を吐き、低く呟いた。
「軍事技術も、だな。」
エドリックが眉をひそめる。
「火器、か……」
サイラスは静かに頷いた。
「あれはまだ、発展途上の技術だ。
だが、十分に軍を脅かす威力を持っている。」
彼は目を細め、続けた。
「されど、それが彼らの切り札とは限らぬ。」
その一言に、場の空気が一気に緊迫した。
エドリックはサイラスをじっと見つめ、鋭い眼差しで問いかける。
「つまり——ラファエットには、まだ隠し玉があると?」
ヒルベルトもまた、重々しい口調で言葉を継いだ。
「もし彼が更なる力を隠し持っているのなら……帝国の戦略そのものを見直す必要があるでしょう。」
エドリックは腕を組み、深く考え込んだ後、低く呟く。
「ラファエットは単なる野心家ではない。
彼は……新しい時代を作ろうとしている。」
エレは鋭い目で言葉を継いだ。
「だけど、その『新しい時代』は——
いかなる犠牲を払いて築かれんや?」
彼女の問いかけは、重く、場に沈み込んだ。
そして、エドリックはふと視線をサイラスへと向け直し、軽く肩をすくめた。
「さて——」
彼は問いかけた。
「異世界の血を引く君の『神授の力』とは、いったい何なんだ?」




